食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『恒例の鰤捌き』

2013年12月31日 17時58分03秒 | 日記

昨日は餅つきの流れから忘年会に突入しお酒を頂いた。途中で居眠りをしていたらしい

が目を覚ますと鯛しゃぶの真っ最中。私も参加してまた酒をチビリチビリ。

朝はとても冷えており道は凍ってバリバリと音を立てている。山小屋に出かけストーブに火

を入れ部屋を暖める。この間に千両を取りに行ったり何やかにやと忙しく動き回る。

鰤を捌こうと準備を始める。箱の大きさ重さからかなりの大物とみていたが、箱を開けてビッ

クリ仰天。1時間もあれば片付くと思って捌き始めたら結局2時間近くかかり、昼を遠に過ぎ

ていた。以前は3枚に下ろすのに背骨の周りは包丁を幾筋も入れるからガタガタになり、ア

ラには立派な身がついてしまい悲惨な姿に。何回もこんなことを繰り返す内にどうにか上手

く捌けるようになった。頭も大きいので包丁では割れない。

電気の丸鋸で切ったこともあるが身が飛散して鋸が生臭くなるのでお勧めできない。手鋸で

切断するのが仕上がりもいいし手頃だ。捌いた身はブロックにしたままラップをかけ、フード

セーバーで真空パックにして保管しておく。手で空気を抜いて真空に近い形で使う袋があ

る。これでもある程度の保存は可能だがフードセーバー式のものだと半年くらいでも平気だ。

竹で刺身用の器を作り、下に敷く笹を取って帰り外での今年のワークを終了した。

今日のような毎日の積み重ねが1年になり、昔風にいうと『また一つ歳をとる』となる。病気を

して健康の有り難さを知る。原発が故障して恐ろしさを知る。どれもこれも知っているはずな

のに本当は理解していないようだ。それでも、戦争をして平和の有り難さを知ることのないよ

うな年を迎えたいものだ。

 

今年も拙いブログにお付き合い頂き有難うございました。

  新年が皆様にとりまして、いい年になりますようお祈りいたします。

 

 

         軽トラの荷台ほぼ一杯の大きさ

 

            重さ10kgくらい

          竹で作った刺身皿と敷笹

 

 

 


『年の瀬の小言』

2013年12月29日 17時47分49秒 | 日記

少しずつ正月準備をしてきた。年金暮らしの身に特段の正月準備はないにしても、気に

なることを思いつきやり終えると、次々と避けては通れない少路に入り込んでしまう。

寝床で一日を振り返り何か纏まった事を遂げたのかと思いきや、大したことは何ひとつな

い。そんな小さな事をバタバタとするのが正月準備ということになる。

その一日、炭小屋、門松立て、餅つき準備、畑に野菜採り、竹箸作りと細切れ仕事で立

ったり座ったり、忙しい事・・・・師走でんな

東京オリンピック招致の祝賀ムードの流れで2014年を迎えようとしていたのに、支持率が

高いことを誤解した総理大臣が国内、国際社会に冷水を浴びせてしまった。ニュースが

世界中に広がっていくに従って、非難の輪は大きくなり最強の友好国アメリカからは失望

談話、EU、東南アジア諸国からも問題視する意見が噴出してきた。浮かれていた坊ちゃ

んは一転して奈落の底に自分から落ちたようだ。一人で落ちてくれればいいのに無類の

駄々っ子だから国民まで一緒に連れて行こうとしているのか。

私たちはブルーになってしまった。いい正月になるだろうと張り切って大好きな靖国神社

に参った総理の心中は『靖国に参ったが、参った』としょんぼりしているのか、相変らずの鈍

感で『いい正月になりそうだ』と張り切っているのか。

こういう重要なことは秘密保護法で守秘される。

庶民はこんな馬鹿な事に付き合うほど暇はないんだ、安倍君。


石の国、クロアチア

2013年12月28日 18時03分02秒 | 旅行

バスから眺める風景を観察していて気付いたことは、国全体が石ころ、岩盤で出来ている

のではないか思うほど石が露出しており、人が暮らしていない場所は顕著に現れる。

日本の山は荒廃して手が付けられないほど緑で溢れている。しかし長野県の山合に行くと

岩山で木々は極端に少なく背丈も低いものが多い。この様子の延長線上にある風景がク

ロアチアにも連なっている。山の尾根に『我はここにあり』と根を張り立ち尽くす大きな木を、

ここでは1本すら見かけることはない。どのような地盤になっているのか知らないが、岩との

関係は海岸線にも見られる。極端に言えば山の裾野が海になっているような地盤ではな

いだろうか。

長い年月をかけて岩が風化し風に吹かれ吹き溜まりになった場所に土がある。山も同じで

少しずつ土が溜まり木の芽が出て、土が溜まり易くなりそうした環境が徐々に広がりつつあ

り、それは今も長い将来にも続いていき、いつしかの世に緑溢れる山になることだろう。

そんな気の長い時の積み重ねの先にあるものを想像させる土地柄である。

石の多い風景はトルコ横断の旅でも経験した。山岳地帯はクロアチアよりもう少し風化が進

んだような状態で、石の大きさは小さかったように思うし、何より土に近い石ころが多かった。

遠目に見ると石の山が白く見え、時として雪と見違うこともある。夕暮れ時、山道に入り走っ

ていた。窓の外を見ていると白い石がゴロゴロしていて雪のように見えるが、どうも石のよう

だった。段々と高い所に登っていくとどうも雪に間違いなさそうに見えるが、石と言われれば

石に見える。そんなはずはない。全体が白いから雪だった。

下って行き里に出た。同じような光景で雪かと思って見ていたら雪ではなく石だった。

昼間でもバスの中からだと見誤るほど石がゴロゴロしている。

畑地を開拓するにはどうしたらいいのだろうかと、要らぬ心配をする。任意の場所を掘り返

せば必ず石が出てくるに違いない。石を取り除いてしまったら土が少ないだろうから客土を

しないと畑地には成りえないだろう。元々、土が少ないだろうから畑地を作るのにも大変な

苦労があったに違いない。そうした過程で掘り出された石が並べられたり、積まれている畑

地を見かける。しかし、人家の周辺ではそうした石の特徴を見ることはない。ごく普通の土

の上に家が建ち、中には石垣で造成された土地を見るくらいだ。


『中雪』

2013年12月28日 17時51分16秒 | 日記

雪が積もる夜はいつも静かだ。昨晩、寝る前には異変を感じなかった。今朝、目を覚まして

ビックリ、隣の屋根は北向きだから30cm弱はあろうか、庭木に大きく地面に顔をつけようとし

ている。車の少ない通りだからかすかに轍(わだち)の跡が残っている。

今、炭焼きの当番で先日からの窯のコントロールをお手伝い、そのため少し奥にある炭窯ま

で行かなければならない。この辺は500m単位くらいで雪の量がドンと増える。

窯の近くは路面でも30cmはあるが雪質は湿っぽいので、案外早く溶けそうだ。

その後、町内の幹線は雪かき自動車が走ったので交通に支障はなくなった。問題は今日溶

けた雪が明朝に凍結することが怖い。

炭窯に行ったり来たり、山小屋で魚の捌きをしたりと爺も年末の忙しさと闘っている。

 

 


Pula 円形劇場

2013年12月27日 17時33分20秒 | 旅行

『イストラ半島、プーラⅡ』

思い思いに写真やビデオを撮りながら円形劇場を後にし、石畳が敷かれた路地を歩き

大聖堂を通りアウグストゥス神殿にやってくる。私たちに馴染のないアウグストゥス皇帝に

捧げられ紀元前2世紀から14世紀にかけて建てられてきた。時代とともにその役割は変

化していき、教会になったり倉庫に使われたりしてきたが1944年爆撃で完全に破壊され

てしまったものを再建した。

神殿と併設されているのが市庁舎、ヨーロッパの公共施設の中にはこうした歴史的に古

い建物を上手く活用している。それに付き物は広場である。

入り組んだ路地を行くと急に開けた場所に出くわすことがある。そうした場所には必ずテ

ーブルと椅子が置かれた屋外カフェもつきもので、少々冷たくても日差しがさす中でコーヒ

ーを飲み寛ぐ姿がよく見られる。見学を終え再び、円形劇場に戻って来るとトイレタイム。

ドライブイン、レストランなどのトイレは無料だが観光地などにあるトイレは有料が相場で

5Kn(約90円)くらいが必要。場所によっては、女性は有料、男性は無料なんて所もある。

今回のグループも女性が2/3以上占めているから、女性トイレはいつも混雑しているのに

男性陣は余裕綽々。

何処かのトイレで女性陣は列で溢れているのに、男性用は空いていたら係りの叔母さん

曰く『No men come here』と女性陣を男性トイレに誘導していた。

年寄りの婆さんが大半だからNo menは私の理解としてNo womenともとれ一人でほくそ笑

んでいた。

 

                 大聖堂

               ひっそりとミニスーパー

               アウグストゥス神殿

                市庁舎

 Pula 円形劇場


『懲りない日本のリーダー』

2013年12月27日 17時13分36秒 | 日記

私の政治的な期待は自分から求めないことが身に付いてしまっている。それでも日本の

立場や状況がおかしくなれば気になってくる。どうせ私の生活には関係ないと思ってしま

うと何もかも狂ってもいいことを容認することになるから流石にそこまでなってしまえと、

、思っていた猪瀬知事。ノンフィクション作家とは思えない事象の説明に墓穴を掘り、未だ

晩節とは言えない時期に過去の業績を汚してしまった。

そして次の知事を誰にするのか候補者選び、各政党の人選のベースになるものが『どの

人を推薦すれば都民の為にベストか』ではなく『政党の利益、影響力』になるのかになっ

ている。私は都民ではないから都知事が人気投票であろうが、どうぞご自由にということ

になる。首都が首都なら、副首都とも言える大阪市も私から見れば変わりばえしない。詭

弁を駆使し自論を人に押し付け諸外国からも顰蹙(ひんしゅく)を買っているのに、それす

ら気づかず裸の王様のようだ。国政に手を出したのはいいが、あれで政治的な影響を持

つ勢力になれるのか疑問だ。あの市長、何が目的で市長になったのだろうか。

ぐーんと、南に飛んでいくと、ここにもおかしげな首長がいる。ついこの前まで『基地は県

外移設』と声高に叫び、県民を動員して総決起大会まで開き、選挙公約はバリバリの

『辺野古移転は反対』だった。ジュゴン、ウミガメ、サンゴは死んでもよくなったのか、仲井

間知事。

結局、お金が欲しかったの? 原発立地の自治体と同じ体質でしかなかったのだろうか。

私のところの知事も金欲しさに原発再稼働の道を開いてしまった。

金のためなら真偽も問わず、信念も捨てる・・・

政府から札びらをヒラヒラさせられたら、『ご高配に賜り』とばかりにひれ伏してしまった。

沖縄県民よ嘆くなかれ、他の自治体も似た様なものだから。

ところがドミノは終わらない。

諸外国から日本と韓・中関係の改善を求められているこの時期に、一番シビアの靖国神

社参拝はないだろうと思う。元々、韓・中から信頼されていない安倍総理が『韓国、中国

には丁寧に説明すれば…』などと本気で思っているのか。私は多分、本気で思っていた

のだと思う。ボンボン育ちは苦境になると直ぐ尻尾を巻く、調子がいいと直ぐに強気にな

り上から目線になる、その典型的な人間だと思っているからだ。

まさか、アメリカから駄目出しを食うことになるとは、予想外だったのかもしれない。

日本は安倍総理一人のためのものではない。ここは北とは違うんだから。

そんなに靖国神社が好きなら、以前のようにサッサと総理を辞めて靖国神社に下宿でも

していたら?

国民が無関心にしていると、そうした人たちが取り返しのつかない日本にしてしまうぞ、と

私も無関心ばかりではいられない。


プーラの円形劇場

2013年12月26日 18時16分36秒 | 旅行

昨日は内陸部、昨晩から暫くはアドリア海沿岸の旅となる。内陸部との気温差は大きく最

高温度は13℃くらいになることがあり、昼間は過ごし易いが朝晩は多少冷えるものの、内

陸部のような寒さはない。

朝食を摂りに外に出ると少しひんやりとするが昨日のような身を切られるような寒さとは違う

から、着る物を変えないといけないようだ。レストランは7時から、年寄りが多いから10分前

くらいには大半の者がドアの前で待っていた。こうした時、年寄りの日本人は時間に律義

だから大半が揃う。それに比べて若い人は割と無頓着で集合時間にはいつも最後にギリ

ギリでやってくる。本日の観光はイストラ半島を巡る。プーラにある世界遺産、円形劇場を

目指して80kmほどの移動。

ホテルは海の直ぐ傍にあるが、これから半島内部を通り抜けて再び海岸に出ると目的地

プーラ。

バスが駐車する場所は海の直ぐ傍、ヤシのような樹が植えてあり南国の雰囲気はするが、

風が吹くと落ち葉が運動会をしているから、アンマッチな風景だ。

ここの目玉は1世紀に建てられた円形競技場または円形劇場とも呼ばれている処の見学。

イタリアのコロッセオ、トルコのエフェソスと比べてさほど大きいとは思えないが、この劇場

には23,000人の観客が収容できるそうだが、見た感じではそんなに多くの人が入るように

は見えない。昔はベン・ハーに出てくるような戦士が戦いの場として、家畜市場になったり

長い歴史を綴りながら現在に至っている。大昔に石作りされたものだが大地震に遭っても

倒壊することのない作りを、どのようにして編み出していたのか興味深い。現在はコンサー

ト、オペラなどに使われている。外から内部を見ることが出来るので、わざわざ中に入る必

要はないと思うが、その中に立つ自分と建物の大きさを実感することができる。

プーラの円形劇場

 


『しめ飾り』

2013年12月26日 17時52分14秒 | 日記

この辺りの年末の行事は山に『裏白』を採りに行くこと。尤も、旧家の話。

山に囲まれ住宅団地が沢山ある、この町は外様が在来住民を数の上で追い越してしま

っているのではなかろうか。町の入口付近に住宅団地が集まり、奥に行くに従って高齢

化率、限界集落予備が増えていく。町の入口は比較的、若い層が住み町外に勤め先を

持つから、こうした人たちは古くからのしきたりや行事には無関心派が多い。

この傾向は何処でも共通しているようで、自宅のしめ飾りすら飾られないから、自動車な

どもっての外だ。昔堅気の私などは高値の花、自動車には必ずしめ飾りをする。

ところが、この10年くらい前からだろうか自動車にしめ飾りをつける人は極端に減り、今で

は飾っている人の方が少数派になってしまった。

飾り終えたしめ飾りを焼いて無病息災を祈る『とんどさん』も、わが団地では参加者が少な

くなったことを理由に廃止されてしまった。

ゴミの収集日、ゴミ袋の中に捨てられているしめ飾りを見ると、なんと罰当たりなことをと、

私などは思うが、単なる飾りとして見ている人に取れば用済みの可燃物にしか思えない

のだろう。玄関に飾る本格的なものは買う人が大半だが、勝手口や車庫などに飾る輪締

めは自作の人が未だ沢山おられる。旧家の人たちの兼農が多いから藁仕事にも長けて

いる。鏡餅、田の神様などに裏白は必要だから、ボチボチと裏白採りが山に見参となる。

面白いことに、自分の山にも裏白はあっても山が荒れていて道も分からなくなっていると

か、良いものが生えていない等の理由により、綺麗で入り易い山に採りに行く。

どこの山主さんも心得たもので、そうした人が勝手に山に入り持って行っても文句は言わ

ないのである。地元の人が地元の山に入っている感覚なのだろう。

これが松茸シーズンならば大変なことになるのだろうが・・・尤も今は松茸も生えないから

何の問題にもならない。私の山に、隣の山にも良質の裏白が沢山ある。葉のギザギザが

一つも欠けていないもので丁度いい大きさを探すから多少の時間はかかるが、適度に陽

がさす木の下には良質のものが多い。これから暫くはお客さんが見えることだろう。


『束の間の晴天』

2013年12月25日 17時49分01秒 | 日記

世間ではクリスマス、我が家は子供が巣立ち遠の昔に卒クリスマスとなってしまったから、

イブであろうが当日であろうが関心外だ。日本人はこうした行事を何でも上手く取り入れ、

あたかも日本固有の行事のような顔をして季節の中に同化させてしまう。

こうした背景はコマーシャルベースからスタートしたものを若者が受け入れ、それが若い層

の家庭で普及していき広い層にも根付く形だ。

今年はホワイト・クリスマスにはならず午後からは晴天だった。私がクリスチャンなら『抜ける

ような青空に一筋の雲が流れた。ほんの一時、聖マリア様のお顔が見えた』なんて感激したの

かもしれない。この天気を待っていた。叔母さんの家の周りに枯れ草が残っていたので、そ

いつの始末をしたかったが雨、雪で待たされ続けていた。大変綺麗にとはいかなかったもの

の、大方のものは始末できたので、自分なりの区切りをつけられた。

本当は焼却までしたかったのだが、昨日までの雨、雪で燃やすに至らず。朝、昼、夕方と炭

窯に焚き木入れと温度チェックで出かけ、片つけ、魚捌き用の生板作りと細切れの行事で忙

しい1日だった。


『イストラ半島、オパティア』

2013年12月25日 17時43分55秒 | 旅行

今回の旅行も移動する時のためにグーグルマップを印刷してきた。尺度は10kmくらいだ

からかなり詳細なものだと思うが、それにしては書かれている地名は少ない。春先の旅で

は道路標識の道路番号、地名が地図と余り合わずアバウトな結果だった。スロベニアでは

高速道路の番号や地名は分かり易い方だが、地図には地名の記入が少なく大まかな場所

を知るのに役立った。道路標識と地図の確認をしながらバスの旅をする。これは私の旅の

しみ方の一つに定着している。

これが自分で計画し移動する旅ならこんな悠長なことはしておられないと思うが、添乗員付

きのお気楽旅行ならではだ。ポストイナ鍾乳洞の観光を終え外に出ると直ぐに日が暮れ、車

窓の景色を楽しむことはできなくなる。こちらに来てから感じるのは、日の出が遅く日の入りが

早いこと。天気のいい朝でも太陽が上がったと分かるのは大体7時半ごろ、天気が悪い日だと

まだ薄暗い感じがする。そして夕方4時30分頃から日が暮れてしまう。

暗くなったスロベニアからクロアチアのオパティアまで約60km、途中のドライブインでトイレ休憩

をとる際に一寸したお土産を物色する。晩酌はしなくなったが旅先の食事ではワインを頂いて

いる。ひょっとして夜に一口、飲みたくなることがあるかもと思い、果実酒のミニボトルを買ってみ

たが、最後まで飲むことはなくお土産の仲間入りをしてしまった。ホテルに到着すると前の通りは

少しだけクリスマスの飾りが施されているが、ここも全体的に暗い、日本が明る過ぎるのか。

ホテルの部屋は海側に面していて、洒落た言い方をすればオーシャンビュー、しかも小さなテラ

スがついておりテーブルと椅子も置かれている。夏の夜ならばここから遠くに見える灯りと海を見

ながら冷えたビールをキューっと・・・・なんて想像。

今は寒くて一刻も早く部屋に戻りたくなるから、テラスなんて無用の長物だ。

このホテルは大きいホテルらしく棟が幾つかに分かれており、レストランは別の棟にあり長い階段を

下り3~4分の所にある。いつものように白ワインを頼み、そんなに不味くはない夕食を頂きレストラン

を出た。すると、どうも1号車のグループの人とみられる方が

ホテルとは逆の方向に歩いて行こうとしていた。変だと思い声を掛けると、やはり勘違いをしていて

大事に至らなかった。多分、間違いに気付くだろうがあんな所で迷子にでもなったら大変だ。

                       ホテル前の通り、クリスマスの飾りで明るい方

           昼間はオープンカフェになるのだろうか


『ポストイナ鍾乳洞Ⅱ』

2013年12月24日 17時17分25秒 | 旅行

鍾乳洞には水や川はつきもので鍾乳洞を作る原点になっている。どこからやって来た

のか知らないが魚かサンショウウオの親戚か住みつき今でも生息している。水槽に保

護されており身体は細身のサンショウウオだが暗い所で色素は退化したのか白に近い

色をしている。大きさは15cmくらいだった。暫く歩いて出口に向かうとゴーゴーと大きな

音がし、10mくらい下を覗き込むと大量の水が流れている。日本では秋吉台や新見の

井倉洞などがこうした場所に該当する。しかし、ここのものとはスケールが全く違う。一

番大きな広場は高さが数10m、約10,000人収容できコンサートを開かれることがある。

鍾乳石が音を吸収してとてもいい音響効果が得られるそうだ。秋吉台の鍾乳洞は純白

のもの、乳色ときれいな色をしているが、ここのものは濃い乳色からい黄土色に近い感

じがする。全長は22kmあるらしいが実態は究明されていない。

この鍾乳洞はヨーロッパで最大級なのに世界遺産には指定されていない。余りにも人

工的に手を加えてあるからという理由だ。見学スタート地点までトロッコ列車、徒歩コー

スにはコンクリートで舗装、手すりなど観光客に優しい仕掛けがダメな理由らしい。

もし、そうした設備がなかったら一般客がこの洞窟の素晴らしさを目にすることは出来

ないことは確かだ。逆に言えば世界遺産でなかったから私たちも見ることのできた絶景

だと言える。それを裏付けるような話として、この洞窟は200年以上から知られていたが

中に入るのに案内人の確保、安全対策など貴族のような金持ちだけが楽しむことので

きる場所だった。中に入るのに灯りが必要で当時、松明や蝋燭などは高価なものだっ

たからレジャーで大量に消費出来る身分でなければ叶わなかった。入り口付近や絶景

ポイントはそうした灯りのススで黒ずんでいるところもあり、観光に保全などの観点はな

かった時代の産物だ。私たちは日本語の音声ガイドで案内を聞いていたが人間ガイド

付きのグループは英語で説明を受けていた。そこで『ここは5時30半に電気が消えます。

もし不幸にして取り残されたら、明日の朝まで待っていて下さい』とジョークを言い、笑

いを誘っていた。

この近くには鍾乳洞の口を開けている所を利用して、お城が建てられている。私たちは

時間の都合もあり、そこに行くことは出来なかったが、写真で見ると幻想的でありながら、

何故こんな辺鄙な所にお城を建てる必要があったのだろうかと疑問に思った。

 

   見難いが、洞窟内を流れる川、流れの調整用堰が作られている

          小物の土産が可愛らしく並べられている店屋


『国民が無関心の間に』

2013年12月24日 17時16分23秒 | 日記

国の在り方、これからの道などを国民が選択することのできる選挙。日本人なら成人にな

れば誰にも権利があり行使することができる。自分の考え方に近い立候補者に1票を託す

るが投票した人が当選しても、立候補の時に訴えられた様々な施策に力をいれるとは限

らない。昨今の政治家どもは公約だのマニフェスト、アジェンダなどと目くらまし政策を打ち

立て、有権者と約束しながら、当選してしまうとその瞬間に忘れてしまい、そして、約束もし

ないことを平気でする。

秘密保護法、集団的自衛権、武器輸出3原則、いずれも1内閣がそそくさ作り上げたり、変

更したりすべきものではない。其処には、議員の数が物を言い未熟な政治家どもが民主主

義の基本は多数決だけとしか理解していない、私たちにとっては不幸な事情がある。

国民が平成元禄で浮かれている間に、国民の意とは別のことが成されようとしている。原発

の再稼働しかり、東電の責任に目をつぶり民間企業援助のために税金をつぎこもうとしたり

探せばきりのない、国民にとって不都合なことが粛々と進められている。

そうしたことは幸いなのか不幸なのか円安、株高、デフレから脱却の気配などと景気回復を

感じさせるニュースの陰になり、国民の関心が大切なことが隠れてしまっているように思える。

如何なることになろうと、選択した人が無関心になった代償はいずれ自分自身にも返ってく

ることになる。


『炭焼きのスタート』

2013年12月23日 12時53分24秒 | 日記

先般、切り出した樫の木を炭木の大きさに切り、適当な太さに割ってから窯に立てる。

そして夕方に火をつけて3~4日後に炭木に火が回れば窯の口を閉じて、今年の作業

は終わりを告げる。夕方までに作業を終わり忘年会の予定が入った。これとは別に松前

漬けデラックスの材料を買っておかないと、値段が上がってしまうので、間を見て一走り

しておく必要がある。昼食をそこそこに午後の作業に出発。


ポストイナ鍾乳洞

2013年12月22日 17時25分05秒 | 旅行

午後になっても朝ほどではないが風が寒さを後押しするような格好になり、洞窟の入口

まで歩くのにも首をすくめる。洞窟の中に入ると2時間近く出てくることは出来ないし、中

にトイレはないので、必ずトイレを済ませておくようにと添乗員の話に、年寄り軍団は一斉

にトイレに駆け込む。洞窟の観光は時間が決まっており30分に1本の割でトロッコ列車が

出るので、それに合わせて入口で待つ。音声ガイドは€1で借りることができるので大方の

人は日本語版を借用する。

洞窟の入口は10mくらいの穴になっているが内部は人工的な整備が施されており洞窟で

はなくトンネルのような雰囲気だ。元々の入口は小さかったものを観光用に広げたものか

どうは分からない。入口から5分ほど歩くとトロッコ列車乗り場に到着する。長いトロッコに乗

り込みインディー・ジョーンズのように暗い穴倉をひた走るか。

トロッコだからゴットン・ゴットンのイメージでいたらゆっくり目のジェットコースター並のスピー

ド感があり、左右に揺れながら滑走していく。頭や手が洞窟の岩肌に触れるのではないかと

いうほどトンネルは小さくカーブも多い。時折、灯りがつけられているが暗い中を走るからス

ピード感は倍化しているようだ。途中は鍾乳石が作る作品があったり、横穴、吹き抜けのよう

に大きく開いた天井などが視界に入る。ビデオを片手に持ち撮りながらの疾走だが、何処を

撮影しているのか確認する体制がとれない。

右左に揺られながら10分くらい走った所から徒歩で鍾乳洞ツアーが始まる。それまではトロッ

コがやっと走れるくらいの穴だったのに、この場所からは高さはマチマチだが大きな空間の中

にある自然の造形を見られる。残念なことに、この場所から撮影禁止となり各自の目と心に焼

き付けて残すことしかできなかった。

このように素晴らしく、珍しい風景を写真に残せないのは残念だから思い出のためにと写真を

買うことにしたが、洞窟の素晴らしさを上手く表現されたものを探せず、不満の残る絵葉書を購

入した。一般的に、こんな素晴らしい観光地でしかも撮影禁止なら、沢山の美しい写真などを

売っていると期待したのに残念だった。

ガイドの案内でポイントにくると音声ガイドが説明してくれる。形や色の繊細さとダイナミックさが

ミックスされているのに、ちぐはぐな所は無くまるで人が何かの意図を持って造ったかのような作

品だ。1cm伸びるのに100年かかると言われる鍾筍や湿気に含まれた鍾乳石が織りなすカーテン

のように薄い石布など筆舌に尽くせない。だから百聞は一見にしかず、写真を撮りたかった。

ポストイナ鍾乳洞

 


『正月準備』

2013年12月22日 17時16分14秒 | 日記

贈呈用の門松の樽と3本の竹の細工を終え、あとは29日に飾りつけをするだけになった。

竹を束ね締め付けている針金が見えないように針金の上からショロナワを縛り、飾り結び

をして体裁を整える作業が残っている。残念ながら私には出来ないので、熟練の方にお

願いすることになっている。

門松用の竹で余ったものがあるので小さな花器を作ることにした。飾るものは花ではなく、

目出度い正月にぴったりの千両と万両の実。これは私の所で使うのではなく、知り合いの

叔母さんにあげる物。

我が家では竹を半分に割り、先端は門松風に切り3本束ねた刺身皿を作る。子供たちが

集合すると総勢11人と大人数になるので、我が家の皿では小さ過ぎるからお手製のもの

を準備することにしている。

何といっても最大の行事は餅つき。昔ほど多く餅つきをしないが、杵と臼を使った本格的

なものだから少しだけ準備は大変。道具は眼鏡型薪ストーブ、煙突、焚き木を山から持ち

帰り餅米を蒸すかまど作り、臼と杵の掃除に加えて会場となる車庫を片つけ掃除しておか

なければならない。合わせて、その夜は我が家の忘年会だから魚を捌いておいて、それ

に間に合わせなければならないから、時間がありそうで結構タイトな爺さんの行動予定だ。

歳と共に師走や正月を迎える気持ちの中からワクワク感が薄れているようだ。気合を入れ

て、行く年、来る年を張り合いのあるものにやるぞー。


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