食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『回想旅行記、ビバ・イタリアヘ』

2013年10月31日 17時22分12秒 | 旅行

50歳で退職し山の購入を本格的に開始、山小屋の計画書を作ったり、株や外為に興

味を持ちその仕組みや運用を調べ少額の投資経験をしたり、職業訓練校への入学を

検討していた。勤めていた会社の系列会社から旅の案内が送られてきた。イタリアへの

旅で添乗員付き、この頃は未だ地図を見て自分の行く所、ホテルの位置など全く興味

なく添乗員に金魚のウンコよろしく行けばいいと思っていた。だから大まかな地図で都

市名が分かればそれで十分。

この旅行は関空から出かけるもので、前回同様に国内の移動・宿泊は全て自前だから、

近場の海外旅行に行けるような負担が必要だった。ルフトハンザでドイツのフランクフル

ト経由でミラノに入り、イタリアの北から南下してローマまでの旅だ。

『禁煙地獄の旅』

アメリカの旅から7年が経過しヨーロッパのトレンドは完全に『禁煙』になっていたから、今

回はアメリカ旅のような甘い、後部席喫煙ゾーンなんてものは到底望めないことは確実だ

った。本当は煙草が吸えない状況下に置かれれば、それに従うしかないからどんなに無

理だと思っても、地団駄踏んだりして騒ぐことなどあり得ないもの。だからフランクフルト

まで10数時間の禁煙は苦しくても、何があっても強制禁煙なら可能ということになる。

フランクフルトはトランジットなのに何故か入国審査を受けた後に、ミラノ行の飛行機に乗

り継ぐ。空港内の移動は無人運転と思われるモノレールのような電車で移動する。

待ち時間の間、まずすべきは喫煙場所を探すこと、そこは蛇の道は蛇、言葉が通じなくて

も研ぎ澄まされた嗅覚と視覚を発揮し、難なく喫煙ルームを見つけ出す。日本では未だ

喫煙場所が堂々と鎮座していたが、禁煙、嫌煙の厳しいドイツだから日本と逆で煙草を吸

う人が犯罪者のように隔離される。

ここまで我慢してきたご褒美にスパスパ、いわゆる狸の溜糞ならぬ溜吸いをして、ここからミ

ラノまでのフライトが終わるまでのニコチンを補給する。免税店や一般の店屋が開いている

ものの、肝心のドイツマルクもユーロも持っていないから何も買うことはできない。念願の煙

草を吸い終えガラス越しに外を見るとチラチラと軽い小雪が舞っていた。着陸、離陸時に空

の上から見たドイツの家並みは、壁や屋根の色まで統一されたように見えた。詳しくは覚え

ていないが条例なり法律である程度の制約があるらしく、他の景観と著しく異なる色は禁止

されているらしい。日本の家並みはごちゃごちゃしていているから統一された整然とした美

しさはあるが、味気ない感じもする。

飛行機に乗り暫くすると外は日が暮れて何も見えなくなってしまったが、恐らくヨーロッパア

ルプスが眼下に広がっていただろう。


『収穫祭の準備』

2013年10月31日 17時20分50秒 | 日記

先週の農林水産祭への出店は惨敗に終わってしまった。私たちは商売のノウハウは

ないから、教えられたことや自分たちで感じたことを取り入れて、少しでもいい方向に

向かっていくように努力するのみだ。

次の出店は収穫祭が開催される11月10日にむけて、商品づくりに取り掛かった。朝か

ら2種類の商品づくりで15時30分までかかり約200個を作り終え、あとは商品ラベルを

貼れば完成する。

梅や桜などを植林し市民参加型の環境保護、梅や桜花を楽しむことのできる場をつくり

人々の交流の場づくりをすることを第一ステップとし、生産される梅を使った商品化が次

のステップになる。荒地で背丈ほどの草が林立する場所を整備して、梅や桜の木を植え

維持管理してきた。植林したものを兎や猪被害に遭って枯れさせてしまったり、水はけ

不良で育たなかったりと苦労は続いたが、やっと梅が採れるようになってきた。

しかし木は小さく花見をしたり人が集うには、もう数年はかかりそうだ。そうした時間軸の

中の商品づくりで苦労している事は、第二ステップに進む前にその苦労を先取りしてい

事でもあり・・・・こう考えるようにして空元気でもいいから頑張ろうとしている。


『回想旅行記、成田へ』

2013年10月30日 17時31分48秒 | 旅行

この旅は出発地と帰着地が異なり国内便で出発地に戻ってくるという珍しいツアーだ

った。SFのホテルから空港までは現地ガイドが連れて行ってくれ、いよいよ帰国の途

に就く。また長い空の旅になる。ただ、来る時と同じ航空会社だから後部座席付近に

臨時喫煙所が準備されており、苦痛の禁煙を強いられることはなかった。

眠れない飛行機の中で耐え忍んでやっとの思いで成田に到着し、日本に帰った喜び

を味わう。成田空港の中を手荷物の大きな土産袋を持ちながらウロウロ、喉が渇いたの

でスタンドでコーラを頼む。小さなカップで200円もする。

冗談じゃない、先ほどまでの旅先アメリカではこのカップの2倍くらいの大きさで50セン

トだから70円ほどだったのに・・・。

物価の違いはあちこちで経験した。ファーマーズ・マーケットでアメリカン・チェリーはビ

ニール袋に一杯で1ドルほど、ゴールデン・ゲート・ブリッジの通行料、日本でこんな有

名な有料大橋なら結構取られるのだがユニークだった。今は1ドルしないがもうすぐ値

上げされ1ドルになりそうだと言っていたが、車に3人以上乗っていると無料になる。そ

んな世界に浸っていたのにコーラ200円は大きな衝撃だった。

成田から大阪に飛んで予約していた安ホテルにチェックインするが、ここもまたアメリカ

旅で味わったものと大違いで、幻滅を味わう。

関空出発から関空着までの旅費はすべてツアー料金に含まれていたが、自宅から関

空までの往復、後泊のホテル代は全て自腹になる。それを計算してみると2人で約10

万円にもなる。物価の違いを痛感させられた旅、そういう事を学ぶのも海外旅行のい

いところだと思う。


『中国報道規制』

2013年10月30日 17時30分44秒 | 日記

天安門で自爆テロとみられる事件で数人の死傷者が出た。事件のことは中国版ツイッ

ター(ウェイボー)でもすぐに載せられたのでツールを持っている人は、発生した事実を

直ぐに知り、直後に削除され、また投稿される。

詳しいことはテレビで観ようとしてニュースを観ても何の報道もない。ならばと外国TV、

CNNやNHK BSなどにチャンネルを変えると、ニュースの途中で突然ブラックアウトし暫

くするとまたニュースに戻る。この手順を踏まなくても、直感的にツィターで投稿・削除

が分かった時点で、政府がこのニュースをもみ消そうとしていることが分かる。中国の人

は日常的に起こることだから、私たちより嗅覚は発達しており嗅ぎ分けて自分なりの結

論を出すのは得意かもしれない。

ネットは隠そうとしてもモグラ叩きのように出て来るから、その間に沢山の人がこの出来

事に触れることになる。もみ消して国民に知らせないことによる国民の不利益より、自分

たちの体制を守る方が大切だから、私たちの感覚とは天地の差があり相容れない。

消しているつもりでも、ばれていることも承知の上で何もなかったような顔をする、国際

的にも・・・これ辛いね。


回想旅行記、雲仙普賢岳の火砕流

2013年10月29日 17時09分14秒 | 旅行

SFに着いてホテルでTVをつけたら丁度ニュースを放送中、日本時間では6/3のこと

だがここでの放送日時は記憶していない。画面に映し出されたものは火砕流が山肌、

谷底を駆け巡り、それを遠くから撮影したものだ。その災害に対応していた地元の消

防団の法被姿。災害の内容を早口で捲し立てているが、『火砕流』『火山噴火』などの

英単語すら知らないから断片的な解釈も出来なかった。映像から火山が噴火してそれ

に伴う災害があったことだけだった。帰国後に災害の状況を知り大災害だったことを知

る。この事故から10年後、私たちはその火砕流で埋まってしまった家屋が保存されて

る島原の災害現場を訪れた。この状況を見ると、よくぞ今のような姿に復興できたもの

だと感心せざるを得ないほどの惨状だ。 

規模の大きな自然災害であっても人々は再び立ち上がることはできる。しかし福島原発

のような人災は再興の道さえ閉ざしてしまう性質の悪いものである。松江から下関、雲仙、

阿蘇、別府と車で北九州を回る旅のコースに普賢岳の現場を組み入れた。

島原出身の後輩が帰省した際、水無川の石を拾って来てくれた。大きさの割には重量が

あるから火山性のもので、ただの石ではなく何か金属のような成分を含んでいるから重い

のだと思う。後輩曰く『車を止めて、河原に小走りで行き、怖いから石を拾い直ぐに引き返

した』以後、何度も海外旅行に出かけているが外国に滞在中、日本で大きな事故や災害

のニュースに出会ったことなく、普賢岳の災害ニュースは今でも忘れられない。


『干し柿つくり』

2013年10月29日 17時07分55秒 | 日記

私の秋の風物詩は干し柿作り、最近は材料の渋柿の値段が高くなり、手に入り難くなっ

てきた。一昔前までは知り合いの人から大量の柿を只で分けて貰っていたが、そうした

こともなくなり店に出ているものを探してみても手頃なものは少ない。巷で豊年、裏年で

採れる量は倍半分になっても店で売る値段は年々高くなり近年では最高、10Kgで4,000

円と庶民にお手頃にとはいかなくなった。

10 Kgだと大体100個ほどになるから1個当たり40円にもなる。私が1個当たり10円で買っ

ていた時、この辺の人に言うと『馬鹿みたいな値段』と言われるほど高いと思われていた

のに、その4倍だとクレージーか。そして、干し柿にして100%食べられる保証はない。温

度が下がらないと直ぐにカビがきて全滅になり捨てることなる。何年も作り続けてきたが

近年でも確率は50%しかないから博打だ。

皮をはいで紐に吊るし昼間は風に当て、夜は夜露がかからないよう家の中に入れ、湿

度が高いようだと除湿器と扇風機をかける。こんなに丁寧に扱ってもらっていても、いう

事を聞かないのが干し柿つくり。最高級品なのだろうか昨年、箱に入れられ20個で500

0円、米子の高島屋にて。

軒下に吊るされた干し柿を見るたびに、他人様のものなれど『いい具合に乾燥しますよ

う』と祈ってあげている。


『回想旅行記、バス賃騒動』

2013年10月28日 17時19分44秒 | 旅行

SF最後の夜は夕方からレイたちと一緒に夕食を食べに行くことになっているから、余

を持って帰りたかった。バス停で別れ私たちはバスを待つ間、88セントのことを思い

出し、探してみたが88セントにはほど遠い30セントくらいしかなかった。バス停の周辺

に店屋は全くないから絶望の中、不幸のバスがやって来た。乗るしかないから乗って

直ぐ、隣のお爺さんに恐る恐る両替をお願いすると『銀行に行け』と話にならない。こん

な断わられ方をすると次にお願いする気力も萎えてしまい、暫く声をかける勇気が湧か

なかったが、意を決して頼んでみた。すると自分はないと言いつつ他の乗客に聞いて

くれた。一人の人が交換してあげると手を挙げてくれたので無事に下車用運賃88セン

トを調達できた。

もし、ここで88セント用意できなかったら、運賃箱に1$札を放り込んで『needles change』

つり銭は要らないと運ちゃんに告げて強行突破する心算でいた。平和的に下車できハ

ラハラ・ドキドキのバスの旅を終えることができた。

夕食を共にするレイとキャシーが迎えに来てくれ、郊外にあるレストランに向かうが、どの

方向に行っているのか最後まで全く分からず。食事はアメリカ式だから大量の料理、前

菜、ステーキなど半分くらいしか食べられないからテーブルの上には料理が並びっ放し

になり片付かない。最後に大きなとても甘いケーキが止めに出てきた。

レイとキャシーは老人なのに全てを平らげて平気な顔をしており、私たち若者は大量に

食べ残し、それにしてもよく食べる人種だと感心ばかりしていた。

初対面から僅かな日数しか経っていないのに、昔からの知り合いのような間柄になり、異

国の地で歓待してもらった。普通のツアー旅行に絡めてアマチュア無線で知り合った人

とのアイボール、知己との再会と思い出沢山の旅行になった。

この頃のお土産の定番は洋酒、日本で数万円もするブランデーが数千円で買えるから、

お世話になった人には特別にと買った。


『そばの収穫』

2013年10月28日 17時14分56秒 | 日記

昨日、話をしていた時、蕎麦の話になった。収穫は蕎麦の実が全て熟した状態になる

のを待つのではなく、白い花が少し残るくらいを蕎麦粉にすると香りが際立ち美味しさ

が増すという。熟れ過ぎると収穫の際、実がパラパラと落ちてしまい大減収になるから、

時期はちゃんと見極めなければならない。私も気にしていたから様子を見ながら時期

を計っていたが、どうも今らしい。

思い立ったが吉日と、昼前から収穫を開始。種まき直後からの鳩被害で初回蒔きは半

分以上を食べられてしまい2度蒔きしているから、背丈が2段になっている。最初のもの

は実も大きくなっているが2回目のものはやはり小さい。全体的に実の付きはよろしくな

い。以前、作った時は実はもっと大きく育ち数もびっしりとついていたのに、今回は貧弱

な結果に終わった。

軽トラ荷台に半分くらいの収穫、これから乾燥させて実だけにすると1升くらいは取れる

と思うが、種蒔きした実の量は、1升以上はあったような気がする。という事は蕎麦の実、

種を買ってきて畑で減らしただけのことになるのか・・・

いや、そうではない。蕎麦をまいた後、草押さえになり草は少ししか生えなかったから、

そうした初期の目的は果たしている。

乾燥までは良い天気になってもらい、その後の雨降りには蕎麦の実取り、つまり脱穀を

手作業でするとしよう。

 

 


『回想旅行記、Yさんと再会』

2013年10月27日 17時22分52秒 | 旅行

SFには最近まで近所に住んでいたYさんが米人と再婚して暮らしている地でもある。手

紙で連絡を取り合い再会の手筈を整えていた。家の電話番号を聞いていたので、家に

電話を入れると元気そうな声で『バスに乗って、これこれ・・・』と簡単に言う。私が不安を

訴えると更に簡単に『冒険よ、頑張って。ただし帰りのバス代は88セントだから必ずコイ

ンを準備しておいてね』とあっけらかんとした返事。私たちはバスに乗ったことはおろか、

ブローン・イングリッシュの私が挑むのは大冒険ということになる。

バス停から聞いていた番号のバスに乗る。乗ることばかり気にしていたがバスからの降り

方を聞いていなかった。停車を要求するランプが点灯しピンポンと音はするものの、肝

のそれを知らせる押しボタンが見当たらないのである。妻と二人で他の乗客がどうす

るのか注意深く様子を見ているが、はっきりと分からないまま段々と教えられたバス停が

近くなる。焦りを覚えながら見つけたのは窓の下の方に紐が張られており、それを引っ

張ればスイッチがオンになる原始的なものだった。目的のバス停で下車、通りを渡って

住所をみると、ここらしい場所を見つけ、ドアをノックしてみると中から懐かしい顔が見え

た。地獄に仏とはこのことである。それにしても私たちも大した者だと本当に思った。以

後、幾度かの海外旅行でも自力でバスに乗ったことは一度もない。

Yさんは英語が得意でもないから会話や買い物が苦痛で、出来るだけ人と会わないよう

していると言っていた。しかし、何をするにしても英語は必要だから、徐々に慣らされ

いっているようで、他人と言葉を交わしているのを聞くと、私より遙かに達者である。

私たちが来るからと、おにぎりとおかずを作ってくれていて、近くのゴールデン・ゲート・

ッジ公園にピクニックとなった。広大な広さのほんの一角だろうが、綺麗に整備され

沢山花が植えられていた。

数百メーター四方の広場は芝生が綺麗に手入れされ木々の木陰で人々が寛いでいる。

折、芝生の真ん中をリスがひた走る。リスは木々の上に隠れており、不意に顔を出した

枝に移ったりして可愛い動きを披露してくれる。ここでYさんの壮大な計画を聞く。地球

語と名付けた世界共通言語の創造である。こうした取り組みはエスペラント語が有名だが、

共通語には成りえなかったことから、新しい概念で開発、普及を目指すと、意欲満々。

Yさんは染色が専門だが出雲史の研究から本の出版に到り、今度は新しい言語の創造だ

いう。この人の考え方は兎に角プラス思考、全方位思考に加えて努力家だから、地球

語もいずれは形成され同意する人たちが増えるだろうと思った。少しだけ説明を受けたが

ボンクラの私には理解できなかった。久しぶりの再開の楽しい時間はあっという間に過ぎ

ホテルに帰る時間となった。


『雨後の川底』

2013年10月27日 17時21分39秒 | 日記

先日来の雨はこの辺りでも大量に降り続き団地前の川は水位が上がり、普段は川底に

生えている背の高い草や葦が水の流れを隠す処もあるのに、一面が濁流になった。

雨が降り増水していなくても川はこうでなければならないが、手入れの行き届かない川は

『水の見えない川』になってしまう。なれの果ては『セイタカアワダチソウ』がはびこり、川は

姿を変え黄色い花の咲く場所になってしまう。耕作放棄地に、この雑草が攻めて黄色くす

る景色は慣らされてきたが、それが川にまで及ぶようでは情けないの一語に尽きる、こう思

う人は沢山居ると思うのだが。幸い、この川底は夏前の草刈りで刈り取ってあるから、2度目

に刈る時は案外と楽に刈れるからセイタカアワダチソウが大きくなる前に始末できる。

川底の草刈りがされていない所には、上流から流れてきたゴミ、枯れ木などが草に絡みつ

き、水の引いた後には、倒された草とゴミが残り、更に哀れな姿になってしまう。こうした負は

少しだけ手を加えれば少しの負で納まるが、放置すると手の付けられない負になってしまう。

台風一過は荒れた天気が晴天になる姿を思わせるが、手入れをされない川では上流のゴミ

受け皿になってはいけないと思う。


『回想旅行記、墓参りはマスタングでⅡ』

2013年10月26日 17時06分23秒 | 旅行

2時間ほどでスティーブの墓に到着、TVや映画で観る墓苑は日本のものとは違い全

体が平坦な景色だ。私たちは日本式で拝むと、レイたちは膝をついて洋式で拝む。

キャシーは感極まって小さな嗚咽を洩らす。

墓を前にして、もしはないが生きていたら墓石に刻まれている好きなウィンド・サーフィ

ンを楽しんでいるだろうに。

帰りは父を亡くしたボブと一緒に食事をすることになっており、彼の家で合流して、近く

のレストランに立ち寄った。昼食は直径が50センチ近くある大きなピザを5人でつつきな

がらのものだったが、レイとボブのお喋り大会のように2人で話をしていた。

内容は分からないがボブが時折『exactly(正に、その通り)』と受け答えしていたのをよく覚

えている。SF市内近くまで戻ってくると夕方のラッシュアワーが始まりかけていた。アメリカ

では面白いルールがあり金門橋では3人以上乗った車は通行料が只になり、ここは3人

上乗っている車は特別レーンが設けられており、案外とスイスイ移動できた。市内中心

が渋滞しているから特別レーンを過ぎると、渋滞に巻き込まれホテルまでノロノロ運転

になった。

ホテルで別れた後、私たちはホテル内のレストランに行き幕の内を注文し、昨晩に続き和

食だ。アメリカの食事は不味くはないがこれと言って美味しいものには当たらなかった。た

だ量は馬並と大量。周りを見渡すとビジネスマンが慣れない手つきで箸を使いながら、私

たちと同じ幕の内を食べており、日本食人気はアメリカで定着していた。昼間の疲れが出た

こともあり早めの就寝。ところがサンフランシスコは800万人が住む大都会、近くに消防署が

あり救急車の出動、パトカーのサイレンが一晩中、鳴っているような煩さで熟睡できる状況

ではなかった。犯罪は特定の危ない地区はもとより率そのものも日本よりずっと高いだろう。

特定の場所も低所得者の集まりで犯罪の温床のような場所、同性愛者たちが占拠したよう

な形になっている地域など私たちには理解できないものありそうだ。

だから・・・でもないだろうが繁華街にあるホテルの周辺は投げ捨てられた新聞や段ボール

箱の切れ端、たばこの吸い殻など道路に散乱しており、とても花のSFなどと歌う気分になれ

ない。そうした一角、若いお嬢さんが空き缶を前にして物乞いをしている。

アメリカンドリームで富を手に入れる人、その陰にはこうした多くの貧しい人が暮らす、何も

アメリカだけに起こることではないし、平均的な暮らしぶりを見れば、やはり世界トップクラス

だろうが、予想もしないシーンに考えさせられた。

側から見ていると裕福な国のように見えるが、大雑把な括り方をすれば光と影がはっきりと

分かれている国と言えるのではないかと思った。


『雑想考、原発の後始末』

2013年10月26日 17時04分45秒 | その他

福井県は原発が14基も設置されており、立地県として初めて、廃炉の取り組みが始ま

った場合を想定し、『廃炉対策室』を設立した。稼働年数が現時点で廃炉基準とされ

ている40年は、遠い先のことではないし、敦賀原発は活断層の上にあるから廃炉の対

象になっているとの考えからのものだ。

こうした動きは国のエネルギー政策が全く見えないから、恐らく『また廃炉40年は延長

されるのではないか・・』との思惑から他の立地県では検討もされていないのではなか

ろうか。私たちの国の責任者は『原発0は無責任な政策』と不思議なことをおっしゃった。

あれだけの被害を出しながら解決の手かがりさえも見つけられないで、水運びごっこを

続けているのに、それでも原発が大好きとみえる。

加えて原発事故に対し誰が責任を取っているのか、政官業の皆が無責任ではないか。

福井県の廃炉対策室は廃炉に関する技術的な課題への対応を主として、廃炉ビジネ

スに結び付けることも模索する。そして核の中間貯蔵施設の県外立地に向けた協議も

タスクとしている。

原発立地で金を貰い、廃炉で金にして、核のゴミだけは県外に。これは素晴らしい考え

だ。上澄みゲット作戦。

こんな考え方が当たり前のように出て来る脳味噌の中はどんな構造になっているのだろ

うか、とても興味がある。脳の皺は普通の人より多いのだろうか、逆だろうか、脳味噌はあ

るが国産の田舎味噌が入っているのだろうか否、輸入物では。それとも空っぽ?


『回想旅行記、墓参りはマスタングでⅠ』

2013年10月25日 17時31分49秒 | 旅行

ホテルまではレイが迎えに来てくれ自宅でキャシーが待っている。昨日、私たちと別れ

て帰宅する時、事件に遭遇しビデオカメラを持っていたので、それを撮影したと説明し

てくれるが『stub』という意味が分からずスペルを聞いて電子辞書で引いて、やっと詳細

が分かった。この映像をコピーしてくれ帰国後に見てみると、男が誰かを刃物で刺した

後、警官に取り押さえられ銃を突きつけられていたる映像が出てきた。交差点で信号待

ちの間に撮影したものだが迫力満点のアメリカ犯罪実写版。

自宅に着き車庫に入るとキャシーは30年来の愛車マスタングと共にスタンバイしており、

すぐにスティーブの墓参りに出かけた。マスタングはスティーブ・マックイーン主演の映画

ブリットで雄姿を披露、車に余り興味はなかったのに男心をくすぐる代物。私は助手席に

乗せて貰い市内を出ると、大きな風車が並んでいる。何かと聞くと『風力発電』だという。

内からそんなに離れていないが、風が強く風力発電に適している小高い丘の上に風車

延々と何Kmも並んでいる。アメリカのような大国が目指すより、エネルギー資源の少な

い日本こそ考え実践すべきことではないかと真剣にそう思い、日本はかなり遅れていると

感させられた。数年前、地震はないとされていたサンフランシスコは未曽有の地震に見

舞われ、高速道路が寸断されオークランドの海上鉄橋が崩れた。当時、日本ではこの地震

の状況をみて『日では同じような地震があっても、高速道路が崩れるようなことはありえな

い』と専門家が嘯いていたが、阪神淡路大震災ではあり得ないことが、あちらこちらで発生し

た。こうしたことは災害原因の新しい定義となり『想定外』という。その修復された鉄橋を通っ

た時、レイが崩れた場所は丁度この辺りと教えてくれた。世界中に報道され日本でも何度も

流された場所だから、初めて来た場所のようには思えなかった。

途中のスーパーで墓に飾る花を買いに寄る。こちらでは墓に飾るものは腐らないから生花で

はなく造花が主流、また日本では両サイドに飾るから対で用意するが、こちらでは一式だけ

飾る。花を買い車に戻ると30年前のマスタングが珍しいから若者たちが羨ましそうに覗きこ

んだりしていた。実はキャシーの横に座らされたのは目のいい私がナビゲーターとして適し

いたからだ。幅の広い道路をブンブンと飛ばしているが急に『義、今何マイル?』と聞くからス

ピード計を見て『80マイル』と答えながらKmに換算すると120Km以上のスピードだ。レイもキャ

シーも70過ぎの老人だから日本人の感覚からすると暴走老人ということになり、『本当に大丈

夫か?』と心配になってきた。

おまけに右側通行だから右折、左折時の感覚が慣れないから『危ない』と何度もドッキリし、は

らはらのドライブだ。


『雑想考、国も民間も偽装、皆でやれば怖くない』

2013年10月25日 17時20分19秒 | その他

昨日は汚染水で首相を始めとする国の偽装について『嘘は嘘で取り繕う』と題して喚い

た。過去に国は何度も平気でこうしたことを繰り返している常習犯、それに加えて懲りな

い面々は民間にも沢山うろついている。古くは雪印の牛肉偽装で偽装した方は軽傷、

正義の西宮冷蔵は瀕死の重傷に追い込まれ今も再建に必死、偽装ではないが高級料

理店『船場吉兆』は食べ残しをリユースして閉店に追い込まれた、これは氷山の一角に

過ぎない。新たな偽装は一流ホテルとされる阪急・阪神ニューホテルのレストランで提

供された料理の材料だ。それに対しやっと社長が出てきて謝罪会見ならぬ、言い訳・偽

装の上塗り会見に臨んだ。

この会見で説明した経過や内容は今開かれている国会で安倍総理が汚染水問題につ

いて素晴らしい答弁した、それ以上に心を打たれる内容だった。人間ここまで卓越すれ

ば黒を白と言い切るだけの度量を身に備え、幾ら他人から非難されても白から変えるこ

としない、素晴らしく意志の固い人格ではないか。

そうしてみると、小正直に慎ましく暮らしている小物の私など脛に傷があれば、この方々

のように自信をもって堂々と他人と接することなど出来はしない。

ただ小物の自分に誇りを持てるのは、嘘と本当の違いを知っていること、あの種の人た

のように自分は素晴らしいと一生勘違いしたまま居ることができないことだ。食品管理

の役所のまとめだと軽微な偽装は年間500件、悪質なものは30件くらいだという。中国や

韓国の偽物をとやかく言う前にJapanの偽装を何とかしろと言いたいが、国もやっている

から力が入らない。

飛び魚の卵をレッドキャビアと表示した。既製品のチョコは手作りチョコ。ホテルの社長の

説明だと偽装ではなく誤表示で悪意はないし組織ぐるみではないと言い切った。血の巡

りが悪くなり、たったこれだけの説明を理解することができない。私などまだまだ修行が足

りないってことか。


『回想旅行記、レイ家を訪問』

2013年10月24日 16時04分15秒 | 旅行

食後、SFの有名な坂道を登ったり下りたりしながらレイの家を訪問。家に着くと何回か

送ってもらい写真で見た、遠出の旅に使うキャンピングカーが置かれていた。玄関で奥

さんのキャシーが手を大きく広げ私たちを迎えてくれた。彼女はチャキチャキのヤンキ

ーだから英語は完全なるアメリカ流、私には聞き取り難いから聞き耳を立てて分

らない時は質問しないと理解できないことが多い。いつも日本と交信しているアンテ

ナ・タワー、無線設備などを見せてもらった。老夫婦が二人で暮らす戸建ての家だが、

場所がSFの中心地近くだからTVで観る広い庭付きの家ではないが、日本よりも、ゆった

りとしているのは明らか。家の前は芝生が植えられているから道路を含めて通りの向こう

まではかなりの距離がある。私たちが一番心を痛めていたのは、彼らの一人息子スティ

ーブが半年くらい前に亡くなり、今も悲しみの中にいるということだ。

スティーブは私たちと同い年だった。プラス思考で野外活動好きなアクティブなガイで父

同じ趣味アマチュア無線でも活躍していたが、メラノーマにかかり効果的な治癒もなく

短い人生の幕を閉じた。スティーブの墓参りに行きたいと言ったら、レイ夫妻が連れて行

ってくれることになっていた。思い出のアルバムや品物を見せてもらっている時でもキャ

シーは時折、涙を流していたから、

未だ心の中は癒されてはいなかったと思う。楽しい時はあっという間に過ぎ、私たちはピッ

アップ・トレーラーに乗り、繁華街にあるホテルまで送り届けてもらった。荷物はホテルに

届けられており、それを確認してから、近くで食事をとろうとホテルを出た。行く当てはない

がレストランのありそうな場所を探すのに周辺リサーチをしていた。私たちはレイから『あの

通りから先はスラムだから絶対に行くな』と注意されていた場所のことは知っていたので、

避けようとしていると日本人らしい人が『あの通りから先は危ないですよ』と注意してくれる。

また別の場所でも米人から同様の注意を受けた。一般人が迷い込んでも相当危ない場所

のようで見ず知らずの人でも教えてくれる。

反対側に行くと繁華街があり念願の和食のレストランを見つけ出し、メニューを見ると鍋焼

きうどんがあり、二人とも即決。ところが、ここはアメリカ。鍋焼きうどんの量は日本の2倍まで

はないが超大盛りで、二人とも半分くらいしか食べられなくて残してしまった。

ところでホテルの部屋に戻るとレイが渡してくれたファミレスで残しテイクアウトしたサラダが

ある、しかし結局はゴミ箱行きとなった。


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