パラドクスというのは逆説とふつういいます。皮肉って考えるといいと思います。たとえば、「急がば回れ」っていいます。急いでいるときは遠回りが良いという皮肉です。近回りすると何かが起きる。さて、恋愛ゲームにもこの皮肉がついてまわる、というのがこの文章の趣旨です。恋愛はその言葉通りに考えれば一つの「愛」です。しかし、私は恋愛ゲームの愛には皮肉がついて回る、と考えています。恋愛ゲームはその頂点で、愛が成就した時終わるのです。愛が深まると終わってしまうのです。これは皮肉です。愛が最大になったのに消えちゃうんじゃないか、そう考えるのです。
相思相愛の地獄
相思相愛
っていう古い言葉がありますよね。
これは、男性も女性も両方とも愛し合っている涙がでるくらい(笑)うらやましくも、理想的な関係じゃないですか。
でも、かんがえてみてください。これって、恋愛ゲーム主義者にとっては地獄なんです。わかりますか?
もう一度書きます「地獄」です!
なぜだかわかりますか、相思相愛というのは、お互いがお互いにお互い以外は愛しちゃダメっていう状態なんです。
だから、恋愛ゲーム主義者はこれに気づくととっとと逃げ出してゆくのです。石田純一先生ですね、典型は(笑)。理子ちゃんはどうして結婚したんだろうねえ???
そして、取り残されたもう一方は拘束の鬼になる。嫉妬に狂って。
これがドラマ『あなそれ』なのです。
ドラマの主人公の美都(波瑠)ともうひとつのカップルの光輝(鈴木伸之)は夫婦生活から逃亡します。二人は幼馴染で、かつて恋愛関係にあったのです。二人は恋愛ゲームに夢中になります。
そして、残された片割れは嫉妬し、拘束の鬼になるのです。とくに涼太(東出昌大)の異常さは話題になりました。ほとんどストーカーと化します。何でも、東出がセリフを覚えるために妻の杏に相手をしてもらったときに杏がおもわず、
「キモ!!!」
と叫んだといわれています。名演技でしたね。
もう一組の片割れの麗華(仲里依紗)の陰険な対応もナイス!
それにしても、夫婦って何?
恋愛と愛の二律背反
恋愛はどこまでいってもゲームだ、というのが、これまでの仮説です。もちろん、恋愛はそれだけではありません。そうじゃない恋愛を体験された方もいらっしゃるでしょう。
だから、一つの仮説です。
だから、こういいましょう。恋愛にはゲーム性がどうしてもついてまわる、と。多くはそして、このゲーム性にふりまわされてゆくのです。
恋愛はしたがって、勝ち負けがつくものなのです。
カップリングした時点で、勝敗は決しているのが一般です。
ところが、当人たちが気づかないというのがこれまた一般的なのです。
しかし、外から見ると勝敗がばっちりみえちゃうんです。
「嫉妬」し、「嫌みを言い」、「監視」し、これ、負けた側の行為の典型です。
勝った方は飽きると、ひたすら逃げます。
美都(波瑠)はエリートサラリーマンの涼太(東出昌大)と出会い、結婚します。ところが、結婚してすぐ逃亡をはじめます。平凡でつまらない、ひたすら独り言を言っているような夫から逃げ出すのです。ところが、逃げられた夫、涼太は負けたことに全く気付かず、それどころか、自分の方が勝っていると思い込んでいます。しかし、行為として行っていることはほぼストーカーです。妻が自分を愛していないわけがない。
他方、光輝(鈴木伸之)はもっと軽薄です。軽薄なので、自分が勝っていることには気づいていません。ふらふらっとかつての同級生の美都の誘いに乗り、浮気にのめりこんでいきます。
光輝の浮気はすぐに妻の麗華(仲里依紗)に感づかれます。そして、毎日浮気を疑われる嫌みを言われ、冷淡にあしらわれます。たまらず、光輝は自白します。
二組の夫婦は恋愛ゲームの結果結ばれたのです。
そして、片割れはなお、恋愛ゲームのスリルと快感を忘れられず、次のゲームを追いかけ、残りの片割れは拘束の鬼と化すのです。
そこに、この物語のリアリティがあまりのリアリティがあります。光輝は元のさやにおさまりますが、美都は戻ることはありません。
恋愛ゲームという恋愛は、愛が目的にならない。ここをどう考えるかですね。常に相手のもっているよい条件とままならない相手の気持ちのゲットが目的となるのです。そして、そのことに当人は気づかない。