頭髪検査を実施するラーメン屋
今度は頭髪検査をするラーメン屋である。
このラーメン屋、未成年が入るとまずやるのが、頭髪のチェックだ。係りがいて、頭髪検査を実施する。学校と同じできわめて横柄な口調で行う。
「起立、礼」
とこれをいうのが、客だ。
「君(で済む場合、と店員があるが、「おまえ」という呼称で呼ぶ店もあり、「てめえ」もある)、もう一度、挨拶!」
やっと検査をしても、これが「とうもろこし」だと食べさせない。ラーメンの代金はもちろんとる。
「来週までに直せるか?」
この客、ふてくさっている。
「はい」
とは言ったが、親といっしょに出ていったまま、来週はこなかった。
と、電話がかかってくる。
「なんで来ないんだ??」
もうやめよう、ばかばかしい(笑)。こんなラーメン屋は成立しない。これを確認するだけでいい。大体、こういうことをやっているラーメン屋はない。
なぜ、ないのか?
なぜなのか?
考えてみようではないか。まじめに(笑)!
選択制という構造
どんなに当たり前でもまず確認するのは、こんな店があったら客が来ない、ということだ。客は
「逃げていく」
どこへだ?
頭髪検査をしないラーメン屋にだ!
実は、ここが大切だ。ラーメン屋は簡単に選ぶことができる。選択可能性という契機を私たちは容易にはっけんすることができる。多くのラーメン店があること。そして、かんたんに選べること。自由に移動できること。これが、頭髪検査を実施するラーメン店を消すのだ。
「うちの店は頭髪検査はしません」
こういう店がでる。
「ウチの店はうまいラーメンを出します。そして、頭髪検査など実施しません」
社会主義計画経済という現実
ラーメン店で頭髪検査を実施しないのは、客がえらべる、という要因があることはもちろんである。しかし、その前に確認しなければならないのは、頭髪検査よりなにより、大体、不味ければ次回はない、という厳然たる事実だ。
「味」
が勝負なのだ。一にも味、二にも味、そして、店の雰囲気、来たいな、と思わせる雰囲気が大切なのだ。
ラーメン屋には、客はそれ自体を求めて大体入店する。味もまずい、雰囲気もまずい、のに、何度も行くか(笑)?
もう一つ付け加えよう。近年の消費不況の社会は
まずい
などという消極的かつ低レベルの要因だけで動いているわけではない。値段が低くても、売り上げが伸びない、という情報はちょっと日経新聞を読んでいればほぼ毎日に近い頻度で記事としてみることになる。
付加価値
そうだ、付加価値がさらに要求されるのだ。
ここに、学校の時代遅れが浮き彫りになるのだ。
学校は、大体何が売りなのか、がまったくわかっていない。校長は、ラインナップされている自分の店の商品を、客がどのように賞味しているか、というチェックを全くしていない。店員が、どのような商品を提供しているかなど当の店員はもちろん、経営者ではない管理者の管理職もほとんどデータ化していない。
学校には、出店を規制する法律が張り巡らされている。
君はここに住んでいるのだから、ここへ行きなさい、
というコンビニはありますか(笑)?
学校は、生徒がやめようが、不登校になろうが、給料は同じである。別段、良質な商品をださなくてもそのことでのチェックを受けないのだから、まったく自分の提供している商品に反省などしない。大体、校長という管理職は客の評価をみないで、自分にとってどんな味か、ということで現在は授業評価を実施している。ひどい場合は、君はぼくと同じ「**大学出身」だから、味はどうでもいいよ、と評価して管理職にしている。自分は食品を専門にするが、靴を売っているその商品を客の評価も関係なく評価している。・・・(書きだしたらきりがない!(笑))
これが現実だ。
これを市場がない、とも、社会主義計画経済ともいえばよい。
学校のきわめつけは年功序列と終身雇用という年寄り既得権優遇制度があることだ。
年をとれば給料はあがる。一生雇用は安定。頭髪検査はこうした制度の上にはじめて成立しているのだ。
市場の出現
この制度がもたないのはいうまでもない。
学校は若年層を雇う前に、年寄りの退職者に職を分配している。
同一労働同一賃金など切り捨て御免で、若年者には時給で講師として処遇し、片一方は下手をすれば講師なみになどとうていできない授業を展開していても、若い講師の二倍も三倍もの給料を手にしている。こうして、学校はほとんど平均年齢が50歳というとんでもない高齢社会にいち早く突入して、若年層の雇用を絞っている。
単位制高校を考えてみよう。単位制には、授業を単位とした構造となっているので、塾や予備校を授業を単位としてテナント化して出店することが可能となっている。
少子化で、塾も予備校も需要が減少している。いよいよ学校の正規の活動へと参入する条件がそろってきた。ここで、同一労働同一賃金を制度としていれてみよう。
うちは頭髪検査を実施します
という学校は生きていけるだろうか?
そうだ。ここで
頭髪などどうでもいいという学校が、頭髪など自由、しかし、みんなに確実に学力を提供するぞ!活きた知識を提供するぞ!こんなラインナップの魅力ある学校があるぞ!という競争がはじまる。
そうだ、そのとき、こういう学校も生き残るかもしれない。
うちは頭髪の指導もするぞ!しかも学力を身につけさせるぞ!
校長をみたら戸塚ヨットスクールの戸塚校長だったりして。
最新の画像[もっと見る]
僕も頭髪検査には悩まされています。