食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『ブログ食道がんと闘う自然爺の活動、終わりについて』

2014年10月09日 12時47分37秒 | 日記

ブログの主旨は私の経験した癌治療を治療中の人、悩んでいる人にお伝えできたらと思って始めた。私の実際の経

験は7月~12月くらいまでにあったことが大半で、退院後に新たな治療を要した事は1度もなかった。

そうした状況にいたから、癌治療をして復活し元気にやっている姿を紹介することも一つの励ましに、動機づけに

なるのではないかと考えてきた。

だが、日常的な行状を他人に公開する何てことが、その目的になるとは考えていないから出来る限りそうしてきた

つもりだ。しかし、年月の経過と共に自分自身の癌に関する事はなくなってきた。これはこれで結構な事である。

そこで生存率5年を乗り切ったのを契機に当初から掲げていた『食道がんと闘う自然爺の闘い』の暖簾は術後丁度

5年目になる10月8日をもって下ろす事にした。今後はブログの主旨を再考の上、新たな取り組み方を見い出した

い。

  『食道がんと闘う自然爺の活動』にアクセス頂いた方々に深く感謝申し上げます。

 

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『5年生存率40%を通過』

2014年10月08日 16時59分56秒 | 日記

明日10月9日は平成21年に食道・胃がんの手術をしてから5年を経過した最初の日という事になる。当時は日々

の事で精一杯だったから先生の言われた『5年生存率』のことなど眼中になく、検査や治療を追っかけていた。

一言で言えば月並みの言葉『長いようで短い・・・』となる。幸いにも私の場合は然したる不都合に出会うことな

く術後に癌のための加療、投薬は一切なかった事から大幅なQOL(Quality Of Life 生活の質)の低下もなかった。

5年を越えても癌から逃れられる安全地帯に到達した訳ではないし、再発リスクがゼロになったのではないから諸

手を挙げて万歳とはならない。ここが他の病気と大きく異なる点だ。

病気をして悪い事ばかりではなかった。病と闘うアグレッシブな気持ちを芽生えさせ、必ず復活すると自らを奮い

立たせた。当時、自分では安穏とした中、煙草をふかし晩酌で英気を養っていたつもりになっていた。自堕落な暮

らしをしていたのではないが、かつて友が亡くなった時に誓っていた『人生を大切に・・』はかなり薄れていたこ

とは確かだ。

退職して山小屋暮らしを始め一段落、当初の目的を達成してそれまでのようなきちんとした目標がボケていた時期

であったように思う。人生の隙間とはこのような時期を指すのか、身体も同様に癌が共生する土壌を作り続けてい

たようだ。癌は改めて『健康に生きること』の歓びを教えてくれた。

ただ煩悩の塊のような私のこと、聖人のような生き方をすることは出来はしないが、癌と再会するようなことのな

いよう、時々ブレーキをかけながら歩んでいくこととしたい。


『術後5年そのⅢ』

2014年10月07日 17時26分21秒 | 日記

健康を取り戻したものの消化機能は殆ど用を為さないから太ることなど夢のまた夢、世間の多くの人がダイエット

にひた走るのと逆行、全くへそ曲がりになってしまった。痩せているから尻に肉が少ない。硬いベンチに座るなん

てことは、まるで昔の韓国の拷問に出てくるようなシーンとあまり変わりない。

消化機能の低い人は痩せてこのような苦労と言えない苦労を、また目には見えないがカルシュームの吸収がし難く

なるから骨粗しょう症になるかもしれない、これもまた苦労とは言えない。

私の指が少し腫れて痛くなった時、心配したのはリンパ浮腫。リンパ節を除去した結果リンパ液の流れが悪くなる

とリンパ管の内容物が外に沁み出してむくみになるもの。影響度の小さいものは私のように指先から足全体に溜ま

り倍以上の太さになった人と個人差が大きい。実際には私の場合はリンパ浮腫ではなく原因は不明だが明らかに術

後に突然こんなことになったから、手術に関係してのものだと思っている。

病にかかり治療して治癒したら元の状態に戻ると。だれもがそう考えるのはごく当たり前のことである。癌の場合、

死と抱き合わせの状態で治療してきたから完治(ないそうだが・・・)、治療が終われば万々歳になると思うのも、

ごく当たり前。ところが、その代償は想像以上、大半は代償を支払うことはないと考えているから、そのギャップ

の大きさを乗り越える術が見つからないで喘ぐことになる。治療の後こんなに苦労していくなら治療しないで自然

体でいく、と泰然自若の生き方が出来れば結構だが凡人には困難なこと。

私は病後、朝起きて朝日を見ると北条氏政が朝日を見ながら日々、朝を迎えることに感謝したという話を思い出し、

同じような気持ちになる。明日、朝これらの言葉は何となく希望めいたことを想わせてくれる。

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『術後5年そのⅡ』

2014年10月06日 15時16分52秒 | 日記

食べ物が胃の入口辺りで詰まる。それからくる胸を中から圧迫するような状態(食道に食べ物が溜まり膨張しているため)は何とも言えない嫌悪で、詰まったものをゲロしてリセットするか胃の中に落ちるしか解放される道はない。

癌がいなくなり正常になった喜びに比べれば前述の不具合など比較対象にはならないほどだ。

術前から治療が終わったら最初に煙草を一服してみて様子を見てから禁煙を検討する。肝臓の数値が異常だったことを考え酒は控えめせざるを得ないから術後、1年は自粛することにしていた。どちらも医者と相談したものではなく、懲りない私の希望。

ところが煙草は何故か一服たりとも欲しいとは思わなくなっていたし、30年以上は欠かしたことはない晩酌派の私が酒も欲しがらなくなってしまった。病気をして、手術して元の状態に戻るだけの事、何もいいことはないかと思っていたら怪我の功名、全くの予想外の禁酒禁煙を意志に反して勝手にやってしまった。

煙草に対する執着は0、だから酒の席で人が煙草を吸っていても全く気にならないから本物だと思う。酒の席に煙草はつきもので禁煙に挑戦している人が崩れるシーンは酒席と相場が決まっている。

退院直後、酒の味はどんなものか一口だけ頂いてみたことはあるが、1年以上は酒を飲まないでいた。強制的に酒を止められているのではないのに煙草同然よく我慢出るものだと思う。

ほぼ1年経過してから会合の後や慰労会などで平均して月に2~3度は酒席にも出るようになった。ビールは味覚変化により苦く感じるからコップ1杯あれば十分。真夏の暑い中で大汗をかき1日の仕事を終えて頂く冷えたビールにさえ食指は動かない。

焼酎は味がないから日本酒を呑んでいるが、酔い方は日替わり定食のようでパッタリと落ちるかと思えば、飲み過ぎて夜中に頭がガンガンすることもあり、術前とは大きく変化した。

酒席の経験から適量は、ビールをコップ1杯弱、日本酒1合くらい。

酒が月に1万強、煙草が2箱/日だったから3万円/月(当時のレートで)となり年間36万円、5年間だと180万円の節約になったと以前にもレポートしたと思う。節約分を毎日、貯金箱に溜めていたらここに180万円以上の現金があるはずだが、残念ながら何処かに姿を消している。

 

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『術後5年そのⅠ』

2014年10月05日 19時50分58秒 | 日記

QOLなどと言う言葉を覚える予定は私の人生の中では無いはずだった。事故、災害そして病気は誰もが他人の事を

目の当たりにしていても『自分には起こるはずはない』と決め込んでいる。そして自分がそういう場面に遭遇した

後は神妙になり他人に対して説く側に回る。

最初から『君子危うきに近寄らず』と、あるようにしておればよかったのに。やはり人間は可謬性の生き物なのだ。

常に過ちと隣り合わせ、過ちを背中に背負いながら生きている。

私は身体に対する間違いを犯し続けたのだろう。5年前、最初に異変を感じてから1か月もしない内に自分で食道

か胃にがんが出来ているに違いないと自己診断した。自分は癌にかかるはずはないと信じ切っていたし、癌をとて

も恐れていた。友人2人は肺がんで、義兄も定年退職後に肺がんで、古くからの知己、糸さんは59歳の時スキル

ス癌にやられたのを近くで見守っていたから、癌の結末がどのようなものかその一端を知っていた。

短絡的に癌=死に近い感覚で『癌になったら治癒して生存し続ける』ことなど不可能という観念に支配されていた

から癌は怖かった。それなのに自己診断に至る経過は自分でも信じられないほど冷静だった。

食道がんや胃がんが自分の身体に蔓延っている。担当医は『ネットや書で調べてセカンドオピニオン』の道を選択

できると説明してくれたが、私は素人が齧った情報を持ってセカンドオピニオンに対して何を求めることが出来る

のか、出来るはずはないと自分流の答えを出した。不都合な情報に出会う事は間違いなさそうだったから手術を終

えるまで食道がん、胃がんについて今以上の知識を一切持たないで戦に臨んだ。

5年生存率40%の壁を乗り越えて今も朝を迎えている。死を考えたことは一度もないが当時からみれば『転移』『再

発』が追いかけてくるのではないかと心配の種は尽きず途轍もなく長かったように思う。幸いにも術後の回復は至

極順調で手術による機能低下、何らかの影響なども限定的で生活に大きな支障となるものはない。

そうした事で恐らく一生、付き合わざるを得ない症状は

1.  逆流

就寝中、頭の位置が胃と水平近くになると胃酸が逆流して喉にへばり付き、耳の奥の方が痛い感じになる。(無

意識の出来事だから正確にはどんな位置関係かはわからない)

少し水を飲むか、そのまま10~15分ほどじっと耐えていれば自然に治る。

2.  規則的な排便

  術前から快便、殆ど毎朝きちんとしていた。術後、1年くらいは何べん、下痢気味となり可能な限り朝の時間

にトイレに行かないと外出先で急にトイレに行きたくなることがあった。暫くは外出先のトイレの有無を気に

していた。最近はきちんといかないと便秘気味になる。

3.  右手薬指がカックン指

  原因不明。術後からこの症状が出始めMRI/レントゲンでも異常は見当らない。

  指の第2関節が曲がりにくくカックンとなる。

 

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『人の驕り』

2014年10月04日 13時52分55秒 | 日記

自然災害の多い日本のインフラの整備により昔に比べれば圧倒的に治水はよくなっている。しかし、どんなに整備

されても人と自然の付き合いは難しい。水は高い所から低い所に流れる。曲がった所では直線的に流れようして泥

を削って新しい通路を作ろうとする。また、過去の災害から得た教訓を元に改良も加えてきたことは歴史が示して

いる通り。そして人は土手を築いたり高くしたりして安全性を高くしてきたつもりになっている。

ところがこうした対策は自然の摂理と人間との知恵比べで残念ながら人間は水を制するに至っていない。

気象条件の違いによる治水の想定雨量を大きく超えるようなことが度々、発生するようになってきたことも過去の

対策、知恵が活きない理由でもある。もしそれが地球温暖化によるものだとしたら、元からの自然の姿を人間が破

壊したとする考え方が正しいような気がする。 

御嶽山の火山噴火の被害が起き、未だ後片付けも出来ず再出発の準備も整わない広島の土砂崩れ災害はニュー

片隅にも載らなくなった。広島の土砂崩れも自然に対する人の挑戦でもあった。急斜面の所は雨があれば水が

流れ出す。許容量を越えれば土砂崩れになること誰でも知っている。そこに家を建てて未曾有の大雨が降れば結果

は明白であるにも関わらず、人は人の経済的な都合で危険を承知で家を建てた。

しかし前提は未曾有の雨が降ったことはないし、これからも降らないだろうという不確実な安心から人の妥協によ

るが、自然は人と妥協したのではない。こうした例は広島の例だけではなく日常的にある。

水の災害は人が自分たちの都合のいいようなルートで治水しようと整備したために起こる場合が多い。都会地では

地下貯水池など馬鹿げた大規模施設に莫大な費用をかけて作っている。この貯水量の想定は時間雨量50㍉とされ

ているから、近年のゲリラ豪雨からみれば数値的には既に破たんしている設備だ。道路をアスファルトで舗装した

所に大量の雨が降ればどうなるか、これも誰もが知っている。水は高い所から低い所へ、地下は低い所だから地下

に流れ込む。水が浸透する舗装など新しい知恵が救世主になるのか。

人が作り込む自然災害、人が自然を制するなど人の驕り、自然に合わせた人の生き方が人の命を守る一番確実な対

策だと思う。

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『栗豊作』

2014年10月01日 17時23分10秒 | 日記

栗に限らず植物に対する肥料の効果は人間の食事同様に絶大である。植物の場合、肥料をやって直ぐに目に見える

効果がないから、ついつい蔑(ないがし)ろにしてしまう。特に果樹などは『桃栗三年柿八年』と言われるように実

を手にするには年月勝負だから素人は特にその傾向にある。私も同様、山に植えていた木々の肥料は面倒だからそ

のままにしていたが、見た目にも育ちが悪いのは明らかになり、やっと数年前から肥料をやりだした。

傾斜のある場所だと運ぶのも大変だから一大決心のつもりで栗、桜に施肥。

直ぐに効果は目に見えなかったが確実に効き目があり昨年から栗は大量に収穫できるようになったし、桜も綺麗な

花を咲かせる、小さな苗にも蕾が付きだした。

今年の栗は粒が大きく食べてみてもいい味をしている。我が家では1回、3合くらいのご飯を炊いているが栗ご飯

にすると栗がご飯を押しのける状態で、栗ご飯大好き爺さんはご満悦でござる。

孫たちは栗ご飯より蒸したり焼いたりする方が好きだと言う。栗を好物にしているのは人間だけではない。

あの横暴者の猪。昨年は夜の間に落下した数個の栗を食べられた後、すぐに電気柵を張ったため以後の被害はなか

った。人間が先に食べるか、オタオタしていて猪に食べられてしまうか生存競争となる。

 

 

 

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