近江路の3回目です。
竹生島から30分の船旅で長浜港に戻り、国宝の十一面観音立像を所蔵する渡岸寺(どうがんじ)観音堂へと向かいます。
聖武天皇の御代に都に疱瘡が流行し、多くの死者が出ました。天皇は僧泰澄に除災の勅を出されました。
泰澄は十一面観音を彫み、一堂にお祀りし、息災延命、万民豊楽の祈祷をし、疫病を絶ったと伝えてられています。
その後、桓武天皇の御代には伝教大師最澄が勅命により七堂伽藍を建立し寺は繁栄しました。
しかし、浅井・織田との戦禍に巻き込まれて全ての堂宇を失い廃絶してしまいます。
その時の住職と土地の住民が観音像を救い出し、土中に埋めて難を逃れたと言われています。
昭和28年には新たな文化財保護法のもと、国宝指定を受け、地元高月町国宝維持保存協賛会の理事の方々が毎日交代で守ってこられました。
昭和49年11月に収蔵庫(慈雲閣)が完成し、重要文化財胎蔵界大日如来坐像と共に移されました。
(写真は購入した絵葉書からです。)
実に美しい観音さまです。
十一面の前三面は慈悲相、左三面が憤怒相、右三面が狗牙上出相、後ろ一面が暴悪大笑相、頂上仏面は本来は如来相ですが、こちらの十一面観音は菩薩相である事を除けば、儀軌に忠実な観音さまです。
また、耳朶(みみたぶ)には大きな鼓胴式の飾りの耳璫(じとう)を付けておられエキゾチックを感じさせます。
収蔵庫にお祀りされている胎蔵界大日如来坐像です。金剛界の大日如来像はよく見ますが胎蔵界は珍しいです。
こちらは渡岸寺本堂のご本尊阿弥陀如来坐像です。(県指定文化財)
御朱印を授与して頂き、次の目的地へと急ぎます。
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