広島城内を通過して南下しようと思いました。
階段を降りていくと足の不自由な高齢の女性が休んでおられました。
声掛けをすると、「念願かなって登ることができました。展示物が多く勉強になりました」と。
ならばサボるわけもいかず入城することにしました。
来城者の半数以上は外国の方です。モデルコースなのでしょう。
入口から先は撮影禁止です。広島の歴史、古文書や兜や刀剣が各階に展示されていました。
莫大な量です。
左下は被爆前の広島城です。被爆後の石垣とユーカリの木です。『原爆の記録ヒロシマ』より
広島城天守閣は原爆で倒壊しています。爆心地から1km以内です。コンクリートで再建されています。
最上階は撮影できます。
東側を望みます。右手に地裁が見えます。広島駅方面です。
北方面です。この近代的な建物は基町高校です。ちょっとびっくり。
広島は人口の割に平地が少なく、
この北部を開発していくのでが山の斜面に近く山崩れの被害にあっています。
南方面です。画面右側の奥に原爆ドームの屋根があります。1kmの距離ですが建物に挟まれほとんど見えません。
写真が掲示されていますが、これでもよくは見えません。
西側です。高層の集合住宅の左側に巨大なアリーナのようなものが建築されています。
サッカー場のようです。
二の丸に向かいます。
被爆ユーカリです。爆心地から740mです。
先の写真に掲載されていました。
二の丸の門から西を望みます。表御門です。御門橋です。二の丸は馬出しの役割もありました。
御門橋を渡って振り返ります。見事に再建されています。平櫓、多門櫓、太鼓櫓です。
広島城上空から南を撮影しています。天守閣は右下角にありました。内堀の外は軍の兵舎や練兵場があったのでしょうか。
表御門辺りは戦前は車両が通れる橋がかけられていたように見えます。
珍しくマップがありました。
総合体育館ですね。この辺りは陸軍の施設があったのでしょうか。練兵場跡かもしれません。
公園を歩きます。緑が多く西洋風ガーデンという感じです。
こども図書館がありました。お休みでした。残念!
ここから太田川の川岸を歩きます。原爆ドームの少し上流です。
若い人がBBQ中です。
北方面です。
相生橋から北を見ています。サッカー場が目立ちます。
この右手の川沿いに原爆スラムがありました。
四國五郎さんの作品、1984年『相生橋』です。1950年代を思い浮かべて描かれたのだと思います。
左手奥に原爆ドームが見えます。上流やや上空からの視点です。。
1999年に出版された『四國五郎平和美術館 広島の街』に掲載されています。
相生橋から平和公園を望みます、T字に橋がなっています。ここが原爆投下の目標地点になっていました。
中央のT字の橋です。左手が平和公園、左下が原爆ドームです。
北方上空からの写真です。中央右側に平和公園。かつては多くの人が住んでいました。
左手前に広島城があります、左下から歩いてきました。
続きます。
お読みいただきありがとうございました。
ウクライナに平和を!