食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『夢追人、宍道湖の手長蝦(テナガエビ)』

2013年05月31日 17時49分10秒 | 趣味

 

境水道にはしばしのお別れで水の都は松江市の宍道湖に戻ってくると、もう手長

蝦が捕れる時期だ。宍道湖は周囲47Kmで広さは全国7番目の湖で大橋川を通じ

て中海、、鱸釣りで通う境水道に繋がり日本海へと出る。汽水湖だから海の魚、淡

水魚が混じり合い、ここで獲れるスズキ、モロゲエビ(ヨシエビ)テナガエビ、ウナギ、

アマサギ(ワカサギ)、 シラウオ、コイ、シジミ(ヤマトシジミ)を宍道湖七珍味という。

しかし、モロゲエビの漁は殆どなく庶民の間ではテナガエビを代品として扱ってい

る。スーパーなどでも手長蝦は売られているがモロゲエビは見かけることは殆どな

い。エビタモの網はテグスで出来ていて直径が十センチ程の小さいもの。店では

この網の部分しか売っていないので細い竹に一メーターの柄をつける。天気のい

い風のない穏やかな夜にサーチライトを持って湖岸からそーっと湖底を照らして

みると、そこら中に手長蝦を見つけることができる。岩の上で光を受けた眼がキラリ

と赤い色で光る。

蝦を捕るには静かに蝦の後からタモを持込みかぶせて捕る。蝦は後方への瞬発力

は強く速い速度で逃げる為、前からタモを入れると絶対に捕れない。要領さえ覚え

ればいくらでも捕れるようになる。波があるといくら光を当てても蝦が見えにくいので

穏やかな日でなれければならない。

大きいものは胴体が十センチ近くにもなり、まるでザリガニのようにも見える。色は黒

くなりみるからに不美味そうで実際に食べても殻が堅く味は落ちる。その場所で捕り

つくしたら次の場所に移動していく。人がどの辺で捕っていたのかよく見ておく方が

いい、人の後に行くと逃げた蝦が未だ岩の上に戻っていない。

手長蝦と言うだけあって手は長く大きくなればなる程、胴体と手のバランスが合わな

くなるみたいだ。長さが五~六センチ位のものが一番おいしい。残酷ではあるが鉄

板を熱くした上に生きたままの蝦を乗せ、塩コショウをまぶす、身体が朱色になった

ら食べ時である、殻のまま食べられる。

食べて美味しいものを捕ればいいのに、それを忘れて捕る時は大きいものにこだわ

ってしまう。湖底に眠るボラや鮒達が眠りを妨げられ迷惑そうに場所を移す。時には

ウナギが岩の間から顔を視かせている。本職の漁師は直径、五十センチ、長さ一メ

ーター余の芝を束ねたものを幾つもロープでつなぎ湖底に沈めておき朝、それを上

げる。芝の間に手長蝦、鰻が入り込んでいるのでそれを捕る。ヌカ団子をマキエにし

釣る方法もあるが大方の人はタモで捕っている。


『ザーサイ漬け第2弾、哀れ』

2013年05月31日 17時47分35秒 | 日記

先日、ザーサイの漬物の様子を見たところ、重石の下に敷いていた板に青カビが

湧いていたので、板を除去し観察していた。ザーサイは漬物用のナイロン袋に入

れてありカビとは直接触れないはずだが、昨日の点検でカビがナイロンの内側に

まで転移し、ザーサイ様もお陀仏状態になった。

最も恐れていたことが起きてしまった。第2弾は普通の沢庵漬けのように最初から

塩を入れただけの方式。第1弾は塩水を作り10日毎に塩を追加する方法のもの

で、今のところ異常は見られない。共に常温での漬物を目指している。

ネットでザーサイ漬けをした先人は冷蔵庫で保管しておられたが、昔は冷蔵庫な

どなかったから常温で作ることは可能だと思っている。カビの原因は敷板を使用

したことであれば、それの使用を止めればいいだけのことだが、今の所は原因不

明。塩水漬けのザーサイが無事に夏を越してくれれば・・・・・と祈るばかり。


『夢追人、甲イカ、青手カニ』

2013年05月30日 18時57分13秒 | 趣味

端境期の甲イカ

鱸釣りが下火になると私はちょっとした端境期を迎える。境水道の反対側、美保

湾は甲イカとダンダラ(イシダイの子供で七つの縞模様がはっきりと見えるので七

縞とも呼ばれる)のシーズンになる。水道に屯していた大公望は一斉に美保湾に

移動してこちらの釣りに精を出し始める。

ゴンガラと言われる魚の形をした擬似を使うのだが後端には針がつけられており

魚と違えて来た甲イカがそこに掛かる。釣り方は簡単で、遠くまで投げてはゆ

っくりとリールを巻き続ければいい。ゴンガラは魚が泳いでいるように見せないと

イカは寄っては来ないからシャクリながらこの仕草を繰り返す。

甲イカが掛かるとジンワリと重くなり、まるでビニール袋か雑巾を掛けたような感じ

になるが引きはない。そうすると今までとは巻き方を変えなければならない、つま

り針には外れ防止の掛かりがないのでスムースによどみなく巻き取るのがコツで

ある。しゃくったりすると折角の獲物が直ぐに外れてしまう。足元まで来たら慎重

に吊り上げ一度、地面に降ろす。するとそこで墨を吐くがこの墨は衣服につくと

落ちにくく厄介なことになる。甲イカは身体の中に発泡スチロールのような軽い

サーフボード状の甲を持っており別名モンゴルイカとも呼ばれ大きいものは五十

センチ近くまで成長する。食べるには手頃な三十センチ以下のものが釣れ、刺

身よりも塩焼きか煮付けの方がおいしい。身体の割には、手は短くズングリムッ

クリしており、釣りたては背中の色が頻りに変わる。興奮しているのか相手を威

圧しているのか。

甲イカシーズンの陽は柔らかくポカポ力と気分もよく何と長閑な釣リだろう。しか

し釣れない時はこんな馬鹿々しい事はない。餌は木切れで作った擬似、甲イカ

以外には何も釣れないので楽しみは少ない。

美保湾の春の風物詩の一つである。

 

横泳ぎの名手、青手カニ 

また、境水道に戻ってみる。夜になると青手蟹が捕れる。大きめの柄の長いタ

モを用意して岸壁の明かりの下で蟹を待つ。青手蟹は瑭泳ぎの名手で流れが

あろうがお構い無しでスイスイと達者な腕前を見せてくれる。タモの気配を察知

されると見事に方向転換、気持ちのいいスピードで逃げ箸にも棒にもかからな

い。予め進むと思われる所にタモをつけておき多少の角度と深さを調整する位

で構えていないと捕らえることはできない。側面からすくうことなどとてもできるこ

とではない。深さの目測を誤るのが一番の敗因である。

普通、蟹といえば、岩場で波に洗われながら岩の間をチョロチョロしているが青

手蟹は中々、手強い相手だ。今日の収穫は青手蟹、カラッと唐揚げにすれば

殻まで食べられる、塩茹でも身がビッシリとありオツなものだ。餌は要らないし体

力,時間だけが原価の安上がりな遊びだ。


『地震・津波・原発の鎮魂』

2013年05月30日 18時53分57秒 | 日記

私が生を受けてから沢山の自然災害や人為的なことが起こった。そうした中でも

3.11の津波と原発は最もインパクトの強いもので、世間からは徐々に薄れた印象

になりつつあるが、私は逆に怒りや情を移すことが多くなってきた。

昨日もニュースで『原発さえなければ、今頃は家も大分片付いているだろうと思う

と悔しくて・・・』と浪江町から避難している人が応えていた。

私が思ったり、多少のことをしても何一つ変わることはない事くらい自分でもよく分

かっている。まずは被害に遭われた方々の鎮魂、そしてこのような未曾有の災害

がどのように復興しているのか、自分の目で確かめたくなった。また、被害を受け

た地のことは報道で知っているが、現地を訪れるのとは全く違うことも知っているの

で、行かねばとの思いが段々強くなり遂に、出掛ける決心をした。

会津若松には会社の後輩が、仙台には先輩がいるので、都合がよければ、久々

の再会を楽しみにしている。自動車で出掛けることになりそうだが、これから具体

的な行程を決めていこうと思っている。


『夢追人、鱸釣りと陣痛』

2013年05月29日 18時05分09秒 | 趣味

次女がこの世に生を受ける前夜、正確にいうと昭和四十八年五月十八日、未だ境

水道は鱸狙いで頑丈な人は釣りをしていた。この日は潮の止まりが遅く夜半前に好

調期がきた。特筆する釣果を上げたのではないが中々、潮が止まらずイライラしなが

ら待った記憶がある。というのは、妻の陣痛はいつ始まってもおかしくない状態だっ

た。父母が手伝いに来てくれているので気楽に出かけられた。潮が止まり凡そ一時

間は粘ったと思う、午前様を過ぎぼちぼち翌日の心配をする時刻になった。急いで

帰り支度をし家に着いたのは午前二時過ぎ、明かりをつけると妻が目を醒ました。

『どげな?』

『ウン、まだええみたい』

『えーか、今日はな遅いけん、陣痛はいけんで』

『そげなこと言ったって』

と、短い会話をして深い眠りについた。熟睡すると短時間でも随分寝たような気に

なるが、その時も同じで妻の起こす声で目が醒めた。

『お父さん、陣痛がきた』

『えー、こげな時間に』

こればかりは、薬を飲んで頑張れと言う訳にはいかない。未だ夜も明けぬ午前五

時、車を飛ばす。

『痛たたっ』と苦しそうな声を出す。

『頑張れよ』の励ましは母と私の声。

だれも居ない日赤病院で急患受付を探す。

陣痛が来たのでと説明するのに手際が悪く診察の段にならずイライラさせられた

が、ようやくのことで分娩室に入った。後は母が見てくれることになり私は家に帰

り再び眠りについた。寝たのも束の、母からの電話があり出産したものの臍の

緒が首に巻きつき酸欠で出てきたため顔は紫色で、目には充血みたいな跡があ

る。命には別状はないとのことだった。男か女かと、えらく気にする人もいるが私

は絶対に女の子だと思っていたし、名前は既に決めてあったので男の子と聞いた

ら驚いたかもしれない。

これっぽっちも男の名前を考えていなかつたから・・・

波瀾万丈の半日であったが、今日からは家族が一人増え四人になった。

 

イカナゴで小物釣り

大物は期待できないがもう一つ面白い釣りをしよう。連休を過ぎてしまうと境水道

にイカナゴの群れが発生する。大きさは三~四㌢の細長いドジョウの小型みたい

な魚。小さいが色々な魚からも好物にされている哀れな魚だ。イカナゴの脂をイカ

の短冊につけて鯛釣りをすると余りにもよく釣れるので瀬戸内海の鯛漁では禁止

されていると聞く。イカナゴは蒸して食すと美味だと母からも聞いたことがある。身

が細いのでこれ専用の網を作る。子供の昆虫採集用の目の詰んだ網を買い、網

けを外し腰の強い八番線で輪を作り網を縫いつける。

古くなり使わなくなった竿をその柄にして網を取り付ければ完成。イカナゴをすく

い上げポリバケツの中に生かしておきこれを餌にしてセイゴ(二十五センチ前後の

もの)を釣る訳だ。餌採りで楽しみ更にセイゴを釣り楽しむことができる。口に針を通

し軽い錘を着けて流れの中をゆっくりと引き(この動作をサビキと言う)イカナゴを泳

がせる。竿は振出しでリ—ルなどは不要で二・五間もあれば十分である。スーッと流

すと穂先がククッと軽く引き込まれる、これは挨拶みたいなもので充分に食いつい

てはいない、イカナゴを引っ張っていると思えばいい。引く方向に送り込み食べや

すい状態にしてやる、辛抱との闘いになるが十秒ほど待っても拉致があかないこと

だってある。

ここぞと思うタイミングで合わせると穂先を水中に持ち込まんとする勢いで引く。その

感触を楽しみながら釣り上げていくのだが合わせが早過ぎて随分と失敗した。この

時期はメバルの旬になる時期でもあり当地ではタケノコメバルがこの餌に食いつき

セイゴと半々の釣果となる。この釣りはことの外、気に入りしばしば東の空が白むの

をみた。夜は冷え込みが残っているのでアノラックとセーターは必需品であることを

付記しておく。


『山葵の種取り』

2013年05月29日 17時55分23秒 | 日記

春先、山葵はツルが延びてそれに白い花が咲く。ツルはドンドンと延びて長いもの

だと1メーターくらいの長さになる。ツルに写真にあるような小さな豆みたいな袋に7

~8個の種が入っている。豆が熟れて袋が破れて飛び出すのと同じで、種が熟すと

袋が割れて中にある小さい種がはじけ出て来る。

小さい種だから下に落ちたものを回収することは難しいから、袋の割れ具合を見計

らって袋ごと摘み取ってしまう。

私は少量の回収しかしないから、こうした手作業でもいいが大量に扱う人は、豆を掻

き取り布袋に入れ土中に埋めておく。豆の殻が腐り種だけ残るので、それを回収し、

種は乾燥を嫌うので土中で保存しておく。私の場合は丁寧に種を取り分けラップに

包み冷蔵庫で保管する。土中保管は虫が付いたりすると全滅の恐れがあるので注

意を要する。ラップに包み冷蔵庫に保管だと乾燥しないこと、冷蔵庫の中で休眠期

を迎えるので冷蔵庫から出すと秋に種まきをしても発芽するから超便利な方法だ。

普通は春先に種まきをして発芽させる。

兎に角、種が小さいので種取りは面倒臭い仕事の一つ。

                         山葵の種と殻


『夢追人、境水道の鱸Ⅱ』

2013年05月28日 17時49分51秒 | 趣味

紛れもなく私のそれだ。この時ばかりは釣れた人の特権でお祭騒ぎ(糸が絡んで

無茶苦茶になること)を避けたかったら、周囲の人は糸を巻き取らなければならな

い。隣と絡み合い電気浮木が一緒にこちらに来る。これは大物だぞ、引きが違うと

心の中で呟きながら、足はその喜びの大きさからガタガタと震える。

巻けど横に斜めに走り回りそこらの糸を絡め続けた。竿は大きな弧を描き糸はパン

パンに張りリールを巻く手に力が入る。釣場では近くの人が大物を釣ったら網です

くい上けるという誰が決めた訳でもない仁義があり、網を持ち右だ左だと指図する。

が魚は思う方向には来ない。凡そ十五分はかかったのだろうか、やっとの思いで網

に入り岸に上がった。優に五十センチは超える大物だ。周囲の人に礼を言い魚の

始末と次の仕掛けづくりをする。

この時は沢山の他人の糸、電気浮木を一緒に釣り上げた。ちゃんと自分の仕掛け

を巻き上げておかないから、こういうことになるのだ.・・・仕方がない。これくらいの物

になると尾の近くに切れ目を入れて血抜きをするか眉間を一突きにして即死させ鮮

度を保つ。実測してみたら五十八センチあり未だ鱸とは呼んでもらえない大きさだ

ったがとても嬉しく帰り道が随分と短く感じた。

每夜毎夜の境水道通いは結構な釣果をあげた。一晚でセイゴを十数本は確実に釣

り上げ、妻の仕事は近所の人に配り歩くことがえた。翌日の仕事に差し支えのない

時を見計らつて帰路に着く、午前零時がその時間だ。道程は往復で百キロ位ある

が魚が釣れればこんなこと一つも苦痛だとは思わなかった。海の荒れた日は大物が

出やすい、今日は相当荒れているが行っても釣りになるかどうかと不安ながら出かけ

てみることにした。人が釣ってしまったら・・・と狭い了見と貧乏人根性、丸出しが本

当のところである。風は強く、時おり雨が混じって海は、といえば怒涛の如く流れて

いる。撟脚のすぐ側にしか投げる場所がない。数人の釣り人がそこをめがけて投げ

ている。浮木は大きな波間で見え隠れしとても釣りをする状態ではなさそうだなーと

思った瞬間、ズシンと手応えがあった。

浮木は全く当てにならないし釣れたのかな?とリ—ルを巻けば紛れもなく応信がある。

波に乗り上げると魚が宙に浮き、リールを卷くと急に軽くなリ次の瞬間はガツンと引っ

張られる。こんな光景が三度も訪れた。

何れも五十センチクラスのものばかりだった。この日ばかりはトロ箱を調達し廻り道を

して家に帰った。これはお婆ちゃんが未だ元気だった頃の古い話だが立町と角盤町

により一匹ずつ配り自慢方々の寄り道である。

こんな大漁は後にも先にも巡り合いがない。小物(三十センチクラス)は煮付け、塩焼

きよし。また、刺身、洗いが美味しい。松江では宍道湖で捕れたこのクラスのものを

針で小穴を開けそこに塩を塗し湿らせた和紙に巻いて焼く、奉書焼が名物である。爐

の奉書焼は級料理で料亭でしかお目にかかれない。


『続・ハンディー・スキャナーの威力』

2013年05月28日 17時39分54秒 | 日記

スキャンしたものをワードに変換してくれるがフォントがおかしくなると昨日、報告し

た。その後、あれこれやってみたら、色々なパターンに変換されてしまう。

太字ではないのに太字のような書体になったり、極端に小さい文字になったりする。

再スキャンすれば何とかなったのは、たまたま何かの具合でそうなっただけで100%

の確率ではなかった。原因追及のためあれこれやっていたら、やっと原因が分かっ

た。変換されたものをコピペする際、何かの条件でワードの書式に違いが出ていた

為だった。書式は私が指定したものではないが書式を初期化して、新たにフォント

指定してやったら問題は解消した。これでスキャナー及び添付ソフトの威力は増し、

私の綴ったものは難なくスムースにワード変換できるようになった。

と言うことで、このスキャナーには3つ星を与えてやろう。


『夢追人』

2013年05月27日 18時20分16秒 | 趣味

境水道の鱸 Ⅰ

子供の頃、境港には親戚があり、ある夏に海水浴に連れて行って貰った思い出が

ある。海水浴といえば中海か同じく親戚の川と相場が決まっていたから、本場の海、

境港は今風に言えばトレンディーな海水浴場だった。砂浜で足が届くか届かない

所で下を見ると、砂地に穴が開いており、そこを足で掘ると指先に固い感触がある。

指で挟み貝を採る。

海水スレスレで立っているから、時々、波が寄せると口の中にドバっと入って、その

塩辛いこと。潜って採れば沢山採れただろうが皆、首を立てるようにして貝を掘り、

足の指で採っていた。桜の花が終わりつつじに席を譲ると、もう直ぐ大根島のボタン

が満開になり、境水道のセイゴ、鱸が宍道湖を目指して旅を始める。それは大凡、

梅雨前まで続く。

鱸は出生魚で三十㌢以下をセイゴ、五十㌢クラスをアンザシ(関東ではフッコ)、七十

㌢以上にならないとスズキとは呼んで貰えないが、ここでは総称としてセイゴ、スズキ

と呼ぶ。魚にはその地方特有の名前があり地元の人はローカルネーム、岡山や広島

から来た人は標準的な名前を使うので、遠路の人と直ぐに分かる。

スズキは潮の流れが勝負である。一般的に魚と潮の関係は密接だと言われるが、こ

れほど顕著に現れる魚は珍しい。特に、境水道は中海、宍道湖の出入口になってお

り、満潮、干潮の時は急流の川のように流れ釣りにならない。私は夜釣りを好んだ。出

勤の際、予め車の中に釣り道具一式を準備しておき、退社すればそのまま境水道に

出勤する。潮との関係は後になって知ったことで、それまでは暇さえあれば足繁く通っ

た。境大橋下の岸壁が改築される前、そこは好漁場だった。岸から十五メーターほど

沖合は急に深くなっており、潮目が微妙に変化するポイントがあった。日暮れまでは

浮をつけずブッコミという方法で釣り錘十五号、ハリス五号、針は勿論のことスズキ針

を使う。針から一メ―ター辺りの所に錘をつけ餌が流れに乗り易くしてやると、餌に動

きがついて魚の食欲を増すというものだ。餌は朝鮮ゴカイ(青虫)を四〜五匹を房が

にする、餌を惜しんではいけない、できるだけ元気のいい奴を奮発する。潮の速い時

は直ぐに下流に流されてしまうが深みと浅瀬のポイントの辺りで錘が錨の役目を果たし

止まる。

調子がいいと潮が速い時でも食いつくがやはり潮にははっきりとしている。ググッと手

えを感じたら慌ててはいけない。これからが詰めの肝心な時なのだ。

それから十でも二十でも勘定してから強く合わせればいい。大体は三十〜四十セン

チ位の大きさで占められる。魚は流れに逆らい、時には沿って縦横に糸を走らせ、岸

辺近くで姿を見ることができる。三十センチ程度のものはそのままゴボウ抜きにして吊

りあげる。ブッ込みはあまり好きな方法ではないが日暮れ後の本番に備える余興であ

る。それでも本番前に三〜四本は釣れていた。辺りが暗くなると仕掛けを夜釣り用に

替える。電気浮木を針から一ヒロの所につけて錘は嚙みつぶしの小さなものを使い遠投

する。潮の流れが速いとブッ込み以上の速さで下流に流されてしまう

ので、潮の止まるのを待ち続ける。満潮、干潮は新聞の載っているものから、一時間く

らい後にくる。その変わり目にはあれほど速く流れていた潮が見事に止まり、自然の力

は偉大なものだと思う。潮が緩やかになると絶好期の到来で、遠くに並ぶ精霊流しの

灯りのような電気浮木があちこちで沈み始める。セイゴが食い始めたのである。たくさん

の電気浮木の中にある自分のものだけに目をやっておく、突然に光の残像を残しなが

ら浮木が水中を駆けめぐる。完璧に針を飲込みしっかりと掛かっているが再度、思い切

りよく合わせておく。ブッ込みと違い水面近くにいるので、ここでセイゴの得意芸を披

露してくれる。セイゴのエラは鋭利な刃物のように鋭く針を外す時に手を切ることがし

ばしばある。水面にジャンプしそのエラで糸を切ろうとするのである。

”エラ洗い”と言われる仕草だ。

五月の連休前のある日、いつものように橋の下で鱸を狙っていた。連休前というので続

々とお客さんが集まり 一メーターに一人の間隔になり、狭い場所に四十人ほどがひし

めいた。口コミでこの好場が知れ渡ったのだろう。視界には無数の電気浮木が並び、その

間をめがけて容量よく投げなければ他人の浮木の横、糸の上に投げてしまうとその人が

を巻き上げるまでそこでじっとしていなければならない。一つの浮木が勢いよく吸い込

まれた。


『ハンディー・スキャナーの威力』

2013年05月27日 18時03分54秒 | 日記

メーカーの回し者でも何でもない私がPRするのも変な話だが、年初に入手して以

来、新聞や雑誌などをコピーして保存している。先日来から『夢追人』なる過去の

綴りものを紙からPCに・・・・とやっていたが、スキャナーに付属しているOCRソフト

のことを思い出し、ワード文書に変換を試みた。

少量のものをテストしたことはあるが実用は初めてのことだから、物になるのかどうか

を知る機会になった。その結果、一部の手直しは避けられないものの大半は、正し

く文書化してくれるから、手入力よりは遥かに効率的だ。添付の無料ソフトだから高

いレベルの性能を求めるのは無理だ。ただ、幾つかの問題があり、ソフトの問題なの

か、私のスキャン方法に問題があるのか原因を把握できていない。例えば、ワードに

変換されフォントをMS明朝、12ポイントにしようとしても、明らかに他のフォントなのに

結果は変換されたことになったりする。こうしたものを再度スキャンしてやれば、問題

なく変換できたりするが、考えられる不良原因の傾向が全く分かっていない。

例え不具合があっても、再スキャンで片付きそうなので、hide ScanⅣなるもののパフ

ォーマンスに満足している。


『夢追人』

2013年05月26日 17時06分10秒 | 趣味

渓流の雄 岩魚(イワナ)

奥出雲は鳥取県と峰分けする船通山、私の住む場所から車で二時間ほど、南に行

った所である。途中『たたら』(玉鋼を作る鋼炉で日本刀の材料となっていた)でその

名を馳せた横田町があり、更にその近くには松本清張の推理小説『砂の器』の舞台

となった算盤の産地、亀嵩町(かめだけ)がある。

船通山は雪深い。下界が春の息吹を感じても未だ、笹の下には残雪が残る。雪も去

り、下手くそな鶯がホーケキョと鳴く頃、渓流釣りは解禁になる。川で魚を釣るくらい、

細かいことなど言うなと言いたくなるが自然を守る掟は厳しい。誰に、この川の権利が

あるの。この川は日本人誰ものはず、勝手に漁業権なんか作って、もぉ!

イワナは敏感な魚だ。川の中を見ていると餌となるものが流れて来ると,棲家としてい

る岩の下から素早いスピードで飛び出し、黒い糸を引くように見える。

敏感な割には貪欲なため、エサを追う姿は周囲のことに無頓着のようだ。

こいつを釣り上げるため、四時に起きて船通山まで来たのだ。途中には立派な熊笹が

生い茂り、端午の節句の頃には、これを生計の足しにする人もいる。

逸る心を抑え竿を出す。渓流釣りの竿は川辺の雑木が邪魔になるので短い方がいい。

本当は魚に警戒心を与えない長い竿が理想であるが木に糸が絡みどうもならないの

で、小さい川では向かない。餌は、その川にいる自然のものが最適だ。川虫、幼虫,蝶、

青蛙が好物とみえる。しかし私たちは好物を取り揃えて釣りに出掛けることはできない

ら、ミミズ、それも縞ミミズがいい。上流からサッと流れに載せる。これを何度も繰り返

す、やがて黒い綫が走る。警戒してか、餌が気に入らないのか当たりはなく下流で糸を

張る。その内、思わぬ方向に走る、遂に食いついた。周りの雑木を気にしながら手繰り

寄せると二十センチ程のイワナを手にすることができた。更に、上流に移動して行くと川

幅が僅か五十センチもない所で糸を垂れてみた。

水は山々がこの冬に受けた雪を溶かし、そのまま流しているように冷たい。五分と手を

けていられないほどで、この水を手ですくい飲んでみると、何物にも代えがたい自然

の味を感じることが出来る。水はこんなに美味しいものなのかとも思う。上流にいくほど

川幅は狭くなるから、そこに棲むイワナの食するものも限られてくる。つまり下流になる

ほど色々な餌が流されてくるが、上流では、それが下流より少ない。

餌をつけ狭い川の中に糸を流すと、すぐ目の下にイワナが姿を現した。餌のミミズには

見向きもしないで、流れの調子とりにつけている板鉛ばかりに興味を示しつついてい

る。ミミズを口先に持ってきても興味を示さない。

その時、小さな蝶が飛んできて木に留まったので、そいつを採り餌にしてみたところ、そ

れまで鉛にばかり行っていたイワナが蝶に食らいついた。言うまでもなく、それからはそ

こらにいる虫を餌に大漁を重ねた。釣った魚の腹を開けてみると、先述の餌を食べてい

た。それからは、昆虫採集後にイワナ釣りとなり、子供用の補虫網を持参することになる。

イワナは身体の割に口が大きいので、釣針は渓流用の五号、ハリスは一号以下の細い

ものを使い、餌が軽く流される程度の錘を針から三十センチほど上につける。流れの強

弱によって分量を変えるので板鉛を切り貼りして調整する。

私の場合、三間の振出竿をばらして一間程度にしたものを使用していた。

山奥に入るので、イバラや棘で直ぐに破れてしまうのを防ぐ厚手の作業ズボン、滑り防

止、マムシから身を守るためスパイク付きの長靴を履いていた。

イワナは川魚でありながら川魚特有の臭いはなく、ヤマメや鮎と比べても臭いは全くと言

てもいい程だ。軽く塩を振り炭火で焼き頂く、その風味は絶品である。下唇がシャクレ

た尺物を求め歩いたが一度も出会うことはなかった。ここではイワナと紹介したが、当地

ではコギという。違いがどこにあり、どんな亜種かは知らないが、獰猛な魚で川を渡る蛇さ

えも餌にすることや、水面を飛ぶ蜻蛉を水中から飛び跳ねて捕まえるダイナミックな渓流

の王者である。


初夏?の野花

2013年05月26日 16時57分41秒 | 日記

朝8時からボランティア活動、国道沿い生垣の草取り作業に出掛け、終わってから

その足で畑に出掛け、少々の片付け。春先に野花の写真を撮ってブログに載せた

がそれから季節は変わり、昼間は暑いくらいになってきた。畑の隅には相変わらず

雑草が蔓延(はびこ)っている。

時の流れは雑草の間に咲く野草もメンバー交代をしているようだ。いつもの事なが

ら、花も名前を知らないのでよく見ると花は同じようでも葉が違うなんてものもある。

もし、よく知っていたら名前もきちんと付ければいいのになー、と思う。

 


『夢追人』

2013年05月25日 18時16分44秒 | 趣味

第一章      魚の四季

 魚釣りは面白い。人によってはこれ程、退屈なものはないという。そんなはずはな

い。この私が魚釣りの面白い世界に案内しましょう。

魚釣りに行きました。

ぜんぜん釣れないので場所をあちらこちらと変えて、エサも何度も変え辛抱しました

が全く釣れませんでした。

よくも、まぁ人はこんな退屈なことに時間を割いているのでしょう。

私が苦痛と感じるのは、何もしないでジッとしていることで、仮に誰かが『あなたが一

日中、家の中でジッとしていたら一万円上げましょう』と言ったとしても『ホイホイ』と引

き受ける気にはならない。でも魚釣りの時は、この私でもジッとして他の誰よりもジッと

している。日本には、はっきりとした四季、春夏秋冬がありその折々を旬とする魚が待

っている。魚釣りはその四季の到来を告げるもの。

長いレンジで楽しむことが一つの秘訣だと思う。

 

 『春』

桜と鯎(ウグイ)

山陰の厳しい冬が過ぎると野山は一斉に芽吹き、蕗の薹が土の中から顔を覗かせ、

猫柳が水面につかんばかりに背伸びする。梅の花が終わり、古来から日本人が親し

み続けてきた桜の開花をみる。パッと咲いて、パッと散る。その潔いこと。

能義郡広瀬町は富田城、山中鹿之助がお家再興を願い『我に七難八苦を与え給え』

と明言を残した月山(がっさん)の裾を流れる飯梨川には桜の花が咲く頃にウグイが産

卵のため遡上する。ウグイはコイ科の淡水魚でこの時期はお化粧をしたように、とても

綺麗な色をしている。小骨が多く料理するのは少々、厄介な魚。が、刺身,洗いにして

食べると美味なもの。群れになって遡上するので川の中はウグイが、そこここに数知れ

ず流れに逆らう。岸辺から釣るのではなく引掛け針で掛けて釣り上げる。大きさは30㌢

ほどのものが次々と釣れる。暇さえあれば飽きてしまう程釣れる。

竿は二間から三間程度のもので糸は釣るのではないから太くても構わない。

ここで私たちは大漁を試みた。刺し網を使えば捕れるかもしれない。

流れくるゴミや小物が網にかからないから、目の粗いものがいいと、この方面に長けた

人の選択。遠くには月山の桜につけられたボンボリが見える。ウグイが通りそうな川筋

見定めて十メーターほどの網を張る。あとはウグイが網にかかるのを待つだけである。待

こと大凡、三十分あちこちで網が小さく揺れる。ウグイがかり暴れている。未だ水の冷

い川に入り網を手繰り寄せると腹の辺りを赤く染めたウグイが銀輪を輝かせている。

その数、三十~四十匹はいるだろう。

刺し網は強く張ってしまうと魚が跳ね返り捕ることは出来ない。流れの加減を見ながら

たりと張るのがいい。掛ったウグイを網からはずのは、もつれた毛糸をほぐすのに

よく似ており、厄介な作業に加えてウグイは暴れるから、更に厄介なことになる。網はテ

グスと同じだから細く、無理をすると直ぐに切れてしまうので、イラつくことはご法度で、

細心注意を要する。

ウグイだけを外して一工程が終わるのではなく、流れと共にやって来る小枝やゴミも始末

して、要する時間は約一時間半といったところ。

子供が日暮れを忘れるように夢中になって網を掛ける。この時期の夜は結構冷える。お

けに川仕事だ。木切れを集めて焚火で暖をとる。

誰ともなく『一杯欲しいな』の一言。

運転手を残して俄かに即席の小料理屋が開店する。勿論、今宵の肴はウグイの刺身、

れり尽くせりの調理人はちゃんと山葵も調達している。ウグイの腹を開けるとオスは白

子、メスはおびただしい程の卵を見せる。手慣れた手つきで洗いもどきも出される。焚火

の周りには捕りたてのウグイを肴に、今なお成長過程に居る男たちが酒に目を細めて

いた。


『カブトムシの幼虫掘り』

2013年05月25日 18時12分25秒 | 日記

昨年に引き続き町内の幼稚園1か所、保育所3か所にカブトムシの幼虫を配ること

になった。配るのは未だ先のことだが100匹ほどを掘り起こしておかなければならな

いので、少し早めだがその準備として50匹を捕獲しておくことにした。

先日、少し掘ってみたら集合している場所と過疎の場所に分かれており、いい場所

に当たると10数匹がかたまっている。

昨年は6月になってから肉食獣のテンがビニールハウスを齧り、穴を開けて堆肥の

下にいる幼虫、成虫は胴体を食べ尽くすほどの被害を受けた。その対策として、堆

肥の上に金網を敷設してあるから仮に今年、侵入しても昨年のような大きな被害に

はならないし、仮に侵入し始めたら直ぐに電気柵で防御することにしている。

カブトムシの自然養殖としては2年目で、今後もこの調子でいってくれるのか、同族ば

かりの子孫が続き耐えてしまうのか、その対策をどうするのか等、課題は多い。

取り敢えずは、子供たちに幼虫を飼育させ自然や生き物の大切さを知ってもらうため

だけの飼育が主体になっているが、自然任せの養殖だから、これだけの成果しかなく

ても了とするや否や。

 


『夢追人の掲載』

2013年05月24日 17時44分06秒 | 趣味

私が四十歳頃に、自分の趣味のことを綴ったものに名前をつけようと思い、どうせ

なら自分で作った言葉にしようと考えに考えたつもりだったのが、夢を追い続ける

人を意味する『夢追人』この言葉は私の自作なのか否かを疑う余地はなく、当然自

作として思い込んできたが、最近になってどうも怪しいのではと思うようになった。

タイトルはさて置き、その冊子はワープロで作成したものだから、紙に印刷したもの

が一冊残っているだけで、このまま廃れさせるのは勿体ないと一念発起しワードで

作り直しを始めた。魚釣り、狩猟、アマチュア無線を纏めたもので全て実録ものだ。

当時から自然と接することが好きだったから、今ハンドルネームにしている『自然爺』

の礎となるものは成長過程、真っただ中といった頃のものだ。一日、一ページのペ

ースで再入力しているものを、日々の活動と共にブログで紹介することにした。時間

の都合のつく方は、ご覧頂きたい。

 

はじめに

 『趣味は何ですか』と問われ『無趣味です』と答える人でも、本当は何か趣味を持っ

ているが人様に『これこれで・・・』と説明するのはおこがましいからだろう。

この四十年間、生きてきた吾輩は趣味として、何一つ極めたものは無いが、興味を持

ったものには、その時その時でかなりのパワーを費やしてきた。『芸のためなら女房も

泣かす・・』と歌にあるような厳しさがないから其々の趣味が中途半端だったのだろう。

でも、それはそれで良いではないか。趣味の範疇はとても広い。外にあっては自然界

のこと、家にあっては工作に関することで、手芸のようなものやICを使った電子機器の

工作と、言ってしまえば興さえ湧けば何でもいい。流れは、やはり父のそれと似ている

かもしれないと思い始めた。確たる根拠がある訳ではない。私の最近のルーツをみる

限り『芸のためなら・・・』のスタイルは祖父にあるようで、どうもしっくりこない。祖母は

『芸のためなら・・・』と粋がる人に尽くさせられっ放しだっただけのようだし、母は『そげ

なことばっかいして、ほんに』と理解を示すタイプではない。消去法で正当に判断して

みると私の分析は正しいと思う。

さて、私たち大人が子供たちにどんな夢を与えてあげることが出来るのだろうか。生活

場所によって自然と接する機会の多少はあるにしても、子供に自然を感じさせることの

要性すら考えなくなっているのでは益々、子供に夢を与えることはできなくなる。ハイ

ク技術の粋を集めた遊びは子供を熱中させ虜にしてしまい確かに子供を喜ばすこと

できるが、この子供たちが大きくなった時に、それを幼き日の夢として語れるだろうか。

こんなこと、老婆心かもしれないと思う。

昔の幼子たちよ、思い返してごらん。

自然の思い出は何にも優る。

よき玩具であり、感性を育てる教師であったと思えるはずだ。

子供たちよ、父母にせがみなさい。

自然は何処にあるの、見ることは出来ないの?・・・・と。

今でも、鼻の周りを黒くした子どものように、何か目新しいものは無いか眼をぎらつかせ

を追い続ける中年の生き様がここにある。


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