古美術 崎陽

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長崎で活躍した人~シーボルト関連補足~楠本イネ

2010-02-26 12:45:52 | 長崎の歴史
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シーボルトの娘「楠本イネ」~5


補足「楠本高子」


楠本 高子(くすもと たかこ)

嘉永5年2月7日(1852)~昭和13年(1938)

シーボルトの孫娘で楠本イネの娘。

結婚後の改姓により「三淵高子」

「山脇高子」「山脇たか」とも言われる。


高子は不幸な出生で、

当初は「タダ子」とよばれていた

13歳まで長崎の祖母・お滝の元で育つ。

幼少時は琴や三味線、舞など芸事に熱心であり、

医者を嗣ぐことを期待していたイネを嘆かせていたという。

14歳の時に母の師・二宮敬作の縁により

宇和島藩の奥女中として奉公を始める。


慶応2年(1866)三瀬諸淵と結婚。

夫の三瀬諸淵はシーボルト門下の医者で、

二宮敬作の甥に当たった。

明治10年(1877)に三瀬諸淵に先立たれた後、

異母兄・石井信義の元で産婦人科を学んだ。

しかし、その中で医師・片桐重明との間に

周三(後にイネの養子)を生む事態となり、

医業の道は断念した。

その直後に医師・山脇泰助と再婚、

一男二女を生むが、結婚7年目に先立たれた。

その後は叔父の

ハインリッヒ・フォン・シーボルトの世話を受け、

東京で母のイネと共に暮らした。

以後は幼少時に習った芸事の教授をして生計を立てる。


松本零士の先祖が三瀬諸淵の同僚で、

高子と会いとても印象に残り、

その話を零士が聞き継いだ為に、

無意識に作品に出てくる女性のモデルとなっていたと

松本零士自身が語っている。



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