食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

農地保護

2012年10月31日 17時36分13秒 | 日記

日本は食料輸入国なのに耕作放棄地は増え続けている。厳しい就労環境下に在りな

がら農業だけで飯は食えないから兼業に移行され、やがては後継者さえなりたがらな

い、させたがらない、農業放棄の構図が出来つつある。農家は先祖からの農地を守り

ながら生活をしてきた。親が子に農地を譲ることは可能だ。しかし農地は農地法で保

護されているから農業就労者以外に譲ったり売ったりすることは出来ないようになって

いる。農地から他の目的に使うための地目変更が認められた場合には農業就労者以

外の人に売買することは可能だが、その可否は農業委員会によって決められる。簡単

に地目変更が出来ないから、農業をしていない農地が荒れ放題になり続けていても、

原野になっていても、それは農地であり続ける。

新規就農者は場所により30~50aの農地を確保することにより農業従事者と認められ

る。農地が農地法によって保護には固いガードがかけられるべきだし、保有者には農

地を守るという義務を課せられていることにも賛成できる。この義務違反に罰則がある

のか知らないが、いい法律でも悪い法律になることがある。義務違反があり続けるから

耕作放棄地が増え続けていることになる。農家に生まれただけで農業をしていないの

に農地は相続できる。法律の主旨に反するではないか。

逆に、農業就労者ではない私が『今後永久的に耕作放棄地になりうる農地を保全した

い』という主旨で、農地を持てるように手を尽くしても、それは叶わないことなのだ。農家

に生まれながら耕作放棄している人と、私のように農業とは関係ないが耕作放棄地の改

善のために農地を持ちたい人を比べた時、改めて『いい法律でも悪い法律になることが

ある』となる。

私が畑を借りている人は高齢で農業はしておられないが、他にも農地を持っておられる。

耕作放棄地にしないため時々、シルバーセンターに頼んでは草刈りをして貰っている。こ

のように本当に農地を守ろうとしておられる方のために、農地を守るための法律を作った

政治家どもに言いたい。『近い内がいつのことなのか』こんなことの議論より先に、法律の

主旨と外れていることの修正、現実に起きている不具合を早く直せと。


『アルコールと蕁麻疹?』

2012年10月30日 17時26分23秒 | 日記

前々回のお酒は2週間以上前のことになるが、その時は飲み終え子供たちが帰宅して

から、手の平を見たら随分といい色になっているではないか。そんなに沢山のお酒を飲

んだ訳ではないのに今日は・・・・と思っていたら腕やら足が段々と痒くなり蕁麻疹が出だ

した。我慢しきれないほどの痒みではないが、今までに経験したことがないから、何をど

うしていいのかも浮かばない。その内、痒みが増してきて肩をゴソゴソさせたり、腕や足を

摩ったりして我慢大会の開催だ。強く掻いたりすると後で、えらい目をこくから、余計に我

慢を強いられる。普通、痒い時には冷やすとよく、温めると血行が良くなるから痒みが増

すといわれている。

身体中に蕁麻疹が出ているから冷やすことはできないから、痒くなってもいいから逆療法

で風呂に入ってやれと、湯船のお世話になる。そうすると、蕁麻疹は輪郭をよりはっきりと

させてきたが、温かくなったことによる血行の影響はなく、むしろ先刻よりも痒みが収まっ

たような気がするではないか。これはシメシメと風呂から上がり布団に転がり込み、このま

ま寝てしまえば何とか救われることを期待した。全く痒みを感じない状態ではなく、我慢を

強いられるほどではない程度だったので、羊を勘定しながら寝ることができた。何度かは

目が覚めたものの痒みによる影響は薄れていき、目が覚めた時には腕に少し残っている

程度で、それも直ぐに消えてしまった。原因は不明だがアルコール摂取による何かの影

響には違いない。

以前の私なら、再度アルコールを摂取し同じようなことになるのか試してみるのだが、酒へ

の執着心はかなり薄くなっていること、心配で酒を飲む気にはなれないことから次回、子供

たちが来た時に試すことにした。それが10/26の焼き肉の日で、缶ビールと焼酎を少々い

ただいたが、顔が赤くなり普段と変わりなく只の酔っぱらいの爺さんだった。すると、翌々日

に会議がありお酒はないはずだったのに、飲みながらやりましょうと言うことになり、飲まない

はずの私も一緒に飲んでみたが、この日も只の酔っぱらいの爺さんで終わることができ、根

拠はないものの2回連続で異常なしはいい兆候と勝手に安心している。

アルコールを摂取すると蕁麻疹が出るから飲まないという人が近所におられる。昔は軽く晩

酌をしておられたが、いつぞや話をした時に、そのようなことを言っておられた。

飲むなら楽しくなければ酒ではないから、痒みと友達の酒なら(ToT)/~~~でも怖くないから

病気になって,随分と成長したもんだ  ハハハッ。


『データの保存は紙が一番?』

2012年10月29日 18時54分07秒 | 日記

私とコンピュータの関わりは長かったが、ハードウェアの保守サービスだったから運用

上のことは詳しくはないが、一応のことは知っているつもりだ。ところが、知っているはずの

人に限って基本的なことを蔑(ないがしろ)ろ、にしてしまい結果的にはドツボにはまってし

まう。

私たちハード部門の人間でも、お客さんにデータのバックアップについては何度も何度も

お願いして、採取して貰うようにしてきた。ハードの故障に限らずデータが消えてしまう要

因は山ほどあり、単なる凡ミスによるものであろうが高度なエラーによるものだろうが、その

影響度合いには変わりない。PCも一般家庭に普及しPCの様子を知っている人、全く知ら

ない人も使い始め、メーカーのマニュアルに目を通すとバックアップの重要性を説いてい

る。私もその必要性を認識しているからバックアップをメディアにため込んできたはずなの

に、FDもZIPも遠い昔の媒体になり、機器の故障などと重なりバックアップデータは消えて

いった。必ず要るものはバックアップを新しいPCに落とし込み使用するが、長期的に使う

データはほんの一握りで、大半のデータは割と使用期間の短い一時ファイルのような存在

だ。私の場合、最も深刻だったのは写真でデジカメが出始めカシオの30万画素のカメラを

買い、撮るだけとって画面で楽しみ、アルバムを作る習慣がなくなってしまった。

写真を撮ってはせっせとFDやZIPに落としていたが先述の理由で、次々と変わるPCに引き

継がれることはなく、残念ながら多くを失った。最近は外付けHDにバックアップをとっていた

ものの故障により多くのビデオデータが消えてしまい、今ではSDカードとHDの二重に保管

している。

社会保険庁の年金問題で取り上げられた、廃棄処分を免れたデータで信憑性の高さを示し

たのは紙の台帳だった。コンピュータが一般企業に普及していった時にも、データのバック

アップは磁気テープ装置に書き込み磁気テープで保存していたが、経年変化で読み取りが

出来なくなることから何年かに一度はコピーし直したりしていた。業種によっては法律でデー

タの保管が義務つけられているものもあり、効率のいい確実性の高い方法が真剣に検討され

ていた。

新しい媒体が開発され普及していくが正確な保証期間は、開発者本人ですら計算上、理論

上のものを知るのみで、本当にそれだけの期間が保障されるのかは不明というのが正しいと

思う。原始的な方法であるが紙は歴史的な経年変化を経験しており、保証期間については折

り紙付きだ。私も当時の写真をもっと印刷しておけば・・・・・と悔いている。


『ザーサイのその後』

2012年10月28日 16時11分26秒 | 日記

初めての栽培に挑戦中のザーサイ、虫に食べられ透け々になりながら立ち直ってきた。

菜っ葉類だから虫の餌食にされ易く放置しておくと、何もなくなってしまうような勢いで

食べられるので農薬を散布した。暫くして農薬の効力が落ちると再び虫たちの攻撃に

遭う。もう水の心配も要らないから肥料と虫のチェックをすれば待望の結果は得られる

のではないと思っているが、実績がないから今後の予想はつかない。

 

『リンドウは天気次第』

リンドウの花は晴天でないと開花しない。今日のような曇り時々雨のような天気では蕾を

閉じてしまい愛想がない。昨日はいい天気だったから目いっぱいの満開状態。

天気次第だから朝晴れていると開花、午後は曇りになると花は閉じてしまう何とも不思

議な花だ。きれいだからといって、家で飾ろうにも日当たりが悪いと、一向に花は開か

ない。


『Windows8』

2012年10月28日 09時21分03秒 | 日記

アップグレードのDL版を購入する場合にも、私のPCとWin8が適用されるかチェックし

てくれる。当然のことだがWin RP版でNGだったから今回もNGと出た。しかしNECの移

行ツールにはBIOSの更新があるから、多分この問題も解決されるものだろうと購入し

た。移行マニュアルをよく読んだはずが、うっかりミスを起こしてしまった。BIOSの更新

のタイミングが一つ遅れてしまった。次に進めると『BIOSの更新がされていない』とエラ

ーが出た。軽く考え、ここで更新できると思ったら、前にも後ろにも行けなくなった。再

起動、電源オフオンなどでも変わりない。

こんなことは起こりうるから何か手立てはあるはずなのに、どうもWindows7に再セットア

ップし直してから、BIOS変更をやるしかないようだった。これは邪魔くさいことになった

が、BIOS更新の何か方法はないか・・・・試案。

移行ツール(DVD)の中身を覗いてみるとBIOSとVer NO.なるファイルがあったので、

BIOSをクリックしてみるとBIOS/EC UPDATEなるアプリが動き出した。瓢箪から駒であ

る。見事にBIOSの更新に成功した。マニュアルにこれくらいのことを書いておいて欲し

いものだ。兎に角、これにより危機を脱した。

アップの前作業を終え、Win8への移行作業は特に操作することもなく,淡々と時間だ

けの勝負。以前のWinだとセットアップすると引き継いでほしいデータ、設定情報、アプ

リなども消えてしまうが、Win8は最初に『すべてを引き継ぐ』を選択すると、いわゆる初期

設定なるものはしなくてもいい。しかしアップデート中に予期せぬ停電やトラブルで中断

した場合、リスタートは危ういからデータや設定情報のバックアップの採取は必須だ。

だからWin8に移行すると直ぐにネットやメールを使うことができる。最も変わったのは札

(タイル)にアプリが割り当てられており、画面上にタイルが表示されタッチ式のPCだとス

マホのように手で操作する。私のPCはタッチ式ではないから従来通りマウスで操作する。

作業はデスクトップというタイルをクリックすると、従来のデスクトップが開きここでアプリを

使う。電源、設定やコントローパネルなどの項目は隠れておりカーソルを画面の隅に置く

と出てくる。こうしたことを少しずつ覚えればもっと快適に使用できるようになると思う。


『リベンジ Windows8』

2012年10月26日 19時38分52秒 | 日記

 

今日は早めにブログのアップを終えて、Win8へのアップグレードに挑戦する。Win8の

 RP版では、このPCのBIOS絡みのことで適用外としてアップグレードをすることができ

なかった。先日、NECから『Win8導入ガイドマニュアル』が発行され、私のPCもアップ

グレードが可能になった。

Win8のダウンロード版(DL版)は3300円、DVD版は6000円前後の価格設定がされてい

る。DL版は値段が安いことから魅力的だが、セットアップできるPCの台数制限がどのよ

うになっているのか。私はラップトップと2台持っているので、仮に1ライセンス1台とバン

ドルされていても2台分のDL版とDVD版ではそう変わりないから、値段に負けてDL版を

購入。マニュアルを片手にアップデートを開始する。

 

このブログをアップするはずだったが先にアップデートを始めてしまい、先ほど7時30分

頃に無事終了し、Windows8で初めてのアップ。慣れるためにもう少し訓練が必要のよう

だが、通常のことには問題はなさそうだ。詳細は別途。


『きのこのシーズン』

2012年10月25日 18時19分55秒 | 日記

朝からいい天気で畑の草取りをしたり、道路沿いの山の裾刈りをした場所の片つけ、

更にプリンターのインクがなくなったので買いに出かけたりとバタバタの一日。

身体を動かし少し体を使うと汗は出ないにしても汗ばむ感じになるが、陽当たりから

外れるとヒンヤリする変な気候だ。昼と夜の寒暖の差が出だすと、きのこの季節と思

い、ナメコの原木を見ると、傘の開いた茸がワンサカと出ていた。その横には以前、

種付けをしたが失敗に終わったと思っていた欅(けやき)の木に出ていた。

急いで取ったために山桜のナメコは写真に撮れなかったが、欅に残っていたもの

パシャリ。欅の木は固く乾燥するまでに何度も捻じれるので、伐採してから何年も乾

燥させないと使えない。木が固いから茸につかっても長持ちするだろうと菌を植えた

のが3~4年前のこと。あきらめていたのに、何かの間違いで今年はおめでた。夕方

になり山小屋の草取りを始めたら、奥の方でイノシシにひっくり返されたリンドウがど

うなったのか気になり行ってみた。全滅は避けられ横になりながら花を付ていた。

ここのリンドウは恒例の行事なので慣れているらしく、しぶとく生き延びている。

その奥にあるシイタケを覗いて見ると、直径10センチにも成長したものがあった。

毎年、最初のものは取り遅れ大きくなり虫に食べられてしまう。大きいものだと20

センチ以上にまでなる。そう言えば、以前はよく拾っていた芝栗が奥にあるのを

い出し足を進めた。何やら白い塊のようなものが見えた。ひょっとして杉ヒラ茸では

と近づくと、大当たり。すごい数の茸がビッシリと。ここの山では以前から杉ヒラが沢

山採れていた。2~3年前に杉ヒラを食べて食中毒で死者が出た。昔から杉ヒラは

食用として珍重されていたが、急に毒キノコ扱いをされてしまった。調査の結果、

肝臓障害のある人に害が出ると新聞の記事にあった。私たちも食べていたがこの

事件以降は箸が止まったまま、ほんのりとした香りの上品な茸だが今年も見るだけ

にしておくことにする。

 

 

                                          杉ヒラ茸のかたまり


『入院時の一コマ』

2012年10月24日 18時03分07秒 | 入院回顧

手術の退院は10/31(H21年)で体力が回復したら、万が一の可能性をつぶすために

抗がん剤治療を受けるか否かを問われた時、『お願いします』と即答していた。副作

用は出ないだろうから何も躊躇する理由はない。ところがシンガポールのEさんが12

月の中頃、日本に来るので私の所に来たい、と連絡してきた。

先生に事情を話、日程の調整をとって11/25から11/8までにして貰うことができた。

治療は楽なものだから院内ウロウロ生活の再現になった。何か面白い事はないかと

掲示板や目新しいポスターも隈なく見た。その中に玄関ホールで音楽会が開かれる

ことを知り、楽しみにしていた。国立音大の関係者がピアノ、フルート、バイオリンなど

奏でる、クリスマスソングだった。聞くと時々ボランティアでこうした演奏会を開き、病人

の癒しになるよう活動しているのだ。

この時、バッテリー付の点滴車だったから、時間によっては充電が要るようになるかも

しれなかった。壁コンは他人が使っており空はなし、すると看護師さんがスルスルとコ

ードリールを持って来てくれ、電源を確保できた。

生演奏の音楽は、味気ない入院生活に一滴の活力エキスを与えてくれた。私が座っ

た所の横に『新型インフルエンザワクチン接種受付』なる大きな看板があった。急な流

行でワクチンが不足し、病気に対する弱者優先の割り当てをされた時だ。

私は手術をして免疫力が落ちているだろうから、と言う理由でこの枠の中に入れて貰

った。院内はインフルの予防で入口には消毒液での手洗い、マスクは必需品のようだ

った。野生爺の私は、消毒液は面倒だったから使わないし、マスクもせずに過ごした。

新型インフルの関係で、小さい孫たちは病棟に入ることができなかった。

この治療を終え退院し暫くしてからEさんが我が家に来た。娘たち一族を引き連れて、

入院中に6Fから眺めていた中華料理屋に出かけた。たどたどしい英語での会話を挟

みながら楽しいひと時を過ごした。Eさんは二晩泊まって帰国した。この時、初めて知

ったのがJALでシンガポール~羽田を利用し国内移動をJALですると往復10000円で

出来ること。私たちはこのようなケースはないから、教えようにもサッパリ。

 

最初の抗がん剤治療は、手術に向けて頑張るぞと檄を。

手術は、食事が楽しくなると檄を。

術後の治療は、徹底的に癌退治と檄を飛ばした入院生活だった。


『病院内の散歩』

2012年10月23日 17時52分44秒 | 入院回顧

点滴地獄の喜びはその管が一つ、ひとつと外れていくことだ。ICUにいた時は心肺装

置を口に咥えていた記憶があるものの、その時は麻酔の関係かウツラウツラしていたよ

うだったから、うっとおしくて我慢できないほどではなかった。

もし意識がしっかりしていたら、これほど邪魔で嫌なものはなかったのではないかと思う

が、生命線だから好き嫌いの選択はできない。

これらの管の中で鼻からのものは何とも言えない厭らしさ、不快だったが、こいつが取れ

ると天下を取ったようなものだった。バッテリー付の点滴車を引き連れて、病室のフロア

ーを散歩したいのに、当時は新型インフル予防の為、病院の方針も慎重。術後は出来

る限り早くから身体を動かそうとのご指導に従い、早く室外への外出を望んだのに、暫く

は室内に制限された。振り返れば、正式に許可を貰って室外散歩に出たのではなく、成

り行きで出かけるようになった。一番の楽しみは1Fにあるコンビニに出かける事。

まだ食事の制限があったから何かを買って食べることはできなかったが、良くなったらあ

れを食べてみたいと、見ながらショッピングを楽しんだ。

また、8Fにあるレストランの入り口まで出かけては、陳列ケースのメニューを眺めて、治っ

たら、これを食べてみたいと、ここでも見ながらイーティング。

重湯からお粥、軟食へと出世していく度に、普通食への憧れは、とても強かった。病室の

前にはソファーや椅子が置かれていて、休憩所やら面会に使われていた。そこから下界

を見ると、以前よく行った中華料理店が見える。目と鼻の先だ。早く出て、あそこの白湯仕

立ての五目そばを食べたいなーと眺めていたものだ。

最初の抗がん剤治療の時は、病院のルールも知らないから、直ぐ目の前にある遺跡公園

に出かけ、頂上でリラックス、ついでにあちこちをウロウロして帰院した。看護師さんに話す

と『散歩は病院から外に出ないように。外出する時には許可が要ります』・・叱られた。

何れの治療も順調で、食事に関する苦労は一切なかったから、食べたい気持ちが病をより

抑制してくれたのかも。抗がん剤治療の副作用で、術後の縫合不良などで苦労された方

などは、散歩どころではなかったろうが、私のように殆ど何もないこともある。


『病院サービスとは?』

2012年10月22日 18時06分02秒 | 入院回顧

昨日、登場の友人は日赤病院に入院している。暇つぶしに何をしているか、体力維持

のための運動なども話題になった。その中で、日赤では電気製品の持ち込みは一切

禁止でパソコンも駄目で話によると婦長の許可制らしい。友はパソコンを持ち込もうとし

て頼んでみたが許可は下りなかったらしい。

しかし、携帯電話の持ち込みはいい。冷蔵庫のように電気を食うものは常識的に不許可

だろうが、携帯は良くてパソコンが駄目の論理が湧いてこない。どちらも充電するための

電気は使用する。携帯の方が小電力だからだろうか?。

一方、私の入院した市立病院は常識的なものの持ち込みまでは禁止していなかった。

パソコンを持ち込みTVチューナーをつけてTVは只で観てたし、DVDを観たり落語を聞

いたり、パソコン本来のことも。TV代金だけでなくパソコンのお蔭で沢山の恩恵に与かっ

た。また、高い個室にはLANの設備が整えられていた。インターネットに接続できれば入

院中に沢山の勉強だってできる。時間はたっぷりあるから、あとは本人のやる気次第だが。

闘病ブログの中には入院リアルタイムのブログをパソコンでアップしている人も沢山おられ

る。最近は流行のスマホでアップの人も多くなってきた。

私は退院する時のアンケートに『全室は無理としてもせめて個室にLAN環境を整えるべき

だ』と記した。都会のようにWIFIやWIMAXなどの利用が身近にあれば便利だが、この地で

の充実は望めそうにない。

友の別の嘆きは運動不足の解消場所がないことだった。この病院は階段がなくエレベータ

ーのみ。だから散歩をするにも同一フロアーだけでは直ぐに終わってしまう。他のフロアー

に行くにはエレベーターでは運動にはならない。私は6Fにいたから毎日、数回は階段で上

り下りしていた。そのついでに、他のフロアーの視察を。ウロウロとまるで徘徊老人のように。

当時、万歩計をつけており多い日には10000歩もうろついた。

階段は動ける病人のためには格好の体力回復の場となる。病院を作る時、病人のためにな

ることを考えなかったのだろうか。それとも、それよりも大事なことがあり優先されたのだろうか。

このようなことは直接的な病院サービスではないが、広義のサービスと言っていいと思う。


『がん患者の立ち話』

2012年10月21日 18時08分04秒 | 癌のこと

昨日のことだがリンパ腫で放射線治療を終えた友人が一時帰宅し、家の前で4年ほ

ど前に大腸がんを患った人と立ち話をしていた。私は出かけようとしていたのだが、

そこに合流し容態や治療の具合、経験談などに話が盛り上がった。

昔なら『おお丁度いい、ちょっと一杯飲みながら話そう』となっていたろうが、病を貰い

大人になったんだ。だれもそんな素振りはなかった。リンパ節の癌で耳鼻、目などの

神経を除去し足首から取った神経を移殖したそうだ。若い人はくっつきが良いから回

復の可能性は高い。と言うのが彼は瞼の神経が復活していないから、段々と下がっ

きて自分では上げることができない。つまり瞬き(まばたき)ができない。

そうすると目が乾くドライアイのようなことにもなるから目薬は必需品になった。視力も

左右で違いが生じているから、長時間の読書やTVはとても疲れるもと。

一番辛いのは放射線による口内炎、このために胃瘻が施され、水も2か月以上飲ん

いない。食を断たれるのは何より辛いそうだ。

これは私たちも経験している事なのでウンウンと頷く。治療前、自覚症状は何もなか

たが『がん』を退治する手術をしなければならなくなった。命を保つためだ。手術をし

ければ放射線治療だけでは対抗できず癌のやりたい放題になってしまう可能性が高く

なる。命を保つ手立ての一部は整ったであろう。しかし、そのためには代償が必要だっ

た。QOL(Quality Of Life)の低下、術前にこの程度がどれくらいか予測できただろうか。

説明はされていただろうが本当に理解されていたのだろうか。

個人差の事があるから、一般的なことを羅列するしかなくなる。起こるかもしれないし,

起こらないかもしれない。患者が想像し出す結論は曖昧なものにならざるを得ない。

手術をする前の方がよかった。仮に命が縮まっても。と言っても、もう遅いのだ。『私も

元気になり、癌になってもこんな風にできるんだと、人の励みになるようにもしたい』。と

友曰く。暫く間を開けて

『でももし、もう一回手術をするかと言われたら、今度は考えてしまう』

置かれた状況の中で自分にベストと思われる様な形を見つけ出さないと、思考はネガ

ティブにネガティブになって、本当に病に負けてしまう。だから空元気でも出して頑張ろう。

3人でこんな結論に達したのである。


『耕作放棄地』

2012年10月20日 18時22分49秒 | 日記

日本の農業は従事者の高齢化、後継者不足、新規就農者不足などにより減少など

と生易しいものではない。農業は江戸時代でも形の上だけ、士農工商と二番目に置

いているものの実際には、食糧を搾り取る道具として扱われていた。この流れは時代

が過ぎても変える事は出来ず、優位に立ったのは戦後の食糧難の時、ほんの一時

だけだった。

農業で生計が立てられない政策はどのように出来上がったのか知らないが、農業従

事者の多くは本当の農業者ではなく百姓だったのか。政治的には農協などは圧倒的

に自民党、今でもそれに近い。その政治は日本の百姓のためになる政治をしてきて

はいないのではないか。私はただ利用しただけと言いたい。何かあると、その場しの

の補助金漬けにして問題を先送りにする。例えば、もぐら叩き政策の延長線上にある

減反はいつになったら解決されるのか。さて、農業の衰退は耕作放棄地の増加という

結果になる。

若い人は農業以外の仕事を選ぶから年寄りばかりが農地を守る。そうした若者たちは

子供の時から農業の手伝いをする、こんな当たり前と思われることもしくなった。親が

させないのか、子がしないのか其々だろう。

だから年老いて農地が荒れても若者が農地を守ることもしなくなった。これは私が若

頃、既に『三ちゃん農業』と言われ始めていたから、高度経済成長時代の幕開けが拍

車をかけたのだろう。農地は保有するものが維持する義務を負っている。その代わり農

地は法律で農業以外には利用、譲渡できないよう、種々のガードがかけられている。

私に山を譲ってくれた叔母さんも農地を保有しているが、耕作をしていない。しかし、こ

の叔母さんはシルバーセンタに頼んで草刈りをしてもらいながら、放棄地にならないよう

にしている。叔母さんの農地の半分弱を私が借りて管理しているから、放棄地回避の一

助になっている。先日、その一部に低木の果樹を植えれば、草刈りをする元気もでるか

ら、何か植えてもいいだろうかと相談した。

叔母さんは多少でも綺麗になればと賛成してくれた。もっと早くに思いつけばよかったの

になーと悔いる事しきり。そして、その畑地にさくらんぼ2本と西条柿1本を植えた。

この叔母さんのように一生懸命に農地を守っておられるのを見ると、私ももっと手助けし

なければと思わされる。一般的には年が寄り農業が出来なくなると、耕作放棄につなが

る。そして資材置場に、アパートに、倉庫などに地目変更され畑は歯抜けになっていく。

私がいつも叫ぶ食糧自給率・・・・・・この国の行く末は?


『尺度の違い』

2012年10月19日 17時48分01秒 | 日記

今日も畑に出て草取りや夏野菜、オクラ、茄子の片つけを始めた。草についてくる土

や片つける苗の根に付いている土を振り落としながら、ふと思い出したことがある。

昔,糸さんと畑をしていた時、野菜を収穫したら根に泥が沢山付いていた。私は何の

意識もなくそのまま川で洗ってしまおうとすると糸さんが

『おい、泥を落としとけよ。泥がもったいない』

『何で泥なんかがもったいのだ。ケチなことを言うな』と心の中で思った。もともと、畑仕

事なんか大嫌いだったから畑の泥に興味がある訳はないし、作業が早く終わればそ

れが一番いいと思っていた頃だから。しかし、この言葉は強烈な印象があり、長らく畑

仕事を中断していた時期もあったが忘れてはいなかった。畑をする人にとって土は命

ということに気付かなかったし考えたこともなかった。

それが、今や土造りに熱心、畳をばらして藁を取り出し畑に使う、落葉樹の葉を回収

して畑に、もみ殻をたっぷりと畑に、堆肥を十分にすり込む。畑で一番コストがかかっ

ているのは土だ。だから糸さんの言葉は、その通りだった。

また、私の山小屋でストーブの薪が積んであったのを見て『薪が一杯あると親方になっ

たような気分だな』と言った。話に寄れば昔は薪も貴重なものだったから、貧乏人の所に

は山にするほどの薪はなかったそうだ。しかし庄屋さんなどの所は山が沢山あるから薪

もてんこ盛りであったと言う。だから薪がふんだんにあるとリッチな気分になる。

私はそんな環境の中で育っていないから知らなかったが、確かに冬支度のために薪を

積み上げ今年の冬分は確保、こうなれば心にゆとりが出てくる。

『さあ冬よ、いつでもいらっしゃい』こんなゆったりと心地になれるから、糸さんの当時の

立場に置換すれば、これもビンゴかな。

昔、聞いた言葉を思い出し畑の中で感慨にふけっていた。


『抗がん剤治療の副作用、縮れ毛』

2012年10月18日 18時05分09秒 | 抗がん剤治療、回想

抗がん剤治療の副作用について、自覚症状が見られなかったために書き忘れてい

たものに『縮れ毛』なるものがあった。5FU+シスプラチンのコラボで脱毛は少々みら

れたものの、頭皮が透けて見えることもなく、傍目からは何の変化も無かったのだっ

た。この治療を受け、手術を終えて退院の頃になって髪の毛が天然パーマのように

なってきた。洗髪し乾燥させた直後なんかはフワフワの状態で、しかもチリヂリが際

立って見えた。私の髪は直毛で加齢とともに細くなっていたが天然パーマのようにな

る要素は全くなかったのに。風が吹くとサラサラとしていたものがフワフワに変わり、

何か美容室で手入れをして貰ったかのようで、少しだけ得した気分だった。

抗がん剤治療から約2か月後くらいに変化がわかり、今でも少しだけその名残りはあ

るものの説明しなければ気づかないほどだ。大量の脱毛に至るほどのダメージはな

かったにしても、髪にはこうした影響があったのだと思われる。

 

『其々の冬支度』

今朝の温度は10℃ちょっとだった。ついこの前までは暑い暑いと騒いでいたのに、

急に秋めいてTシャツだけでは過ごせなくなった。昼間の太陽の下で身体を動かせ

ば少しだけ汗ばむこともあるが、それも稀なことになってきた。

夜露も沢山おりるようになり、朝方の畑は草取りもできないほど濡れている。その上、

一昨日からの雨で畑の草はやる気満々になり、元気なこと。いつも思うが、雑草に接

木した雑草に負けない野菜は出来ないものかと。畑以外のことで畑を離れるとお草

様の御なり。それでも、美味しい冬野菜を目指して頑張るしかない。

こうした季節、イノシシも冬に向けて栄養をたっぷりと蓄えるべく餌探しに余念がない。

NPOの梅や桜が10本くらい倒されてしまった。先月の末に肥料をやったから、その臭

いに反応しているらしく、木を植えるために盛り土をした部分を掘り返した為、木はひ

っくり返されたり、折られたり。

また周辺に積んであった枝木や10㌢くらいの木も軽々とひっくり返していた。足跡から

すると母親と子供が2~3頭、昨晩のことだが、もしミミズなどが沢山いたとすれば、また

お出ましになる公算が高い。

私たちは動物と違って季節を多少なりともコントロールでき、生活環境を改善できるが

野生動物は、脂肪を増やし冬に備えることでしか守れないから、私たちがブツブツ言

うようなことに耳を貸している暇はないのだろう。


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