古美術 崎陽

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幕末の長崎で活躍した人~「前野良沢」(13)

2012-05-20 19:35:10 | ホームページ更新
補足~9

『解体新書』刊行後、

医学が発展したことはもちろんであるが、

オランダ語の理解が進み、

鎖国下の日本において

西洋の文物を理解する下地ができたことは重要である。

また大槻玄沢などの人材が育つ契機ともなった。

翻訳の際に「神経」「軟骨」「動脈」

「処女膜」などの語が作られ、

それは今日でも使われている。

もっとも、最初の翻訳という性質上

仕方ないことであるが、

『解体新書』には誤訳も多かったため、

のちに大槻玄沢が訳し直し、

『重訂解体新書』を文政9年(1826)に刊行した。

なお「十二指腸」の名前は誤訳であったが

訂正されずに現在に至り、

正式な医学用語として定着してしまった」

というのは俗説である。

杉田玄白は晩年に、

『解体新書』翻訳のときの様子を


『蘭学事始』に記している。

現在原本は日本大学医学部、

初版は九州大学医学部などに所蔵されている。



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