食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

癌に負けずインターナショナルに

2012年03月31日 23時58分52秒 | 旅行・日記

(3/31分、後送)

トルコ旅行で得たネタを書き残そうとしていたが、シンガポールからの知人来

日で、暫くはダッチロールするかも しれない。私は外国に関する仕事や知人

がいた訳ではないし、語学が堪能な訳でもないただの田舎に住む、爺さんだ。

その爺さんは50歳で退職し山の購入に奔走、遂には山を購入し山小屋を建

て、趣味に興じていた。この町で開かれる国際演劇祭のホームステーのボラン

ティアとして2度外国人を受け入れた。それが海外との少しの縁。

米子空港と韓国インチョン空港との定期便をもつアシアナ航空の搭乗率が低

下、とのニュースを受け韓国への旅に出かけたり、海外旅行は何とかインチョ

ン経由の旅になるようと協力していた。

63歳の時、癌になった。術後の調子がよく、今の元気ならと積極的に海外、

国内の旅行を計画してきた。食道・胃の術後、韓国、タイ、カンボジア、上海、

台湾、カタール経由のトルコと出かけた。病気をしても体力の回復さえすれば

旅にも行ける、そんな例もあると病後の人にも頑張りのきっかけにでもなれば

いいから紹介している。国内は自家用車で雲仙、阿蘇、大分を回ったし、白

川郷、黒部ダム、善光寺へも一人で運転した。

私の場合、医者にもさじを投げられかけたボロボロの身体に癌がしがみつき、

それからの復活だから、余計に参考なり励みなりになればと思う。

何の変哲もない爺さんが癌になり、インターナショナルな一面があるなんて、

余りにも大きなギャップ、ミスマッチがあり愉快ではないか。

Eさんの住むシンガポールは70%が中国系だから、言葉は英語と中国語の

両方が使われる。だから、何かのきっかけで急に中国語になったりする。だ

から賑やかだ。国では両方がミックスされたシングリッシュと呼ばれる言葉も

ある。英語の発音は、まあまあ分かり易い方かな。

私の感じではヨーロッパ人の英語は聞きやすく、米人はロレツが回らないよ

うな感じで聞き取り難かった。

 


末期がんと信仰 その2

2012年03月30日 18時38分10秒 | 日記

『末期がんと信仰 その2』            

お坊さんのNさんが夕食会場を準備しておられ、ママを残して皆で連れ立っ

た。私がネットで調べ、ここがいいかなと思っていた所だった。というのも、そん

なに選択肢はない土地柄ゆえ・・・・・

和食を、私たち夫婦とEさんは3人で頼んだものを一緒に食べることにして、セ

トメニューを頼んだ。

テーブルは二つに分かれてしまったが、それなりに和気藹々の雰囲気で食べ

ていたら、Nさん曰く『今日はxxさんのおごりになりました』・・・

『ちょっと、待って下さいな。ここは日本、私が払わねば面子が立たない。

何とかしたいのですが・・・』とNさんに訴える。私が費用を持つつもりでいたか

ら、辞書を引いて英語で『私のおごりです』の準備をしていたのに・・・

ところが、誰もがそう思っていたのだった。私がジョークで『We’re loser』とや

ったら皆から受けた。つまり、私たちは敗者・・・遅れをとってしまった結果、負

けだ。

たどたどしい英語で楽しく語らう一時は直ぐに過ぎた。ママの所に戻り別れの

挨拶をする。私たちが顔を見るのはこれが最後になるかもしれない病状だから

辛かった。

ママは気丈にも『貴方たちも御授戒・・・・』と私たちに信仰を勧める。私たちの

とよりも自分の身体の心配してねと言いたいくらいだった。そもそも『御授戒』

の意味が分からず英語かと思い『五十回に聞こえ、fifty times ?』とやるような輩

だからあまり勧誘のし甲斐はないかも。

人には必ず別れがある。早いか遅いか、突然か徐々にか。誰もが受け入れざる

を得ない。Eさんはママを支え続けてきた。もし、ママがいなくなったら、一人ぼ

っちでどうなるのだろうかと要らぬ心配をする。

Eさんだけが特別ではないことは分かっているのに、私たちの娘と同年代なの

で、計に不憫に思える。

私たちはタクシーで富士宮まで帰るつもりだったが、Nさんは自分たちの車で送

って下さると言われ、固辞したが叶わずEさんも同乗してホテルまで。

私たちはシンガポールに行こうと思えばいつでも行くことが出来る、だからEさ

との別れは『じゃーね、また』で済んだ。

Eさん一行は明日10時過ぎに出て、羽田で一泊し翌朝に帰国の予定だったか

ら、もう家に着いている。長旅、ご苦労様でした。

 


末期がんと信仰

2012年03月29日 18時13分58秒 | 日記

『末期がんと信仰』

一昨日、二十年ぶりになろうかという羽田空港に向けて出発、そこから新幹線、

在来線、タクシーなどを乗り継ぎシンガポールママとEさんが待つ、富士宮を目

指した。

羽田空港は国際線ターミナルの完成で国内線との接続で、成田よりもハブ空

港としての役割が大きいように思う。

道中はネットで調べていたので浦島太郎になることはなかったが、時代は10年

一昔単位は昔の事、今は格段に短くなっている。また、人と人の関わりは減り

タクシーに乗る際、行き先を告げることが言葉として出ていくだけだ。

朝8時に出て約束の時間の15時に到着。少々、待っていたら外出先から車で

って来られ、近くの早咲き桜を見に行くので一緒にと誘われた。4年ぶりにあ

ったママは以前の面影はなく、小さな老婆になり、か細い声で横になったまま

たちを迎えてくれた。

ママは中国から移住したシンガポール人だが、英語は全くダメで生涯を中国

で貫いた強者だ。

ママを支えているのは日蓮正宗で、すい臓がんに蝕まれ来日も危険な状態に

かかわらず、信仰の一心で巡礼に来られた。どうして、こんな状態でここまで

来ることができたのかを聞いたら、実に気ごころの知れた方々と一緒に来日。

中に日本人(お坊さん)の方がおられ羽田からレンタカーで富士宮まで来られ

た。私たちが電車やタクシを乗り継いでのような旅ならとても叶わないと思っ

ていたが、それを聞いて安堵した。

ママの腹の中にはすい臓がんを圧迫しないように『stoma bag』を入れる手術を

の来日だった。(そういう風なニュアンスの説明だったが英語でしかも医学

用語混じりのため確実とは言い切れない)その手術も来日、一週間前のことで、

来日の最終決定は予定の2日前という厳しい判断だった。

私たちは無宗教だが、命がけで来日したママのためにママの信じるお寺で祈

てあげたかったから、こうしてはせ参じた。

定刻に間に合い、ママのためにしっかりとお願いとお祈りを捧げた。

その時ママは宿で休まなければならない状態だった。      

ママは宿でお休みの間に、9人のグループで近くの和食の店に出かけ、食事

とることにした。私たちはお坊さんとEさんで同じテーブルにつき歓談した。

2年ぶりに会ったEさんはちっとも変ってなく、相変わらず親思いで人にも優しく

素敵なお嬢さんだ、と言いたいがもう39歳になる。嫁に行くと母親が一人になる

からといかなかったのかは知らないが、お坊さんも同様に良い娘なのにと言って

られた。

一緒に来られた方々にも悲喜こもごもの事情があった。25歳の娘さんを癌で亡

くした両親と残されたその恋人、2月に母を亡くした娘さんなどなど。

癌はどこの国でもいやらしいものだと、つくづく思わされた。

  3/29新幹線より  ママと愛でた桜


チューリップの原産国は?

2012年03月27日 18時17分09秒 | 旅行・日記

 晴天の朝は霜も降り寒い幕開けだった。今日は朝から炭窯の仕事が入って

いたので夕方までそちらで務めた。私が旅行している間に釜入れしていた炭

が完成し、その窯出しと新たな釜入れを行い、火を入れた。今季の釜入れは

最終ということで、夕方から打上げ会が行われたが、明日はシンガポールの

ママと娘に会いに江戸に向けて出発の予定で、その準備のために欠席をし

た。炭窯の会は4/8に花見が予定されているので、そちらに出席し歓談した

い。午後は突貫の予定だったので、午前のお茶の時間に綿菓子に似たトル

コ土産「ビシュマニエ」をお茶口に提供。とても甘い菓子を男たちが炭窯の傍

で食べるアンマッチが面白かった。

明日は出張の為、ブログは一日だけ臨時休業。

     

   釜入れの準備       山の桜は堅い蕾  

    

   自生山葵の発芽      蕗の薹は花に

『チューリップの原産国は?』

こう問われると日本人の殆どは『オランダ』と答える。

焼き物が有名だからとトイレ休憩とショッピングを兼て焼き物工場へ。沢山の

焼き物の図柄には必ずチューリップが描かれているし、モスクのタイルなどに

も。ありとあらゆる物と言うとオーバーだがトルコ=チューリップ。

オランダへはトルコから輸出されたものが、多く生産され外国に出回ったそう

だ。トルコの左半分をバスで回ったが、チューリップ畑らしきものは一つもなか

った。現在、トルコのチューリップがどのような状況にあるのか分からないが、

原産国はト・ル・コ。

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デジタル・デバイド

2012年03月26日 21時50分25秒 | 日記

昔はよくあったジンクス『冬用タイヤを変えると雪が降る』、昔通りになるとは、

今朝目が覚め外を覗くと、屋根の上が白くなっていた。流石に道路までとはい

かないにしても、真っ白状態。いつぞや、桜と雪のコラボがあった。昨今、季節

の狂いは当たり前になってしまい、それがいつだったのかも定かに覚えていな

い。いつも、異常気象のような年だから。

雪だから寒い一日だった。ストーブを焚くと直ぐに部屋は暑くなり、お茶を飲ん

だりすると、汗が出てくる。寒いと言いガンガンと焚いていたことからすれば、寒

いと言えどこんなに違うから、冬は遠くになりつつある。

春よ来い、寒い中、鶯の初鳴きを聞いた。ご苦労様。  

『デジタル・デバイド』 

術前に先生が病状説明の後に『セカンド・オピニオンのこと、様々な情報がネ

ットでも紹介されているので、ご自分の目で見て参考にして下さい』と言われ

た。当時、私は63歳になっていた。私はたまたまコンピュータの仕事をしてい

たから、ネット云々と言われても抵抗なく受け止めることはできたが、PCなど縁

のない63歳は山ほど居る。むしろ、その方が多いのかもしれない。

だが、もはや広い意味でのデジタル・デバイドなどないかのように、世の中は平

気で年寄り向けのものでも『詳しくはHPをご覧下さい』と言っている。

私はPCとは別にスマホのことを心配している。携帯が大嫌いな私、退職しやっ

と電話から解放され、その喜びを謳歌しているのに、世間の人々は何故、そん

なに束縛されるのが大好きなのかちっとも理解できない。

だから、携帯は緊急連絡が必要な時だけで結構なのだが、肝心な緊急時には

規制がかかり役に立たない。

兎に角、携帯は嫌いと言い続けていても携帯の進化を無視し続けると、デジタ

ル・デバイドの餌食にされてしまうのではないか、その内、電話の掛け方も分か

らなくなるぞー、と脅迫されかねない。ニュースでcdma1やmovaの方式はサポ

ート終了になるとか、画期的といわれ携帯進化の先駆者も歴史の渦の中に消

えていく。嫌だが、最低のスマホ活用術を身につけないと、置いてけぼりを喰

らいそうだ。先日まで行方不明だった私の携帯電話、明後日からの旅に備え

て探し出しバッグの中にいるから、暫くは安泰だ。

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逆流防止力の向上

2012年03月25日 19時47分13秒 | 日記

 

全国的には桜のニュースが流れ始め、高知では染井吉野が開花、あちこちで

も早咲き桜の便り。だが、ご当地は夕方近くに雪が舞った。

 風は強く寒い一日だったが、昼間は晴れ間もあり『寒いが明日の天気は当て

にならない から、今日の内に冬用タイヤを交換しよう』と決心した。 乗用車と軽

トラックの2台をササッと交換し、試乗するとやはり足元が軽い。

これでなく ては、燃費はよくならないと実感させるフットワークに変身した。

天気の内に畑の草取りに出かけたが、寒くて1時間もしない間にギブアップ。

山小屋で一休みしていると雪が・・・・・                                       

 

 

 『逆流の事前察知力』

一昨日は、関係する所の解散式がありそれに招かれて、宴会で一杯。前日は

別の会の 打ち上げで一杯。先週は旅行で少々ながら毎日ビールを舐めてい

た。病後の私にしては、アルコール漬けのような環境。

しかし、こうした宴会で飲み過ぎると、きっと頭が痛くなり眠くなってしまい危ない

ので、少ししか飲まないようにしている。飲みかけているところで終了なので、さ

っさと家に帰り追加のお酒をゆっくり頂くのが定番だ。宴会ではビール、コップ

一杯と酒をチョコで2~3杯。いつものように帰宅後に少し飲んで寝たら、夜中

に逆流の兆候で目がさめ、危機一発だった。夜、遅くの飲食は逆流の元としり

つつのことだから始末が悪い。

最初の頃は逆流で喉が焼け付くような苦労をしたが、今では事前察知力の向

上により、あの辛い思いをすることはなくなった。

          http://www.gan3.com  私がよく見るサイト

 

 『日本と北朝鮮の関係』 

 トルコのガイドさんは名前が難しいので『クドウさんと呼んで下さい』と自己紹

介。山口大学に留学経験をもつ博学な方だから、日本の歴史などについても

私たちより詳しく、こちらが恥ずかしくなるくらいだった。色々と教えられたことの

受売りシリーズ。

昔からトルコとギリシャは仲が悪い。歴史的にみても領土を盗られたり盗った

りの繰り返しもある。 日本と北朝鮮の間にある深い溝の中身と、同じような中

身ではないが、クドウさんの説明によると『日本と北朝鮮のよう』。

 私たちに分かり易くするための比喩なのだろうが、本当にギリシャが嫌いらし

い。遺跡に残る建築様式などギリシャのものをトルコの人はどういう目で見て

いることやら。


食糧自給率100%の国

2012年03月24日 18時18分02秒 | 日記

天気はコロコロと日替りしている。昨日、午後からシトシトしていたものが夜中に

大雨になっていた。明けると小雨に時々の薄日の一日。

作りかけの工作を再開してみるも、どうも今一つ力が入らない。本当は畑の草

取りをしておきたいが、この雨ではどうもならない。

昨年イチゴの新しい種類の苗を繁殖させて、それを3列の畝に植えているが、

草に負けそうなことになっているからだ。

イチゴ苗の様子はいい状態になっており、今年は大粒のイチゴが食べられそ

うだ。未だ、寒さは残っているが自然の世界は、春めいている。

  まだ小さいワサビの花

『食糧自給率100%の国』 

折角、トルコに旅行したので仕入れてきたネタの紹介。観光地がどうだの、こ

うだのはガイドブックを読めば分かるが、ガイドさんから聞いた雑学は話のタネ

になる。移動はバスで同じような平地を何時間も走り続けたと、以前に紹介し

た。畑も荒野も延々と続いている。国土は日本の2.8倍、平地が多い。農業国

でもある。こうした条件のもとで食糧自給率は100%と聞いて大変、羨ましく思

た。私は農業関係者ではないが、農業で生計が成り立ちそれに付随する形

畜産も家計を助けている。   

農地だけでも日本の国土と同じくらいあるそうだ。規模は大きいが効率のいい

業が行われているのではなさそうだ。今は端境期で畑には何も植えられてい

ないようだが、日本なら冬野菜がまだ残っているのに、そんなもの一かけらも見

られない。畑というが、目の届く範囲に家らしきものもない所が多い。

一体、どんな形で農業がおこなわれているのかは分からなかった。また畑で人

見かけることもなかった。これは、街中でも同様、人の数は本当に数えられる

くらいしか見かけない。トイレ休憩で寄ったドライブインはどこでも、店員以外の

客は私たちだけみたい。

内陸からエーゲ海の方に出てくると、気候が違って葉物野菜を見ることができ

る。この辺りになると家と畑が近くの関係にあるらしく、たまに畑に人の姿があっ

た。自分の国で消費する食糧が生産できない国など必ず亡びる。今は何とか

り立っている日本だが、亡国に匹敵するような痛手を経験する可能性が高

いと思う。

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すい臓がんのシンガポールママ

2012年03月23日 21時59分07秒 | 癌のこと

 2007年、この町で開かれた『八雲国際演劇祭』にシンガポールから参加し

た、 さんは私たちの家で1週間ほどホームステーした。縁あってのこと、そ

れからメル友 になり、私たちはシンガポールに行き再会し、家へも訪問した。

 彼女はいつも私を『otousan』と呼び、妻を『Michie san』と呼ぶ。つながりは続

き、 私が癌で手術した後に仕事で来日することになった。その足でわざわざ

の見舞いに八雲まで来てくれた。そんな律儀ないい娘さんだ。そして何より

もとても親孝行。

 家を訪問した時に色々ともてなして下さったお母さんが『末期のすい臓がん』

と診断された。私が慰めの言葉を持つはずもない。だが、気丈になるしかない

ら空元気で励ます。

 彼女たちには強い信仰がある。その総本山は日本にあり所謂、巡礼はとても

要な意味 を持っているそうだ。お母さんは重篤な状況なのに、それをおして

礼に行かねばとの 思いで一杯。昨日、全てを賭けてでも総本山への巡礼を

択したとメールが届いた。

 私たちは、その際には出かけて総本山で再会したいと伝えていたし、行く手筈

を全て整えていた。本当に、来日していいものか悩むところ、私たちと再会する

約束が反古になるかも知れないと、心配して電話をかけてきた。

 粗方のことは分かったが詳細は分からなかったが、後のメールで全てを理解し

た次第。国は違えど、親が子がそれぞれのことを思いやり、他人でも思いあう

ことは人として外 してはならないものだと思う。

 そんなこんなで来週、シンガポールの娘と母に会いに行くことになった。


腫瘍マーカーは、やはり怖い

2012年03月22日 22時02分27秒 | 癌のこと

  今日は3か月に一度の検診日、そして半年に一回のCT。

 採血、これは腫瘍マーカーの材料となるのでとても重要な意味を持つ。癌に

かかった 人は、5年生存率と闘わざるを得ない、それが一区切りとなる宿命。

癌患者のブログやHPは沢山あり、私も安心を共有したくて訪問している。

あるブログで『定期健診で腫瘍マーカーの結果を待つのは苦痛』とあった。

 私も強気で癌なんぞに負けてたまるか、などとほざいているが、やはり気にな

る。だ から怖い。

 腫瘍マーカーSCCの結果は今日は出ないので一週間後に聞きに行くことに

なる。仮にその数値が基準値と少しでも外れていると、『癌が再発、転移?』

などと考えざるを得ない。本当は、体調や体質により左右されて数値がぶれ

てしまうことも度々ある。と、分かっていても気弱にならざるを得ない。

そして、また強がりながら日々を過ごす。

CTを受けると約7msvの放射線を浴びるらしい。我が日本国の政府曰く『年

間被爆量は1msv以下』だとか。癌にかかった爺さんは、年間許容被爆量を

大きく逸脱しているのにいいのか?、

 厚生省でも原発管轄の通産省でもいい、答えてくれ。あなた達の言い分は

二枚舌よりも多い三枚舌ではないのか。


シイタケの種つけ

2012年03月21日 18時59分08秒 | 旅行・日記

 朝方までは少雨だったらしいが、明けてからは晴れた空が広がり、『今日は、

頑張るぞ』と張り切らせるスタートになった。こんな気分、久しぶりの事。

お言葉通り、山に着くとまずストーブに火を入れておいてから、外に出てシイタ

ケの原 木の整理、大きなものが10本くらい残っていた。

重たい原木を廃田の中から軽トラックに乗せて、小屋の前まで運ぶ。

 ドリルで穴を開けシイタケ菌の駒を打込み、寒冷紗で乾燥防止をしながら、

ゆっくりと菌が回るのを待つ。早ければ今年の秋、遅くとも来年の春にはシイタ

ケが出てくる。さて、シイタケの収穫は最中。今日もバケツに半分の収穫期あ

り、天日で乾燥させるの は妻の仕事。

午後のお茶を済ませてからは畑に行き、久々の草取り。ワンサカと生えてい

る。暫くは草取りがメインになるが、これもお天気次第で明後日からはまた怪

しい。

 『トルコ旅行回想、カッパドキア』

 昼食を食べてから再びロングドライブ。2時間見当でトイレ休憩のためにドライ

ブインに止まる。

こうしたトイレは大抵、有料で50クルシュか1トルコリラ(約50円)。

有料だから比較的きれいに掃除されているが、日本の公衆トイレと同じくらい。

 カッパドキアは大昔の火山の堆積物が風化、水などで形を変えた奇岩の集ま

りだ。それに加えて、その石に穴を掘り住居としても使用されたり、地下都市が

作られたりし、石と共に暮らしがある。奇岩は有名な『きのこ岩』や『ラクダ岩』な

どがある。

眼下を一望できる高台からの眺めは、おとぎの国を見ているような気分にさせ

る。百聞は一見にしかず、変な解説も不要、写真が示す通り。

夜は、OPツアーの『ベリーダンスショー』を観に行った。ワンドリンク付きと言わ

ていたが、実際は飲み放題だったが食後ということもあり、飲む方もスナック

も殆ど進まず。後ろの席の外人グループは飲むは呑むは。ラクという40度もあ

る酒を1本(750ml)を開けて、騒いでいた。

 ダンスは、そこそこのもので『まあ、こんなもんでしょう』という感じだった。

    ダンスの特訓  トルコ美人


暑さ寒さも彼岸まで

2012年03月20日 21時17分58秒 | 旅行

 暑さ寒さも彼岸まで、のはずなのに今日は寒い一日だった。

本来の予定では彼岸の入り17日に、墓の花飾りとお参りをするはずだったが、

帰国後の不調で取り止め、きょう墓参りに行った。

いつもは閑散としている寺町も、彼岸の中日とあって年寄りを中心にした人た

ちで賑わ いをみせていた。

    

昼食を食べながら妻と去年の事を話した。丁度一年前の春分の日はアンコー

ルワットで塔の中央から出るお天とうさんを見に行っていた。旅の目的はそれ

ではなかったが現地で、春分の日はアンコールワットにある3本の塔の中央か

ら太陽が昇ると教わった。

しかし、その日も曇りでお日様は顔を出さず終いで、前回に続いての二連敗だ

ったなーとの思い出話。

 『トルコ旅行回想、入国~ハットゥシャシュ』

到着後、入国審査、関税、荷物の受け取り、両替などを全員が終えるのにも時

間がかかる。こうしたことは、これから一週間は常について回り、全員の協力な

では無駄な時間ばかり過ごすことになり、旅の質を大きく下げてしまう。

日本人に対する入国審査、税関は至極簡単だが、日本人以外の外国人には

結構厳しい対応だとか。空港を出ると、道以外の所は雪が残っていて、とても

く完全に冬に逆戻り。

ホテルは20分ほどのところにある、エセンボア・エアポート・ホテルに宿泊する。

初めての食事はバイキング、恐る々の選択でゲットした食事のお供は現地のエ

フェスビールだ。お足は15TL、約750円。お飲み物はホテルもレストランも売

店も日本より高かった。

 好みは其々だから、決めつけることはできないが、トルコ料理は全般的に日本

人の口に合う と思う。

食事をそこそこに風呂に入り、翌日からのバスによる長距離移動に備える。

この旅、毎日ホテルを変わるから荷物のご開帳を最小限にして、忘れ物の防止

に努めることも一つの課題だった。

早朝の起床、荷造り、朝食、あわただしくホテルを出る。250km先の世界遺産

のハットゥシャシュ遺跡を目指す。ここを観てから更に200kmのカッパドキアに

移動する。アンカラからハットゥシャシュまでの道のりには、ここぞ異国の風景が

連なる。ただ、ちょっとした町並みを外れるとただの荒れた砂漠のような平地の

連続。変化が閣内から面白くはない。

 ちょっと寝ては目を覚ます、やはり同じような光景を繰り返しハットゥシャシュ遺

跡に到着。白い雪に被われた遺跡は写真で見るよりも素敵な光景だ。雪はあ

るが岩に掘られた像などは、きちんと見ることができた。これは、カッパドキアで

も同様のことが言えた。

この遺跡は、日本の歴史とは比較できないほど古く、そんな時わが大和民族の

祖先は何処でどんな暮らしをしていたのだろうか。トルコの歴史に残る史跡は、

常にその疑問と隣り合わせだった。


旅行写真

2012年03月19日 19時32分00秒 | 旅行

やっと復調し本日から山小屋に出勤を開始した。手始めに畑に出かけて、高菜の収穫

 をし、山水できれいに泥を落とす。未だ寒さが残っているので成長の度合いは遅いが

芯の色が薄くなってきているから、花を咲かす準備をしているのだろう。

草だけは相変わらず元気がいい。もう少し天気が続いてくれれば畑の作業ができるの

に今週も、天気は望めそうにない。

久々の山では、作りかけているミニ茶箪笥を仮組みした。どうもバランスが悪く、こ

のまま制作を続けるべきか否か思案中。

  宝くじの商品  エキゾチックな市場

『トルコ旅行回想』

 関空からカタールのドーハまで約11時間の飛行、夜中に出発し現地には午前6時頃

に到着する。夜中だというのに、いきなり機内食が出る。要らないな、と言いながらつつ

くと、ご飯は美味しいし、おかずも美味しい。流石、空の5つ星と言われているだけのこ

とはある。

時差が6時間だからドーハの午前6時は、日本時間では昼の12時になる。つまり、飛

行機の中で寝ていなければ、徹夜したことになる。ここでトルコ行に乗り換えるが、乗り

換えの時間を利用してドーハ市内の観光で入国する。その手続きだけでも全員が終え

るのに1時間はかかるので、次の出発までに時間的な余裕があるようにみえたが、実

はいっぱい一杯だった。

まあ、どうみてもこの観光は暇つぶしに行くようなものだから、大した期待もなしについ

て行ってみるかという感じだ。ドーハの悲劇でお馴染みのアル・アリ球技場、ラクダ市場、

オマニスーク(市場)、アラブ種馬調教場を回ってみた。

砂漠の中にできた町、ガソリンよりも高価な水、中心地と周辺との極端な格差、事情も

この国特有のものがある。日本との違いを比較し、どちらが異常なのか、なんて考えた

りした。昼前、空港に戻り、カタール航空支給(乗り継ぎの待ち時間の関係で支給される

とか)のミールクーポンで昼食はカレーライスを注文した。明らかに、ご当地カレーは自家

製のルーだ。味は美味。空港の売店では、高級車が当たる宝くじを売っていた。以前、ネ

ットで見たのと同じだった。繰越のままなのか、新たなものかは分からないが。

 再び、飛行機に乗りトルコへ4時間ほどの移動だが、砂漠を出て、ふと外を見たら雪を

被った山々が眼下に広がっていた。砂漠地帯を抜け、いよいよ目的地近しだった。

トルコのアンカラ空港(エセンボア空港)に着くと、未だ雪が残る春遠い様子。

 

トルコ旅行記

 


『草食系男子、肉食系女子』

2012年03月18日 17時24分30秒 | 旅行

 少しづつ疲れと思わしきものが取れ始め、下痢症状からの回復、食欲も戻りか

け、あとは未だ残る眠気さえ無くなれば復調だ。

午後からは起きて写真の整理を始め、合間には山小屋のシイタケ採取に出か

けた。帰宅した日にバケツ半分、今日も同量の収穫があった。山への道すが

ら(たったの数分)蕾は堅そうに見えていた他所の家の梅が花を咲かせてい

た。僅か10日ばかりなのに、この時期は季節の時計を早く進めているようだ。 

 

『草食系男子、肉食系女子』

松江を出るバスに乗る人の姿から、どうもこちらからの参加者は私たち二人らし

いと察せられた。集合場所は関空の団体旅行専用のブースで、ボツボツと人

並び始めていたが、未だ時間はきていないので椅子に座って眺めていると、

大学生の卒業旅行ご一行様のようす。卒業する先輩に、後輩たちがお供をし

いるグループもあった。その仲間に私たち老夫婦がお邪魔させて頂く形の

ようだ。

合計38人のツアーで、男が7~8人と圧倒的に女子が多い。数の差だけでは

なく旅先で見た近年(10年スパンくらい)の男女気質の変化ぶりをたっぷりと見

せて貰った。

 『草食系男子』『肉食系女子』とはよく言い当てた表現だ。TVなどではお馴染

みだが、若い人たちと数日間でも一緒に生活や行動を共にすることはなかった

ので、感覚として理解していた。だが、今回のグループでもかなり色濃くそれを

表していた。食事時の飲み物注文で、殆どの男子はアルコール類の注文なし、

女子は少数だがビールありワインあり。

癌病み上がりの爺さんは毎回『エフェス・ビール』あるいは『白ワイン』のご注文。

レストラン、観光地などでも非常におとなしく、馬やロバのよう、女子は我何事に

も動ぜずと、はしゃぎ過ぎのライオンや虎のよう。 私たちには、今風の人たち

に対するアレルギーはちっともないので、寛容な心で日々を過ごしたが、もっと

昔気質の尺度を以てすれば、口汚く罵りながら過ごしたに違いない。

Cappadokia


トルコの肺がん

2012年03月17日 18時02分50秒 | 日記

 帰国2日目

今回は、今までの海外と違って相当ハードな日程だったから、自身の意識より

も身体の方が疲れを溜めているのかもしれない。身体がだるく食欲不振。

その結果、彼岸の入りで墓参りに行く予定だったが、中止し休息日に当て、一

日中グダグダしていた。

アンカラからイスタンブールに回るトルコでは逆回りのコース、快適なバスだっ

たが走行距離は約2000kmにも及ぶのだから、知らず知らずの内に疲労蓄積

があっても不思議ではない。

食事を含めて2~3時間の観光以外の昼間はバスの中。移動中の景色は同じ

ような荒地のよう な畑のような所と、比較的小さい岩でできた丘のような風景が

延々と続く、絵にはならない。

  ドーハのラクダ市場(食用)

 ドーハの悲劇、サッカー場、日本人だけ訪問                                                               

『トルコの肺がん』

 トルコの人はよく煙草を吸う。バスの運転手ヤーシンさんも大の煙草好きで休

憩場所に来ると 必ず、2~3本溜め吸いをしていた。

ドライブインでは灰皿の回りに男たちがたむろして何やら話をしながスパスパ。

以前の私なら間違いなく、ここで仲間入りをしていた。

ツアーガイドの通称クドウさんの説明では、トルコの死亡率No.1は肺がんで、

政府は肺がんの減少に力をいれているとか。それにしては5つ星と言われるホ

テルに灰皿を置いてることも珍しくなく、まだ煙草に寛容な処も見えた。

 私たちには馴染みのない水煙草も楽しまれていた国だ。

 


トルコから帰国

2012年03月16日 18時52分36秒 | 日記

  6日に出発し昨日、15日自宅に帰着。長いようで始まってしまうと、あっけな

く過ぎてしまう。現地時間14日18時30分(日本時間11時30分)にトルコを出

発、カタールのドーハに向けて4時間ほどの飛行、乗り継ぎをして夜中に関空

を目指す。

 飛行中は窓を閉めていたので機内は薄暗い。時間のマジックにかかり起こさ

れると中国上 空で日本時間13時。機内で長時間、寝ていたと思えばいいが

身体はそう答えてはくれない。

 日航関空ホテルで素泊まりをし梅田まで、そこから高速バスで4時間半かけ

て松江市に戻ったが、バスに酔ったのか、何かに当たったのか眠気、軽い吐

き気、下痢と体調不良。帰国時は直ぐに久々の日本での食事もおいしく食べ

、異常なしだったが今日もまだ調子が戻らない。

写真は1500枚、ビデオは計9時間くらいと膨大な記録、整理は大変なことに

なりそう。

                            

 

  


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