50歳で退職し山の購入を本格的に開始、山小屋の計画書を作ったり、株や外為に興
味を持ちその仕組みや運用を調べ少額の投資経験をしたり、職業訓練校への入学を
検討していた。勤めていた会社の系列会社から旅の案内が送られてきた。イタリアへの
旅で添乗員付き、この頃は未だ地図を見て自分の行く所、ホテルの位置など全く興味
なく添乗員に金魚のウンコよろしく行けばいいと思っていた。だから大まかな地図で都
市名が分かればそれで十分。
この旅行は関空から出かけるもので、前回同様に国内の移動・宿泊は全て自前だから、
近場の海外旅行に行けるような負担が必要だった。ルフトハンザでドイツのフランクフル
ト経由でミラノに入り、イタリアの北から南下してローマまでの旅だ。
『禁煙地獄の旅』
アメリカの旅から7年が経過しヨーロッパのトレンドは完全に『禁煙』になっていたから、今
回はアメリカ旅のような甘い、後部席喫煙ゾーンなんてものは到底望めないことは確実だ
った。本当は煙草が吸えない状況下に置かれれば、それに従うしかないからどんなに無
理だと思っても、地団駄踏んだりして騒ぐことなどあり得ないもの。だからフランクフルト
まで10数時間の禁煙は苦しくても、何があっても強制禁煙なら可能ということになる。
フランクフルトはトランジットなのに何故か入国審査を受けた後に、ミラノ行の飛行機に乗
り継ぐ。空港内の移動は無人運転と思われるモノレールのような電車で移動する。
待ち時間の間、まずすべきは喫煙場所を探すこと、そこは蛇の道は蛇、言葉が通じなくて
も研ぎ澄まされた嗅覚と視覚を発揮し、難なく喫煙ルームを見つけ出す。日本では未だ
喫煙場所が堂々と鎮座していたが、禁煙、嫌煙の厳しいドイツだから日本と逆で煙草を吸
う人が犯罪者のように隔離される。
ここまで我慢してきたご褒美にスパスパ、いわゆる狸の溜糞ならぬ溜吸いをして、ここからミ
ラノまでのフライトが終わるまでのニコチンを補給する。免税店や一般の店屋が開いている
ものの、肝心のドイツマルクもユーロも持っていないから何も買うことはできない。念願の煙
草を吸い終えガラス越しに外を見るとチラチラと軽い小雪が舞っていた。着陸、離陸時に空
の上から見たドイツの家並みは、壁や屋根の色まで統一されたように見えた。詳しくは覚え
ていないが条例なり法律である程度の制約があるらしく、他の景観と著しく異なる色は禁止
されているらしい。日本の家並みはごちゃごちゃしていているから統一された整然とした美
しさはあるが、味気ない感じもする。
飛行機に乗り暫くすると外は日が暮れて何も見えなくなってしまったが、恐らくヨーロッパア
ルプスが眼下に広がっていただろう。