優しそう、穏やか、マイペース。
あまり接点の濃くない方々から、よく言われる僕の印象です。
決して優しくはないですし(近くの人はよく知ってくれています)、せっかちで短気です。
こうなると、人の第一印象ほどアテにならないものはないな、と(笑)。
穏やかというのは、まったく逆の位置にある気がします。
穏やかな人、アメフトなんてやらないでしょうしね(笑)。
まあ、そのギャップも楽しもうと思っています。
SNSが普及したおかげで、長く会っていない友達に久しぶりに会っても、それなりに互いの近況をわかっていたりします。近いような、遠いような、不思議な感覚です。
でも、実際に会って話をするのは、当たり前ですがネット上で細々コミュニケーションを続けているよりも、やっぱり濃密な時間になります。これをバカにしてはいけないです。Skypeを使って遠隔でも顔を見て会話できるようになった、これは本当にありがたいことです。でも、じゃあ直接会う必要ってないの?というのは、まったく別の話だということです。人間ですから、ね。
何でもそうだと思うのですが、”後でやろう”はよくないクセです。
だいたい、今やらないことが後になったってできません。
多少時間がかかっても、労力を要しても、どうせやるなら今やるべきです。
今でしょ!が流行ったのも根本的には「今やるべき」ことは誰もがわかっていること、だからではないかと思います。
そこまで明確なのに、なぜみんな今できないのか?
面倒くさい?他に優先すべきことがある?やり方がわからない?
そのボトルネックをつぶさないと「今やろう!」はお題目で終わってしまいます。
僕は7割は「めんどくせ~・・・」という、どうとでもなる感情が原因だと思っているので、自分の心さえしばいて奮い立たせれば動くことができます。今できるわけです。
だから、サボらずに毎日できること、やりたいこと、すべきこと、全部欲張ってチャレンジしたいと思います。
・・・なのに、なぜ手が動かない?なぜ後回しにしてしまうんだ俺!?今でしょ!?
23年間のフットボール人生の中で初めて、事情により試合を欠場しました。
人生そのもの、と必死で取り組んでいる競技に自らが参加しない、というのは本当に初めての体験で、非常に悔しい気持ちはもちろんありましたが、それよりも、何というかその場に自分がいないというのが不思議な気持ちでした。LINEで弟から送られてくる速報を、手に汗握りながら読んでいました。
試合は、前半0-0。
3Qにいい形で先制するもすぐに追いつかれ7-7。
SWの十八番パントフェイクパスも飛び出し、なんとか流れを掴もうとするが後が続かず、このまま試合終了かと思われた残り13秒。
QB#8稲葉選手から今シーズンの秘密兵器、WR#88Roman選手へ起死回生のロングパスが通りTD!!
九死に一生を得て今秋初白星。
優勝戦線になんとか踏み留まりました。
大事なのは次、ホークアイ戦です。リーグ最強のDL陣が待ち構える強敵にどう立ち向かうか?
これから2週間、必死こいて準備します。
なんとしてでも勝ちます。
我が家は、Sidewindersの元チームメイトの先輩に、保険のことは一任しお願いしています。
親身になってくれること、家庭環境が似ていること、フットボールへの想いを理解してくれること等、他の会社に、他の担当には頼めない理由があります。
しかし、奥さんが話を聞いて勉強してくれている一方で、僕は任せっきりになってしまっております。
書類が手元に届いても、ほーそうかとロクに読みもしていませんでした。
これではいけない!ふと思い立ち、生命保険という商品の仕組みについて、歴史について、学びたいという欲求が生まれました。基礎の基礎から勉強しようと思います。
ちなみに、我が家がお世話になっているのはSONY生命さん、です。
一つのストーリーに「起承転結」があれば、理解しやすくなりますし聞いていて魅力ある話に聞こえます。
仕事ができる方は、ちょっとした会話の中でも、この「起承転結」をうまく纏めるような工夫がなされているように感じます。関西風に言うと「オチがある」と表現するほうがしっくりきますね(笑)。
中には、ダラダラと時系列に起こったことすべてを報告するような人もいます。
ヒマな時は別に構いませんが、ビジネスシーンではその会話はそぐわないですよね。
男性がよく女性に言って嫌われる「ごめん、結論から先に言って!」ってヤツです(笑)。
話の面白くない人に出会った時は、反面教師にしようと密かに心がけております・・・。
”起承転結”って、でも元々は・・・
起承転結(きしょうてんけつ)とは、4行から成る漢詩(近体詩)の絶句の構成を指す。
という意味だそうですね。漢詩のことなんですって。
>日本においては、本来の意味から転じて、文章やストーリーを4つに分けたときの構成、または各部の呼称としても使われる。
ほうほう。
>起承転結による文章は論理的ではないと指摘されている。
なぬ。
>文章やストーリーの構成としての起承転結は、ローカルなスタイルである。国際的には、英語の一般的な文章ではパラグラフ・ライティング(主張→根拠→主張' )、学術論文ではIMRAD、および映画などの脚本では三幕構成が主に用いられている。
・・・・また勉強しておきます(汗)。
この年齢になって思い返してみると、やたらと無口な友達がところどころ、僕の人生の中で登場してきました。
子供の頃は、なんとなくとっつきにくい、仲良くなりづらいという感情でしたし、高校くらいになると”大人しいヤツ”という程度の認識でした。
社会人になった位から、やたら雄弁に語る人よりも、普段は沈黙している人の一言の威力が凄い!というシーンに遭遇して、無口な人に興味が湧いてきました。思考まで沈黙しているわけではないので、きっとその人達も静かな会話の中に思うことが多々あるんだろうな、と。その考え方を知るのが楽しいというか・・・。
そうこうしているうちに、これは不思議なことですが、僕自身がかなり無口になってきたように感じています。
気のせいかもしれませんが、明らかに10代の頃よりも”前に出ない人間”になりました。
リクルートではお山の大将ばかり採用していたようで、「4番でエース」の人材が同期にもわんさかいました。
自分が最前線に出なくても、動いてくれる仲間がたくさんいたわけです。
大体、自分が話すということはアウトプットですから、基本的に自分が知識を吸収できる時間にはなりません。
そのことがもったいなく感じるようになった、というのが正しい表現でしょうか。相対する人の話を聞くほうがタメになるし楽しい、と感じる時間が増えてきました。
沈黙は金、と考えているわけではありませんが、そんな30代を過ごしています。
朝からどうでもいい話。
マンガみたいに太ったサラリーマンのおっちゃんが、出発間際の電車に駆け込み乗車してきました。
ゼハーゼハー言ってはったし、危ないからやめてほしいのですが、あの巨体で意外に走れるおっちゃんを見て、心の中で思わず「機敏やんけ!」と言ってしまいました(笑)。
時々、ショッピングモールなどに出没している大道芸人さんの芸を見るの、けっこう好きです。
最後まで見ていくと、「お気持ちだけで結構です〜」って募金箱を出してきはるので、上手だなーと思ったら本当に気持ちだけ、500円玉を投げ込んで帰ったりします。
大体、「できれば、わかりやすい形でお願いします〜」って千円札の形を手で作ってはるんですけどね
人を怒らせたり悲しませたりするのはとても簡単ですが、人を喜ばせる、笑わせる、楽しませるのってとても難しいことです。それを突き詰めて、それで食っていこうという覚悟は素敵だなーと思いますし、世の中にいてほしい存在の方々だなあ、と思います。
上手な方の芸は、見ていて楽しいですよね、本当に