岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

7. 御幸橋そして宇品港へ

2023-09-18 07:51:45 | ヒロシマ

2023年9月18日、午前4時起床してヒロシマを書き進めようと思ったのですがラグビーの日本-英国戦が始まってしまいました。

2時間釘付け。日本チームよく食らいついたのですが英国チームの攻撃力が上回りました。実力に差があったように思います。

さてヒロシマの続きです。

原爆投下直後の広島の地図です。オレンジのラインは平和公園から御幸橋まで

私が歩いたルートです。

御幸橋に立ちました。

キャプションに、

御幸橋の上で 

手当と言っても止血がやっとだった。爆心地から2.3km

松重美人氏撮影とあります。

この写真をNHKのドキュメントで解析していました。ぜひ訪れてみたいと思っていました。

『被爆の記録 ヒロシマ」より

東詰です。

ここから宇品港に行くべく市電に乗ると逆方向の広島駅行きでした。東詰から西詰に一駅で降りて慌てて乗り換えました(-_-;)。

車窓から宇品の街を見ていると懐かしい昔(昭和)の風情を感じました。帰りは歩こう!

宇品港のターミナルです。

左の島が江田島です。海軍兵学校がありました。兵学校生たちは救援のために広島の街に入り

被爆してしまいます。私の恩師も被爆してしまい、後年癌でなくなりました。

正面の島は似島です。救護所がつくられました。

中央遠景は宮島です。

北を向くと高速道路が走っています。映画「ドライブ・マイ・カー」にも登場します。

この宇品港は書きたいことがいっぱいあります。

一つだけ紹介します。

宇品港開発に貢献した人に柿原政一郎という方がいます。

岡山孤児院を創った石井十次の一番弟子です。

国会議員であり中国民報の社長であり宮崎市長だった人です。

このブログの過去記事でも紹介しています。

さてこれから宇品の街を歩いて最終目的地、旧広島陸軍被服支廠 を目指します。

次回が最終になります。

 

お読みいただきありがとうございました。

 

ウクライナに平和を!

モロッコ、リビアに支援を!

 

 


最新の画像もっと見る