食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『今更、Win8のメトロスキップ』

2013年09月07日 17時07分09秒 | 趣味

私はPCを頻繁に使っている方で目新しいものがあれば、ついつい手を出してあわ

よくば使い勝手がよくなるのではと・・・・やってみて何度も痛い目に遭った。このブ

ログでよく使っている賢者と愚か者の違いは分かっているつもりなのに、それでも経

験してみないと気が済まないから、奈落に落ちてもクヨクヨしないで立ち上がる術を

身につけてきた。

Windows8のスタート画面は、今まで見慣れた所謂デスクトップと呼ばれているもので

はなくなり、わざわざデスクトップ画面に移動しなければならなくなった。私のような凡

人は99.9%のことをデスクトップ下でするから、新しいスタート画面など不要なのに、電

源オン、スタート画面、デスクトップの順番は邪魔臭いと思っていた。

世の中には沢山の面倒臭がり屋がいるものだから、電源オン後にスタート画面(メトロ)

をスキップして直接デスクトップに移行する便利物が現れた。しかも只だから申し分な

い。ダウンロードして使っているが中々、快適。Win8.1になればこの機能があるらしい。

メトロスキップは新しい情報ではないが便利者なので、ご利用でない方は体験あれ、

こいつを使っても痛い目に遭うことはない。

【メトロスキップ】↖検索


『夢追人の掲載を終えて』

2013年08月12日 18時03分07秒 | 趣味

思い付きで残した趣味の記録を細切れにしながらブログに乗せてきた。私の性分

に起因するのだろう、思いついたら一気に仕上げる。この仕上げる時に濯ぐエネル

ギー、集中力は文字通り一心不乱、そして出来上がる過程を楽しむ。

一応、出来上がってしまうと普通の人だと、仕上がり具合を綿密にチェックし手直し

を繰り返しながら完成させていき、幾つもの不具合を修正し完成したものを手に取

り、出来上がり具合を楽しむ。

ここの違いが仕上がり具合の差として私のものには『ガサツ』な評価が下る。ただ書

くことが苦手、好きでない人は割と多く、ガサツながら私のように形に残している人は

少ないと思われるので、出来の悪いものでも後に読んでみると、それなりに面白い

ものだ。こうした傾向は、この作品に限らず他の木工作品や小屋の建築などでも全

く同じで、思いついたら一気、作る過程、出来上がる過程を急ぎながら楽しむから、

水平具合が狂っていても『多少のことは我関せず』とばかり大して気にならない。

そればかりか『多少の水平や矩(かね、直角)が狂っていても暮らすのに困ることは

ない』とか『畑の畝が多少曲がっていても野菜が曲がることはない』と幅のある考え

方で、詰まるところ横着をしている。

今のところ『続夢追人』の構想はないが、暇があればまた何かを書き留めておきたい。


『夢追人、あとがき』

2013年08月11日 17時33分37秒 | 趣味

取り急ぎ思い付いたことをワープロに向い文章にしてみた。考えながらワープロに

直接打ち込んだ為、構成、誤字、表現に適切さを欠いているケ所が多々あると思う。

また、文才に欠ける為、み冗長なことも否めない。どんなことをどんな風に感じなが

ら、やっていたのかが分かればいいと思って纏めたものだ。

思いついてから僅か10日間でゲラが完成した雑なものだが私の記録として残してお

きたい。ぺージ付けはワープロが簡単やってくれるが、あえてべージは打たないこと

にした。不親切からではなく、開いたページを勝手気烬に読むためだ。

アマチュア無線はまだ進行形で、沢山のことがあり今、纏めてしまうと中途半端にな

ってしまうのでもっと先に纏めることにした。

趣味として、してきた事は書き切れないほどあるが、一端ここで区切りにし第2弹は別

の機会に完成させたい。趣味は何かの形で家族に参加させる形をとらないと単なる道

楽に過ぎなくなる。幸い我家では今回紹介したものはちょっとでも家族に関わり合い

が持てるようにしてきたので『親父が一人で呆けている』姿には映らなかったと自負し

ている。

次の趣味として用意した『押し花』は妻とボチボチやっていけたら、と思っている。

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第3章は進行中の趣味を取り上げたものだから、中途半端な形で終わりを迎えている。

これ以後も、夜中・明け方を問わず珍局情報を得る度に運用を続けた。度重なるパイレ

ーツに何度もくじけかけては立ち直り、頑張ったが最後は1A0(イタリアの特別局)のガセ

で運用を辞めてしまった。

最終的に257カ国と(正式には国または地域)交信を果たした。無線を通じて知り合った

アメリカ人Rayさんとは何度も交信、文通を続け2001年6月にはサンフランシスコの自宅

にも出かけた。Rayとの出会は可笑しいものだった。7M帯で私は国内向けのつもりのCQ

を出していたら私にはノイズ混じりで『JA6IVM』に聞こえJA6だから九州の局だと、ばかり

思っていた。ところが名前はRay、住所はSFと返信があった。混乱する頭を整理してみる

と(J=・---)ではなく(W=・--)が正しいようで、これならばWA6アメリカだから名前のRayも合

う、住所はSanFrancisco。いつもはアメリカの局が出ないような時間帯に弱い信号のアメ

リカの局が出ていたから聞き間違えたのだ。

JA6IVMさんは実在しておられWA6IVMとよく間違わられると嘆いておられた。

無線のことをきちんと纏めておけば沢山の面白いネタがあったから、面白い展開になった

ものと思う。アマチュア無線を中途退学して暫くしてから、後輩が誘ったラジコン・ヘリコプ

ターにのめり込み、面白さと共にマネーも随分と墜落した。歳を重ねても、夢ならぬ夢らし

きを追い続けることは、飽くなき探求心にも通じるところがあり、今だ成長過程にある証で

ある。それは『 青春とは人生のある期間ではなく心も持ち方を言う』と詩を詠んだサムエ

ル・ウルマンの言わんとすることにも通じている。


『夢追人、DXCCは誰?』

2013年08月10日 18時16分19秒 | 趣味

数ある『賞』は人の努力とは無関係のものと、苦労の末やっと戴けるものに分類する

ことができます。前者の例としまして、長屋の八っあんや熊さんのような、この私も含

めた庶民を苦しめる税法をこさえたり、宍道湖のゴズみたいに人が呉れるものは節

操なく頂いてしまう偉い先生方がごく当然のような顔をして授与されるものもあります。

しかし、どう考えたって庶民と『賞』の接点は見出せないのであります。強いて言えば

町内の運動会の参加賞位。

でもアマチュァ無線というタコ部屋に足を突っ込んだおかげで庶民の私も分け隔て

なく賞の道が開けたのであります。

今まで、賞に飢えて悶々としていたのではありません。また小銭が貯まったから何か

少しでも栄誉なるものに触れたくなったのでもありません。

昭和64年1月5日、アメリカアマチュァ無線連盟から小包が送られてきました。それは

昨年の10月末に送ったDXCC (DX Century Club)アワードの申請結果が詰め込まれ

た、私にとっては貴重品でした。小包にはこちらから送ったカードと審査の結果、当ク

ラブ員への入会資格を与える旨が記載された通知書がありました。(DXCCとは外国

との交信数が100以上になったと認定されれば加入が許され、以後は25か国単位で

追加ができる)申請の結果は119カ国との交信を認めるとのこと。

2月にはそれを示す賞状が送られてきて、額に入れ飾っています。

昭和61年の夏から秋にかけてのあの時期が私にDXへの興味を深くさせたのです。

今更、繰り返して言うまでのことではありませんがOMから『DXをやっている人に悪い

人はいない、悪い人も私たちのようにいい人になれるから』と諭され、のめり込んでし

まい今ではドップリ首まで。『やれ!と言われて、その気になーあって』

早速、HFの局免許を申請し昭和62年3月にDXとの卜ンツーが始まりました。最初の

頃は7メガ帯でソ連のお相手ばかりしていましたがそれでも結構、楽しんでやってい

たと思います。春の本格的なDXシ—ズンになるとバンド中が活気を呈しこれが正に

DXと気をよくしFB、FBの連発。相手が住所はパリなんて打ってくると気分が大きくな

り煙草屋が1キロも先にあることをツイツイ忘れてXYLを捕まえては『マダム、ちょっと

コーシープリーズ』とすっかり国際感覚、豊かな気分を満喫していました。ですから

交信した国の数がいくつなんてことは別の次元だったことは確かです。始めたてで

すから当然のこと交信する国は次々と新しい国で、数は増え続けました。その年の

暮れには70ケ国との交信を成果にDXCCは翌年に夢を託すことになりました。

HFを始めた時、10ワットの無線機と4メーターのルーフタワーを屋根に設置

しそこに7/21メガの八木アンテナで運用していました。10月には100ワットにアップ

しましたが大半のQSOは50ワットで運用して、感じでは八木アンテナに10ワット、そ

れに根性があれば100ケ国は以外と早く交信出来ると思います。

ニューを追いかけ続けるDXレースは相手に勝つために設備の拡充を余儀なくさせ

ているのが現状です。

昭和62年7月、14.5mのクランクアップタワーを建て、今その上に14/21/28メガ5エ

レの八木アンテナを乗せています。

(中略)

DXCC申請後にもニューへの執念は衰えるどころか一段と激しさを増し168カ国と

の交信になり、これからはもっと力が入るのではと思っています。

無線に限らず多くの情報を集め活用する、また情報源を絶やさない者が先を歩け

るようになっています。無線クラブの中でも強力なネットが出来れば素晴らしいこと

だと思います。

DXCC取得までに多々、ご教授いただいたOMさんに感謝しつつ 73(Good bye)

 (平成1年3月)


『夢追人、哀愁のQSLⅡ』

2013年08月09日 15時02分40秒 | 趣味

糞ったれ、その2

今年は28メガ帯がすこぶるご健勝でこれまで21メガ带であまり聞いたことのない国

が聞えたり、21メガ帯より活気を呈した日もある。

ガサガサと騒がしい21メガ帯から逃げ出してXX局の真似をてコマメに聞いてみると

小さなパイルがあり暫くしてからA51PN(ブータン)だと判りルンルンとパイルに参加、

初めてのブータンだ。さて、ブータンなる国の無線での価値は?と、何年も運用され

たことがなく世界中の要望度は第10位前後の国ではありませんか。これは誰が何と

言おうと大金星。カードの発行はアメリ力人がやってくれるし入手には殆ど時間が解

決してくれると安心していた。予想しない展開は突然に訪れる。アメリカに送った手

紙は受取人が転居して行き先不明という理由で返送されてきた。

Return to senderの赤いスタンプ。

仕方がないのでコールブックに記載されている本人に手紙を出す。

数ケ月経ったある日、会社の連中と飲み歩き家に帰るとエアメールが来ていた。

かなり迷丁していたが憧れのブータンからの返事であることは直ぐ判り、急いで封

切り覗いてみるとカードが見える。カラー写真風のカードで私のものによく似て

いる、ながれいし、流石、ブ-タンいいぞと取り出すと言葉が出ない。

『ゴメンナサイ、私は1982年から運用していません』

同封のカードは私のものが返送されてきただけのこと。

お見事、扇子パタパタ。

パイレーツ(海賊の意味だが無線の世界では偽物の無線局をいう)だと理解する時

間は要らなかった。男が女を騙すのはよくある。私の家内もそうだったのだから許さ

れる。だけどな、俺はオカマじゃないんだから、男が男を騙すな。

 糞ったれ、その3

著名なDXer のことである。過去に何度も咽喉から手の出るような国に行ったことも

ある御人、カードの発行も確実で早いと評判は上々である。この方、高嶺の花とな

っている、ある所に出かけて世界中の、ハムに大サービス。私も、その恩恵に預かり

交信でき貴重なニューを得て、早速にカードを送ると早い返事が来た。『カシオコン

ピュータの英文カタログを送って欲しい、ついては貴方にプレゼントがあります』手

紙と交信した覚えのないQSLカードが入っており、おまけに架空の交信データが記

入されていた。それは、どこに出しても通用する、ただ私がその気になりさえすれば

だが。カードは堅くて鼻紙には使えないしメモ用紙にもならない。今度、チリ紙交換

に出うっと。えーと、年の瀬を迎えて女々しく戯けたことばかりほざいておりますが

大半の人は清く正しくQSL-ingしておられる訳でして、こういう人に出会うとついつ

い興奮してしまい申し訳ありません。

先人は罪を憎んで人を憎まずと申しておられます。心を広FB(Fine Business)なQSL

といきたいものです。今宵はこれまでに致したいと存じます。


『夢追人、哀愁のQSL Ⅰ』

2013年08月08日 17時03分58秒 | 趣味

世の中には心臓に針金の生えた人やら、私のように石橋を叩きすぎて橋がこわれ

て渡れなくなる位、慎重な人や、蛙の面に小便と何ごとも意に介さない人、色々な

人種がいる。無線を始めた頃、ハムの世界ではこんなに人間模様がはっきりと出る

とは思いもしなかった。

しかし時を重ねるに従って面白い面、嫌な面が見え出し嫌な面には段々と目をつ

ぶる癖がついてきた。いや、洗脳されたのかもしれない。無線は戦争だ。パイルの

雑踏の中での戦い、運よく交信できたら今度はQSLカードを手にするまでの持久戦

が始まる。のんびり交信するのは古きよき時代のことか。猫も杓子も、この私までもが

一人前に無線をする時代、過当競争は避けられないかも。

QSOの戦いに勝つとコンファーム、つまりカードの回収になるが、たかがカード、され

どカード、こいつの回収が誠に厄介な代物でDX相手になると諸国の事情が大きく

違い日本みたいにアマチュア無線連盟がしっかりしていてすぐに送られて来ること

どない。交信の数年後に連盟経由で送られてくることも普通のこと。

ましてや珍しい所のカードを回収したければ相手に郵便で直接送るしかない(返送

用の封筒に自分の住所を記入し返送料として国際切手交換券かドルを入れる)。不

貞な輩やふらち者がおりまして郵便を出したのに返事は来ない、かといって連盟経

由で来るはずがない。DXを始めて1年9か月経ちこの間に惨い仕打ちを受けてきた。

腹いせに、この誌面を借用したいと存じます。 

糞ったれ、その1

昭和62年11月のこと。高校生の娘が学校から宿題にB5サイズの用紙を持ち帰ってい

た。私はそんなことは何も知らず別にこれと言ってすることはないし、朝からCQ三昧。

夕方になるとヨーロッパが開け、またまたそこに入りびたり。

宿題は休日に父親が何をしていたか書くものだった。観察者としては、あれこれ動き

廻り時には優雅なバロック音楽を鑑賞、ティータイムには日東紅茶のような安物では

ない、ダージリンのリッチな紅茶を戴く父親の姿を見ていればハッピーだったのだろ

うが・・・。

『朝から晚まで趣味の無線に没頭』と半行にも充たないことになり、随分と顰蹙を買っ

たので鮮明に覚えている。ウン千万円も借金してリクルート株を買ったのに、記憶にな

い人たちとは出来がちがいますなー。午前中は南米のコンディションがよく初心者用

の周波数帯域でCQを出していると数回発した所でCE0ZIGがコールしてきた。チリか

らだと直ぐに判ったが相手の住所を聞いて驚いた。イースター島で結構珍しい所から

だ。カード交換は?と聞くと直接郵送し送料はグリーンスタンプつまりUS$だと指定して

きた。こちらから出し返事を待つが2.3.4ケ月経っても音沙汰なし。こりや、ネコババされ

たかなと思っていたら何と言うことない、会員なら無料で送られて来る連盟経由で届い

た。この野郎、グリーンスタンプ返せ!。

この声、届けイースター島まで


『夢追人、あふりか、アフリカ、Africa残酷物語Ⅱ』

2013年08月07日 17時27分20秒 | 趣味

これは明らかに屈辱である。本物のアフリカと交信してこの屈辱をはらさいで・・・

2日後のこと、Aさんから『FT5ZAが出ていますよ』と連絡を貰い周波数を合わせて、

探す。この時はアフリカなのに難なく交信できた。これで2局目のアフリカだ。しか

し、これはアムステルダム島でインドと南極の丁度、中間辺りの島で、アフリカだと

は認知してもらえそうにない。

仮りに私がハムをしていなかった場合、他人がこれらをアフリカだと言ったら、アフ

リカとは言わず『島』だと言うかも知れない。私がモーリシャス島をアフリカだと言い

張るとXYLは私のことを『アフリカの島おじん』と言い、私はXYLのことを訳の判らな

『島おばさん』と、ののしり合い平行線をたどる。やがてそれが夫婦の溝になり家

庭紛争、『私、暇を頂きます』てなことになると、子供を連れてTVで『お母ちゃん、早

く帰って来て』こりやあ大変だ。

それから一週間ほど経った。タンザ二アの5H3TMが日本からすんごいこと呼ばれて

いた。飽きを知らないお猿さんとラッキョの組合せのように呼び続ける。そのパイルに

嫌気がさしたのか突然にそこから姿を消した。『こりゃ、おかしいぞ、パイルを嫌って

何処かに逃げたのかな』とプラスの方に考えた。ダイアルを回してみるとCQを出して

いるのではないか。これは僕のCQだ、誰も拾うな。俺のものだ。必死になって相手を

呼ぶ、相手が私のコールサインを返してきて交信が始まった。

名前はトムさんで住所はムベア、送信機は80ワットを使用している。カード交換の約

束をして交信を終わる。後から続々と人が呼ぶのかと思ったが誰一人として呼ぶ人

はなく先程のパイルが嘘のようだった。

今度は堂々としたアフリカ本土である。顔のゆるみを整えてクールに

『あーあ、君君、タンザニアと交信しちゃったよ。ハッハッハ・・カードは郵便で送るこ

とにしたよ』モ-リシヤスをアフリカと認めてくれなかった『島おばさん』も『本当だ。ア

フリカ、おめでとうございます。よかったねー、だーもん手紙が着くかや』だとさ。

アフリカの歴史を紐といてみると辛く、悲しいしかも長い歴史があり、今もなお刻み続

けている。私のアフリカとの交信にもこのような辛い過去があったのだ。以来、南アフリ

カ、ザイール、スペイン領セウタ、ザンビア、セネガル、ガボンのアフリカ本土と、認知

されそうもないチャゴス島、カナリー諸島、それにレウニオン島と交信し次のアフリカを

追い続けている。

でも、やっぱりモーリシャス島はアフリカ       【昭和63年9月】


『夢追人、あふりか、アフリカ、Africa残酷物語Ⅰ』

2013年08月06日 17時42分43秒 | 趣味

DXを目指す人の登竜門、WACアワードは(世界六大陸との交信)、だれもが第一に

目標とするものだと雑誌で読んだ。当クラブのOMさんも多くの方が取得しておられ

ると聞き、最初は要領を得ず『フーン』という感じだった。

私の場合、交信し易い国と、し難い国の区別は距離の違いでみていたからDXの話

を聞くと成るほど、言われてみればそうだ、いくら近くでもそこの国にハムがいなけれ

ば交信はできない。しかし距離のことばかり考えていた昨年の4月頃は、思えばいつ

でも簡単に交信できる国でも距離が延びると、それに喜びを感じ、次はより遠くの国

と交信することに専念していた。今でも根底にあるのはより遠くで本質的には変わっ

ていない。かと言ってWACのことを忘れていた訳ではなく心密かに狙っていたが少し

ずつ事情が判ってくるとアフリカとの交信は至難の技だと思えて来た。そうこうする内

に胸の内は乙女の初恋のように痛みアフリカ、アフリカ・・・遂にはラッサ熱に冒されて

しまう始末。ではWACなのかアフリカなのか? 今、思い返しても定かではないがアフ

リカとの交信は一挙両得であることは間違いなさそうだ。この成功はWACの完成を意

味するといつても過言ではない。そう固く信じていたのに天がノービス(初心者)の私に

与えた試練はちょっと変わっており、南米との交信でWACが完成した。

アフリカへの関心が高まりピークを迎えた頃、時おりアフリカからの信号が入感するよ

うになった。しかしそこは修羅場である。スプリッ卜運用でもないのに数キロヘルツの

パイル(大混雑)で、とても相手にしてもらえそうにもない。大パイルの中を10ワットの送

信パワーでエッサッサ、いつも苦渋を味わい『こりや駄目だ』・・その悔しさをA局に聞

いてもらい、励まされ、慰めに気を取り戻して『がんばるぞ』と言いつつドンキホーテの

ようにパイルに突撃!、これは竹槍を担いだ百姓一揆の様子だ。

ケセラ.セラ、パイルの谷間に私のコールサインが落ちた。偶然のことであろうが兎に

角、アフリカに届いてしまった。相手のコールサインは3B1DB、これはハム仲間では立

派なアフリカ。その日の私は大変ご機嫌でしてXYL(妻)に『遂にアフリカと交信したで』

と珍しくご説明申し上げ、わざわざ地図まで持ち出して。

『ほらほら、ここだがん、モーリシャス島』じっと地図を覗きこむXYL

『うそー、島だがん』祝杯のほろ酔いが冷めるようなお言葉

『やっぱりな、言わん方がえかったかな』

(注:私たち夫婦は米子出身でして夫婦間の会話は米子弁で外では松江弁と音声多重

でやっています。お聞き苦しい点はご容赦下さい〕


『夢追人、アマチュァ無線』

2013年08月05日 17時26分04秒 | 趣味

第三章 世界を駆けめぐる

アマチュア無線は今も進行形の趣味であり、これは魚釣りや狩猟と異なり家にいて

気経に楽しむことができる。近隣の人と話ができる144メガサイクルが最も簡単だが、

それでなくても狭い世間に暮らす私たちのこと、話が筒抜けになるので144メガでは

殆ど交信しない。私は、外国とのモールス信号を使った交信を楽しんでいる。交信

範囲は時期や条件によって変わるがほぼ全世界と交信できる。距離で日本から一

番遠くにあるのは南米、ウルグゥアイでおよそ200000km。

交信は全て英語を使われる。勿論のことソビエトや東欧諸国と交信する時も英語。

英語と言っても交信する内容が固定している場合が大半で、親しい知人ができると

簡単なやり取りをする程度のものだから、英語が話せないからと構える必要は全くな

い。無線の楽しみ方は色々あるが私は外国との交信(DXと言う)を専門にしている。

以下の原稿は私が所属する無線クラブの会報に投稿したものである。

 

CW狂いのニューカマー (CW=モールス信号による交信)

この度、OM(Old Man、ベテラン)揃いの無線クラブに入会させて頂くことになり大変

喜んでいます。何分にも不束ながさつ者でして、姑から『出来の悪い嫁』と小言を言

われる嫁さんの心境です。幸いにもクラブの方々とはQSO (交信)、アイボール(出会

うこと)の機会に恵まれ以前から会費免除の会員のような気がしておりました。開局は

昭和61年6月で本格的にQRV(運用)し始めたのは62年3月にHFの設備を整えてから

のことです。私とCWの結びつきは古く今から27年も遡ります。とても純真な高校生の

時に習い資格を取得していましたが卒業以来、衰退の一途をたどり、やがては習った

ことがVSOPのように蒸発してしまいました。在学中ですら電波を出したことは一度た

りともなく、無線は通信手段の一つだったと実感したのは、つい最近の事です。

人には色々な『虫』が潜んでいます。身に覚えのある方はホレ、小指の方とか、また

『きょうは真っ直ぐ家に帰るぞ』と決心していながらついつい暧簾をくぐらせてしまう、

そんな虫です。

資格取得後、26年も放置していながら40の手習いの域に達した時、無線の虫が、

ひょっこりひょうたん島となったのです。さて、世の中には今でも不幸の手紙を出す

けしからん奴と、それを受け取る人がいます。これはアマチュァ無線の世界にもある

んですね。不幸のCQ(更新相手を探す)を拾う人が。人呼んで21メガ带の牢名主、

A OMが何やらいわくのありげなCQを拾つたばかり、この私と関わりができてしまっ

た。しかしそれは私のDXの始まりでもありました。心より合掌。

DXの楽しさを語るなど釈迦に説法ですがバンド(周波数带)や目的の持ち方によっ

て楽しみ方は様々なようです。しかし究極の目標は可能な限り多くの国と交信しQ

SLカード(交信を証明する相手局カード)を手に入れることではないでしょうか。結

局、欲タレが多い?

ある程度、数を得てからは大きな壁があるようで、これをどう破るかという難儀な問題

に直面します。心の狭い私など何回数えても同じなのに、ひょっとして数え間違いし

ているのではないかとまた数えたりして断末魔の状態です。

短い私の経験から得た交信国の増加に必要な条件を纏めてみますと

◎ 情報交換の場を持つのは                       good

◎ こまめに聴く人とネットをもつのは                     better

◎ パイルの中でちょこざいにQSOするせこい性格は    best

幼少のみぎり、婆やが話してくれた外国航路のこと、異国のマドロスさんのこと、そし

ていつの日か、かの地で異邦人と夢を描いたものです。それは知らぬ間に現実に流

されたのですが今、DXという形で夢を追い始めました。

アフリカの砂漠を越え、戦火うごめく油田地帯を越え受信する、かすかな信号の裏に

いるオペレ—タに想いをはせFB DXと悦にいる今日この頃です。

偉そうなことばかり書きましたがOMさんに一歩でも近づこうと精一杯の背伸びをして

おります。どうかよろしくご指導をお願いします。

(昭和63年6月号)


『夢追人、心変わり』

2013年08月04日 18時14分59秒 | 趣味

昭和63年は仕事上でも私生活面でも起伏の激しい年だった。5月に同期で入社した

友人が亡くなり、その6月には妻が頸椎ヘルニアで5時間にも及ぶ大手術の後、3ヶ月

の入院をした。丁度その年は私の厄でもあり、これも何かの因縁かも知れないと思っ

たりした。妻が入院し子供と3人で暮らしている間に銃の更新手続きがあった。

狩猟をすれば動物の命を奪うことになる。親を獲れば残された子はどうなるのか等と、

普段の思いとは全く違う考えが出たり入ったりして、どうするのか纏まりのつかない状

態だ。

銃を扱うのに自分自身の気持ちが、きっちりとしていないこと時点で銃を手放すべき

なのは明確で、悩むべき問題ではないのだ。強引にそれが正しい答えだとして、狩

猟を辞める決心をした。短期間に出した結論ではない。あれほど好きで楽しんできた

狩猟を辞めさせるのだから随分と悩んだ。趣味としては高度な技術を要するし健康

維持の為には身体を使うのでとてもいい。狩猟していた5年間はどんなに寒い時でも

風邪を一度もひかなかったが辞めた途端に風邪をひくようになった。

自然保護と狩猟の関係に対する持論は今でも変わっていないし、狩猟が嫌になって

やめたのでもない。ちょっとした心の隙間に友の死、妻の病気が重なっただけだ。

でも2度と銃を手にすることはないだろう

 第二章、おわり


『夢追人、狩猟の舞台裏』

2013年08月03日 18時12分04秒 | 趣味

ナイフ

狩猟にはナイフがつきものだ。どんなナイフを使っているのか自慢し合う。使って

みた感じでは日本の鋼に勝る切れ味はない。外国産のものは、切れはいいが刃

先がすぐに無くなってしまうのに対し、日本のものは持ちがいい。歯こぼれは日本

の鋼の方がし易く外国産はし難い。

ブランド品はゾーリンゲン、バックといったところで値段も1万円前後からキリまで揃

っている。私はゾーリンゲンを使用していたが、山の中で葛葉かずらを切る、枝打

ちしながら歩くのに使った。探検隊がジャングルの中を進む、あれと同じ姿だ。

Tさんは土佐のナタのような形の刃物を使い、いつも綺麗に手入れをし、刃こぼれ

一つないように研いでいた。その切れ味は抜群で『髭が剃れる』と自慢していた。

猟師たちはこうした刃物に自分で工夫した鞘を作ったりして、自慢材料の一つに

していた。また、解体には必需品で大小を使い分ける。

ナイフは今でも肉を切る時に使っている。回転式の刃物研ぎ機を買って刃物の

手入れに精を出す。でも何故か家の包丁は切れが悪いではないかと妻からクレ

ームがきそうだ。

 

固形燃料と下着

山の中で待ちにつくと凍えるような寒さとの戦いが始まる。それまでに山の中を歩

き回るので汗ダクになり下着はベッタリと濡れ体温が下がると、その寒いこと。こん

な時に固形燃料を炊いて暧をとる。いつもは鍋料理などに使われるものだが煙が

出ないこと、臭いが少ないこと、また直ぐに火がつくので重宝した。暖をとるのに

間はかかるが使い捨てカイロも便利だった。

シャツとパッチは吸湿性の良い特殊繊維で作られたものを着用していた。値段

は高く上下で1万円以上もしたが値段だけのことはあり汗が出てもサラッとした感

じで以前のように汗による冷え込みはなくなった。


『夢追人、自然保護』

2013年08月02日 17時49分34秒 | 趣味

自然保護団体は野山に生息するあらゆる動物はどんなことがあっても守るベきで動

物を殺すのは残虐行為だとヒステリックに叫ぶ。異論は多くあろう。狩猟で生計を立

てている時代でないことは確かだ。一種のゲームとして動物の命を対象にしている

だけだと言う人もいる。

では、植物には命はないのか。魚には命がないのか。毎日、食べている肉はどうし

たのか。人間の食料にはすべて生命が宿っているのだ。狩猟をすることは自分でそ

の動物の命を絶つことになる。しかし、食卓の肉は例え人間が飼育したからとは言

え、人の手で殺されて来ているのだ。

人間が飼育したものは人間が殺してよく、野生のものを殺すことは許されないのか。

と熟中していた時はよく思った。

誰も、現実を知らないで一方的に自然保護を語るべきでない。野生動物の生態を

壊したのは人間だ。人間が利便を求めてそうすることもあれば、結果としてそうなる

こともある。猪の被害は農家にとって甚人な損失だ。春に田を起こし、水を張り、田

植え、水加減を見る、除草、肥料と多くの手を掛け、梅雨明けすると稲が形を整えて

くる。この頃の稲の中の米になるものを食べると白い汁が出てくる。猪はこれが好物

で下から上に実だけを刈り取り、クチャクチャと食べ汁を吸いモミ殻は捨てる。それ

だけでは済まず田のなかでヌタを打つ。一晩で田の1枚や2枚は平気で全滅させる。

山際のすぐ傍にある田で道から見えにくいような場所は格好の餌場になってしまう。

実りかけた稲を食べられるだけではなく、ヌタをうつような行動をとるから、時には猪

の相撲大会が開催されたようになることもある。

猪が暴れた田の稲は泥に埋まったりするから、脱穀しても微細な土が残ったり、体

臭が残ったりして食料としての価値はなくなる。それは酷いもので田の持ち主が怒

るのはよく判る。だからと言って猪を全滅させてもいいとは思わない。

八十八の仕事を積み重ねてやっと収穫される米が、こうなってしまうことを防ぐため、

一晚中、電気を照らしたり、ラジオをかけたり、古タイヤを燃やし続けたりして防ごう

とするが効果はない。ガス鉄砲で脅しをかけるがドーンと鳴るすぐ横で猪が稲を食

べる姿を何度も見た。最近は田の周りに電線を張り微弱な電流を流して駆逐する

方法が取られているがそれすら被害を食い止める得策にはなっていない。猪の被

害はこの他に芋、筍等がある。兎、鹿の被害は造林業に出る。山を刈り植え檜が

30センチほどに育ったものに雪が降ると食べ物がなくなった兎、鹿は、雪の上に伸

びるその芽の部分や細い枝を食べてしまう。先を失くした檜は大きくなるが頭のな

い木になり商品価値として落ちる。植林するまでの労力だけでも莫大なのに植えた

ものがこうではやるせないだろう。

皇居の掘りで名を馳せたカル鴨も、宮城県では稲を大量に食い尽くしその被害に

音をあげた農家が駆除のお願いしたこともある。

これらの保証は誰もしてくれない。

人間と動物が共にバランスを保ち生活出来る場所の模索が進められている。彦名

の水鳥公園もその一つ。しかし、ごく一部のケースを除き共存には、人と動物あ互

いの利害関係(?)があり妙案はない。


『夢追人、銀山遠征こぼれ話』

2013年08月01日 17時13分57秒 | 趣味

銀山に向かう時、私とリーダーは八雲から1台の車に乗り、案内をしてくれる人と待

合場所で合流した。案内人は車を置いていくから同乗させて欲しいと言い、ある場

所に入り慣れた風に車を駐車させ私たちの車に乗り込んだ。

未だ夜を抜け切れていない暗闇だから、私たちにはどんな場所だったか全く知る由

はないし、余りにも自然に車をおく姿に何の疑問も持たなかった。

松江から石見銀山に向かい、1日中楽しい猪猟をして宿屋に着いたら、宿の人が案

内人に電話があったと伝言。

訝しがる案内人は自宅に電話をしてびっくり仰天の内容。消防署から家に電話があ

り消防自動車の車庫前に止めてある自動車を早くどけろ、と云う催促が何度もあった

と言う。このお方、私は初めて会った人だから全く知らないが『今、銀山にいて猟をし

ているから帰れない。明日の夕方には行くと言っといてくれ』と家人に言ったそうな。

相当な強者だ。

まさか、まさかの展開だ。私たちは、車を置く場所のことをよく知っていると思ってい

たが、本人もまさか消防署のしかも消防自動車の車庫の前とは知らなかったらしい。

自動車は署員が人力で横にずらし、消防自動車が出られるようにしてあったそうだ。

万が一、緊急出動と重なり車庫前に不法駐車(道交法上、どのような扱い?)の車が

あり邪魔をしていたため、出動が遅れたなんてことになったら、大事件に発展してい

た。その後、案内人は消防署に出向きこっぴどく絞られてことは言うまでもない。

ただ、悪意があった訳ではないから罪に問われるようなことは避けられたのは幸いだ

った。


『夢追人、クロの死』

2013年07月31日 19時23分09秒 | 趣味

要害山は山吹城のあった所で標は400mあまりの急な山だ。

その日の冷え込みは厳しく、昼間に溶けた雪が夜中に凍り歩くとバリバリと大きな

音がした。Tさんと山頂目指して階段を上がっていく。それは急な道で、築城の際、

石垣用の石や材料をどのようにして運んだのだろうか、鉄砲と僅かな荷物しか持た

ぬ我々でさえ、ハーハーと息を切らしているのに。

山頂に着くと奥に石垣の跡があった。そこに一歩足を踏みいれて見たものは、ブル

ドーザーが泥をひっくり返したような跡で仕業は猪だった。餌をあさる為に堀り返し

ていたのだ。この食み跡を見つけたことでクロの運命を変えた。

ここから降露坂(ごうろざか)に出ていく尾根筋を見切り、犬を入れる段取りが整い全

員配置についた。犬を放してから20分ほどして谷の方から犬の鳴き声がする。どうも

1ヶ所から聞こえてくる。無線で連絡をする、『どうも同じ所から動かないようだ、行っ

て見た方がいいと思うが』そこにはワナに掛かった猪がおり、犬はそれをめがけてワ

ンワンとやっていた。他人のワナにかかったものを盗る訳にはいかない。犬を連れて

再び私たちの猟を開始した。

私は遠くで待ちをしていたので連絡や銃声など何も聞こえなかった。もう大分、経っ

たし様子を聞くため尾根まで行き連絡を取る。『犬がやられた、直ぐこちらに来て』と

気立った声がした。要害山の参道を降りる途中でチャコに出会った。捕まえて良く

と、チャコも首筋に猪に刺された牙の跡がある。

『チャコもやられているそっちの様子は』

『チャコもか全部だ。特にクロがひどい』

集合場所に行くと、クロはいたる所を裂かれたり、突かれており全身血だらけ、ランは

喉の所がひどく、タケは頭の皮がめくれ頭蓋骨が出ており、この中で軽傷なのはチ

ャコだけだ。タケは妊娠しておりあと1ヶ月もすれば出産の予定だった。

少し離れ場所に黒い猪が転んでいたが誰も見向きもしないで犬の心配をしていた。

犬は尾根でこの猪を起こし下に向けて追った。上から下までモウソウ竹がビッシリと茂

り身動きが取れないような、荒れた山の中を猪と犬は絡み合いながら落ちた。

途中、猪に取っては要塞になる場所があり、そこで明暗を分ける結果になった。銀の試

掘坑だろうか、岩が繰りぬかれ後は堅固で敵は来れない、中には水が溜っており猪が

身体を冷すのに十分、前は身動きが取れない竹薮、追われた猪にとってこれ以上ない

条件の場所で戦いが繰り広げられた。

雄の牙は触ってみると手が切れるように鋭利ではないし先も傷がつくようにとがっていな

い。しかし、あの柔らかい犬の皮はかみそりで切ったように切れ、弾力性のある腹や咽喉

はスッポリと穴があく。犬が腹を裂かれて腸がはみ出したりすることはよくある。

リーダーが遅れてそこに着いた時は、竹の 1メータ位の所に吹き出した血がいたるところ

にあり正に地獄絵だったと言う。掻き分けて進むと猪と犬が向かいあい、つっかけていた。

猪は身体半分を穴の水につかり万全の体制でいた。

狙いをつけて仕留めたのはそのすぐ後のことだった。

リーダーが松江の病院に連れていきそれぞれの治療をしてもらった。ク口は自分で歩き比

較的元気だったが数十ケ所の傷を治療するため、全身麻酔を打った。医者もそれを心配

したが、意識を取り戻すことなく遂にそのまま他界してしまった。リーダーは、犬は働きのい

いものが猟犬として価値がありそれ以外は屑だと、よく言っていた。そういう意味からいえ

クロはいい犬ではなく、つまらないとも言っていたが家に帰る時、涙が止まらなかったと

後で聞いた。クロは翌日、要害山の麓に墓を作りそこに眠らせた。

他の犬は大怪我をしながらも、翌日になってから病院に連れていき治療したが、命に別状

はなくその後、妊婦のタケは無事に出産した。


『夢追人、命中確率2/3』

2013年07月30日 18時35分55秒 | 趣味

私たち、先陣は近くの温泉旅館に宿をとり、今日の猟の疲れを癒し翌日のため

英気を養う。と言えど、この旅館は温泉と名はついているが風情や風流さを求

めるような宿ではなかった。しかし鉄砲を持ち、山を駆けずり回る男たちが一

夜を過ごすには十分過ぎる宿であることには違いない。

観光旅行に出かけ、頂く豪華な夕食には程遠い食事をつまみがてらに熱燗をつ

けて貰い、一日を振り返りながら猟の話に弾んだ。

宿で朝飯を食べていると、早朝出勤の第2陣が宿に到着し、私たちに早く飯を

終えろとプレッシャーをかける。

山を見切るのにベテラン2人の加入は大きな戦力アップで、昨日よりずっと質

の高いグループになった。この辺りの山は大きく効率的に見切らないと猟にな

らないのではと思わせる。

この日は尾根筋にある足跡が分かりやすく残されており、谷を見切ってやれば

大きな範囲ながら見切りを終える場所での猟だ。谷に向かった人は途中で山鳥

の群鳥を見た。近年、山鳥の数は減り群れになって過ごすことはごく稀になっ

ているから、珍しい光景だ。こうした時、猪の見切りの最中なのに、弾を込め

変えて鳥を撃つ人もいる。その結果として、猪が起きて逃げてしまったなんて

こともある。

この山の標高は高いから見切りが終わってからも、待ち場への移動は大変なこ

とが予想された。足跡は沢山あり過ぎて正確にいくつの群れなのか分からない

が、親から独立した子供たちが一緒になって群れとなったもののようだ。

指定された待ち場に向かい、尾根近くの見通しのいい場所で待つことにした。

普通は見通しの悪そうな場所を選ぶが、多くの雪が積もり低木を埋め尽くして

いたから、見通しのいい場所ばかりになっていたのだ。

しかし、私はこの場所で待っていただけで何の変化もなく、『逃げたから集合』

の連絡を受けたに過ぎなかった。別の人の話では、尾根筋に猪の群れが現れた

ものの距離が遠く、近づこうにも雪で動きがとれず、諦めたとのことだった。

昼食後、再度見切り直し2回戦に突入した。子供ばかりの群れだから、幾戦の

兵猟師の知恵には勝てず、あっけなく逃げた場所を探され、待ちの袋小路に追

い詰められてしまった。

犬を放し暫くすると何の前触れもなく、14~5メーター先から犬より少し大きめ

の猪が数匹出てきた。この日の獲物は最初から小物と分かっていたので、弾は

いつもの1発弾ではなく鹿猟などで使う散弾が数発入ったものを用意していた。

先頭にいたものに向けて発射する。コロコロと坂を転げるように落ちた。次を

狙い発射、これも当たったようだが確認はできない。群れは散ったが3発目を

撃つ余裕はあり、一番後ろの奴にめがけて発射。

世の中、そんなに上手くいくはずはないのだ。これは外れてしまい、次の弾を

込めて発射する時間はなく、猪の姿も消えてしまった。

猪が倒れている場所に行って見ると2発目の弾は、どうしたことか鼻の先端部

分に命中しており人相が変わったようになっていた。

昨日は2頭の親、本日は計4匹の大猟の2日間で、私の猟歴では最高の1日に

なった。


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