食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『Web情報の切取り便利ツール』

2012年08月31日 18時07分05秒 | 日記

 

今更、Windowsのツールについての話などと言わないで・・・・・・・

昔からあったらいいなと思っていたのが、『snipping Tool』なるWindows7に付属し

ている優れものツールだ。この機能を知ったのは一年前くらいの『日経パソコン』

の記事だった。

Web上にある情報は文字は勿論、写真、図画などがミックスされたもので、その一

部だけを切り取ることはできなかった。Snip=切り取る、そのものの名称で、写真を

トリミングのように任意の場所で任意の大きさに切り取ることが出来る。

それをコピペで自分の文章の中に貼ることも可能だ。

66歳になり昔のような記憶容量がないから、大事なことや参考になる事はOffice

のOne noteにコピペし備忘録としている。

例えば腫瘍マーカーSCCについての説明、色々なところにある情報を一か所に

集めておけば、再度調べる時に便利。

例  ・SCCは1.5だが実質は2.0くらいを上限とする(一部の見解)

   ・日差変動が25%ある

   ・汗・唾液にもSCC成分があるから測定誤差を生みやすい

情報源となるWebサイトは無数にあり、出入りも激しいから、いい情報は確実に残

しておくのに便利だ。今後、ジャンルを広げて自分の便利メモメートにしたい。


『稲刈り』

2012年08月30日 18時29分46秒 | 日記

今年の田植えは5月14日だった。分けて貰った苗は10cm足らずの大きさだった

が稲穂をつけ,頭を垂れるほどになった108日目に稲刈りとなった。

仮に車庫の中に吊るしているが、これから天日干しにして少量ながら新米にな

る。

また、稲穂をつけたまま干したものは縁起物として正月の飾りとしても使われる。

プランターだから世話は簡単だが、実際なら手間と費用がかかり、下手すると原

価割れを起こしかねないそうだ。

日本人の主食を作る農家が、それでは生活ができないから兼業、廃業へと追い

込まれていく事を、国民も国も深刻に考えなければならないのに、一向に論ずる

気配がない。

何もかも開き直ってしまった私だが、食糧自給率のことになると、馬鹿な官僚でも

政治家でも誰でもいいから、何とかしてとお願いしたい。私たちの時代にとてつも

ない事はないかもしれないが、地球温暖化、世界人口増加と食生活向上、たっ

た2つの要素だけから考えてみても、想定される恐怖は容易に浮かんでくるから

だ。

グルメだの、xx限定の食材だのと贅を極めるようなことや、外国人に骨を取らせた

魚を食べる、魚を焼く臭いがしないコンロ、こんな馬鹿なことをしている国があるの

だろうか。稲刈りに合わせてふと浮かんだこと・・・・・・。

     

     5/14の田植え    8/29 稲穂          稲刈り


『自動車とコンピュータ』

2012年08月29日 18時30分28秒 | 日記

ITと呼ばれるものの走りは電子計算機、EDPS(Electric Data Processing System)

は時代の先端に位置していたものの、大手企業の一部にしか需要はなかった。

しかもシステムは受注生産でありながらレンタルで貸し出す。昭和40年前半のこ

とだ。当時の記憶装置の主流はコアメモリーでアクセスタイムはハイスピードと呼

ばれるものでも数ms、コアメモリーは粒を確認できる大きさ、つまり1ビットが目視

可能だ。処理装置のメインメモリーは機種にもよるが数KBから数10KBくらいで

OSを読み込むブートローダーは、操作パネルからマシン語でメモリーに書き込

み、スタートさせる方法がとられていた。

こうした時代から約40年経過し、今のIT技術に到達し一般社会に定着しつつあ

る。これを自動車と比べてみると、その違いに驚かされる。

自動車は車輪にエンジンがついて走るものだ。原理的には最初のものと大きく変

わってはいない。燃費だとか安全性の追求は大昔の自動車と比べれば格段に良

くなっているが、今までのところは走ること以外には使えないから、進化してきたと

は言えないかもしれない(技術的な進化は別として)。

コンピューターは高価でとても個人レベルに普及するなどと思いもしなかったが

現実には、当時の性能を遥かに凌ぐコンピューターが個人個人で持てるようにな

った。当時のコンピュータは処理装置に、プリンター、磁気テープ装置やカードリ

ーダーなどが接続されたもので億の値段だった。今は、それと比較にならない数

GBのメモリーつきで自動車の1/10以下の値段だ。

自動車産業は紆余曲折はあるものの、今や基幹産業になっている。あれほど鰻

上りで進化してきたコンピュータは基幹部分の殆どをアメリカに握られ、今や産業

となる部分は皆無に等しい。この部門でもアメリカに追いつけ、アメリカを追い越

せと、日本企業は血の滲む努力をし一時はコンピューターでもアメリカを凌ぐよう

になった。いつ、どこに慢心が芽生えたのか、発想の転換力の差なのか、この世

界に於ける日本の実力は下がり続けている。

技術立国日本の再生に国は本腰を入れ直さないと、置いてけぼりから『落ちこぼ

れ』になってしまう恐れすらある。


『禁煙記念日』

2012年08月28日 18時03分58秒 | 入院回顧

胸部食道がん、吻門部胃がんと正式に病気に命名された時には『禁酒、禁煙』の

通告はなかった。病気の主要因だろう、このお二方がそのまま許されるはずなど

ないことくらい私にもよーーーく分かっていた。医者からそう言われなくても止める

のが当り前のことだが、今更ジタバタしても癌が小さくなるのではないし、急激に

悪化することもなかろうと、このお二方に寛容な姿勢。

医者から『禁酒、禁煙』の通告後も暫くは煙草を吸っていたし、酒も少し減らしたく

らいだったが8月26日を禁煙と決めた。心は『暫くの間は休煙とする。癌の摘出

手術が終わり退院したら、まず一服する。それから減煙か禁煙か考える』

その頃には2箱/日だったものが1箱弱/日と減っていたが、煙草への執着は筋

金入りだったから本当に煙草を吸わない日々が過ごせるの? と懐疑的。

あれほど煙草を減らそうと努力しても効果は少なかった・・・・・人からは『意志が弱

い』と決めつけられてきた。身を賭して高い税金を納めてきたにも関わらず、納税

の評価をされるでもなく、医者からは嫌味のオンパレード、散々な思いをしながら

の煙草人生。

よく決心した、と言いたいが医者からは『喫煙年数の長い人ほど術後に痰がきれ

なくなる。そうなると処置も貴方も大変だ』また『術後、ICUにいる期間が長くなり

復帰に時間がかかる』

色々と言われるが、それがどれくらい大変なものか、深刻なものかなんて何も分

からない。しかし、感覚的には分かるから仕方なしに決心したのであって、女々し

いものだった。

あれから、もう3年も経ってしまった。喫煙期間からすれば未だ3年ということにな

ろうが、禁煙をしたことによる心境、体調の変化はない。

悶々としながら禁煙生活を送るはずだったのに、『手術して退院すれば、また吸

える』が後押しをしていく内に『今日で禁煙XX日目』に変わっていき、これの延長

線に『知らず知らずの内に煙草との決別』があった。


『原発送電線の下』

2012年08月27日 18時43分26秒 | 日記

昨日は朝8時から午前中の間、NPO果樹園の草刈り作業に出かけた。畑や山、

時には道端と草刈りは事欠かないのに、又また草刈りだから、腰を据えて何とか

楽しくなるように・・・・・・と始める。

午前中の早い時間帯とはいえ、温度は急に上昇し暑さが倍々と増していく。昼前

に終えて、東屋でお茶を飲みながらのことだった。

『電気が通ってないと音がしないな』

『何の事?』

『この上の送電線、原発用だから』

近くに原発用の送電線があることは知っていたが、まさかここの上にあるものとは

知らなかったので、少しびっくり。高圧線だから送電中には低い周波数の音らし

きものが聞こえる。雨降りの日だと『ジーッ』というような音になる。

ここから20数Km離れた所に核燃料があり、そこで発電されたものがこうした鉄塔

に吊るされた電線に送られ、広島まで行くんだ。私に送電経由や使途は分からな

いが、島根原発で発電されたものは広島用と聞いている。

やばい部分を担い、原発立地でお金を貰う。以前は島根県八束郡鹿島町が

様々な交付金や寄付金を貰っていたが、いまは合併し松江市がそのお金を貰う

ことになった。

合併当初は松江市も今のような状況になると考えもしなかったろう。3.11以降は

全国的にも類をみない県庁も市役所も原発の20Km以内にある、とんでもない状

況を改めて知らされる。役に立たないオフサイトセンターなるものも。

3.11以前には語られることのなかった『県庁、市役所と一緒に避難。周辺住民

は30Km以内だと40万人以上になる』、万が一の時にはこの現実がぐさりと刺さ

る。

『原発避難民ではなく原発避難県』をどこの県が受け入れてくれるの?。

音のしない原発送電線下でしばし原発談義。


『恐るべし検索エンジン』

2012年08月26日 17時22分12秒 | 日記

インターネットが普及し始めた頃には回線速度は遅く、しかも電話料金は従量制

が大半だったから、電話代を気にしながら使っていた。ネットサーフィンなどと呼

ばれる贅沢な使い方は、いわゆる使い放題の定量性になってからのものだ。

ネットの検索機能が本格化してきたのも、恐らくその頃だったと思う。今は、何か

分からないことを知るには百科事典ではなくネットになる。出先なら携帯やタブレ

ットPCなどで訳なく調べることも可能になった。便利になると不都合になることも

あるから、ややこしい。個人情報がネット中を駆け回ることもある。

公人や有名人ならいざ知らず、普通に暮らす普通の誰かさんの情報も本人が知

らない内に検索の対象になることも珍しくない。

このブログで『原爆と原発どっちが怖い』を載せた。その後ふと疑問に思い同じ文

言で検索してみたら、私のブログが引っ掛かった。私はブログに載せただけなの

に検索会社の網にかかり、すくわれてしまったのだ。SNSは実名で公開するから

過去から逃げたい人にとっては一大事になってしまうこともある。ストーカーに情

報を拾われ被害を受けることもありうる。

きめ細かい情報が得られる便利なものだが、こうした場合には凶器にもなるから

手放しで喜んでばかりいられない。


『便利な通販』

2012年08月25日 18時07分09秒 | 癌のこと

日本人だけの特性かどうか知らないが『限定品』、『訳あり商品』に魅かれるらしく

ネット通販の宣伝文句は、これに尽きる。ネットでの買い物はオークションがあるし

Amazonは個人的売買の仲介のような形をとることもあり、買い方も様々だ。

田舎には専門性のある店が少ない。例えばPC関連商品でも家電量販店になけ

れば諦めるしかない。また、食材にしても一寸、凝ったものや専門性の高いもの

は手に入りにくい。そうした点、通販は便利だが、品物を直接見るわけではない

から不安とのお付き合いが必要になる。よくよく吟味したつもりでも外れもある。

もう一つの問題は送料だ。買ったものより送料の方が高いこともある。どうしても、

そこでなければ手に入らない、そんなケースは最悪だ。

また、支払いにしても銀行振込の場合は振込手数料、代引き手数料の負担があ

るから、高い安いを比較をする場合には、忘れてはならない。ならばクレジットカ

ード、購入時期と支払い時期のタイムラグがあり、自分なりに管理しておかないと

『しっぺ返し』を食うこともある。

家電量販店の価格とネット価格(送料・振込料込)では10万円くらいだとネット価

格の方が2~3万円は安い。地元でのサービス重視か価格重視で選択は異なる

が、故障時の対応を自分で出来るか否かが分かれ道だ。

食材にしても家電でも何でも、通販は便利で大変、重宝している。山で使うチェ

ーンソーの刃や、刃を研ぐ機械やらもお世話になっている。

ただ、せっかちな私には、直ぐ手元に来ないことが不満種。


『インターフェロン』

2012年08月24日 18時20分04秒 | 日記

昨晩は元職場仲間と言っても男3人、女性1人の4人だったが、古い話を織り交

ぜて笑いあり、怒りあり、悲しみありだった。時は苦しさや悲しさを洗い流し、笑え

る思い出話に変えてくれるから話題は尽きなかった。

今回の退職者はH女子で丁度30年間務めたそうだ。今の会社に来る前は親会

社の方にいたから通算すると40年近くになる。そう言えば私が退職する時に『50

歳になるまでは何があっても会社を辞めるな』と遺言を残した。彼女はそれを無

事に乗り越え、定年退職となったから私も嬉しい。

さて、今回参加の男性群、二人とも肝臓障害持ち。一人はB型肝炎で定期的に

通院し治療継続中(生活に支障はなくアルバイトも可)、もう一人は現役でC型肝

炎のキャリアだが監視継続中。

もう、20年以上前のことだが、C型肝炎のキャリアと言われたが、当時そのことに

対して治療法が確立されていなかったし、世間的にもよく知られていなかった。

その当時、癌やこの肝炎に有効と言われていたのが『丸山ワクチン』だったと思う。

彼は私の部下だった。ある日、彼の事で話したいから来て欲しいと病院から電話

があった。様子は聞いていたが、直ぐに何かの治療をするとは聞いていなかった

から、何の用か見当がつかないまま先生にお会いした。

開口一番『お宅の社員は随分と仕事熱心なんですね』、褒められるにしては余り

にも唐突過ぎる、話を聞いていくと『あきれた社員』を遠回しに言っていたのだ。

先生の話では『国からインターフェロンの割り当てがあり、誰に使おうかと検討の

結果、若くて治癒に結びつく可能性の高い人を人選した。千載一遇のチャンスと

思い、お宅の社員に説明したら、仕事が忙しいから休めないと言う。だから、上司

の方にお願いする』というものだった。

先生には宜しくお願いし、今後の日程を決めて貰うことにした。当然、帰社後に

『馬鹿たれ』と一言。説明ではインターフェロンを打つと微熱が続き、入院でない

と対応ができないというものだった。値段にすると500万円くらいだというから、す

ごく貴重な薬剤だったのだ。

そのお蔭かどうかは分からないが、今になっても発症することなく酒も煙草もやっ

ているから幸せ者だ。煙草だけは止めた方がいいぞと失敗談。


『イノシシ出没』

2012年08月23日 16時46分16秒 | 日記

山の納屋に機械を戻しに行ってみると、進入路下の廃田にイノシシが入り、土を

ひっくり返していた。昨年正月の大雪でイノシシの子供が餓死し、数が減ってい

ると聞いていた。事実、この辺りでも昨年はイノシシの出没情報はなかった。

だから久々のお出ましというになる。

多分、小屋の奥の方から来ているからと、そちらに行ってみると案の定、少しだが

土を掘り起こし餌を漁っている。荒らし方や足跡を観察するに、どうも一頭のよう

だが、所謂ウリ坊と言われる子供ではない。爪の幅が5~6cmくらいだから大物で

もない。土の起こし方から見て餌が豊富にあった様子はないから、今後もお出ま

しになるのかは分からない。

 

以前勤めていた職場仲間が定年退職を迎えるからと、小お祝い会の誘いがあり、

もう暫くしたら出発だ。私の同期はもう、すっかりと捌けてしまったが、後輩たちも

そんな歳になったのかと、改めて自分を確認する。

私は50歳を自分の定年と決めて退職した。未だ馬力も気力もあったが、それは

退職後の自分の人生に使うつもりでいた。そうした時、私の新しい門出に送り出し

てくれたメンバーを新たな門出に送り出す。一番賑やかだった男は残念ながら癌

にやられた。思い出話の中で彼を偲ぶことになるだろう。

         

        掘り起こした跡     足跡のドアップ


『USビーフのピンチ』

2012年08月22日 18時00分48秒 | 日記

 

牛肉は狂牛病、BSEの発生により、輸入禁止措置がとられるが、解禁までのプロ

セスが分かり難いため、現時点はどうなっているのか知らない。禁止になっても以

前に輸入しストックされているものが流通したりしているから尚更だ。

今年も地球規模の異常気象は止まらない。日本ではゲリラ豪雨、竜巻、暑すぎる

夏くらいで、諸外国のものよりも被害が少ない。

昨年はロシアの小麦だったと思うが、今年はアメリカのトウモロコシが干ばつ被害

で凶作と予測されている。当然のことシカゴの先物取引所の価格はトウモロコシ

なのに、うなぎ上り。トウモロコシは人様の食糧品であり、家畜の肥料であり、近年

はバイオ燃料にと利用価値の高い作物だ。

アメリカのこうした不作は外国に与える影響もさることながら、アメリカではビーフ

の価格が高騰することに対する関心が高い。小売りの肉屋さんは商売を続けて

いけるのかどうか位の影響があるのではと深刻そうな顔をしてインタビューに応え

ていた。食糧自給率の低いジャパン、当然の事だが家畜に対する自給率に至っ

ては、もっと低いのではないかと思う。

いつも心配しているが、こうした異常気象や政変、地域紛争などで、今まで輸入

できていた食糧が入ってこなくなったら、このジャパンどうなる。土用丑の日にう

なぎが食べられないのと訳が違う。

食糧自給率の低さから起こりうるクライシスは原発のシビア・アクシデントよりも確

率的には高いと思う。それなのに政府の取り組みには真剣さが全く感じられな

い。

            

  昨日に続き草刈    稲穂が垂れてきたプランター米


『フコイダン』

2012年08月21日 18時32分16秒 | 日記

食道と胃がんの治療として、摘出手術と前後の化学治療を受けた後は、投薬を

含めて一切の治療と呼ばれるものはない。  CT検査、血液検査(腫瘍マーカー)

だけの経過観察で特段の異常もないから、サルノコシカケやフコイダンなどにつ

いて調べることはなかった。

私は今でも所謂、癌に効くとか、調子が良くなるなど言われている、この種のもの

について全くと言っていいほど知らない。話はよく聞くし、聞いたこともある。

シンガポールのEさんからメールで尋ねられたことがある。ママの癌に少しでも効

果があるならフコイダンを使用してみようと思っているが、私が使ったことはあるの

か、何か知っていることはないのかと。その商品名かキャッチフレーズが『海のし

づく』か何かだったように記憶している。現地のHPを見たが私には分からなかっ

た。ネットで調べてみると『メールアドレスを登録すると情報がもらえる』とか実際に

試した人の話で『癌が治った、小さくなった』などの手記もある。こうした事を調べ

ると温熱療法だの何だのと『癌治療に有効』な色々なものにつながっていく。

溺れる者をば藁をもつかむ、人の弱みに突け込んだインチキもあるかもしれない

し、本当にその人には効果があったのかもしれない。私には、良し悪しの判断を

するだけの知識はないし理解できなかった。

Eさんには『自分がいいと判断したら使用してみればいい』、としか言えないと返

事を書いた。そして『効果は別として悔いを残さない結論を出すこと』と付け加え

ておいた。

フコイダンは医学的には『癌に有効』とは証明されていないと聞いているが、ネッ

トでは効果をうたっている業者も多いから要注意だ。

 

『彼岸花のために』

彼岸花は不思議な花だ。一般的な花は苗から段々と成長し蕾をつけて花が咲

く。その過程が分かるから大体いつ頃咲くか分かるが、彼岸花は前触れもなく彼

岸になると急に赤い花を咲かせる。

本当は茎と蕾がひっそりと準備しているのかも知れないが、全くその気配には気

づかない。八雲町には彼岸花が纏まって咲いている所がある。人工的にそうして

いるのではない。私の所でも川の向こう土手に少しだが花を咲かせる。

しかし、いつも草に負けてしまい草葉の陰から顔を覗かす程度。もう少しきれいに

咲かせたいと昨年は彼岸前に草刈りをしてみたが、時期が悪かったのか、花の数

が少なかった。ならばと、今年は早めに草刈りを思いつき、本日実施。

暑いの、草が深いの、大変なの、本当に疲れた。

 休憩時、赤とんぼが


『幸せ』

2012年08月20日 18時10分57秒 | 日記

 

蔓枯れしたスイカを収穫し、草取りや蔓の片つけなどを済ませたので、やっと畑を

耕す段取りになった。炎天下と思いきや、急変して夕立のように雨が降ったりと、

不安定な模様が続いており、午後の作業は様子を見ながらにならざるを得ない。

耕運機で畑を起こしている時、雨が落ちてきたら直ぐに中止できるように、必要最

低限の道具しか持参しないようにする。

今日は安定した天気だったので、安心して・・・・その代り炎天下。

汗だくになりながらの作業、コーラ、お茶、アイスコーヒー,ポカリと冷たい物をた

っぷりと準備し熱中症対策とする。畑は炎天下、車の陰に身を寄せて腰を下ろ

す。汗をかきながら冷たいものをグビグビと飲む。

いつもながら、最高に幸せだと思う。

術後、未だ水も飲めない時に心底から願ったことが、今ではこうして、いつでもで

きるからだ。何の変哲もないことだが、病気になって初めて分かることもある。


『親子で竹細工』

2012年08月19日 17時38分41秒 | 日記

 

私の所属する団体と市の共催で『親子で竹細工』をするイベントを計画、募集・準

備などを経て今日、それを実施した。子供の頃の定番だった水鉄砲、慣性の法

則を利用した野菜鉄砲づくりを体験してもらい、昼食は名人がうつ蕎麦を頂くとい

うものだ。私は竹細工のアシスタントを仰せつかっていた。

最近の子供も、ひょっとして親もナイフを使って竹細工など、経験はないかもしれ

ない。ナイフに慣れることがレッスン1、昼食で使う箸を作ってもらう事から始め、

午前中に全作業を終え、蕎麦の昼食は先ほど作ったマイ箸で。

午後は作った鉄砲の試射、的当てなどをしてから、すぐ傍にある町の民具などを

展示している施設を見学してもらい、行事終了となった。

町の活性化、賑やかさの創出の一環として、このようなことにも取り組んでいる。

春夏秋冬を通じて、この町に足を運んでもらい、楽しんで頂く、私たちにも多少の

利益還元があれば尚、結構なことだ。数を経験すること、多くのノウハウを蓄積する

こと、息切れさせないことを目指して頑張りたい。

 『うたた寝』

私は昼寝はしない。短時間でも昼寝をしたとなると夜の部に大きな支障がある。

昼寝をした事実、それだけで寝つきが悪くなり、下手をすると・・・・・・

ところが疲れたりし、ちょっと横になったら、寝るつもりはないのに我慢できず、瞬

間的に寝てしまうことがある。睡魔との闘いだ。

実は、この瞬間に『逆流』の洗礼を受けるのだ。寝るつもりではないから、『逆流防

止』に備えた体制は0、すぐさま餌食にされることがある。

今日も、ちょこっとした拍子に、薄いものが少量だったが鼻近くまで戻ってきた。

暫く我慢すれば解放されるが嫌なものだ。うたた寝=転寝、転がって寝るなんぞ行

儀が悪いから、するな、ということか。


『闘病記』

2012年08月18日 18時53分04秒 | 癌のこと

私はネットにアップされている、HP形式やブログ形式の『がん闘病記』のようなも

のを時々、読む。現在進行形のもの、休戦中のもの、不幸にして去られた人のも

のと様々な形態があり、沢山の方々が自分の情報を寄せておられる。

自慢話としてアップされるような情報ではなく、多くの方の意志は『同様の人の手

助けになれば・・・』との思いが込められていると思う。

私は読みながら、頷いたり、私は違うと言ったり、時には安心したり、不安になった

りと心の中はカメレオンのように色変わりすることもある。例えば術後にがんの転

移が疑われる結果を受けたり、様々な症状に襲われている方のブログを読んだ

時、『多分結果はいい方向に向かいますから頑張って下さい』とエール送りたい

が、癌との戦は常に『最悪』も卑近に起こることだから、軽々にそうはできない。

これは幾多の人に共通する思いであり、私もそうした思いを持つ一人である。

ブログの中には亡くなる直前まで闘いの様子や心境を綴られたものもある。あまり

にも過酷な痛みに対し『痛みをとってくれるなら死でもいい』とさえ言い切った方も

ある。生の中にあれば幸せとは言い切れない事実も語られている。

端から端まで広げてみると計り知れないほどの情報があり、悲喜こもごもの中から

自分を奮い立たせてくれるものだけを都合よく抜き出すプラス活用も良し、悲の

中にも沢山の学ぶことありそれも良しか。


『どうなる、核のゴミ』

2012年08月17日 18時07分53秒 | 日記

原発は使用済燃料棒、作業員が使用した衣服、手袋など放射線を浴び汚染さ

れたゴミを次々と生み出す。電気を発電すればするほど溜まってくる。

これは最初から分かっていた事なのだが、日本は処理方法を確立しないまま原

発を動かしてきた。青森県の六ケ所村にこうしたものの処理施設を建設しようと

してきたが、技術的なこともあり稼働開始は延期に延期、今年10月と言われるが。

これも危ないらしい。しかも当初は7600億円の予算だったものが2011年2月に

は2.2兆円と2.8倍以上に膨らんでいる。

この計画の元、従来は各原発から出る使用済燃料棒は六ケ所村の貯蔵施設に

集められてきた。ところが施設の本稼働は遅れているため、六ケ所村の貯蔵施

設は受入限度にあり、2008年ごろからの使用済燃料棒は各原発内の貯蔵プ

ールで保管されている。そして、本当か嘘か知らないが電気事業連合会の資料

によると各原発の貯蔵可能量20,630tに対し14,240t、69%の貯蔵率、で残

り31%。

仮に原発が再稼働すれば使用済燃料棒は必ず発生し、六ケ所村の施設が稼

働しなければ、地元の原発内で保管するにも限界がくるということだ。島根原発

の場合、保管可能容量は3,478体(600t)、現在2,278体を保管し65%の

保管率。今後稼働すれば13カ月ごとに220体ずつ増加し続け、いずれは満杯

になる。

青森県は再処理施設の稼働がなければ、今まで貯蔵してきた使用済燃料棒を

各原発に返却する方針を打ち出しており、国に明確な計画推進を迫っている。

(島根原発分は720体、約120t)

この計画が実施された場合でも、この処理過程で生じる核のゴミは、青森県を

最終処分地にしない、即ち他の県に埋めることが条件になっているが、その行

先は決まっていない。東日本大震災のガレキの一次処理、最終処分地が決ま

らないのと同じであり、沖縄の米軍基地の受入れ先問題と同じだ。

国土の広い、ロシアなどは最終処分地付の核燃料物質を売り出そうとしている。

原発から出る核のゴミの始末ができないのに、どうして安全、安心が語れるの

ろうか。


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