私は物好きな性分だから時々、人がしないような事に没頭する。今回は4月頃、山陰中央新報に掲載された福島原
発事故の記録を小冊子にすることだった。記事は全4章、各章は13~18号で構成されている。
記事が出た時からスクラップにして残しておいたが4月20日から福島の三春町にある滝桜を観るため旅に出た間、
新聞を止めていたので、この期間が欠落していた。ただその間の1号分は福島の地方紙、福島民友に載っていたも
のを持ち帰っていた。新聞の切り抜きをスキャナーで取り込み、OCRソフトでワード文に変換する。
スキャン時に斜めになったりしたものを無理矢理、変換するものだから変換精度が落ち、誤変換となるものも多か
った。小冊子の作業は誤字を発見することに大半のパワーを裂かれた。
何度も読み返すが『重』『震』『車』のような文字は誤読されることが多いし、『吉』-→『古』、
『日』--→『口』、『11』--→『H』なども常習者のようにある。すべきことは決まっているから根性あるのみの
修正作業を終え、B5版88ページの小冊子が完成した。欠落していた記事は図書館に出かけ、該当のものをコピー
して全号が揃った。問題は中身であることは十分承知している。
私は常々、東京電力の姿勢を批判し続けているが、これは経営陣とか現場を知らず天下を取ったかのような顔して
いる管理部門の連中がターゲットだ。過去に不祥事を起こした日本の大企業の場合と同じ構造だ。この記事は現場
の人たちが命がけ、命を落とすかもしれない危険の中で危機回避に挑んだ。そうした生の証言を時系列にして構成
されている。
記事全般に当然の事として当時の吉田昌郎所長が登場する。現場の代表としてまた技術者として譲ってはいけない
ものを守り通す姿は、現場で苦労を共にする人たちの励みになったと思う。残念ながら食道がん、脳出血と大病を
患い58歳の若さで世を去った。もっと生きて原因究明、将来のために彼の立場から多くのノウハウを伝えて欲し
かった。国は調査で『吉田証言』を纏めているが吉田所長の希望で非公開としている。先日、これが一部マスコミ
に漏れ彼が一番恐れた『調書の一部が独り歩き』することが起きた。こうしたことで誤解が生じることを防ぐ必要
があるとのことで、近く公開されるようだ。
私たちは当時現場で起こったことを忘れてはならないし、何より現場で故郷を守ろうとしていた人たちの存在も忘
れてはならない。吉田調書が公開されればもっと詳しい内容を知ることが出来るかもしれない。
反映しているのかなんとも嘆かわしいものですが、誤変換なら笑ってすませられます。
ホントは『500円でおやつ買わないと』とメールしたかったらしく、
次のは『うちの子は耳下腺炎でした』と変換したかったのに、誤変換したまま気づかずに送信してしまったそうです。
「ミスコンテスト」なんていう誤変換コンテストさえありますよ。