食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『今回はSCC=1.3』

2014年03月31日 18時56分52秒 | 日記

今日は定期検診日、早目に起きて7時45分前には出発するつもりでいたのに、2番寝が悪く7時40分に起床となり慌てて

出発。病院は予想に反して非常に空いていて、いつもより遅い受付なのに前から10番目くらいと順調な滑り出しだった。

血液採取を終えコンビニで定番のサンドイッチを買い自販機コーナーで遅い朝食を摂る。消化器外科の受付に行き順

番待ちする間に掲示板の張り紙を眺めていた。

今日は年度末、明日から新年度になり変更になる事柄のお知らせなるものがあった。

①   かかりつり医の紹介状のない初診は初診料(約2800円)と初診何とか料(約3200円)が必要になる

②   救急車使用時の消費税変更

③   高齢者医療費負担、1割から2割への変更 等が書かれていた。

①   のかかりつけ医のことは知らなかったので負担増のことは別として、私には今はっきりとした『かかりつけ医』は市立病

院以外にはいないのではないかと思う。この文章の意味は市立病院に初診で来る場合を言っているから、どこか近くの病

院に行って診察を受けた後に紹介状を持参すれば初診何とか料は要らない、この場合その病院で初診料を支払うから、

患者としては最初から市立病院に行っても負担は余り変わらないのではないかと思う。大病院への道を狭くして、大病院

のパワーを温存しようとしての事だろうが面倒なことになりそうだ。

私を含めて病院の変更に関係する人には大なり小なりの負担増、利便性の変化と影響を受けることになる。

それらのお知らせの横に小さな紙に『wifiフリーエリア開設』のお知らせがあった。1階フロアを中心にして病院内にアクセス

ポイントを持つフリーwifi、繋がればパスワードもなしで利用可能とあった。私が入院していた時、本当に欲しかったネット環

境がやっと構築され始めた。

実際、どの程度のものか分からないが、ある程度元気な患者ならPCを持参して1階に降りれば欲しい情報のやり取りができ

る。と、私のような携帯嫌いの人には好評だろうが、携帯派には取り立てて嬉しい事ではないかもしれない。

そうこうして内に診察が始まり暫くしたら私の名前を呼ばれた。血液検査の結果についてSCC=1.3他全てに異常なしと説明

を受ける。あと半年ほどで目安になる5年生存を果たすことになる。

先生たちは考えられるベストと思われる治療で対処されるが、同じように治療しても生と死の分岐点が何なのか分からないジ

レンマと背中合わせでもどかしいと言っておられた。医学や化学がこんなに進化した今でも人の仕組みは未だ解明されてい

ない。人が人を自由に操れないよう神が解明されないに創った結果なのだろうか。

私のSCCも不思議の連続。去年の3月からの推移は1.0-à1.8--->1.7--->2.1--->1.1--->1.3と乱高下を繰り返している。

勿論、この間にそれに対する処置は何もしていないのに変化をするという事は、癌にかかる前からこんな調子だったのかもし

れない。(それ以前にSCCの検査などしたことはない)


『回想旅行記、パムッカレの石灰棚』

2014年03月30日 17時30分02秒 | 旅行

私が目玉としていたパムッカレには案外早く到着した。駐車場はヒエラポリス遺跡の中にあり、ここから石灰棚のある所へは20分くら

いの移動が必要だが、遺跡のど真ん中を歩いて行く。ヨーロッパ遺跡の典型的な大理石の柱や桁がゴロゴロしており、歩いている

道のすぐ傍を掘り返している所からも別の礎のようなものが顔を出していて、遺跡なんて珍しいものではない・・・こんな具合の中をテク

テクと歩く。

歩いて行けども石灰棚のような美しい物の欠片や雰囲気すら感じることのない所ばかり。そしてその神秘的な場所は突然に目の前

に開け、生まれてこのかた見たことのない景色に感動させられた。白い石灰棚に温泉水がかけ流しのようになっているから、水の入

れ替えがあり中に溜まっている水は澄んでいて青く見える。

白い棚の浅い湯船のような中に沢山の人がズボンをまくり上げて入っている。以前は靴を履いたまま観光していたが、石灰棚保護

の観点から靴を脱ぎ裸足になって石灰棚を歩くことになっているので、用意していたビニール袋に靴を入れて持ち歩く。美しい景色に

感動したばかりなのに随分と無粋な格好だ事。そうした場所に入ってみると、ぬるま湯くらいの温度で暖かいものではないが、周囲の

温度からすれば暖かさを十分に感じる。中央を流れる溝には勢いよく温泉水が流れていて、溝の淵に座り足湯をする人が沢山い

た。石灰棚は水との組み合わせだから、とても滑り易く移動する場合には、下の石に対して足の裏を真上から降ろして体重移動しな

ければならない。私たちがいる間に陽が落ちかけ、白い棚に赤い夕陽色で染められていた。

名残惜しく石灰棚を離れパムッカレ温泉なる施設に入ってみる。倒壊した柱や欄干のようなものが水中に見える温泉施設。つまり遺

跡に温泉が溜まりパムッカレ温泉となったもので、かのクレオパトラもここで入浴したと逸話がある。湯気は立っていないし、どう見ても

入りたい温泉には見えなかった。季節的にもう少し暖かい時期なら水着を着て温泉を楽しむ観光客も多いだろうが、いくら簡易施設

の中であっても今の時期だと寒中水泳までいかなくても覚悟が要ると思う。

時間があったので温泉から少し離れた場所に行って見たら、土を被った石灰棚が見えた。石灰棚の実態は土中にあり、私たちが

見ていたものは長い年月をかけて土が流され風雨で漂白されたものだった。かなり先の方まで土に汚れた石灰の層を見ることができ

た。再び駐車場に戻りバスに乗ってからも白と黒の層を見ることができ、この辺り一帯には未だ沢山の石灰棚が地中にあるのではな

いかと思う。景色を堪能しホテルに到着した時は、もう真っ暗になっていた。

今回の最大の目的場所は、日本から長時間かけて来る価値のあるものだったのはいう事はない。

                                                     遺跡の中のパムッカレ温泉


『住宅団地の高齢化』

2014年03月30日 17時29分07秒 | 日記

小さな自治体では既に昭和50年頃から人口減を予測し、その対策として住宅団地の造成により若い層の取り込み

を始めていた。今から思えば、こうした現象は少子高齢化による人口減の前兆であり、最初に現れるのは規模の小

さい所だったと頷ける。八雲でもその対策として住宅団地が開発され新しく入居した人たちにより人口増をもたら

し暫くの間は、条件の厳しい自治体からは羨ましがられていた。この団地もその一つで大よそ100世帯の若い人た

ちが住み活気に溢れる住宅団地だった。人が流入して人口増になった一部の自治体は一応の成果を上げたことにな

るが、国全体からみれば同じパイの中ある駒が何処に移動するかだけのことでしかなく、国の対策は何もなされて

いなかった事が露呈する。

対策が一段落する内に町の人口は落ち着き始め、その後の旧村民と新住民の人口比率は新住民が逆転してしまった。

という事は、旧村民だけの人口構成だったなら人口減のスピードはかなりのもので、高齢化ももっと深刻なものに

なっていたかもしれない。また別の見方をすると町や地域に根付いて来なかった人たちが増え、従来からの慣習や

伝統が継承されなくなり、町のIDが失われつつあることをも意味し、町の名は残るが中身は別物になってしまう

可能性もある。

功罪は別として切り札のはずの私たち住宅団地の住民も、いつしか歳を重ねて40年が経過してしまうと気づけば

自身が高齢者の真っただ中にいる。子育て世代の集団だから幼少・中学生の数は100人を越えるほどで、本当に集

団登校の姿を見ることができた。人数が多いから何班かに区分けして上級生が下級生の面倒を看ながら、雨の日も

雪の日も学校まで歩いて行っていた。団地内の行事も盛んで運動会、遠足、盆踊りなどの他に区別のレクと、年中

ワイワイと言いながら忙しくしていたものだ。

綾小路きみまろの台詞ではないが『あれから40年・・・』

当時の児童たちの大半は親元を巣立ち、別の地に居を構えた結果、年老いた両親はこの団地を終の棲家と考えてい

るのではないかと思う。今日は自治会の総会。この1年間勤められてきた役員、来年度の役員から出る言葉は『年々

よる年波に・・・』が多くなり、周りを見渡せば共白髪ではないが頭の白くなった人、薄くなった人ばかりになり、

老老介護ならぬ老々世話役で相身互いを補い合うことをせざるを得ないことを本当に痛感した。

しかし、住んでいるのは若い世帯の人たちもいる。年寄りが多いのは事実だが、物事を後ろ向き、消極的に取り組

む姿勢ばかりでは、これから自分たちの時代を築こうとしている若い人の元気を削いでしまう。老害はあってはな

らない。出来ることに限りはあろうが、年の精で負への道に転げていくことは避けたいと思う。


『回想旅行記、コンヤ』

2014年03月29日 17時26分57秒 | 旅行

 

コンヤでの観光は事前調査の結果からも期待できるものではなさそうだった。メヴラーナ博物館は旋回舞踏で有名なメヴラーナ教

団の創始者に関するものが展示され、私には眉唾のイスラム教の預言者ムハンマドの髭が保管されている小箱が展示してある。

宗教に関するものを信じる、信じないは自身の選択で信じないことは冒涜ではない。

確かに箱はあったが中身は見ていないから何があるのか知らないし、仮に何かを見たとしても、それがムハンマドの髭と説明されて

も・・・。

博物館で見学をしてからは、只管(ひたすら)にパムッカレを目指して約400kmの長距離ドライブをする。途中のトイレ休憩で立ち寄った

ドライブインには土地ならではものが販売されているから、そんなものを目敏(めざと)く見つけた人が短時間休憩を有効に使える。

トルコは農産物が豊富で特に果樹類の加工品は種類も多いし値段は安く感じた。ここで立ち寄ったドライブインには日本ではお目に

かかれないザクロのジュースが売られていた。大きなザクロを専用の機械に挟み、押しつぶして果汁を搾り出す。赤ワインのような色

の果汁は見た目と違って割とあっさりした味だった。日本でザクロのシーズンは秋だと思ったのだが、ここでは3月なのに未だ旬のよう

だ。ドライブインまでの道中に落葉樹の果樹園らしきものは沢山見られたが、いずれの木々も既に裸で新芽をこれから出そうとしてい

た。それなのに、ここには大量のザクロがジュース用として、どこかもっと暖かい所から来たものなのか、長期保存されたものなのかが

確保されていて新鮮な生ジュースを提供している。こうしたドライブインは有料トイレ、コンビニ、土産物屋、カフェをコンパクトにしたような

所で、トルコのように駄々広い国をバスで移動するにはなくてはならないものだ。

特にトルコの移動手段はバスしかないと言い切れるほど公共交通はないから、観光客にとっては大袈裟に言えば命綱のようなもの

でもある。

                                ザクロジュース

                       店員の前にある機械で搾り出す


『今度はみんなの党』

2014年03月29日 17時25分39秒 | 日記

政治家の力量は攻める時のパワーではなく、攻められた時いかなる術を駆使してピンチを凌ぐかにありそうだ。そ

れは白を黒だと攻められても相手の手の裏をかき結果として白のまま押し通せるかどうか。東京都知事だった作家

猪瀬直樹は徳洲会から借りた金が選挙費か生計費か、たったこれだけのことを説明し切れずに折角当選していたの

に辞めてしまった。この場合は最初から嘘をついていると思われるのを突かれて防戦してみたが最後まで嘘をつき

切るパワー不足だったことになる。つまり政治家としての力量には問題があったと判定される。以前も、猪瀬問題

の時にも『政治と金』の説明責任を厳しく追及していた一人にみんなの党の渡辺代表がいた。ご自身の身辺には火

種がないからこうした不埒(ふらち)な輩は許すべきではないと正義感に燃えて、普段から歯に衣を着せない人だか

ら、こんな時は格段にこき下ろした。と世間には映って欲しかったのだろうが、火の粉が飛んできた。

一体誰だ、余計なことばかりして、類焼するではないか。

こうした場合の第一声は終盤を迎える時に決定的な矛盾を露呈することになるから軽々に語るべきではなさそう

だ。過去に失脚した人のケースの殆どが陥るドツボコース。

さて、金を借りた方は『選挙以外の活動費、祭りの熊手・・』と何やら理解に苦しむような説明は猪瀬問題の時と

似て非なるものなのか、同じ穴の貉(むじな)なのか、貸した本人は『選挙資金』と明言している。どうも、今回は

今までのパターンと少し毛並みが違うようだ。

選挙資金だ、生計費、活動費だとワイワイ始まる前に早々と、貸した側が『選挙』と言ってしまったから借りた渡

辺代表は1日もしない内に、金の趣旨について嘘ではないかと追及されそうな展開になった。

ここから、あの歯切れのいい口は、粘り腰を発揮させ『選挙資金のような活動費』と説明し世間を納得させること

ができたら『力量ある政治家』として認められるのだろうが。

それとも最初の一言で返り討ちにあってしまうのか。これから、幕が開きます。古今東西・・・・・と囃し立てて

いたのに、いきなりの千秋楽か。


『回想旅行記、カッパドキア~コンヤ』

2014年03月28日 18時01分50秒 | 旅行

 昼食は洞窟を利用したレストランで内部は意外と広く、100人近くは収容できる。内陸部を代表するような魚料理、鱒のソテーがメイン。

日本で鱒を食べるケースは滝の近くにあるそうめん流しと同居している釣り掘りで仕方なく釣れた『鱒の塩焼き』くらい。

ここの料理は多分、オリーブオイルでソテーしたものにほんの少々、塩を振っただけのものだから、塩鱒でもない何とも締まりの悪い味

付け。おまけに熱々ではないから、ここで食べるのは初めてなのに食傷気味となり魚の姿は出された時と余り変わっていかない。

テーブルに座っていると何やら大きなタンクを担いだ人がテーブルを回っていた。背中に担いだタンクのワインをお辞儀するようにして

グラスに注いでいた。ご当地のエフェスビールまたはワインを注文するのだから、ここではこの兄さんの売るワインを頂いてみようと注文

する。呑んでみれば何てことのない赤ワイン。物珍しさ溢れる洞窟レストランで昼食を摂り私たちに全く不要と思われる、トルコ絨毯の

製造、販売所に連行される。魚釣りと同じで最初にまき餌を蒔き、誘いをかけて一気に釣り上げる。絨毯を見せる前にジャスミンティ

ー、チャイを振る舞う。

やがて、口先だけで生きているようなセールストークに長けたイケメンの店員が説明を始める。絨毯の上に座らせて足ざわり、手触りを

実感させてここの商品が偽物ではなく、純正のトルコ絨毯であることを納得させようとしている。ウン百万円のものを次々と無造作に

広げて、之でもかと言うスタイルだ。若い男の人が玄関マット用にと数万円のものを購入していたが、私たちはお茶を飲んだけれど心

は微動だにしなかった。

コンヤに迎う途中、昔キャラバン隊が立寄宿としていたスルタンハンに寄ったが、時間の関係で外側からの見物のみだった。キャラ

バン隊に興味を持っているのでもないし、歴史的な興味をそそるものは全くない場所だから、こんな所に寄ることもないのに・・・・と独り

言。コンヤの近くに来るとすっかり陽が落ち時間的にはラッシュアワー。カッパドキアを出てから道中は畑ばかりで大きな工場はおろ

か、小さな集落さえ疎らなものだったのに、急に車が湧き出しコンヤ市内に吸い込まれていった。何処から来たのだろうかと不思議

な光景だった。ラッシュと言っても身動きが取れないようなものではなく、日本ならば地方都市の軽いラッシュ程度だが、それまでの道

中からは全く予想は出来なかった。

 


『季節の移ろい』

2014年03月28日 17時54分36秒 | 日記

寒い、を連発していたのにすっかりと春めいてきた。ここのところの晴天を見逃さず、小出しの外仕事は間伐、そ

の枝葉の始末、畑の草取り、いずれもキリのない仕事だから多少の優先順位により小出しとなっている。山小屋周

辺の日照対策として間伐を進めている。苦労して倒しても劇的な変化を観ることは少なく大抵はちょっと明るくな

った感じがする程度だから、長期戦を覚悟と続けている。

下から尾根筋を見ていたら木々の間に白い辛夷(こぶし)の花が咲いていた。木を切っては何度も見ていた場所なの

に、いつの間にか冬から春へのバトンタッチ係り、辛夷の存在は判らなかった。下界の人間は暑いの寒いのと騒い

でいるが季節はそっと静かに移ろうものらしい。

山小屋の周辺の桜の蕾も膨らみ微かに赤みがかかった色がはみ出しそうになっている。昼間の畑では中袖シャツで

も暑いくらいの温度になっているから、こうした桜たちの開花も一気に進むかもしれない。


『回想旅行記、カッパドキアⅡ』

2014年03月27日 18時51分17秒 | 旅行

ベリーダンスに同行のナヨナヨ男子たちは、熱気球のカッパドキアツアーにも参加すると言っていた。添乗員の熱気球ツアーの説

明によると、早朝に出発し天候具合を見て飛び立つか否か決める。風向きによって降下場所は定まらないので地上と無線で連絡

を取りながら降り場所が決まり、自動車で迎いに行くから時間はアバウト。着陸時にゴロゴロと転ぶようなこともあるので注意を要す

る。歳をとってから高所恐怖症になってしまったから、金を払ってまで恐怖を味わうことはないし、仮にタダの事だとしても不参加は決

定の熱気球ツアー。しかも値段は結構いいもので1万円ちょっと、お金以上に身の危険を回避。

幸か不幸か当日は風が強く、ツアーは中止になった。若い人たちばかりのツアーだから『ツアー中止になったので返金します』の声

に中止になったことを残念がるよりも、お金が返されることを大変喜んでいた。

カッパドキアは地上にある奇岩、地下に都市空間と視点の全く違う性質を持つ観光地。しかも地下都市は正確には判らないが200

から400くらいあると推定され、其々が連結され収容人口は100万人以上にも及ぶ。地下都市の駐車場着いても何があるのか全く

分からない、それは見どころが地下にあるから仕方のない事。地下に潜り込んだ理由は迫害から身を守るためのものだから、地上

からおいそれと分かるようでは地下都市の意味はないから尤もな事。

入口までは変哲ものない土産物屋が両サイドに並び、髭を生やした無骨そうな男たちがしきりと客引きをしている。トルコはイスラム教

の国だから女性が人前で物売りや接客をするのは、ごく稀なケースでしかないようだ。添乗員の旗について入口に来るとここだけは

現代的なエントランスになっている。

地下は何層にもなっており私たちが訪れた所は1万人以上の人が暮らしていたその一角。住居だから人の暮らしに必要なものは全

て整っている。地下というハンディーの克服のための安全・安心対策も練られている。換気の問題は死活問題、トイレなど衛生面は

快適さの確保、外から攻められた時の防護対策など小さな国と同じ事柄が地下には詰まっている。

背に腹は代えられない事情でこんな環境下での暮らしを思うと、単に大変だったとなんて言葉では済まない苦労が偲ばれる。ただこ

の辺りの冬は厳しいが地下の温度は一種の暖房効果により和らげられるから地上よりも省エネの生活に適している。

小柄な私たちでも狭い通路の上り下りは窮屈なのに、大柄の人にはもっと不便さを感じていたろう。狭くすることで動きを封じる、不便

さの代わりに敵が攻めて来た時、相手を仕留めやすくすることを得ている。

こんな中で暮らしていると足腰が丈夫になるし、太っていると通路を通れなくなるから確実にダイエットできるのではと思った。1時間ほ

どの洞窟歩きで結構クタクタになり外に出て澄んだ冷たい空気が美味しく感じた。土産物屋はお守りの大安売り合戦をしている。

原料は粗末なプラスチックに安価な飾り紐だから原価は知れている。だが、お守りナザール・ボンジュウは恭しく売らねばと言っていて

も売れないから、ここでは30個で1,000円とか違う店では50個で1,000円なんて投げ売りのような乱売。

 

 

 


『大変!ガソリンの大幅値上げ』

2014年03月27日 18時44分02秒 | 日記

4月1日から消費税が8%になり大抵の物価は3%の値上げ、それなら増税前に買い溜めは何をしたらいいのか、

TVで色々とレクチャーしている。定番のトイレットペーパーを始めとする消耗品、嗜好品などは値上げ後に特売

日の目玉にすることが多いから、家電なんかの大物を買えばいいとか、こんな調子でやっている。

『ふーん』と高をくくって観ていたらガソリンは消費税の他に地球温暖化対策の何たらかんたら税も4月1日から

上がると説明を始めた。今まで何度もレクチャーを受けた中にこれを聞いた覚えはない。しかも増税額は1ℓ当た

り5円くらいになるというから、『ふーん』では済まされなくなってしまった。

田舎に行けば行くほど自家用車に頼らざるを得ず、それでなくても円安の関係で高止まりしているガソリンの値上

げは精神的にかなりきつく感じている。100ℓ使ったとして500円の値上げと考えればそんなに大きくは思わない

が、為替の関係で数10円の値上がり後のことだから、この先に天井知らず状態が来るのではないかと心配になる。

増税によるアベノミクスの腰折れは少なからずあると思っているが、基幹エネルギーの価格がこうも不安定だと、

予想よりも大きな影響があるかもしれない。さりとて、庶民の打つ手は『雪隠(せっちん)詰め』に遭った時の『糞

手』くらいしか残されていない。明日、車を満タンにしておこう・・・・・・


『回想旅行記、カッパドキアⅠ』

2014年03月26日 17時24分00秒 | 旅行

突然、削られ丸くなった岩が見え始めカッパドキアの中心地に近づいてきたことを予感させ、暫くすると添乗員が下車の準備を促す。

到着しバスを降りるとそこは高台になっていて、眼下には写真で見た奇岩群が全視野を埋め尽くしていた。そして岩の中ほどには窓

なのか戸なのか知らないが四角の穴が開いていて、今でも人が使っている岩屋のように見えた。

ここの谷には色々な国から観光に来ている人も多く、其々がお気に入りの場所で写真をとることに夢中になっていた。私もパノラマ

機能を利用してギョレメ国立公園の谷を撮影。岩の軟らかい所が浸食され硬い部分だけが残された結果が現代に見る、奇妙な光

景、元々は柔らかい地層の上に硬い地層があっただけなのに、歴史という芸術家が時間を使い作り出した芸術作品だ。グランドキ

ャニオンは壮大な荒削りの作品とすれば、ここは何の意図を以て削られた作品と言えよう。

すぐ横のお土産屋に入ってみるが写真、きのこ岩、ラクダ岩など奇岩をモチーフにした粘土細工、目玉のお守りナザール・ボンジュ

ウが所狭しと置かれている。トルコアイスの店は客が増え俄然やる気を出し所作はオーバーになり、喜んだ客が飛びつく。妻もその一

人に加わり、延びる延びるクネクネ・アイスを手にしてご満悦。

このスポットは所謂、絶景ポイントでカッパドキアの代表的な場所の一つでもある。写真タイムを終え奇岩が近くで見える場所に移動し、

ここで少しだけの写真タイムをとり本日の団体行動は終了となりホテルで食事を摂る。食後、私たちはベリーダンスのショーを見ること

にしていたので、その会場に連れて行ってもらう。OPツアーで出かけたのは私たち夫婦とナヨナヨした男子2人の計4人、ショーを観

ながらワンドリンクのサービス付きのはずだった。ところが、テーブルに720mlのラクという40℃くらいの酒がついていて、これがワンドリ

ンクらしい。ほんの少しだけ口をつけたが、強くてとても飲める代物ではなく、私はワインを別注する。ショーが始まりトルコ美人が民族

衣装を着て国威発揚のような勇ましい踊りを踊ったり、例のクネクネ・ダンスで盛り上がって来た。私たちの後のテーブルにいたグル

ープは踊りの途中でラクを飲み干していた。私たちのテーブルでは飲まないからそれを渡すと、ニコニコしてThank youを連発してい

た。

 

 


『吉報or忌報、汚染水対策』

2014年03月26日 17時23分09秒 | 日記

汚染水を一時保管するタンクの製造問題、運用管理の問題などでタンクから溢れ出し土壌汚染、地下汚染を繰り返

している。ALPSは汚染水対策の切り札として稼働していると思ったら、故障して除染済みの水を再び汚染させて

しまったとの報道、汚染水を巡る問題の根の深さ。

根本の汚染源の問題は確かに根は深いだろうが、今目前で起こっていることの殆どはケアレス・ミステイクスであ

り、きちんとした会社なら社員がもっと一丸となって、こんなに問題は起こさないと思う。労働力としてかき集め

られた人たちの雇用主や東電に対するロイヤリティーの低さがこうした事の根底にあるのではないかと邪推して

いる。

東電が原発の地下水流入、汚染水の増産で喫緊の課題としていた事に一筋の光明が見えてきた。原発地下に流れ込

む前に地下水を汲み上げて、それを海に放出するという対策。原発地下の手前だから未だ汚染されていないから海

に流しても何ら問題は生じないはず。この申し入れは一年くらい前に地元の漁協に対して行ったが、漁協は是非を

言うべき当事者ではないとして回答しなかった。地元漁協の東電に対する信頼など有はしないから、こんなそっけ

ない回答になったのは残念だったが、漁協の心境を理解できた。東電のために酷い目に遭いながら何度も信頼失墜、

失態に対する漁協の想いでもあったろう。汚染前の水だから確かにきれいであろう。しかしそれを信頼されない東

電や国が『安全』と説明するから、本当のことであっても嘘に聞こえてしまう。

挙句の果てには『そんなに綺麗な水なら東京湾に流せ』と声を荒げた人もいた。

汚染前の水で綺麗なはずなのに本当は少しだけ汚染されているのではないかと不信に思わなくはないが、それは

全くないとして考えることにしている。確か東電産原発汚染水は400㍑/日の量で今回の対策をすれば300㍑/日の

減産が可能で従来の1/4に減らせるから、保管場所の問題にも大きく貢献するが、全体の対策が大きく前進する訳

ではないにしても、汚染水処理の前進は廃炉対策の足がかりをつける意味からも重要な一歩になりうる。

漁協は受け入れる条件として『風評被害対策』をあげている。

この問題に何度も噛みついているが、本当のことを言って打つ手はないと思う。口先だけの復興を望む声、行動は

それと逆の人間が多いこと、それを何の術を持たない国や東電に言ったところで『最大限の努力をします』と答え

た、舌の先が乾かない内に忘れてしまう奴らばかりだから。だが、きちんと釘を刺しておかないと『そんなこと聞

いていない』と言いかねない。今でさえ風評被害に悩まされているのに、今回の対策で更に悪化を招く忌報でなか

ったと言えることを祈るのみだ。


『回想旅行記、ハットゥシャス遺跡』

2014年03月25日 17時35分53秒 | 旅行

早朝の起床、荷造り、朝食、あわただしくホテルを出る。250km先の世界遺産のハットゥシャシュ遺跡を目指す。

この日は遺跡を観てから更に200kmのカッパドキアに移動する。ホテルを出る時、未だ朝霧に包まれていて50m先

は真っ白状態にある。

太陽は上がっている時間なのに放射冷却の関係か、残雪の上に遅い霜がたっぷりと注がれたそんな感じだ。暫く走

ると集合住宅が何棟も建っている。道すがら個人住宅も建っているが疎らで日本のように密集していない。

アンカラからハットゥシャシュまでの道のりには、ここぞ異国の風景が連なる。ちょっとした町並みを外れると畑

地が延々と続き、小高い場所には小岩がゴロゴロしていた。全体的に平地の連続で水平線の彼方に高い山らしいも

のがかすんで見えるくらいで高い構造物は殆どない。変化が少ないから面白くはない。ちょっと寝ては目を覚ます、

やはり同じような光景を繰り返しハットゥシャシュ遺跡に到着。遺跡は少し小高い丘のような場所でバスが上がる

度に雪の量が増えていった。白い雪に被われた遺跡は写真で見るよりも素敵な光景だ。雪はあるが岩に掘られた像

などは、きちんと見ることができた。同行していた女子大生の誰かが遺跡の上に小さな雪だるまを飾っていたもの

が妙に可愛げで、カメラや携帯を向ける人が多かった。

一面の雪で全体が真っ白になっているから、雪が無ければ他の遺跡物をみる事ができるのか、いずれにしても雪で

被われた遺跡を見な機会はないだろうから貴重な体験をした。

BC2500年ころから史上初めて鉄器を使ったヒッタイト人が作った王国の遺跡、日本の歴史とは比較できないほど古

く、そんな時わが大和民族の祖先はなん何処でどんな暮らしをしていたのだろうかと思いを馳せる。トルコの歴史

に残る史跡は時間的な事、規模の大きさから常にその疑問と隣り合わせだった。

遺跡を見学してから奇岩で有名なカッパドキアにバスを走らせる。2時間に1度の割でトイレ休憩、ドライブインのよ

うな店に立ち寄る。ドライブイン直のトイレは無料、時々あるのが別棟になっている有料トイレは50円くら

い、有料でも日本の公衆トイレの方が綺麗。見るものはなく、用意していた地図と睨めっこをして方向と大体の市

を知ることに夢中になっていた。

 


『何の意味があったのか大阪市長選挙』

2014年03月25日 17時34分34秒 | 日記

人気に陰りが見え出した橋下市長が打ち出した起死回生の策は、舞台に上がる人がおらずしかも満席の三割にも

満たない観客。既成政党がこぞって対立候補を立てないから、挑発的な言葉を吐いたものの、ここでも笛吹けど踊

らずとなり選挙結果は最初からみえていた。

選挙は立候補しなければ何も始まらない。橋下前市長は立候補した。言い方は失礼だが他は泡沫候補だと新聞な

どの論調。選挙は実施され投票結果から橋下新市長が30万票あまりの得票で目出度く当選した。

選挙で選ばれたのだから目出度いと思うが、本人は本当にそう思っているのか聞いてみたい。当確が報じられた時

に選対事務所で『万歳』をしたのかどうかもしらない。誰も望んでいないのに『大阪の都構想の是非を問う』と勝手に

辞職して選挙をしてしまった。選挙で勝ったからと言って何が動き始めるのだろうか。身内の石原代表からも『大義

なき選挙』と言われているくらいだから、身内以外の人には余計に理解しがたい。

自治体の長は独裁者ではないのだから、自分の思いだけで無駄な経費、権力を使うべきではないと思うが、こうで

もしなければならない理由があるのだろう。橋下市長のデビュー当初、庶民の代表のように単刀直入に物を言う姿勢

に共感する人が多くいた。私も全面的とはいかないにしても溜飲を下げるような物言いを何度か聞いている。

関電の原発再稼働容認の頃から雲行きが怪しくなり、以後は私の頭の中から橋下市長への共感という言葉が消えて

しまった。それでも新しい大阪市長としてすべき課題は多いだろうから、とりあえずご活躍をお祈りしておこう。

 


『回想旅行記、トルコ着』

2014年03月24日 18時13分06秒 | 旅行

昼食をとり再び機上の人となりトルコに向かう。離陸して直ぐに人工の町であることをみる事ができる。海岸線は

埋め立てられ護岸工事されているから全てが直線的で、日本のように自然の線になっていない。そして、ここにも

砂しかない。昨晩は機内で寝付かれない中、多分少しはネタのであろう。今朝は早くから結果的には退屈な市内観

光、昼飯を食べゆっくりと機内で過ごせば自然と睡魔が襲ってくる。今、しっかりと寝てしまうと今晩の睡眠に影

響がでるから、適度にと寝ない方向で頑張ってTVの録画を観たりし手時間を過ごす。

夕方近くなり窓の下を覗くと山々を白く染める雪のような光景が続いていた。離陸してからサウジアラビア、イラ

ク、シリアの砂漠地帯上空を飛び、アジアとヨーロッパのつなぎ目になる山岳地帯に到達したようだ。

アンカラ空港と言うが正式にはエセンボア空港に到着したのは、もうすぐ陽が暮れる夕刻でホテルに向かう僅かな

間に真っ暗な夜模様になった。

松江から梅田まで道中、一番高いところ蒜山近辺は未だ雪が残っていた。ホテルに到着後、直ぐに夕食の時間とな

りホテル内のレストランで初めてのトルコ料理を食べる。バイキング形式でジャガイモ、ラムや牛の細切れなどの

煮込み、ハム・ソーセージ系、スープ類、サラダなど種類は豊富だが、どんな味の料理か判らないので少しずつ取

って味見しながら食べる。

食事のお供は水からワインまで有料。トルコの物価は高いと聞いていたがワインはグラス、現地のエフェスビール

で15TL 、750円くらいしていたから日本より高かった。以後、食事の度に示される値段はこれと似たり寄ったり

の高値安定だった。好みは其々だから、決めつけることはできないが、トルコ料理は全般的に日本人の口に合うと

思う。食事をそこそこに風呂に入り、翌日からのバスによる長距離移動に備える。

この旅、毎日ホテルを変わるから荷物のご開帳を最小限にして、忘れ物の防止に努めることも一つの課題だった。

 

                   トルコ近くの機内から

                  エセンボア空港到着


『草取り戦争の始まり』

2014年03月24日 18時10分05秒 | 日記

春に3日の晴なしと言う人もあれば、晴が3日も続いて慌てて畑に引き込まれた人、これはいいと何処かに出かけ

た人、春には人の動きを感じる。天気が良ければ戸外での作業と、昨日までは山の環境整備で間伐に励んでいたが

イチゴ畑の草を見た途端にスイッチは山から畑にターンオンしてしまう。

イチゴの苗が草に覆われて助けを待っている状態。近年は昔と違い外来種の雑草が蔓延(はびこ)り、外来種だけの

コロニーと在来種とで住み分けをしている。結果的には住み分けになっているが、元々は在来種だけだったのだか

ら、外来種に陣地を取られ始めて来たことになる。それ草どもの強い事、すごい繁殖力で私の感じではここ数年の

間に見慣れた雑草になった。

私でもこんな具合だから、元から農業している人に言わせると『今まで見たことのない草ばかり目立つようになった。

タンポポなんてみんな黄色に変わり在来種の白は殆ど見かけなくなった』。こんな風な話し方をされる。

昔は鶏の餌にしていたヒズリ草は相変わらずの繁殖力で外来種の横で陣地を取られまいと頑張っている。私たちに

は有り難くないものだが日本の自然を形成したり守るために何かの役に立っているだろうから、そんな目で見るよ

うにして文句を言いながら草取りに励む矛盾に満ちた畑仕事。

イチゴの苗は昨年の秋に古い株から出た新しい苗を植え付けておかなければならせなかったが、横着して少ししか

株分けをしていない。だから今年は新旧の苗が入り乱れたイチゴ畑になっているから収穫の方はどうなるか全く分

からない。今は草むらからイチゴの苗に太陽の陽が当たるようにしてやることが先決、草に向かって突撃・・・・・


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