食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『回想旅行記、禁煙国』

2014年01月22日 17時36分31秒 | 日記

大韓航空のためインチョン経由でシンガポール、チャンギ空港まで約6時間ほどの旅だ。

午後一番、広島を出かけたのに乗り継ぎ時間の関係で到着は夜になってしまう。機内の

税関カードを記載の際、たばこは関税の対象になるような事が書かれていたのでCAに聞

いてみたら、それらしき回答がある。面倒なことは嫌なので持っていた吸いかけの煙草は

捨てて申請などしないことにした。この選択は嫌煙の国シンガポールでニコ中のような私

が選んではいけないものだと後に知る。初めてのチャンギ空港はインチョン以上に大きな

インパクトを与えたのである。国は松江市の1.2倍くらいの狭い面積しかないのに、ここの

飛行場ときたらやたらに大きく、しかも近代的な国際ハブ空港だった。

着陸ゲートからイミグレまで長い道のりを歩く、歩く歩道を使う、兎に角、あるく。イミグレは

特別なこともなくすんなりと終わり、荷物を受け取り出口に行くと旅行会社のカードを持っ

たガイドが待ち構えていた。次に来る便の客と合流するため暫く待たされ今宵から泊まる

ゴージャスなリッツ・カールトン・ミレニアムホテルには夜、遅くになってから到着。

翌朝、朝食後各ホテルの客を回収して市内観光に出かける。スリ・マリアマン寺院 ⇒ チ

ャイナタウン ⇒ 佛牙寺 ⇒ マーライオン公園 ⇒ ラッフルズ卿上陸地点 ⇒ フードコート

でランチ ⇒ DFSギャラリアこのコースは旅行会社が変わっても同じようなものではないか

と思われるほど定番になっている。煙草は昨日、空港に着いてゴミ箱に捨ててしまったか

ら、何があっても直ぐに調達しなければならない。

ガイドの説明でも歩行禁煙が原則で、喫煙場所以外での喫煙は厳しく罰せられるからく

れぐれも注意である。私の観察では歩行喫煙者も少しではあるがいるし、路上に吸い殻

も捨てられている。

しかし、路上だけではなく街中は清掃が行き届いており綺麗な都市である。煙草屋は直

ぐに見つかると思っていたのに中々、見付けることが出来ずガイドに聞いてみるとコンビ

ニにあり、余り前面には置いていないから見つけ難いということだった。

スリ・マリアマン寺院に到着、『すぐ先のコンビニにあるはず』と言われ、急いで煙草を頼

むと棚の上の方を指差しどれがいいかと聞いたので、何でもよかったから適当に指差し

た。値段は確か16SG$だった。外国通貨で払っていること、欲しくて仕方のなかった煙草

が手に入ったことで高いのか安いのか、其処には気が回らずゲッツの喜びに浸る。確か1

SG$は60円くらいだったから煙草1箱が960円もすると知ったのは後のことだった。私には

スリ・マリアマン寺院の由緒ある話や見学よりも、手に入れた煙草でニコチンの補給を一刻

も早く願っていたが、ここでの喫煙場所は見当たらなかった。

念願が叶ったのは佛牙寺で自由時間があった時、ほぼ一日ぶりの喫煙は馴染の銘柄で

はなかったが五臓六腑に沁み渡るような感覚だった。


『寒い日韓関係』

2014年01月22日 17時34分52秒 | 日記

昔から近くて遠い国はお隣の韓国。古くからの交流はありながら良き隣人よりも、日本は常

に統治、侵略者の立場にあったことは事実だ。歴史的な解釈は立場で異なってしまうことが

日常的で共通認識に至ることは少ない。

朝鮮半島への侵略は豊臣秀吉、日清、日露戦争当時は朝鮮半島の帰属を巡って諸外国

が触手を伸ばしていた。ここでも勝手な解釈として日本が朝鮮半島を守ったとする人もいる。

元々、朝鮮半島は朝鮮人の物なのに中国もロシアも日本海への出口として戦略的に大きな

意味を持っていたから、喉から手が出るほど欲しがっていた。朝鮮半島はこうした中で翻弄

され続けてきた。

第二次世界大戦が終わったら新たな東西の戦いが始まり朝鮮半島は38度線で韓国と北朝

鮮に分断されてしまった。朝鮮半島に於ける日本は自国を守ってくれる守護神のような顔を

した侵略者でしかなかろう。それではかつてヨーロッパの国々が東南アジア、アフリカなどを

侵略し長らく自国領として統治してきた。これこそ有無を言わせない侵略そのものだった。

ベトナムとフランスにしても内戦を経て独立を果たした。ベトナムはアメリカと長らくの戦をし

てきた。

こうした国々の国交は双方の努力により正常化され日韓のような関係は見られない。

日本人は戦後、武力紛争を起こしたことはないし、他国を侵略したり武力で威圧する意志

など全く持ち合わせていない。これは戦後の歴史が証明している。こうした事は韓国の人

にも理解できるはずなのに、別の理由づけをしてしまう癖がついているようだと単純に片づ

ける事は出来ない複雑な背景を私は理解できないでいる。

友達でウマの合う人もいれば、何をしても全く駄目という友人がいるように、国の間でもそう

いうことはあるかもしれないと考えることもある。無駄な諍いをせずに適度な距離を持ちなが

らの友であってもいいのではなかろうか。

日本の総理は出来が悪いから、せめて国民は品格のある態度で接する努力を続けたい。


『寒い日韓関係』

2014年01月22日 17時34分52秒 | 日記

昔から近くて遠い国はお隣の韓国。古くからの交流はありながら良き隣人よりも、日本は常

に統治、侵略者の立場にあったことは事実だ。歴史的な解釈は立場で異なってしまうことが

日常的で共通認識に至ることは少ない。

朝鮮半島への侵略は豊臣秀吉、日清、日露戦争当時は朝鮮半島の帰属を巡って諸外国

が触手を伸ばしていた。ここでも勝手な解釈として日本が朝鮮半島を守ったとする人もいる。

元々、朝鮮半島は朝鮮人の物なのに中国もロシアも日本海への出口として戦略的に大きな

意味を持っていたから、喉から手が出るほど欲しがっていた。朝鮮半島はこうした中で翻弄

され続けてきた。

第二次世界大戦が終わったら新たな東西の戦いが始まり朝鮮半島は38度線で韓国と北朝

鮮に分断されてしまった。朝鮮半島に於ける日本は自国を守ってくれる守護神のような顔を

した侵略者でしかなかろう。それではかつてヨーロッパの国々が東南アジア、アフリカなどを

侵略し長らく自国領として統治してきた。これこそ有無を言わせない侵略そのものだった。

ベトナムとフランスにしても内戦を経て独立を果たした。ベトナムはアメリカと長らくの戦をし

てきた。

こうした国々の国交は双方の努力により正常化され日韓のような関係は見られない。

日本人は戦後、武力紛争を起こしたことはないし、他国を侵略したり武力で威圧する意志

など全く持ち合わせていない。これは戦後の歴史が証明している。こうした事は韓国の人

にも理解できるはずなのに、別の理由づけをしてしまう癖がついているようだと単純に片づ

ける事は出来ない複雑な背景を私は理解できないでいる。

友達でウマの合う人もいれば、何をしても全く駄目という友人がいるように、国の間でもそう

いうことはあるかもしれないと考えることもある。無駄な諍いをせずに適度な距離を持ちなが

らの友であってもいいのではなかろうか。

日本の総理は出来が悪いから、せめて国民は品格のある態度で接する努力を続けたい。


リンク