食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『我儘ツアー客』

2014年01月18日 17時59分33秒 | 旅行

12/12 に『中国を笑えない日本人』で一部紹介した我儘な行状の他にもあるので紹介す

る。毎日バスで移動することから座席は毎日、前後左右に変えて偏りが出ないようにして下

さいと、ツアー客よりずっと若い添乗員がお願いをしていた。これは何処のツアーコースで

も言われることで、ごく当たり前のことだと思う。ツアーは何処でも1室2人が原則のようにな

っており、1人参加者は特別料金を支払って1部屋を使う。今回の参加者は、どうしたことか

1/3くらいは1人で参加していた。1人で参加する人は旅慣れた人が多く、話を聞くと海外旅

行も豊富だから、バスに乗る時云々はよく承知のはずだ。

こうしたルールが守られれば誰もが違う場所から車窓旅行が楽しめるはずなのに、翌朝バス

に乗ろうとしたら妻と続きで座る場所がなく奥の方に行ったら、ようやく確保できた。私より後

からバスに乗った夫婦は席がなく別々に座ろうとしていたが、譲る人がおり無事におさまった。

翌日も同じことが起こった。人数からすれば楽勝のはずなのに1人参加の人は特別料金を支

払っているからという理由なのか、1人で2座席を使っていた。苦情を口にする人もいて添乗

員に座席表を作ってもらおうなんて言っていた。

これは最後まで同じような事の繰り返しとなり改善されることはなかったが、1人で2座席使って

いて、周りの様子も分かりながら平気で座っている人の心理は理解しかねた。人生の半ばを過

ぎて物の良し悪しを分別する器量はあると思いたいが、年寄りのピーターパンシンドローム?

就職も決まっていて卒業旅行に近い形の旅行ではないかと思われる、若い女性組の困ったち

ゃん。毎朝、バスの出発時間ぎりぎりになってから乗り込む。

早く来た人は座席の確保でアタフタしているが、お嬢様たちは最後にゆっくりとやってくる。来た

時に座席は空いていない。これ自体おかしいことなのだが・・・

一番前は保険が効かないから客には使わせないようにしてあるはずなのに、添乗員は仕方なく

一番前の席に座らせた。次の日も同じことが繰り返された。

お嬢様たちは当然のように座り続けた。流石に添乗員も言い難いのだろう。

遂に、私たちに前の席に座って欲しいと言ってきた。心情はよく理解できるから快く引き受けた。

年寄りが引き起こす子供じみた事、日本の最高学府で学んでいるはずの若い者が引き起こす子

供じみた事。場を見てどのような行動をとるべきか考える力、譲り合う、相手の気持ちを重んじるな

ど日本人の持つ良いところは何処で削られていっているのだろうか。

 


『自己完結』

2014年01月18日 17時57分51秒 | 日記

災害復旧の時、よく自衛隊を例にして現場で衣食住を自分たちの手で賄えることを自己

完結型と例える。別の言い方をすれば自給自足でもあり私の最も憧れとする暮らし方、や

り方である。昨日のようなニュースに接すると私の頭の中には自己完結の言葉が浮かんで

くる。時代が現代に近づく度に便利さが増しいく。それは自分がすべきことに対価を支払っ

て他人にして貰う分業のお蔭でもある。昔は何から何まで自分でやっていたのに分業の幅

は段々ときめ細かくなり、会社の仕事でも一気通貫で一つのことを達成することなどなくな

ってしまった。食の世界でもそうだ。

外食にしても一部の所を除き食材のプレ加工または半加工品を使って料理を提供している。

否、家庭の食材にしてもそうだ。

例えば災害などでこうした加工が出来なくなった場合や、ガス・水道・電気などのインフラの

一部が機能しなくなった時、それに対応できる能力の有無は生きる力のバロメータになる。私

のような昔人間、田舎で適当な不便さの中で生活している者には、そうした能力は十分とは言

えなくても生活できないほど苦労することはない。例えば住宅にしても被害に遭えば取り敢え

ず雨露を凌ぐものは直ぐに作ることが出来る。水は山水、川にあるから何とかなる。食べ物は

畑に何かはあるからそれで凌ぐ。寒ければ焚火をすれば暖はとれる・・・・こんな具合である程

度の自己完結はできる。そこには普段から何でも自分でする癖がついているから、下手でもそ

れなりのことができるのだ。普段から対価を払って人にお願いすることが当然の時代だから自

己完結との距離は広がる一方になる。

私の心配することではないが、都会で暮らす人ほどこうした能力は要求されるのだと思う。

シンガポールを始めとする東南アジアの国々はホーカーや屋台で食事を摂る習慣がある。日

本の外食とは全く異なり恒常的なもので換言すれば自宅で料理をしない。

こうした極端な例もあるが、災害などの異常時に求められる自己完結とは程遠い姿になればな

るほど、苦労をより多く背負い込むことの証でもある。便利さと相反する位置にある自己完結を

少しでも自分の手の内にキープするのか、昨日のような節目の日に考えることも必要である。


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