食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『粉瘤の破裂』

2016年02月17日 17時04分56秒 | 日記

今回の騒動を『ジェットコースターのよう』と称したが昨日は癌の疑いもあるかもしれないとした中で一転して魅惑

的なオーロラの話、今日は一捻り加わり別の病気に話が飛ぶ。


粉瘤(ふんりゅう)・・・皮膚の中に生じた老廃物が入った袋状のもので、袋自体が角質を

            作る細胞で出来ているために徐々に老廃物は増えていく。

            原因は不明とされるが毛穴の炎症、外相により発症することがある。

 

旅行に出かける前から背中の粉瘤(触った感じ2~3cm)が痒くなり時々、さすったりしていたが、この時点で手術を

すると抜糸もしないまま出かけることになり処置が難儀、状況からして何とか持ち堪えるのではないかと思っていた。

ところがカナダに着いた2日目、バンフで破裂してしまい膿のような臭い汁に血が混じって出てきた。

昔々、粉瘤が破裂した事で手術を受けたことがあり、こうしたことを経験していたので破裂したとしても慌てることなく、

膿などが下着に着かないようガーゼなどで押さえておけばいい。イエローナイフに移動する前日だったので向こうに

行ってから事前調査で分かっていた、ホテルの直ぐ傍にあるドラッグストアでガーゼや消毒液などの調達をすること

にした。イエローナイフのホテルに到着後、防寒対策をして恐る恐るホテルの外に出て通りを歩いてみる。道は以前

に降った雪が溶けることなくツルツルになっており時折、ゆっくりとした風が吹くと顔の露出したところが痛い。転ばな

いよう、自動車に轢かれないように通り1つ行ったところのドラッグストアで消毒液(オキシフル)を探してみるが英語表

記はどうなのか知らなかったので絵を見乍ら・・・すると分かるもんだ。

ガーゼ、消毒液をゲットしたから妻が医師となり、患部を押して中の膿を軽く押し出す。

日常生活をする上で困ることはないが患部に強く接触すると少し痛いこと、寝返りが不自由くらいで動作上の制限も

必要なかった。患部に大きな変化が起こらない程度の治療を続けたおかげで粉瘤が悪化することはなく帰国後の休

み明け1月18日に近くの外科医へ出向く。最近は掛かりつけの病院に行けと五月蠅く言っているので、いつもの市立

病院に行きたかったが仕方なく町医者に。

『粉瘤が破裂したようで治療をお願いします』

『うちでは治療できません。皮膚科の病院言って下さい』と断られてしまった。

病院の選定が悪かったのかどうか知らないが、こんな風に盥回しにされるから小さな病院には行きたくないのだ。大き

な病院はしょうもない病気で患者が溢れるのは迷惑な事だろうが・・・・私のように車で動ける人はそれでもいいが、そう

で無い人がこんな風にされたら別の病院に行くのも大変だ。

仕方なく市立病院に出かけ事情を説明したら形成外科に行くよう指示され優しそうな女医さんの診察を受ける。以前に

も別の病院で受診、手術を受けたことを説明する。

今日、手術をすることに問題はないかと問われ『そのつもりで来ました』

手術室の空きの関係から午後2時から手術と決まり時間があるのでいったん帰宅し軽食を摂り再び病院に向かう。

癌の手術を受けた時と同じ2階にある手術室に入る。大きな扉をくぐると幾つかの部屋に分かれている。前に見た時の

様子が思い出せず何処かの違う所に連れてこられたように思えた。一角の部屋に入ると小さな手術室で手術台は大勢

の医師が取り囲むような規模ではなかった。小さな手術専用なのかも。先生と看護師さん2人が私の粉瘤の始末をして

くれた。麻酔を打たれた後は背中の方で突っ張られたり、押されたり、30分ほどの手術で切除されたのは小指第2関節

までくらいの大きさの肉片、見た目はそこらで売っている安物の肉のようだった。後日の組織生検結果は良性。

1月27日に抜糸をして貰い約2週間ぶりの全身浴は最高だった。


それにして年末から次から次へと色々な事が起きるもんだと厭きれざるを得なかった。


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