近年の大相撲、横綱はモンゴルの指定席になり日本人横綱は遠い過去のことになって
しまっている。横綱は他のスポーツのチャンピオンと異なり強ければ誰でもなれるもので
はない。人間としての品格を備えていなければ、無類の強さを有していても横綱にはな
れない、これが杓子定規の解釈になっている。
日本人なら大抵の人がそうだと肯定するのではないかと思う。だが、品格の審査は誰が
するのか。品格を審査するのだから横綱候補者より品格の高い人でなければならないが、
横綱より高い品格と誰が判断するのか。また四六時中、横綱候補者の傍でその品格をチ
ェックしているのではないから判らないはず。なんて事を考えると横綱を決める人はいなく
なってしまうのではないかと要らぬ心配をしている。
品格は別にして横綱も大関も過去3場所の成績を基礎点にして、勝ち星の内容などが加
味され最終的にはアナログ的な決定がなされているようだ。最近の大関は優勝しなくても
成れてしまうから随分と大関の値打ちが下がってしまったように思う。
相撲が始まったのが判らないくらい関心が低くなっているのに、前述の体だから大関力士の
名前すら出てこなくなっている。知らぬ間に大関になり知らぬ間にカド番で騒いでいる。久々
に日本人大関と賑やかだったが優勝争いに加わることなど叶わぬ実力、給金直しに躍起が
頑張りどころの有様。
昔のことを言っても仕方のない事だが、今風に言えば関脇でもスターであり、大関、横綱に至
ってはスーパースターのような存在で、小さな子供たちからも羨望の眼差しを浴びていたもの
だ。大相撲の衰退は日本人力士の活躍が見られない所、一点に尽きると思う。若貴が活躍し
た、あのような活気が土俵に戻って欲しい。
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