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(29)
シーボルトの娘「楠本イネ」~5
補足「楠本高子」
楠本 高子(くすもと たかこ)
嘉永5年2月7日(1852)~昭和13年(1938)
シーボルトの孫娘で楠本イネの娘。
結婚後の改姓により「三淵高子」
「山脇高子」「山脇たか」とも言われる。
高子は不幸な出生で、
当初は「タダ子」とよばれていた
13歳まで長崎の祖母・お滝の元で育つ。
幼少時は琴や三味線、舞など芸事に熱心であり、
医者を嗣ぐことを期待していたイネを嘆かせていたという。
14歳の時に母の師・二宮敬作の縁により
宇和島藩の奥女中として奉公を始める。
慶応2年(1866)三瀬諸淵と結婚。
夫の三瀬諸淵はシーボルト門下の医者で、
二宮敬作の甥に当たった。
明治10年(1877)に三瀬諸淵に先立たれた後、
異母兄・石井信義の元で産婦人科を学んだ。
しかし、その中で医師・片桐重明との間に
周三(後にイネの養子)を生む事態となり、
医業の道は断念した。
その直後に医師・山脇泰助と再婚、
一男二女を生むが、結婚7年目に先立たれた。
その後は叔父の
ハインリッヒ・フォン・シーボルトの世話を受け、
東京で母のイネと共に暮らした。
以後は幼少時に習った芸事の教授をして生計を立てる。
松本零士の先祖が三瀬諸淵の同僚で、
高子と会いとても印象に残り、
その話を零士が聞き継いだ為に、
無意識に作品に出てくる女性のモデルとなっていたと
松本零士自身が語っている。
古美術崎陽HP
シーボルトの娘「楠本イネ」~5
補足「楠本高子」
楠本 高子(くすもと たかこ)
嘉永5年2月7日(1852)~昭和13年(1938)
シーボルトの孫娘で楠本イネの娘。
結婚後の改姓により「三淵高子」
「山脇高子」「山脇たか」とも言われる。
高子は不幸な出生で、
当初は「タダ子」とよばれていた
13歳まで長崎の祖母・お滝の元で育つ。
幼少時は琴や三味線、舞など芸事に熱心であり、
医者を嗣ぐことを期待していたイネを嘆かせていたという。
14歳の時に母の師・二宮敬作の縁により
宇和島藩の奥女中として奉公を始める。
慶応2年(1866)三瀬諸淵と結婚。
夫の三瀬諸淵はシーボルト門下の医者で、
二宮敬作の甥に当たった。
明治10年(1877)に三瀬諸淵に先立たれた後、
異母兄・石井信義の元で産婦人科を学んだ。
しかし、その中で医師・片桐重明との間に
周三(後にイネの養子)を生む事態となり、
医業の道は断念した。
その直後に医師・山脇泰助と再婚、
一男二女を生むが、結婚7年目に先立たれた。
その後は叔父の
ハインリッヒ・フォン・シーボルトの世話を受け、
東京で母のイネと共に暮らした。
以後は幼少時に習った芸事の教授をして生計を立てる。
松本零士の先祖が三瀬諸淵の同僚で、
高子と会いとても印象に残り、
その話を零士が聞き継いだ為に、
無意識に作品に出てくる女性のモデルとなっていたと
松本零士自身が語っている。
古美術崎陽HP
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