林間学校だったかな。焼き板工作っていうのが大好きでした。
自分がどんな絵を描いたのかも覚えていないけれど、比較的上手にできた・・・気がする。
なんか、木の板をひたすらゴシゴシ磨いた記憶があるけれど、どんな作り方だったっけ
今はもうグラウンドがなくなってしまったのですが、数年前まで南港のグラウンドも使用していました。
湾岸線をびゅーんと飛ばせば30分で到着するので、とても便利な立地ではありました。
が、今思うと、往復で高速代が2400円もかかっていたんです
こりゃ手痛い出費、ですよね。
独身時代は気にせず過ごしてしまっておりました・・・
でも、ミーティングスペースもあって、体育館もあって、僕自身はとても好きな場所だったので残念です。
社会人フットボールチームの大半は、ジプシー生活を余儀なくされています。ウチも同様です。
新しい拠点も、次々開拓していかないといけないなーと思います。
小学生の頃だったかな。
夏のこの時期、夜でもまだ暑くて、ベランダの窓を開けて寝ていました。そよ風が吹いてくると涼しくて気持ちよかったのです。
うちの実家は大阪の御堂筋に面したマンションだったので、車が走る音も絶妙に眠気を誘ってくれるいい道具になっていました。時々、暴走族(もはや絶滅危惧種・・・)の爆音に驚かされたりもしましたが、それもいい思い出。窓際で寝るのが本当に好きだったなーということを覚えています。
両親の実家は大阪・豊中市と京都・城陽市。
どちらも神戸から近く、同じ近畿圏にあります。
とても便利ですが、いわゆる『田舎感』はなく、時々帰省する人たちを羨ましく思います。
離島とか、憧れますね。
移動の時間とお金と混雑と、大変そうですが・・・
暑い。
汗をかいて、シャワー浴びて、5分後には元通り。
暑い。
でも、そんな夏が好きだ。
でも、こんなクソ暑い中でスーツを着るなんて、絶対おかしい。
どうかしてるぜ。こんちくしょう。
賛否両論ありますが、それでも夏の甲子園は相変わらずの大人気。
その人気の最大の要因は『負けたら終わり』という、たった一本の線で敷かれた日本一へ繋がるトーナメント戦というルールにあると思います。
ほとんどの選手がプロまでは進めない現実から、『野球人生の全てを賭けて』といったフレーズもよく耳にします。『ここで壊れても最後まで投げる!』みたいな・・・。
球児の健康に配慮すれば、決して褒められたルールではないと思います。
それでも、それでも純粋に白球を追う選手達の姿は感動を呼びます。
熱闘甲子園、観てしまうんですよね、毎晩
連投禁止、みたいなシンプルなルールだけでも導入できるといいんですけどね。
ベスト8が出揃い始める頃になると、夏の終わりを感じます。
夕方、陽が落ちるのが早くなって、少しずつ風が冷たくなってくると、ちょっと寂しいものですね。
いつまで経っても、夏休みの思い出は消えません。
戦争中は、10代の少年達が「御国のために」特攻隊となって戦死していました。まだ100年も経っていない、つい最近の出来事です。彼らにも、家族があり、友達があり、夢があったはずです。すべてを犠牲にして、戦禍に巻き込まれて短い一生を終えていったのです。こんな不幸な話はありません。
今の時代、この日本においては平和な世の中で、皆が幸せに暮らすことができています。
日々、平凡な日常を過ごすことができる環境に感謝して、命ある限り精一杯生きていきたいと思います。
奥さんと長男のゆうとは、同じ8月14日に生まれました。
1/365の奇跡、すごい確率です。
2人のお祝いを一緒にできるのは、なんとも幸せなことだと感じています。
生まれてきてくれて、ありがとう
お誕生日おめでとう