ドラマ『あなたのことはそれほど』(『あなそれ』と略)は二組の夫婦の話です。
美都(波瑠)と涼太(東出昌大)、
麗華(仲里依紗)と光輝(鈴木伸之)
の組み合わせです。この物語、結婚とは何かをものすごく考えさせてくれます。
みなさんはどうお考えでしょう。私は、人生60年生きてきて、恋愛と結婚は別物、という立場に立ちます。恋愛の基本は、結婚生活とはなじまないものだ、と考えています。恋愛の中心はあくまで、ゲーム、勝敗のつくゲームという仮説でこれからすすめます。
そして、私もそうですが、当事者になると、人は恋愛ゲームと結婚生活の区別がつかないんじゃないだろうか。
実は、恋愛ゲームしたいのに結婚した人間が結婚生活から逃走する。浮気と呼ばれる行動を選択し、離婚と呼ばれる行為を選択するのではないか。
そして、離婚し、恋愛ゲームにはまった人は、ありもしない結婚の夢を追いかける。あれほど地獄だった結婚生活を忘れ、結婚に何かをみてしまう。
社会学者の真木悠介がこのように書いています。
「かつてあんなにも未練のあったあの自由が、今はどんなにか重苦しいことだろう!かつてしばしば私を激昂させたあの束縛の今ないことが、どんなにか物足りなく思われるだろう!
彼ら(世の男女)はそれぞれの共同性を、未来である限りにおいて求め、現在である限りにおいて嫌悪し、過去である限りにおいて哀惜する。いずれにせよ彼らは現在を愛していない。」
結局男女の愛ってないものねだりなんじゃないか、っていうのです。まだ、手に入らないから愛おしい、しかし、手に入ったとたんに嫌悪する。実はこの物語は地でそれを表現しているのです。
突然ですけど、おカネが嫌いな人はいませんよね。
嫌いな人がいたら、教えてください(笑)。
つまり、おカネは極論するとすべての人に愛されているわけです。
すべての人の欲望に奴隷となって奉仕しているわけです。
こう考えると、おカネの次のものってなんだかわかりますか?
よく売れる商品です。
これは、いつ売れなくなるかは分からないけど、売れる限りは、準おカネです。
ここで、見方を変えます。
おカネは自由にものを買えます。たいていのものは手に入ります。
つまり、相手を支配できるわけです。
モテる人間もこれと同じです。
私たちはモテたいですよね。
では、なぜモテるのか?
理屈は簡単です。愛されているからです。
それをこういいましょう。
モテるやつは、多くの異性の「好かれる奴隷」(好かれない奴隷はNG!)となっている、と。
多くの異性に好かれるように奴隷になると、多くの異性を支配できます。あるいは、モテる異性をゲットできます。
つまり、これがモテるということの裏面です。
恋愛ゲームは奇妙なゲームです。男も女も相手の奴隷になる、とことん、奴隷になると主人になれ、相手を支配できます。その支配を争うゲームです。相手に気に入られると、相手を支配できます。より多くのいい異性を支配する!お金はみんなの欲望をかなえる!すると、あらゆるものの支配者になれるのです。
だから、いい男といい女はなかなか自分が負けたといわないのです。
自分がどんだけ「いい奴隷=魅力的か!」、相手の前で究極の奴隷を演じて、相手がよだれを垂らして自分を欲しがる姿を示させるのです。
負けっぱなしの人間は、このゲームには参加できません。
いやはや残酷です。
弱肉強食ではなく、弱肉は強者に食われさえしないのです。
どっちもどっちは、どうしたらいいのでしょうか。
でも、それでも勝負を決するのです。
どっちかが負けました、と言い、勝った方はどこかで妥協する、こういうゲームなのです。
さて、これがドラマ『あなそれ』の背景となるシチュエーションなのです。
「いやはや」