同一労働同一賃金
同一労働同一賃金という制度がなぜ、日本社会には根付かないか?これも、企業を一つの家として考えれば、納得がいくとおもいますね。要するに、正社員こそは家臣として俸禄を与えられる、士官した武士なのです。家に所属しない人間は奴隷です。人間じゃないんです。そう考えてみたらどうでしょうか?労働組合もまったく非常勤講師には冷たいですよ、学校でいえば。そして、非常勤講師の若い人たちをみていると、文句の何もいえない奴隷、百姓なんですね。身分が違うんです。能力じゃありません。身分なんです。そう考えてみたらどうでしょうか。これが同一労働同一賃金が成立しない日本的理由ではないでしょうかねえ。
引きこもり・ニート・フリーター
斎藤環が『OKひきこもりOK!』(マガジンハウス)のなかで、高度成長以降の豊かさを前提としないとひきこもりは成立しないといっています。個室の存在、親の経済力などをぜんていにしなければひきもりはできないというのです。同様の指摘は、山田昌弘が『パラサイトシングルの時代』(ちくま新書)のなかでも説いていますね。家の存在です。ニートにせよ、パラサイトにせよ、ひきこもりにせよ、私は断言するほど調べてはいませんので、本当に的外れなことを書いているのかもしれませんが、少なくとも、彼らには〈家〉という帰属のベースキャンプが存在するんです。江戸時代にもそういうバカ殿、旗本のバカ息子っていたわけでしょ。私は同様に考えていいとおもっていますね。家に帰属する、いや寄生するという形態、ここにも家が顔をのぞかせるのです。
封建制の崩壊という中流分解
封建制が前提とするのは非自立的な個人の集合体です。それは自然的条件に依存するといっていいでしょう。血縁、地縁といった自然に制約された、そういう意味では自立していない関係性を基盤とする社会、これが封建制だとしたら、じつは、日本社会は根深く封建制を残存させているのです。
奥村宏や岩井克人が克明に論ずるように、日本社会は戦前、戦中から高度成長時代をとおして、後期産業資本主義の巨大な資本をバックに――株式の持ち合いという独特の安定したコーポレートガバナンスに成功――した大企業を中心にした産業社会をつくりあげてきたのでした。そのとき企業は家の擬制となり、家に帰属する特権層を形作ってきたのでした。それは、けっして近代の労使関係ではありません。前近代的な依存関係なのです。
くり返しますが、そのなかで中流が流出しているというのは、基本的には家がグローバライゼーションの波で倒壊していっているということを意味するのです。とりわけ、地方や中小企業、それも大きな企業への依存関係にあったものが扶養されなくなったということなのです。大企業でも、年寄りを切り捨てることができず、そのままかなり圧縮しながら扶養し、そして、若年層をもはや扶養できず、正社員という家の所属にすることができなくなってしまった。あるいは、特権的な血縁だけを縁故採用するようになっている。地方公務員の教員もそうです。調べれば二世がどれだけいるかわかりますね。
亀井静香たちはしたがって先ほども書きましたが、そうした領民を扶養することを主張しているのです。それは、彼らがその階層に寄生しているからです。そう考えたらどうでしょうか?
中流崩壊という封建制の崩壊 1
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