砦の櫓に戦仕度をした尼僧・孔雀がいた。
一揆勢が八王子を目指していると聞き、長安の軍に強引に同行したのだ。
善鬼や神子上典膳、方術師達、風間の者達も一緒にいた。
孔雀は下の柵普請の様子を黙って見守っていた。
長安は毛色の違う武将であった。
武人というよりは商人という方が近いのかもしれない。
算盤勘定で仕事を進めるのだ。無駄な事は徹底して省く。
必要か、必要でないかで判断し、私情は一切入れない。
が、冷徹というわけではない。
仕事を離れると人当たりが良く、みんなに優しかった。
後ろにいた善鬼が孔雀の耳元に囁く。
「惚れるなよ」
その言葉に孔雀は顔を赤らめた。
否定代わりに裏拳を見舞う。
善鬼は予想していたので、スイと後退して躱した。
孔雀は視線を前方の山に転じた。
麓の道が高麗に通じていた。
まだ一揆勢の姿は見えない。
気になるのは先程の獣達の雄叫び。
不意を突くように八王子の山々から獣達の雄叫びが上がった。
狐狸達の雄叫びと分かっても、雨霰のように降り注ぐ雄叫びの木霊に、
砦の者達は恐怖を覚え、大勢が立ち竦んだ。
幸いにも、それは直ぐに止んだ。
もう少し続いたら逃げ出す者が続出しただろう。
今までにない奇怪で、不気味な出来事だった。
たぶん、湯治場に現れたという黒猫や、狐狸達の仕業であろう。
彼等の真意が計りかねた。
敵なのか、味方なのか、それとも気紛れに雄叫びを上げただけなのか。
と、下で悲鳴に近い声。
誰かが大声で一揆勢が現れた事を告げた。
麓の道におよそ百人。数騎の騎馬を先頭にしていた。先鋒らしい。
彼等は矢弾の届かぬ所で足を止め、こちらの様子を窺っている。
しだいに一揆勢の数が増えてゆく。
隊列が大きく膨らみ、左右の草地に広がる。
道の左の丘には砦、右には凹凸の激しい深い森。
どちらかに迂回しようとすれば、それはそれで可能である。
無傷で八王子に入れるだろう。
しかし、目の前の徳川勢を見逃すとは思えない。
そうこうするうちに、日が暮れてゆく。
長安の指示で柵内に篝火が焚かれ始めた。
砦内でも同様だ。
一揆勢は松明を点け始めた。
そして、気勢を上げるために松明を打ち振りながら、鬨の声を上げた。
万を越える人数だけに、分厚い鬨の声だ。
微かに茜色の残る空に、それが響いた。
鬨の声だけで徳川勢を威圧した。
味方が萎縮するのが分かった。
孔雀は善鬼と顔を見合わせた。
何とかして味方の士気を盛り上げねばならぬ、と考えた。
その時だった。
砦の後方で異な歓声が上がった。
神子上典膳が、「あれ」と後方の山々を指差した。
見れば甲斐との国境へ繋がる山の中腹あたりで、篝火が焚かれ始めた。
見る間に斜め横に長く増えてゆく。
道に沿って焚いているらしい。
あの辺りには湯治場があった筈だ。
善鬼が感慨深く言う。
「おそらく、代官殿の奥方の差配であろう。良い心配りだ」
奥方は家臣達の家族を連れ、国境の湯治場に避難した。
長安が湯治場に逗留している白拍子を頼りとしたからだ。
その報せが味方に細波のように広がった。
どこからともなく歓喜に打ち震えた鬨の声が湧き上がる。
味方のつかの間の喜びを打ち消すかのように、一揆勢の法螺貝。
それに合わせて矢弾が放たれた。
鉄砲隊、弓隊の掩護を受け、押し寄せる人馬の音。
松明を打ち振りながら一揆勢が攻めて来た。
まるで灯りの洪水だ。
実戦に弱い長安だが、辛抱強く一揆勢を引き付けた。
柵は砦から森の端にまで長く構築してあり、戦いの序盤に隙はない。
一の柵に一揆勢が打ちかかった。
勢いで押し倒そうとした。
長安は、頃合い良しとみた。
迎え撃つべく采配を振るう。
三の柵の内側に控えていた鉄砲隊が火蓋を切った。
弓隊も続いた。容赦なく狙い撃つ。
味方は盾を並べて身を隠していたが、一揆勢は全身を矢弾に晒していた。
次々と斃してゆく。
それでも前進は止められない。
一の柵を倒し、二の柵に押し寄せて来る。
距離が近くなったせいか、一揆勢の放った矢弾が味方の盾を弾き飛ばし始めた。
勢いに乗った一揆勢は二の柵を倒して、三の柵に迫った。
長安の合図で槍隊が前進して、柵の内側から迎え撃つ。
ここにきて白兵戦となった。
互いに柵を挟んで攻防を繰り広げた。
柵の隙間から槍が交差し、悲鳴が、気合いが、怒号が、そして血が飛び交う。
櫓の上の孔雀は善鬼と典膳を振り返った。
「御代官を守れ」
同時に二人は動いた。
階段を飛び降りて、下で控えていた仲間達のところへ。
方術師達や風間の者達を説いて砦を飛び出した。
数に勝る一揆勢がついに柵の一角を突き崩した。
こうなると勝敗は決したようなもの。
崩れた所から一揆勢が雪崩れ込んで来た。
もう押し止められない。
味方が浮き足立つ。
それぞれの組に組頭はいても、こういう場面での統率力に欠けていた。
戦慣れした将兵を岩槻へ派遣していた事が悔やまれた。
長身痩躯の身を震わせ呆然自失の大久保長安。
偉人を思わせる彫りの深い顔が、顔面蒼白になっていた。
周りの家臣達の、「砦に引き揚げましょう」という声で我に返った。
三の柵が倒され、一揆勢がドッと押し寄せた。
味方は蜘蛛の子を散らすように、方向の見境無く逃げ惑う。
長安を守るのに残ったのは数人の家臣のみ。
アッという間に囲まれた。
そこに善鬼等が駆け付けた。
先頭の善鬼と典膳二人で敵陣に穴を開けた。
続く方術師達が荒修行で鍛えた腕力で槍を振り回し、一揆勢を蹴散らした。
風間の者達が長安達を守るように囲む。
典膳が野太刀を振るう。
突き出された槍を弾き、鎧ごと敵を一刀両断にした。
返り血を浴びるが、表情一つ変えずに次の敵に挑んでゆく。
二人、三人と続けて斃すや、その技の冴えに周りの敵が後退る。
その隙に長安達が風間の者達に先導されて砦に逃げてゆく。
善鬼が、「戻るぞ」と典膳に呼び掛けた。
他の一揆勢が砦を目指していた。
このままでは砦への退路を塞がれてしまう。
あちこちで逃げ遅れた味方が孤立し、奮戦していたが、見捨てるしかない。
典膳は砦へまっしぐらに駆けた。
具足で重い筈の身体が不思議なくらいに軽い。
邪魔になる敵を容赦なく斬り捨てた。
敵の動きが緩慢に見えて仕方ない。
槍を野太刀で弾き、矢を籠手で払う。
典膳が斬り開いた退路を善鬼や方術師達が防戦しながら辿る。
彼等が砦に逃げ込むのを見計ったかのように、獣達の雄叫び。
かなりの数だ。
その距離は前回よりも近い。
砦を遠巻きにしているらしい。
雄叫びと、その木霊が騒然とした戦場を沈黙させた。
敵も味方も立ち尽くし、周りを心配げに見回した。
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クリスマスが終わりました。
みなさん、何か良いことが有りましたか。
私は一つだけ。
別れて暮らしている息子から電話がありました。
近況報告ですが嬉しいものです。
一揆勢が八王子を目指していると聞き、長安の軍に強引に同行したのだ。
善鬼や神子上典膳、方術師達、風間の者達も一緒にいた。
孔雀は下の柵普請の様子を黙って見守っていた。
長安は毛色の違う武将であった。
武人というよりは商人という方が近いのかもしれない。
算盤勘定で仕事を進めるのだ。無駄な事は徹底して省く。
必要か、必要でないかで判断し、私情は一切入れない。
が、冷徹というわけではない。
仕事を離れると人当たりが良く、みんなに優しかった。
後ろにいた善鬼が孔雀の耳元に囁く。
「惚れるなよ」
その言葉に孔雀は顔を赤らめた。
否定代わりに裏拳を見舞う。
善鬼は予想していたので、スイと後退して躱した。
孔雀は視線を前方の山に転じた。
麓の道が高麗に通じていた。
まだ一揆勢の姿は見えない。
気になるのは先程の獣達の雄叫び。
不意を突くように八王子の山々から獣達の雄叫びが上がった。
狐狸達の雄叫びと分かっても、雨霰のように降り注ぐ雄叫びの木霊に、
砦の者達は恐怖を覚え、大勢が立ち竦んだ。
幸いにも、それは直ぐに止んだ。
もう少し続いたら逃げ出す者が続出しただろう。
今までにない奇怪で、不気味な出来事だった。
たぶん、湯治場に現れたという黒猫や、狐狸達の仕業であろう。
彼等の真意が計りかねた。
敵なのか、味方なのか、それとも気紛れに雄叫びを上げただけなのか。
と、下で悲鳴に近い声。
誰かが大声で一揆勢が現れた事を告げた。
麓の道におよそ百人。数騎の騎馬を先頭にしていた。先鋒らしい。
彼等は矢弾の届かぬ所で足を止め、こちらの様子を窺っている。
しだいに一揆勢の数が増えてゆく。
隊列が大きく膨らみ、左右の草地に広がる。
道の左の丘には砦、右には凹凸の激しい深い森。
どちらかに迂回しようとすれば、それはそれで可能である。
無傷で八王子に入れるだろう。
しかし、目の前の徳川勢を見逃すとは思えない。
そうこうするうちに、日が暮れてゆく。
長安の指示で柵内に篝火が焚かれ始めた。
砦内でも同様だ。
一揆勢は松明を点け始めた。
そして、気勢を上げるために松明を打ち振りながら、鬨の声を上げた。
万を越える人数だけに、分厚い鬨の声だ。
微かに茜色の残る空に、それが響いた。
鬨の声だけで徳川勢を威圧した。
味方が萎縮するのが分かった。
孔雀は善鬼と顔を見合わせた。
何とかして味方の士気を盛り上げねばならぬ、と考えた。
その時だった。
砦の後方で異な歓声が上がった。
神子上典膳が、「あれ」と後方の山々を指差した。
見れば甲斐との国境へ繋がる山の中腹あたりで、篝火が焚かれ始めた。
見る間に斜め横に長く増えてゆく。
道に沿って焚いているらしい。
あの辺りには湯治場があった筈だ。
善鬼が感慨深く言う。
「おそらく、代官殿の奥方の差配であろう。良い心配りだ」
奥方は家臣達の家族を連れ、国境の湯治場に避難した。
長安が湯治場に逗留している白拍子を頼りとしたからだ。
その報せが味方に細波のように広がった。
どこからともなく歓喜に打ち震えた鬨の声が湧き上がる。
味方のつかの間の喜びを打ち消すかのように、一揆勢の法螺貝。
それに合わせて矢弾が放たれた。
鉄砲隊、弓隊の掩護を受け、押し寄せる人馬の音。
松明を打ち振りながら一揆勢が攻めて来た。
まるで灯りの洪水だ。
実戦に弱い長安だが、辛抱強く一揆勢を引き付けた。
柵は砦から森の端にまで長く構築してあり、戦いの序盤に隙はない。
一の柵に一揆勢が打ちかかった。
勢いで押し倒そうとした。
長安は、頃合い良しとみた。
迎え撃つべく采配を振るう。
三の柵の内側に控えていた鉄砲隊が火蓋を切った。
弓隊も続いた。容赦なく狙い撃つ。
味方は盾を並べて身を隠していたが、一揆勢は全身を矢弾に晒していた。
次々と斃してゆく。
それでも前進は止められない。
一の柵を倒し、二の柵に押し寄せて来る。
距離が近くなったせいか、一揆勢の放った矢弾が味方の盾を弾き飛ばし始めた。
勢いに乗った一揆勢は二の柵を倒して、三の柵に迫った。
長安の合図で槍隊が前進して、柵の内側から迎え撃つ。
ここにきて白兵戦となった。
互いに柵を挟んで攻防を繰り広げた。
柵の隙間から槍が交差し、悲鳴が、気合いが、怒号が、そして血が飛び交う。
櫓の上の孔雀は善鬼と典膳を振り返った。
「御代官を守れ」
同時に二人は動いた。
階段を飛び降りて、下で控えていた仲間達のところへ。
方術師達や風間の者達を説いて砦を飛び出した。
数に勝る一揆勢がついに柵の一角を突き崩した。
こうなると勝敗は決したようなもの。
崩れた所から一揆勢が雪崩れ込んで来た。
もう押し止められない。
味方が浮き足立つ。
それぞれの組に組頭はいても、こういう場面での統率力に欠けていた。
戦慣れした将兵を岩槻へ派遣していた事が悔やまれた。
長身痩躯の身を震わせ呆然自失の大久保長安。
偉人を思わせる彫りの深い顔が、顔面蒼白になっていた。
周りの家臣達の、「砦に引き揚げましょう」という声で我に返った。
三の柵が倒され、一揆勢がドッと押し寄せた。
味方は蜘蛛の子を散らすように、方向の見境無く逃げ惑う。
長安を守るのに残ったのは数人の家臣のみ。
アッという間に囲まれた。
そこに善鬼等が駆け付けた。
先頭の善鬼と典膳二人で敵陣に穴を開けた。
続く方術師達が荒修行で鍛えた腕力で槍を振り回し、一揆勢を蹴散らした。
風間の者達が長安達を守るように囲む。
典膳が野太刀を振るう。
突き出された槍を弾き、鎧ごと敵を一刀両断にした。
返り血を浴びるが、表情一つ変えずに次の敵に挑んでゆく。
二人、三人と続けて斃すや、その技の冴えに周りの敵が後退る。
その隙に長安達が風間の者達に先導されて砦に逃げてゆく。
善鬼が、「戻るぞ」と典膳に呼び掛けた。
他の一揆勢が砦を目指していた。
このままでは砦への退路を塞がれてしまう。
あちこちで逃げ遅れた味方が孤立し、奮戦していたが、見捨てるしかない。
典膳は砦へまっしぐらに駆けた。
具足で重い筈の身体が不思議なくらいに軽い。
邪魔になる敵を容赦なく斬り捨てた。
敵の動きが緩慢に見えて仕方ない。
槍を野太刀で弾き、矢を籠手で払う。
典膳が斬り開いた退路を善鬼や方術師達が防戦しながら辿る。
彼等が砦に逃げ込むのを見計ったかのように、獣達の雄叫び。
かなりの数だ。
その距離は前回よりも近い。
砦を遠巻きにしているらしい。
雄叫びと、その木霊が騒然とした戦場を沈黙させた。
敵も味方も立ち尽くし、周りを心配げに見回した。
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別れて暮らしている息子から電話がありました。
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