食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『おふらんす帰り』

2013年03月31日 17時38分21秒 | 旅行

先週から出掛けていた旅行から帰国、ヨーロッパにしては短い期間だったので慌

ただしいスケジュールながら、内容は濃いものだった。日本とは大きく異なる歴史

的な建立物、街並み、人々の様子なほんの一部でも触れることができた。

トランジットの時間が多くあったため上海でほぼ一日の滞在後、ドイツに向かうとい

う旅行者にとっては無駄な時間を取られる不満はあったものの、思いがけず中国

雑技団を観賞することができ、それを和らげるに十分だった。

帰国時、上海からの便が欠航となり上海で一泊し今朝の8時出発、11時前に岡山

到着のどんでん返しあり。旅先の春は未だ遠く季節外れの雪もあり、僅か1週間の

留守の間に日本では桜が満開、日本人にとって桜は特別な花であることを強く感

じた。


『情けなや東電』

2013年03月22日 17時50分44秒 | 日記

原発で冷却事故が起きて、一日近くも冷却されない状態が続いていたのに、片隅

のニュース扱い、この事故の事を果たしてどれくらいの人が知り、心配したのだろう

か。敷地内に設置してある分電盤でトラブルがあり、3.11の津波直後と同じ状態が

発生したのだ。冷却が止まっても直ぐに温度上昇を招くことはなく、4日間くらいの

猶予があるし、現場に近寄れないような状況ではないから緊迫性は薄いと言うこと

で扱いが軽かったのかもしれない。

私はネットで知っていたが直ぐに終結したとのニュースを見逃したのだと思っていた。

ところが終結を知ったのは翌日の新聞で、原因の特定に時間がかかり復旧が遅れ

たとの報道だった。その間、殆どの人が無関心だった?

それとも私だけが知らず、後で騒いでいるのなら只の老婆心で結構な事なのだが。

そして原因を聞いてまたまた、ビックリ。どうもネズミが侵入しショートさせのが原因ら

しい。こうした設備のある場所は温度が高いから、特に冬場などネズミが侵入し被害

を及ぼすことなど常識中の常識ではないか、そうした対策すら取られていない。

東電はボケか。恥ずかしくもないのか、しゃあしゃあと説明していた。

怒る気にもならない、また同じようなボケをかますのだろう。次はどんなんかなー?

明日からスイス、ドイツ、フランスを大急ぎの旅に出かける予定なので、暫くの間ブロ

グは休業。


『SCC=1.0にダウン』

2013年03月21日 17時12分01秒 | 日記

先週の検診結果を聞くための通院日だった。いつもは朝一か9時過ぎなのに今回は

10時30分という中途半端な時間。普段は知らないこの時間帯の駐車場は満車で出て

行く車があると空車になり1台ずつの入場だった。

そんな状態だから広い受付ゾーンは人で溢れているが、活気を呈しているのではな

いから、幾ら人が多くても病院と言う所をそのまま表現していた。消化器外科で受け付

けを済ませ、どうせ結果を聞くだけだから予約時間通りに呼ばれるかと思いきや、中々

コールされず30分ほど待つことになった。CT検査の結果は良好で、肺気腫が自然治

癒した跡、手術の際に肺を圧迫したための跡が見られること、リンパ節への転移は確

認されないとの報告に続いて腫瘍マーカーも異常なしと説明があった。

SCCは1.0へと大幅なダウンだが、SCCはシビアでちょっとしたこと、採血の仕方などで

も変化要因になりうると改めて説明された。『私の場合、SCCは1.5が基準値だと自分に

言い聞かせているので・・・』と言うと『いつも言いますが、この辺の数値での上下は関係

ないです。数字が基準値を超えて右上がりして行くようだと疑いをかけなければならな

いのですが・・・』

気持ちの中では正常値とされている1.5以下の数字がいいに決まっているが、1.5を中心

にしてウロウロしており(この一年SCCは3回の検査で全て1.5)、知る限り今回の1.0は腫瘍

マーカーを検査し始めて一番低いものだから、予想外の展開にビックリしたのが本音。

理由は何でもいい、要は低い数値で目出度しめでたし。

本日は所要のため早目にアップ。


『PM2.5騒ぎ』

2013年03月20日 19時02分02秒 | 日記

昨日、PM2.5が浜田では基準値の3倍にもなり、当地でも44㎍だったそうだ。多少の

影響はあるだろうと思っていたが目に見えるほどになると恐ろしさと怒りさえ覚える。

感情論でいえば陣取り合戦、尖閣諸島では境界線を巡って争っているが、PM2.5が

飛来しないよう中国と日本の間に境界を作って欲しいものだ。

尖閣諸島の境界は必要だがPM2.5の境界は知らないでは、世界第2位の貿易国の

面子は立たないのではないか。

こんな愚痴を言いたくなるが、大気汚染は元から正さないと現世代の人のみならず

必ず次世代の人に負の遺産を残すことになる。

何かの悪い例は自慢するほど日本にある。かつては中国などの国々を侵略、核の汚

染から役人のし放題等々。今、中国で起こっている大気汚染、公害も大先輩だ。だか

ら中国も自衛艦にレーザー照射なんかしていないで、日本の技術を活用することを考

えるべきだ。そうしたことが遅れれば遅れるほど民を苦しめる結果になるのは大先輩

が示したのではないか。日本も中国ももつれた糸をほぐすのに時間をかけないで、手

を打つべきだ・・・庶民、沈黙しない市民の声。

日本では公害源の企業が無責任な態度を取り続け、おまけに無実だとまで言い長い

裁判で被害者を苦しめた。日本でさえあんな調子だったから、中国では解決するの

は無理とする考えと、一方は強制力の伴う荒っぽい方法で一挙に解決できるかもと期

待する考え方がある。

私たちが23日から出掛ける旅行は、上海経由フランクフルト行、トランジットで1日近い

時間があるから上海市内の観光がある。以前にこうした経験をしているのでこの部分

だけはカットして欲しいと思うが、致し方あるまい。大気の状況が前回と違っていること

を体感でるのか報告を、乞うご期待。


『珍しい桜』

2013年03月20日 18時56分20秒 | 日記

昨年は寒い冬、長い冬がたたって桜の開花は随分と遅かった。山小屋では4月10日

前後が見ごろだったと書き残している。今年はもう蕾が膨れており数日もすれば開花

するのではないかと思わせる。山小屋で単純比較すると2週間以上も早い桜になりそ

うだ。ここの枝垂桜は薄いピンク色の花がつく。ところが根元付近の台木らしきものか

ら多数の枝が出て、白い花をつけていることに気付く。

いつも遠目から見ているはずの場所なのに今日まで分からなかった。白い花は間違

いなく桜の花と同じだから接ぎ木の台木のものだと思われる。枝垂桜も蕾を付けてい

るから同じ木に白とピンクの花が咲くという珍しいことになりそうだ。

接ぎ木だから、こうしたことが起こるのは珍しいことではないかも知れないが、素人目に

はとても珍しいのではないかと思う。綺麗に咲いたらきちんとした写真をアップする予定。

 

                    奥の方に白い花


『炭焼きのこと』

2013年03月19日 18時58分29秒 | 日記

昔、木炭づくりは立派な産業だった。産業や商業の発達していなかった頃の田舎の

現金収入の多くを炭焼きが担っていたことを、今炭焼きに参加している私ですら詳し

くは知らなかった。炭焼きグループの人たちは子供の頃から、そうした環境の中にお

られたから『親父が町に行く時、炭を持って行き飲み屋でしこたま頂いた』なんて逸話

をされるから、木炭の価値は高いことの裏付けでもあろう。

私たちが子供の頃、昭和30年代前半でも家にはクドと呼ばれる薪を焚いて調理する、

今でいえばガスレンジを使っていた。詳しくは覚えていないが、釜でご飯を炊いていた

ことだけははっきりと覚えている。其の頃の燃料は暖房にしろ、調理にしろ木炭が主流

だった。プロパンガスの普及により台所から、灯油ストーブや電気こたつの普及で、ほ

ぼその役目を終えてしまい、茶道やグルメの通が使う焼き肉などでしか使われなくなっ

た。その後、木炭といえば東南アジア産のマングローブやラワンのようなもので作った悪

質なものが売られるようになった。ホームセンターなどで扱っているが、焼きむらや技術

的なこともあり、使うと悪臭と煙を我慢しなければ使うに耐えられないものだ。

昔、炭焼きが盛んだった頃は山の木を次々と切っていくから、段々と山奥の方に行かざ

るを得ない。奥にいく度、新しい炭窯を作り木がある限り、そこに留まり炭焼きをする。焼

いた木炭を運搬するのに子供も家業の手伝いをしなければならず、大変な重労働だった

らしい。一度、伐採した木は大凡15年で再び木炭に出来るくらいに成長するから、これが

サイクルとなり里山全体の環境が守られていたのだ。

今はそうしたサイクルが途切れて木は放置されたままに成長し、やがては寿命で朽ち果て

る運命にある。近年は里山近くだけではなく、害獣が街中にまで進出してくる報道がある。

つまり山が荒れ過ぎて獣も住めない悪環境になっていることの証しなのだ。私がいる炭焼

きグループ発足時の趣意の一つに『環境保全』があり、設立された方の思慮の深さを後々

になってやっと知り、遅ればせながら・力及ばないながら参加させて貰っている。自分で焼

いた木炭をバーベキューや炬燵で使うスローライフも楽しいものだ。


『海外旅行の事前準備』

2013年03月18日 18時51分58秒 | 旅行

今日は久々の荒天のため山小屋でのデスクワーク、なんちゃって。今度出掛ける

パリの最終日は自由行動になっており、行って見たい所は沢山あるから厳選の上、

自力で回ろうと思っている。ゆっくりと時間的な余裕を持たせ、地下鉄を利用したコ

ースを考慮中だ。

旅行会社からはOP市内観光のツアー(オルセー美術館、モンマルトル散策)の募集

があったが、私にはルーブル美術館を観賞すれば十分だし、仮に見に行

ツアーに参加しなくてもメトロで行くことは可能だから高いお足を払ってまでの価値は

ないと斬る。そうしたことの情報収集や比較をしながらコースを選別するのは旅行の別

の楽しみでもある。3~4年前くらいから旅先の地図や交通について調べるようになり、

可能な限り自力でやっていくことが楽しみになってきた。最初は泊まったホテルが町の

どの辺りなのか、住所はなんて興味なし、泊まった所の歩ける範囲だけが自由行動の

囲だった。人様はタクシーでXXに行ってきたなんて言われるが、そんなことはとんでも

く恐ろしいことなのだ。

私がよく見た怖い夢『外国で泊まったホテルが分からなくなり迷子になる』現実の世界で

迷子になったことはないからトラウマはないと思うが、この筋の夢は結構お出ましになった。

韓国に出掛ける内、地下鉄に乗ったり地図を広げて出かけることに楽しみを覚え、事前

に調査することで現地に行ったような気分になれるから、こうした作業がお気に入りになっ

た。ガイドブックに記載されている情報にネットの情報を活用すれば、かなりの範囲を自

で動けるようになる。

ここで勘違いしていけないのは、いくら動けるからと言って『安全』を蔑ろにすると痛い目を

く。昨今、この種の事件や事故は増えている。海外では小心者が一番だから無理は禁物

だ。今回もバスで移動する距離が長い、ただバスに乗って居眠りをしているだけでは折角

の旅行が台無しになる。私は移動コースの詳細地図を用意し国道や地方道のどこを移動

中か分かるようにしている。だから以前のように、バスに乗せられたらいつどこの辺りに到着

するのか、それすら分からないことも多かったから、バスの移動は退屈そのものだった。場

を知れば寂れた風景でも目新しさを探して車窓から写真を撮れば楽しいものだ。

グーグル地図は写真でも動画形式(実際の動画ではなく静止画が連続したもの)でも見るこ

とや印刷できるので、海外旅行には必携となっている。

だから、泊まるホテルの位置と利用できる公共交通の有無、目的地までの所要時間や距離

なども事前調査することも可能で、グーグル地図を使えばそのホテルの写真や周辺を事前

知ることができる。

色々な情報を組み合わせ自分なりのガイドブックを作る、そのごに現地に出掛ける、これが私

の2度美味しい旅行の仕方だ。


『浅学考、田舎とTPP』

2013年03月17日 17時53分29秒 | 日記

大口をほざいたら翌日に物事をわきまえた識者の解説が新聞に載っていた。昼食で

立ち寄った蕎麦屋に置いてあった新聞の見出しを見ただけで、詳細を読んだ訳では

ないが、どうも昨日の私見に誤りがあるようだ。(実はメガネを持っていなかったから読

めなかった)アメリカは自国利益の誘導を第一義にしており国内で意見を分かつことは

なかろうと述べたが、『米国自動車業界、警戒』『米議員、TPP日本参加に賛否』とあっ

た。昔、貿易摩擦でアメリカへの安い日本車が大問題になり、自動車関係の労働者た

ちがハンマーで日本車を叩き壊すシーンがニュースで流された。政府間交渉や輸出

自主規制なるもので何とかやり過ごしていたが、そうした過激なことがない内に一時的

にせよ日本勢はビッグ3を乗り越えてしまった。

リーマンショックや大震災、トヨタ車リコール、タイの水害など度重なる日本車への逆風

でビッグ3も息を吹き返し、元の鞘に収まったばかりだ。

TPPで車の関税や規制がどうなるのか知らないが、米国の自動車業界に何らかの影響

が及ぶと懸念する声があるのは事実のようだ。

私たちからすれば、そうあるのは当然のことだ。米国には懸念材料がゼロで他国は影響

を減らすために交渉をするのがTPPなら、参加する必要はない。

恐らく調べれば調べるほど深みはまり理解不能を理解することになりそう。もう少し分かり

易い解説を理解した後に『沈黙しない一市民の私見』を述べたい。


『田舎とTPP』

2013年03月16日 18時50分14秒 | 日記

TPPが日本の懸案として取り上げられてから2年くらいは経過しただろうか。話題に

なってから気にしてはいたものの、参加の場合の具体的な影響についての見通し

は示されなかったから、どう受け止めていいのか分からなかった。

日本が参加する場合には『農業を捨てて他の産業で生きていく国にする』これくら

いの覚悟を持って掛からなければいけなくなりそうだ。今まで日本は近い将来を含

めて、グローバル化の中どのような国家であるべきか殆ど論じられることはなかった。

だから、TPPのようなことが浮上すると変化することに対する準備は皆無だから国家

を二分するようなことになる。

今回の場合、経済界は賛成、農業関係や一次産業は反対の図式だ。アメリカはTPP

`を国益に叶うものにするため持ち出したから日本のように国内分裂は無かろう。

日本では産業形態による賛否以外に『田舎と都会』で賛否が分かれるのではないか

いう感じがする。都会の人からみると農業の打撃など直接的なこととして受け止めそう

にない感じがする。農産物が国内から来ようが外国だろうが安全が確保されていれば

安い方がいい。

一方、打撃を受けた田舎の農業離れは更に促進され、耕作放棄地が増えたり山林荒

廃、過疎化、集落の消滅にも拍車がかかるのではないかと危惧する。昔、食料は食べ

る人が自分で確保できなければ生きてはいけなかった。しかし自分で調達できなくても

『お金』のお蔭で外国に作って貰ったものを買えばよくなった。今までのように国力があ

る内は国内生産が少なくても何とかなる。しかし農産物生産国で天候異常や何かの理

由で飢饉のようなことがあっても、輸入国日本への特別枠などないのである。

現存する農業の展望を『日本の農産物は海外で高値。鳥取のスイカはドバイで3万円も

する。こうした方面で農業を発展させる』などと馬鹿げた例を説明しているが、そんなの

は大金持ちを対象にした極一部の農家のことで、日本の大半を占めている三ちゃん農

業とは縁のない幻に近い。

国内生産がサービスと消費だけの国になりかかっているが、どのような国を目指すのか、

将来ある若者たちは自分たちの問題としてもっと関心を持つべきだ。


『地方リーディングバンクの役目』

2013年03月15日 18時36分55秒 | 日記

私は莫大な資産を預けているのではないし、経済活動で銀行と取引をしているので

もないから、題目のような大きなテーマについて語るだけの知識も経験も持ち合わせ

ていない。だがロッキーの妻エイドリアンの兄ポーリーの台詞を借りれば『沈黙しない

一市民』だから、一寸したことで偉そうに沈黙を破ってしまう。

昨日、旅行会社からの旅の栞に『ユーロを事前に準備して下さい』と書かれていた。

今まで、何度か外国に行っているがこのようなことは言われたことがない。昨年のトル

コだって経由地のカタールには朝6時頃に到着し、直ぐに多少の現地通貨を買うこと

が出来たから、国際都市のフランクフルトならお茶の子済々かと思っていた。理由はと

もかく、朝一で岡山発だからここでの交換も無理、と言うことで当地のリーディングバン

クに意気揚々と出掛けた。朝の早い時間帯だから窓口は空いていてユーロ交換をお

願いするがその返答に耳を疑った。

ユーロ買いは扱っているが売りは扱っていないとのこと。ついでにどこの国のお金を扱

っているのか聞いてみると、米ドル、韓国ウォンだと言う。今まで米ドルに替えたことは

何度かあったから、てっきりユーロくらいはあると確信していたのに。そして行員さんは

「中央郵便局はユーロを扱っています」と親切なご案内。

この銀行、以前は外為を何店舗かの支店扱っていたが、それも縮小されてしまったよ

うだ。仕方なしに、その郵便局に足を延ばし行って見ると確かにユーロの換金が可能

だった。ついでにどんなお金を扱っているかと聞くと、米ドル、カナダドル,豪ドル、スイ

スフランと出てきた。まさかの大逆転、スイスフランを扱っていると思いもしなかったから、

少額ながら直ぐに飛びついた。

ビックリしたなー。郵便局が業務の一旦と言えど地方リーディングバンクを凌ぐとは、私

の感覚からは考えられなかったことだ。郵政民営化で郵便局も民間企業になり立場は

銀行と同じだから、このようなことあってもおかしくないと言えば、その通りだがこの地方

では他を寄せ付けない『リーディングバンク』がねー。リーディングバンクだからと言っ

て何もかも全て網羅するのは難しいことくらいは分かるが、田舎にも押し寄せるグロー

バル化の波、外為で米ドルと韓国ウォンだけの扱い・・・・・

何とも言えないギャップにギャフン。このことを妻に話すと『逆みたい』の一言。


『定期健診、7msvの被ばく』

2013年03月14日 18時20分43秒 | 通院

半年一度のCT検査がやってきた。

絶食で行くから朝早く起きて準備することもないから、いつものように7時半過ぎに布

団から抜け出し、そそくさと病院に向かう。いつもと変わりない時間の出発で病院に

着してみると駐車場は沢山の空きがあり、『これなら採血は早目に・・』

と思ったら大間違い。待合所の30くらいある椅子は先客で埋め尽くされていた。

過去のデータからいけば楽勝のはずが前回から様子が違い、もう少し早く来なけれ

一番嫌いな『待つ』ことを避けられない。どこの病院でも同じだろうが採血が終わ

らないと次のステージには行けないから、兎に角ここだけは早く通過しておきたいも

のだ。待ちは長いと観念していたら以外にも15分ほどで順番がやって来て、思わず

ピースサインを出したくなる。採血を終えCT室に向かうと待つ暇もなく呼ばれ、ここ

もあっという間に通過。

血液検査の結果が出るのに多少の時間がかかるだろうからと、コンビニで中華まんじ

うを買い遅まきながらブレックファーストを摂る。腹も膨れたことだし消化器外科の待

合室でじっくりと待たせて貰おうと、本を広げた途端にコール。SCCは結果が1週間後

に出るからそれ以外のものは当日に説明を受けていたが、今回は来週に纏めて説明

することになった。血液検査の結果待ちの時間が不要になり、私はその方が都合がい

から、こうなって欲しいと思っていた。今年の冬はインフルエンザの患者が多く、食道が

ん手術を受けた患者の何人かが入院治療されたとのこと。

理由は食道がんに至るまでの喫煙で肺機能の低下が基盤にあり、手術で人工呼吸器

使用によるダメージで更に肺への影響が出たものだとか。

インフルエンザ、肺炎の絶妙な悪のコンビがそうした弱い部分に付け込んで餌食にして

るのだ。こういう話になると私も借りてきた猫のようにおとなしい。

先生は続けて『xxさんの場合も同じで、長年との・・・・・手術を執刀することすら・・・』と当

の酷い状況を思い出しながら、よくぞここまで回復できたものだと語られた。

先生にすれば手術をしない訳にはいかない、手術をすることで起こるリスクの大きさ、前

の狼、後門の虎、悩みに悩みぬかれた結果の決断だったと思う。よく言われる出来の

悪い子ほど気にかかる、ぶっちゃけて言えばこれと似たところがあり、迷惑をかけた患者

ど云々だろう。先生への感謝を忘れたことはない。

ところでいつも疑問に思い、書いている『年間許容被ばく量は1msv』は何を意味するのだ

うか。確か被ばくすると癌になる確率が高くなるから・・・・・確定的な根拠はないが安全

に安全を重ねて1msv?

癌患者は癌になってしまったからCT検査でそれ以上の被ばくをしても構わない。どう考え

も理解不能なのだ。私の脳みその皺が延び切ってしまったから分からないか?  

『♪教えてお爺さん♪・・♪教えておじいさん♪』アルプスの少女ハイジの唄が駆け巡って

いる。歌のついでに、来週末からスイスを含む旅行に出かける予定。

 


『収穫されない野菜』

2013年03月13日 17時34分29秒 | 日記

この時期は冬物野菜の終わりと春野菜の切り替わり時期で、畑は年中何でも揃うスー

パー等と違い端境期である。特に私のようなど素人で割と大きめの畑をしている者に

は、無駄なことをしたと懺悔の時期でもある。

自分たちが食べる分だけを作るにしても、種から作ると発芽率、苗の生育具合に左右

され10粒の種から10本の苗にすることは難しいから沢山の種を撒く。

食べるだけのつもりでも沢山の苗ができ、食べる以上の野菜ができる。親しい人たち

に裾分け用として余分に作っているが、定期的に裾分けする訳ではないから、そうした

ものが今の時期に残り物として畑に鎮座している。

今年の冬は大根にとって温かかったらしく、長く太く『大根足』の見本のようになっている。

ここのところの温度上昇で花をつけるものもあり大量に残った場合は廃棄という悲しい道

をたどる。私の所も聖護院大根と煮付け用の大根の残り物が20本くらい残っており、意を

決し一昨日から干し大根づくりを始めた。

未だ花芽は出ていないが上の方は若干、固めになっているから干し大根にするとしても今

が限界のようだ。

キャベツは中央に段々と割れ目ができ、そこから花芽となる茎が出てくる。まさにその前兆

だが、こんな風になると裾分けとして配るのも気が引けてくる。未だ食べるところは沢山ある

から、もったいない気はするが廃棄は免れない。

水菜も春菊も小松菜の類も黄色の花芽が出かかっており、暫くすると黄色い菜の花畑に変

身してしまう。私のところは大したことはないが、近隣の方たちは上手に作られるから残り物

にしてもとても立派なものばかりだ。しかも、お隣同士にしろ近くの人にしろ、そうした人たち

も作っておられるから、裾分けするところも少なかろう、と要らぬ心配をしている。


続続、春遠からじ

2013年03月12日 19時44分11秒 | 日記

プチ春の続き

                  山小屋で自生 春蘭の花芽

                      ぽつりとスミレ

 

              外国産の黄色に負けじと白いタンポポ

                    春の風物詩、土筆


『トイレのないマンションⅡ』

2013年03月12日 19時40分31秒 | 日記

今朝の新聞は未曾有災害から2年を経過し、被災地各地で行われた追悼式の模様

や、復興にかける新たな誓いやら、大きく立ちはだかる課題を報じていた。ここでも水

素爆発で無残な姿をさらけ出している東電福島原発が大きな写真が目につく。

原発事故の影響で今でも15万人の人が避難を強いられており、生まれ育った故郷に

帰る目途さえない現実を改めて突き付けられる。

震災があり家の中は家具が倒れたりしたものの、住むには支障のない方、家の中で洗

濯物を干していたら『兎に角、避難せよ』の声に『一時的避難だろう』と思い着の身、着

のままで避難したら、そのまま2年も避難生活、おまけにいつ帰宅できるか不明。

15万人の人、たった一言で済まされる数ではない。山陰地方の主要都市の人が全て避

難した数と変わりない。こんなことが起こってしまい解決の目途もたたない。

何をどう考えればいいのだろうか。原発は廃炉にすると言う。それに要する歳月は30~40

年という数字が独り歩きしている。誰がこの歳月で廃炉できることを確約できるのか。誰も

技術的な裏付けを持てないのに勝手にこの数字を『希望的』なものとしているだけで無責

任だ。溶けた燃料棒を取り出す以前に汚染水問題を解決しなければならない。毎日400

トンの汚染水が溜まり続け、確か2015年には原発敷地での保管は満杯になるらしい。

このことを考慮すれば『汚染水処理のリミットが2015年ならば、それまでにメルトダウンした

燃料を取り出さないと、汚染水の保管ができないから原発以外の場所に保管しなければ

ならなくなる』しかし、この条件を満たすことは叶わない。

汚染水の核物質を取り除く技術は徐々に向上し、現段階では1つだけの物質が残るらし

い。これの除染が可能になれば汚染水の問題はどうにかクリアできるので望みを託した

い。どうしても除去できないなら、安全レベルまで希釈して海に流すことを検討しているら

しいが『背に腹は代えられない』をはき違えた暴挙であることは否めない。2015年のリミッ

トを越えたら汚染水は何処に行くのか。

原発政策が初めから如何に杜撰なものかは『トイレのないマンション』がそのものを言い当

てている。最初から原発で出る核のゴミを処理する場所や方法を持たないで運転を始め

た。事故や不都合がない時は誰も『核のゴミ』の行方や処理について関心を持たなかった

が、今回の騒動でその矛盾があぶり出された。

除染作業で除去した泥や落ち葉などを一時的に保管する中間施設の場所すら決まらな

い。それはその通り、最終処理場が決まらないのに中間施設を作ると、それが事実上の

最終処理場になることは明白だからだ。

追悼式で安倍総理は『教訓を踏まえ、災害に強い強靭な国づくりを進めていく』と述べた。

尤もなことだ。教訓をどう活かすのか、じっくり見させて頂く。


『生きるということ』

2013年03月11日 18時35分06秒 | 日記

今朝、カーテンを開けると屋根の上は雪が降ったのか、と思わせるほど真っ白な霜が

降りていた。雪ではなかろうかとよくよく見たが、道路は普段と変わらないから、やはり

霜だと頷く。だから当然の事、晴天。

東日本大震災の当日、涙雨が似合うのか、いつまでも涙は要らないから、今日のよう

な雲一点ない晴天が似合うのか複雑な思いをしながら空を眺めた。その割には風は

強く外はとても寒い一日で、昨日まで聞こえていた春の足音はパッタリと途絶えてしま

った。被災された方々のこの2年は遅々として進まない復興を見せつけられれば、早

いとか遅いとかの時間軸ではなく只、無駄な時間に映ったのではないかと思う。そこに

は私たちには分からない様々な事情や、個々の要望を擦り合わせしなければ、ならな

いことが多い。全体の合意形成を図るにも個人的な利害のぶつかり合いは必ず発生

するし、方法論も真逆のものが対立することもある。

港町の防災は高い堤防を作り外海からの高潮から守ると言う、一方は港町を盛土し高

台化で防災をと言う。たったこれだけでも意見は分かれてしまい、結論を出すのに何

年も要する。こうした事を検討していることで経過する時間は無駄なのか、納得できる

時間なのか。こうした生活基盤を作り直すためだけのことでも莫大なエネルギーを必要

とする。大震災は生活基盤の一番の礎である『家族』まで壊してしまった。大家族だっ

たのにたった一人だけ生き残った人、最愛の妻や夫を、子供を、孫を・・・・

住まいはどうにかすれば、どうにかなる。しかし、失った家族や友人たちはどうにもなら

ないのである。この大きな悲しみの中、それを乗り越えて住まいづくりもしなければなら

ない、こんな苦しみの中から本当に立ち上がれるのだろうかと考えさせられる。

人は強いと簡単に言うが、自分の立場と置き換えてみた時、自分自身があの人たちと

同じように立ち上がることが出来るのだろうかと疑問に思う。被害に遭い一時的に家族が

音信不通となり後刻、再会した折『家族さえ元気なら何も要らない』と多くの人が声した。

そうした家族をも失った方々の生きる意味、何の被害もなく安穏と生きる意味、大震災の

日にまた考えさせられる。


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