食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『今季最終の炭焼き』

2013年06月30日 17時00分51秒 | 日記

昨日は暑い中、木炭を囲んで焼き肉を楽しんだ。今までは牛ばかりだったが、照

り焼きチキンをしたら好評だったので、ミックスで2.5Kgを平らげた。それにしても

若いということは素晴らしい。

私たち夫婦だけだと200gのステーキ肉でも半分ずつあれば十分だ。

昨晩は焼肉とお酒を頂きダウン。

今日は朝から今季、最終の木炭作業があり、これまた暑い窯の中に入り炭出しを

したり、新たな炭木を立てて火入れをした。最後と言うことで、これから打ち上げの

宴席に出掛けることになり、2日続けてブログはお休み状態になってしまった。


『ホテルのWIFI』

2013年06月28日 18時32分25秒 | 旅行

妻と車で長旅に出る時は観光目的だから、何処かの温泉宿や鄙びた宿に泊まるこ

とが多い。観光地~観光地と所謂、日本旅館に連泊すると、贅沢なことにその夕食

に『うんざり』するので、朝食付きのビジネスホテルを間に入れることがある。

以前は温泉宿に連泊していたが、毎晩のように『刺身、何とか鍋、魚の煮つけ、何と

か和牛のステーキ』豪華な料理が、表替えをしているが、似たりよったりで、2日も食べ

れば暫らくはお休みしたくなる。その時、ビジネスホテルは重宝な存在となる。

今回の旅は観光目的ではないから全てビジネスホテルを宿とした。調べているとホテ

ルの謳い文句は『ホテル内、フリーWIFI』が主流になっているではないか。

一昔前の主流はPCを貸出し、または自前のPC持ち込み客は室内に敷設されたLA

Nに接続する、その際に『LANケーブルの貸し出しあり』なんて宣伝されていた。

ビジネスホテルだからお客の大半はビジネスマン、当然の事スマホを駆使しているか

らネットとのやり取りはこれで十分だろうが、ドキュメント処理や特有アプリ処理も必要

だろうからラップトップを持ち歩くことも必要になるだろう。今、流行のタブレットではこ

うした処理は今一おぼつかない。さて、WIFIの具合を調査とタブレットを持ち歩き、宿

泊先のフリーWIFIを確認してみた。チェックインし部屋のTVをつけるとホテルインフォ

メーションが流され、その中でWIFIの暗号パスワードを表示するお洒落なホテル、フ

ロントに電話で教えて貰うホテル、最初から全くフリーで接続可能のホテルと様々な

形態がある。そしてそのサクサク度合は糞詰まり状態はなく快適である。田舎で利用

者が少ないから、そうなのかWIFIそのものの処理性能が高くなっているからなのかは

判らない。以前、関空のWIFIフリースポットを使ってみたことがあるが、ここでは使い物

にはならなかった。ネットを立ち上げYahooの画面を出すだけで何分もかかり自分のブ

ログを出そうとしたが根負けするくらいだった。今は、当時と状況は違っていると思わ

れる。ネットの情報だと全国各地の駅を中心とした繁華街にWIFIフリースポットが増え

ているとのことだ。そういえば、韓国の仁川空港では待合ロビーにPCが設置されてお

り自由にネット接続が出来るようになっていた。日本語に勝手に変えたりして怒られる

といけないので、覚えていたYahooジャパンのURLでネット接続し、そこからあちこちと

飛んで遊ぶことができた。

それにしても、このように無料でWIFIが使えるとは昔人間の私などには嘘のような話だ。

有料のWIFIにして月額は安いし、こうしたサービスは現代社会の必需品と考えるべき

ものになったと言っても過言ではなかろう。銀行が初めてオンラインシステムを導入、そ

の頃はフレームコンピューターで仰々しいシステム、しかも時代の最先端をいっている

のだ。通信速度50ボー、直流回線となれば、ひょっとして真空管で動作?と聞きたく

なるような言葉の羅列、この通信装置はセンター側で支店から送られてくるデーターを

集信するものでリレー式だった。

高価なレンタルだったのに、今や無料で数十MBの通信が可能に、長生きすればする

ほど面白い体験ができそうだ。


『震災鎮魂の旅、ハイブリッド車インサイトの燃費』

2013年06月27日 18時14分19秒 | 旅行

私のような古い技術者にとってhybridハイブリッドと聞くと、hybrid ICを思いつく。集

積回路の中に様々な電子部品を組み込んだICで当時としては画期的なものだっ

た。通常の論理回路とコンデンサーや抵抗などと混在させているから混合ICとでも

訳せばいいのだろう。今、ハイブリッドと言えば直ぐに自動車となる。トヨタのプリウス

が販売され、性能の高さからハイブリッド車の代名詞となり、1500ccのアクアも好調

だ。例のエコ車減税の時、プリウスは余りの人気の高さから期間内に納車されない

なんて事態にまでなった。我が家に1800ccは不要な事、この期間に買えないのでは

恩恵がないから、1300ccのホンダのインサイトにした。私の通常の車はミッドシップ軽

トラで、乗用車は妻が使用するから、このクラスで十分だった。しかしスペック上では

プリウスの方が燃費はいいし、性能的にも優れている。そこには駆動方式に決定的

な違いがあると聞いた。

プリウスはモーターだけで駆動することがあるのに対し、インサイトはそれがないらし

い。燃費について如何なる評価なのかは全く知らない。

我が家での測定では妻と二人で米子往復26Kmを出した事がある。メーカーの言う

燃費は30Km/ℓだから、調子のいい時にはかなりいい数字を出すこともありそうだ。今

までに何度か長距離を走ったことがあり、調べるチャンスはあったが何故かやってい

なかった。尤も走る場所によって大きく変わるから、一律に測定しても,条件が違い

過ぎ、見方も一筋縄ではいかないと思う。今回は自動車道中心の旅だから、また別

の意味で比較の仕方が難しいかもしれない。毎日、宿泊場所に到着または翌日の

出発時にトリップメーターの距離と燃費メーターを記録してみた。

  6/9 松江---->鳥取---->福知山---->小浜---->敦賀---->金沢

     走行距離408Km  燃費26.0Km/ℓ (距離、燃費ともに累計)

     (120Kmは自動車道))

 6/10  金沢---->新潟中央---->会津若松

     走行距離644Km  燃費24.1Km/ℓ 

     (会津若松市内以外は自動車道)

  6/11  会津若松---->郡山---->福島西相馬市---->仙台

         (福島西ICから相馬市までは65Km、途中に零山の裾野の山越

         えの距離が長い)

     走行距離986.4Km  燃費23.7Km/ℓ        

6/12  仙台---->石巻港---->郡山双葉町---->会津若松

       (郡山~双葉町以外は自動車道)

     走行距離1224.0Km  燃費23.4Km/ℓ 

6/13  会津若松---->五色沼---->新潟中央---->長岡ß---->小地谷市

    (五色沼へは裏磐梯山経由、山道が多い)

     走行距離1616.6Km  燃費23.7Km/ℓ 

6/14  長岡---->山古志町---->福井

    (山古志町自体が山の上にあり、当然山道のドライブ)

     走行距離1920.5Km  燃費23.5Km/ℓ 

6/15  福井---->福知山---->鳥取---->松江

     走行距離2782.6Km  燃費23.6Km/ℓ 

このような結果となった。全走行距離2782.6Kmに対して燃費は23.6Km/ℓ、妻と荷物

を合わせて150Kgくらいの荷重で大半は自動車道だが、そこを降りて下の道を走る時

は総じて山道だった。相馬市へは大きな山登り、五色沼は会津磐梯山の裾野の山登

り、福知山~鳥取これまた山登りと言う感じだ。登れば当然のこと下るから差引0なん

てことではないだろうが、確かに上りの時は燃費の落ち方は早いが下りになっても、そ

の勢いで回復することはないように感じる。

燃費計を見ながらアクセルを加減すればかなりエコな運転をできるが、道路は自分一

人で走っているのではないから、流れに合わせることも必要になり燃費低下の要因になる。

時間の短縮では圧倒的に自動車道になるが、燃費の観点からも自動車道の方が有利な

のかどうかについては不明。


『山の清水に生きるボッカ』

2013年06月27日 17時49分22秒 | 日記

竹を切りに行くための道具を取りに山小屋に行き、車に乗せていた時、山にある小

さな清水が流れる小川からバシャバシャと大きな水音がした。山の事だからカエル

が蛇にでも襲われたのかと、その方向に行って見ると音の主は大きなボッカだった。

山のボッカにしては大型で約10cmはある奴が、鯉の滝登りならぬ清水登りをして更

に上流を目指しているのだ。何の目的があって上の方に行くのか。

以前、もっと上流で7~8cmのものを見たことはあるが、雨で水かさが増すと鉄砲水の

ような勢いで流れるので、そうした時に流されて下の方に行ったに違いない。それに

しても、この魚は不格好なのに綺麗な水を好むようで、泥や濁りある所では見かけな

い。ここに来るまでにも段差が沢山あり、水のない場所を迂回しなければ来られない

はずなのに、現にここにいるのだ。こいつは水の少ない所でも平気のようで、身体が

半分くらいしか浸かっていなくても、じっとしている。

魚は身を隠すためにも少々の濁りがある方が安全だと思うが、この魚は黒に近い茶

系のマダラで清水の石ころと同化することで身を隠している。ボッカとはこちらの方言

での呼び方だ。私は海釣り専門だったからボッカと聞いた時、海のボッカかと思った

ら、山のボッカとは違っていた。因みに海のボッカはカサゴのこと。

      枯葉や岩に紛れて暮らす、キンタロー。のように頭が大きい


『震災鎮魂の旅、今も震災一色、福島の地方新聞』

2013年06月26日 17時47分49秒 | 旅行

人に言われれば、震災地と離れた場所での震災に関する温度差は歴然としてい

るだろうな、誰でも容易に想像できることだ、と思うに違いない。だが、それを目の

当たりにすると、やはり世間は東日本大震災のことを忘れかけているのでは、関心

がとても希薄になりつつあることにやっと気づかされる。

関心は高いと思っていた私でさえも、会津若松のホテルでみた福島のローカル新

聞『福島民友』の第一面を見て驚いた。全国紙の一面はGDP4.1%増ではなかった

と思うが、福島民友の一面トップは『核燃料取り出し前倒し』に並び『復興住宅300

0~4000戸 15年度まで10市町村』で原発関連の記事が載せられていた。そして2

面、3面にも原発関係、復興関係の記事で埋め尽くされており、ここでは明らかに

今でも臨戦体制下にあることを示している。

この温度差は新聞だけではなく、同じ県内にあっても全く被害のなかった場所や軽

微な所と被災地間にも存在していると思う。だが、そのギャップは私たちよりはるか

に小さいものだろう。

仙台からの帰り再び、このホテルに泊まり朝刊をに目を通すと、一昨日と同じように

震災関連の記事がトップを飾っていた。

福島県の復興は原発収束が前提になり、廃炉と除染は国が前面に出て処理すべき

と訴えている。福島は原発災害で復興のスタートラインにも立てない町や地域があり、

被害を免れた第2原発も廃炉を要求し『原発との決別』を決心している。これに対し早

く再稼働を希望する声がある、ここにも大きなギャップが存在する。被害者は未だ後

始末の渦中にいて日常的な生活を取り戻していないが、そんなことより日々の生活を

保持するために原発は必要だと思うから、その差は歴然だ。そして再稼働して欲しい

人たちの頭の中には『2度と福島のような事故が起こるはずはない』と何の根拠もない

のに、そう思い込んでいるのだ。

政府や電力会社の言う安全対策なんか当てにならない。福島の原発がどのような経

過、原因でメルトダウンに至ったのか誰ひとりとして現場を調査した人はいないのだか

ら。安全対策は原因を究明し、それに対する不具合を解消する手立てのことを言うの

だぞ、不具合箇所を見たこともないのに手を打つことを『当てずっぽう』と言うことをよく

覚えておけ。

脱線してしまったが、福島と私たちの違いは、新聞記事のこんなところにもあったと、驚

かされた次第。


『訃報、ザーサイ漬け全滅』

2013年06月25日 23時27分16秒 | 日記

第1陣にカビがきて討ち死にした時、塩水に漬けこんだザーサイは持ち堪えてい

た。水分もあったし色に特別おかしそうなこともなかった。

ただ一つ、袋の上に板を敷きその上に重石を置いていたのだが、板にカビらしき

ものがついていたので、これが悪影響を及ぼさなければいいと心配していた。

やはり、そのカビらしきものがビニール袋の中まで伝染したのではないかと思われ

る。大根漬けと同じような要領で漬ければ上手くいくはずだが、全滅だから、再び

種まきから始めなければならない。

用心して一部を冷蔵庫でと、考えたものの多分大丈夫の安易さで失敗してしまっ

た。小さなビンに1ビンでも残しておけばよかったと悔いることしきり。


『震災鎮魂の旅、中越地震Ⅲ』

2013年06月25日 18時14分44秒 | 旅行

旧山古志村の有名なものは牛の角突きで隠岐の島と同様に、闘牛場があるらしい。

私たちは興味がないので、そこに行って見ることはしなかった。

他に特別なものはなさそうだが、地産池消を売りにした小さな食堂『山古志のごっつ

お(ごちそう)、多菜田』があることを知り、昼食は其処で食べることにした。実は木籠

に行く途中、先にここに来てしまったが開店は11時ということで野菜直売所も閉まっ

ていた。だから正確には2度目の訪問になる。

ガラガラと戸を開けると、普通の家のように玄関と上がり框(かまち)、どう見ても食堂の

ように見えないから、声をしてみると『どうぞ』の返答。

家に上がり戸を開けると10畳ほどの部屋があり、食卓が並べられていた。先客もお

れ、私たちが3組目のお客だった。私は餅に目が眩み『餅入りのうどん』を頼む、

妻は山菜蕎麦にして、付け合わせとして天ぷらを頼んでみた。

これがまた、失敗だった。量が多く食べ残してしまったからtake out用にと詰め込ん

貰う結果になった。詳細は不明だがこの店は元気ある女性グループが立ち上げ

たもので、宿泊も可能らしい。店の横に野菜直売所はあったが本日は閉店中だ

った。近年の女性グループのパワーは凄いと思う。

男連中は『あれが心配、これが心配』と論議を繰り返すのに対し女性は度胸とばかり

に『やってみければ分からない』と行動を起こす傾向にある。

女性の起業化が多くなっているのも何となく頷ける。

この地では未曾有と言われた被害はあったが、人の力の及ぶ範囲での復興は果た

した。不可能な修復は避けて新たなう回路の建造などで全くの元通りにはならなかっ

たが暮らすのに不便なことは解消されている。

今回は東北地方の災害地と過去に起こった日本海側の地、二つを訪れた。この二

つとも自然災害でありながら、中越地震は山の崩落、未曾有の土砂との闘いで人の

努力を以ってすれば克服できる範疇にあったのに対し、福島は幾ら予算がふんだ

んにあろうと、マンパワーを十分に用意しても汚れた核との闘いだから、現時点では

人の努力も空回り状態にある。

阪神大震災、中越地震とも大災害ではあったが人の能力が及ぶものだったから、辛

くても何とか乗り越えられた。これが福島の災害と決定的に違う所だ。

つまり、人の手で制御できないものを使い、過ちをすると取り返しがつかないことを神

は人間に何度も忠告したのに聞く耳を持たない輩は『愚か』の殻を破ることを知らない

のだ。人類史上から戦が消えないのと同じで、日本列島は放射線で蝕まれ続けて行

くことになるのではなかろうか。

原発の再稼働がなくても、何処かで大災害が発生し原発の冷却不能が生じたら、必

ず第2の福島になることだけは保証されている。

 

                  棚田の風景、奥の山肌は崩落の跡


『イチゴ苗の整理』

2013年06月25日 17時47分29秒 | 日記

今年は、古い苗と新しい苗の両方で栽培したから、昨年の倍以上の収獲があった。

古い苗は数年、収穫できるが苗自体の勢いはなくなり、粒も小さくなっていく。それ

でも2年目くらいだと、粒が極端に小さくなることはなく家庭で食べるには十分の大

きさだ。イチゴの苗は今、ランナーと呼ばれる蔓が延び、新しい苗が根付き、更に

蔓を延ば1本の蔓から次々と苗が出来る。

新しい苗の2番目にできるものを翌年の苗として使用するのがいいとされるが、実際

にそうしようと思っても、蔓がぐちゃぐちゃになったり、親からの蔓が切れて分からな

くなったりするので2番目ばかりを集めるのに大変だから適当な苗を選んでいる。

私はイチゴの畝の間に防草シートを敷いているので、イチゴの新しい苗が根付こうと

しても難しいので、そのシートを除去した。そうすると蔓や苗はさらにぐちゃぐちゃに

なり苗の向きが逆になり根が上を向いたりしている。それをきちんと整理するのが厄

介な作業なのだ。本当は新しい苗を別の仮床に移植し育苗してから栽培用の畑に

植えかえるそうだが、横着者だから大きく省いて、いきなりの栽培用移植をしている。

食べては美味しいイチゴだが、手間はかかるし、畑は年中占有しているから正式版

のように狭い苗床にしないと効率も悪く、素人でも栽培意欲は減少する。だからイチ

ゴは値段が高いし、苗も1本150円~250円と高いのだ。

只、苗は翌年には倍以上に増えるので、2~3年もすれば十分な量の確保が可能に

なる。

畑のスペースは十分あるので、来年も今年のように新旧苗のコラボでやってみようか

と思案中。


『震災鎮魂の旅、中越地震Ⅱ』

2013年06月24日 18時02分33秒 | 旅行

木籠(こごも)地区という名は知らなかったが、山崩れで川の下流が堰止められ自然

ダムが出来てしまい集落が水没した被害のことは知っていた。当時の報道などで小

地谷市、山古志村の地名はよく出ていたし、錦鯉の銘産地であることや牛の角突き

が有名なこと、確か山古志村長は国政に打って出たと記憶している。

この他にも国道291、山林などの崩落の惨状が流され、今でも鮮明に記憶している

のは、国道が削り取られガードレールの一部が残された現場だ。

昨日、訪れた妙見(みょうけん)の災害現場が291号線の入口で、ここから木籠地区

に登って行くことになる。

あの時の地震で大きな被害を受けたのは山の高い所にある山古志村を中心とした、

山々に取り囲まれた集落と、山林そのものの大崩落、アクセス道路などが大きな被

害を受けた。

地震からそう時間が経過していなければ、山の崩落の状態をはっきりと見ることがで

きたと思うが、今はかなり自然回復した所もある。しかし、崩落の規模は自然回復を

しても未だ当時の状態を残しており、あちこちに崩落して剥げた場所を見てとれる。

差し詰め、地滑り危険地帯の真っ只中に村があったと言うことに他ならない。車は登

り坂をぐいぐいと登って行くが、ナビの案内で向かおうとしたら道は工事のため通行

止めになっており、別ルートに向かう。

途中は錦鯉養殖や販売店などの看板がたくさんあり、やはり銘産地であることには

変わりなさそうだ。木籠は有名だから案内看板くらいあるかと思っていたが、中々巡

り会わず山道を走り続ける。

小地谷市役所の支所があったのでそこで道を聞き、その方向に行くと小さな看板が

あり従っていくと土産物屋のような店があった。そこは木籠地区の自治会が自主的に

作った災害記念館のようなもので、2階に皆が持ち寄った写真や新聞記事などが展

示してあった。震災直後、国道の崩落で孤立した際に『SOS』を道路に書いて援助を

求めた時のものや、テント内に避難していた時のものに加えて、槌音高く地区の復興

に向かう姿などの資料もあった。

そこを出て川の方に行くと、写真にある水没した家が当時のまま残されている。堰止

めされた水を一気に抜くと土石流となり、今回の災害以上の被害を起こす可能性を

心配され、慎重な検討がなされた結果、学校などがあった所を水路にして放水され

たそうだ。当時、水は写真に写っているテントより上まであったと言うから、それを貯め

るだけの土砂が如何に多く崩落したことか。

店の中で物色していると活気のありそうな人が声をかけてきた。『何処から来られた?』

『島根県から』『そりゃ、遠くからだ。私たちは島根の隠岐島に行ったことがあるよ。』

そう牛の角突きの関係で交流があるのだ。話をする内、ここの自治会長さんで地域再

生のリーダーを務めて来られた人だと分かった。『地域の再生は官ばかりに頼っても何

も生まれない。民が自分たちで再生させると自ら動かないと、その地域は消滅してしま

う』こういう主旨のことを熱く語られた。松井治二さんがその人だ。

どこでも、再生に成功したリーダーが語られるのは住民が地域を作る意志のない所は

衰退する・・・・お上に頼っていても何もしてくれるはずがない、共通項だ。

この方、有名人のようで牛突きやこの周辺を訪れる子供たちの世話などもしておられる

ようだった。そして『あそこに残っているのは私の家だった』と指を差された。

当時、水没した家は全て高い所に移り、故郷を捨てることなく同じような暮らしが出来て

いるから、福島の人たちよりもずっと幸せだと言っておられた。

負の比較で小さい負だから幸せと言っておられるのではない。自分たちのされた努力

は言うまでもないが、原発で追われることもなく、この地に留まり復興できたことに対して

だと思う。

ここの店に珍しいものが売られていた。『ぺ・ヨンジュン様も食べたアイス』

本当の事だろうが、丁度暑かったので私たちもそのアイスキャンディーをいただいてみ

ると、昔懐かしいアイスの味がした。

 

                        水没した松井さんの家

                当時、水はテントより高く溜まっていた

 祈念の石碑


『スイカの異変』

2013年06月24日 18時01分22秒 | 日記

今年のスイカは少し様子が違う。私の所だけなら今年のスイカは、おかしいのでは

なくいつもの光景なのだが、先生の所も私の所も同じ状況。私の所のスイカは例年

なら活着不良で実の付きは遅いのに、一番子は珍しく6月初めに実がついた。次

々と付くのかと思ったら、それからさっぱり駄目で、やっと今日は7~8の雌花がつき

受粉させることができた。

この間、20日くらいあるから7月20日頃に最初の実を収獲したら、暑いさ中の20日

間は収穫が途切れてしまう。どうして、こんなことになったのか分かるはずはないが、

ジャガイモでも収穫したものが極小で商品にならない現象が起きているとTV報道。

天候の加減には違いないだろうが、先生の所でも同じように、極小ジャガイモの収

獲になったと言っておられたから、広い範囲の現象らしい。

時期として、今は梅雨の最中だからこれからも雨は降り、スイカの受粉条件は悪く

なり、実の付き方は低下すると思われる。夏野菜の中では力を入れて作っている

ので、何とか例年並みの収獲を確保したいものだ。

素人百姓でもそれなりの悩みはあるもんだなー。


『震災鎮魂の旅、中越地震Ⅰ』

2013年06月23日 18時48分14秒 | 旅行

ネットで何かを調べていた時、『皆川雄太ちゃん10歳』の記事が目に入った。中越

地震で親子3人が土砂崩れに巻き込まれ、当時2歳だった幼児が奇跡的に救出さ

れる瞬間をTVで観ていたことを思い出した。あれからもう8年も経ってしまっている

のかと時の早さに驚かされた。と同時にあれほど大きな災害だったのに私たちの関

心事の端にも入っていないことに気付いた。

それもそのはず、東日本大震災でさえたったの2年3か月しか経っていないのに、

語られる機会は滅法減り、風化とまではいかないが忘れ去られつつあるのではない

かと、思いついたのが今回の旅の発端だった。

丁度、道中に長岡市があるから中越地震の跡地でも供養してこようということになっ

た。親子3人が被害にあった妙見、自然湖ができ水没した木籠地区、旧山古志村

の3箇所を目的地とした。それを総括できるのが『きおくみらい長岡地震アーカイブ

ス』で、ここに行けば詳しい情報が得られるかもしれないと出向いてみた。駅前の立

派なビルの一角に作られた施設だが、私たちのような個人より団体で研修を受け

ような施設に見受けられた。多数の椅子があり映像室も準備されていた。

係の人に妙見メモリアルパークへの行き方を尋ねたら、震災の各メモリアルパーク

を紹介するパンフレットを呉れた。何処から来たのですか、と問われ『島根県です』

と答えるとビックリして『島根の人は初めてです』

時間はあったので子供が救出された妙見メモリアルパークを目指して、車を走らせ

る。私の記憶では中越地震は小地谷市、旧山古志村この二つの地域で大被害があ

り、長岡市などでの被害はさほどではなかった。

長岡市内でも多少の被害があったとして8年の歳月は、その姿をこれっぽっちも残し

てはいないだろうから、何も見えはしない。

ナビに近隣の情報を入れ、30分ほど走りやってきたが、それらしき献花台やメモリア

ルパークと呼ばれるようなものは見つからず、バックして役所の出先で場所を確認、

先ほどの所をもう少し先に行けば妙見メモリアルパークだという。

こうした場所は画像で見たものを頭で考えて、実物を探すがイメージが強すぎて実際

とは異なっている場合が多い。今回もそのケースで、わたしはもっと広い場所で今で

も献花が絶え間なくあるのではないかと思っていたが、実際には小じんまりとしたので

メモリアルパークと言うには余りにも貧弱に思えた。

しかし、犠牲者のことや被害のことを忘れまいとする施設だから、立派なものである必

要もないのである。私たちはあの災害現場の側面に作られた献花台から現場を見た

が、大きな石があり周囲は草や低木が蔓延り、TVで救出劇の現場を思わせる面影は

何一つとして残されていない。オレンジ色の服を着たハイパーレスキュー隊員が余震

で崩れる合間を縫って、ようやく優太ちゃんを抱き上げた。その姿はおしめを纏い隊

員の手渡した毛布か何かでくるまれた。

その時点で、土中の車の中に生命反応があると報道されていたので、母娘の救出に

期待をしていたが、結果は残念な事だった。

当時は山の尾根から川まで大きな岩で覆いつくされていたが、崩れた山肌は崩落防

止を施され、道を開通させた。道路から下は当時とあまり変わらないが、災害現場は

雑木などで面影はない。線香に火をつけて、残念ながら救出されなかった母娘の霊

に『安らかに、優太ちゃんは10歳になりました』と念じた。

 

             岩の向こうが救出現場、手前は献花台

                    右上から崩落

                     川の対岸


『女性らしさ』

2013年06月23日 18時47分02秒 | 日記

会津若松市に宿泊した際、暇があったから駅前の方をうろついてみた。カラオケ

店らしき前の路上に『座布団も敷かないまま』高校生らしき女の子たちが座ってい

た。心の中で『尻が冷えて痔になるぞ』と優しいアドバイスをしてやる。

その中の一人は事もあろうか煙草をふかしているではないか。

会津若松は東北で純朴な人ばかりだろうから、そんな光景に出会うはずはないと

思っていたら、出会ってしまいビックリしたのではない。

昔々はこんな風景は都会の出来事のように語られていたが、今や良いことも悪い

ことも分け隔てなく、日本中津々浦々に浸透している。

また別の場面では、煙草をふかしながら颯爽と車を運転、時々煙草の灰をチョン

チョンと落とす。これも珍しい光景ではない。

TVかラジオで『女性らしさとは何か』について論争していた。特に『らしさ』にこだ

わり『何故、女ばかりにらしさを求めるのか』が焦点になっていた。私は自分のこ

とを保守系のガチガチではないし、堅物でもなくロック音楽を好みネットを駆使し

ていると新しい爺だと自負している。

しかし、このような論議になると古いと言われる方に意見が近いから、やはり只の

古臭い爺さんのグループだと思われてしまう。

女性は中性化しつつあり、禁断の園と一方的に隔離されていたがカミングアウト

と新しい言葉と共に解禁され、男性の女性化は堂々とお茶の間にも登場するよ

うになった。女性が男言葉を平気で使うようになり、人前でも自分の旦那さんの

ことを顎で使うような素振りを見せたりするのも珍しくない。私は女性の特性と男

性の特性は違うと思っているので、何も女性が男言葉で話す必要はないと思う。

今は自己責任で自由に出来るから、従来の発想では理解できない現象はもっと

多くなるだろうが、女性が女性でなくなったような行動をとる人に女性の魅力が備

わっているのだろうか。

そうした人に限って『女性としての美』は追い求めているのではなかろうか。

尤も女性の美についても新旧があるから、ここでも論争になるのかもしれない。

大和撫子は絶滅危惧種になってしまったから、純血種をお嫁さんに貰うなんて雲

を掴むような話だ。


『震災鎮魂の旅、知己との再会』

2013年06月22日 18時17分48秒 | 旅行

人の出会いは数えきれないほどあるが、何かの関係で同じ時期を過ごし、人間性

や考え方や、その人の持つ独特の雰囲気など、自分と異なっていても何故か相性

のいい人はいるものだ。会社であれば差し詰め同期の桜であるし、先輩・後輩もそ

うだ。私が初めて駐在したお客様先で一緒になったのが、今回仙台で30数年ぶり

に再会する先輩だ。一緒に仕事をしたのは4~5年と短いものだったが、技術的な

知識が伸び盛りの時に、色々と教えて貰い私の技術的な基礎を固めることが出来

た。勿論、人間性も素晴らしい人だから、離れ離れになり長い歳月が過ぎても、こ

うして逢って語りたいと思わせるのだ。

奥さん共々、出掛けたのは仙台名物の牛タン屋さん。

老舗で美味しいと評判の店らしい。牛タンを4人前頼もうとすると、店長さんが『ここ

のタンは大きいから、2~3人前と何かを頼まれた方がいいですよ』とアドバイスして

くれた。厚さは1cmくらいあり、2cm幅くらいに切ってある。丁度、ステーキを2cmくらい

に切り分けたような感じ。厚いのに店長が自慢するように、柔らかい。ほんのりとした

塩味で上品な味だった。私たちが食べるのは薄くスライスしたものばかりだから、タ

ンそのもの味より塩コショウだったり、別の調味料の味の方が強く感じてしまう。

何故、仙台が牛タンの本場なのかを聞き逃してしまったが、お土産コーナーでは

笹カマと肩を並べて牛タンの燻製や加工品が置かれている。

美味しい食べ物、冷えたビールで口も滑らかになり昔話、震災のことなどに花が咲

き大変楽しいひと時を過ごすことができた。皮肉なことに、この再会は憎たらしい震

災があったから叶ったものだ。天災は何一つとしていい事は言われないが極まれ

に、こうした機会を作り出すこともある。次の日は会津若松を通過して、長岡に泊ま

る予定だったが、宿の変更が出来たので会津若松泊にした。ここには後輩がおり

これまた何十年ぶりの再会だ。

当時は未だ若かったから会社のレクリエーションで奥さんも一緒にバレーボール

したりした。年賀状でのやり取りだけの付き合いになっているが、彼ともこうした

再会を果たせるとは思いもしなかった。頭の中には『いつか三春桜を観に行った

ら彼と再会できるかも・・・』とあったが具体性は皆無だった。

私の方が先輩だから偉そうにしたいが、郷に入れば郷に従うしかないから、連れ

いかれたのは『郷土料理』を食べさせる昔の豪農屋敷風の料理屋だった。

『こづゆ』と称する野菜汁のようなものや、目出度い時に食べる『饅頭の天ぷら』な

どともに会津地方の珍しい料理が出される。

呑み過ぎにならぬようと心がけていた心算なのに、ワインを3杯も飲んでも未だ元

気が残っていた。ここでも、当地で勤務していた仲間たちの報告やら病気の話を

していたら、奥さんは直腸がんで手術をされたと聞く。

以後の状況は順調で心配は要らないとの事だったが、こいつばかりは安心ならぬ

からお互い気を緩めないように。

懐かしい人との再会で話題は尽きないが時の経つのは早い。いつになるかはわ

からないけど、三春桜・・・・・と言いつつ再会を願う。

後輩の推薦・・・『五色沼は綺麗』に心を動かされ翌日は五色沼経由で中越地震

被災地の供養に向かう。


『震災鎮魂の旅、双葉町入口』

2013年06月21日 18時36分41秒 | 旅行

震災の被害は津波が一番惨いが自然災害によるものだから、防ぐための私

たちの努力には限界があり、残念な結果に歯ぎしりをするしかない。そうと分かっ

ていても、やりきれないものだ。

それに対して、今回は福島第一原発の津波?地震?による事故は、人災も加担

して、私に言わせれば取り返しのつかない事故を起こしてしまった。

私は原発や東電、国に言いたいことは山ほどある。この場でも何度も書いてきた

が、書いても々、怒りは収まらないし書き足りないのだ。

今、原発周辺から強制力を伴って避難している人が約8万人、自主的を加えると

15万人と報じられている。こんなことが、あっていいのか?

中国では何かあると強制的に住民が移動させられたり、それに反発して居座って

いると家の上に鉄道高架が作られたり、そんなことが度々あったらしい。内々に始

末してきたが最近は騒ぎがネットなどに流れるから、強制移民は別に珍しいことで

はないことが判明した。ここは中国ではない。なのに理不尽な強制移民を強いら

れている。一番おかしいと思うのは、こんな大惨事を起こしたのに誰一人として

『責任』を口にした人はいない。

半径30Km以内は何とか、帰宅準備地域だとか、困難地域だとかどうでも良い名前

を付けて、これらの町が震災前に戻るような空虚な夢を抱かせ続ける政治家や官

僚どもが勝手なことをしている。双葉町や大熊町、浪江町などに入ることが出来な

いのは誰でも知っている。私は街中に出掛け惨状を見たいのではない。出来る限

り近くまで行って、恐らく以前のような街にはなり得ないだろう町の回復を祈りたい

だけだ。三春桜近くのICを過ぎ双葉町に近づいて行くが、震災とは無縁の町を走

っているように感じる。この辺りは私の住むところと余り変わりなく、田んぼには稲が

植えつけられているし、畑ではお婆ちゃんたちが野菜の世話をしている。

しかし、途中からやはり原発の影響を受けていることを目の当たりにする。除染で

除去した土を黒い土嚢袋に詰め込んだものが集められている。数はまちまちで、

所も山際とか家の側などまちまちだ。

TVで説明を受けたりニュースなどで報道されているから、除染の土だと分かる。

袋には場所を示すのだろうか、一つひとつにタグが付けられている。

畑の側にも黒い袋が積んである。除染したのであろう。除染というから放射線で汚

された土をはぎ取ったものだろう。畑の土だろうか。畑で作る作物は放射線の影

響は受けないものだろうか。除染したから大丈夫ということなのだろう。除染は原則

として森林は適用されない。除染後すぐ近くの山から核物質が飛来して来ないの

だろうか。こうした物質は埃のようにヒラヒラしているらしい。雨が降れば下に落ち、

乾燥して風が吹けば飛散する。落ち葉の下に隠れてしまえば、そのまま残ってい

る。除染した土袋は行き先がないから、行き先が決まるまで何年も何十年も今の所

に置かれる。その内、袋は劣化して破れ出すのは目に見えている。

其の頃には半減期に至らなくてもかなり低下しているから、そのままでもいいのか。

深く考えると疑問符に疑問符が乗りキリが無くなる。

目的地の規制入口付近に到着したら、丁度ガソリンスタンドがあり給油することに

し、様子を見るが開店なのか否か・・・・取り敢えず駆け込むと若い店員さんが出て

きた。スタンドは見るからに暇そうで客が来ても、いつもは五月蝿い程の声で

『いらっしゃいませー』の声はない。満タンにして貰い

『双葉町の規制入口はどこですか』と聞いてみた。

『この峠を降りたら検問があり許可書のない人は入れません』

スタンドを出て分帰路に来ると規制を示す看板があり『通行証のない人はここで戻

って下さい』

わざわざ検問入口で追い返される必要もないので、双葉町入口の旅をここで終え

た。さきほどのガソリンスタンドは双葉町との境界にあり、お客さんは沢山あったの

だろうが、今や町の一番外れに位置し疎らな客相手の活気のない店になってしま

った。塀の外と内を比較するのに刑務所がでてくる。この店は塀の外側にありなが

ら実際には塀の内側とあまり変わらない哀れな状況にさせられてしまった。大震災

の爪痕は何もない。塀の外側の人は震災以前と変わらない風景の中で暮らしてい

る。塀のすぐ内側は、ここと同じなのに何が違うのだろうか。

気は心だ。道の駅に寄った際、『福島県産の米ともち米』を購入した。

勿論のこと、袋には放射線被害のない安全な福島県産と書いてあった。

私は餅が好きだから、帰ったら電気ベーカリーで餅を作って貰おう。

 

                       除染土の袋

 


『笹百合が咲いていた』

2013年06月21日 18時24分57秒 | 日記

先週、旅に出る前には笹百合の蕾は未だ固そうで、かえって来た頃が丁度見ごろ

になるのではないかと思っていた。しかし1週間の旅から帰ってみると季節の時計

は、それよりもずっと早いスピードで針を回していた。

山小屋の周りの笹百合たちが咲き始めており、全部で10本ほどしか見えないが、

次々とラッパのような白い蕾がはじけそうだ。小屋の周辺は雑木に覆われていた

のを開拓した所だ。もう10年以上も前の事だが、それ以来この地には笹百合の花

が咲くようになった。正しくは昔、この地は田んぼだったから周囲は、今のような光

景で恐らく笹百合が咲いていたと思われる。人が手をかけなくなったこうした場所

の大地には太陽の光が届かなくなり、野花たちも朽ち果ててしまう。乱開発はよろ

しくないが、人の手が入る場所でなければ、こうしたありふれた自然も保てないと

言うことだ。

『山は、こると(雑木を倒伐したり下刈りをすること)笹百合やワラビなどが生え始め

る』といつも糸さんが言っていた言葉を思い出す。本当に、その通りだ。この周辺

の山々を綺麗に『こってやれば』笹百合が点々と咲き、強い百合の香りを漂わせ

てくれるだろうなー。

たった1週間の時間は畑の小梅の収穫時期まで狂わせて、黄色く熟れ過ぎ大半

が落果し、周囲を甘い香りで包んでいた。木には少しの実が残っていたが、収穫

して漬けるほどの量はないので、このまま放置することにした。

梅の収獲といえば、私の所属するNPOで栽培している梅園では約100Kgの梅が

採れた。これも旅の途中に行われたことだが、昨年は3Kgほどしかなかったから、

木の成長も順調にいっている証しだと思う。

   

            笹百合                    アザミ

 

          山つつじ                      自生のショウブ

                           梨の実

                  ブルーベリーの実 

                   以上、山小屋のプチ自然


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