古美術 崎陽

古唐津 茶碗 他お茶道具等 古美術全般を取り扱う「古美術崎陽」のHP日記

幕末の長崎で活躍した人~副島種臣(12)

2011-02-25 07:35:08 | 長崎の歴史


佐賀藩士「副島種臣」補足8


書家としての業績は様々に紹介されています。

『蒼海 副島種臣書』

『書の宇宙24-書の近代の可能性 明治前後』

『蒼海先生篆書帖』など。

平成17年(2005年)にNHK番組『新日曜美術館』で

書家としての側面をクローズアップした特集が放映。


平成18年(2006年)に佐賀県立美術館で

平成19年(2007年)に五島美術館で

没後百年記念特別展「蒼海 副島種臣-全心の書-展」が開催。

石川九楊、草森紳一、島善高が寄稿した図録が

佐賀新聞社で製作された。

また、佐賀新聞の題字は副島の書。

代表作は「帰雲飛雨」「紅葉館」(佐賀県立美術館所蔵)

「神非守人 人実守神」「春日其四句」など多数。


    古美術 崎陽

幕末の長崎で活躍した人~副島種臣(11)

2011-02-21 15:35:06 | 長崎の歴史



佐賀藩士「副島種臣」補足8


書家としての業績は様々に紹介されています。

『蒼海 副島種臣書』

『書の宇宙24-書の近代の可能性 明治前後』

『蒼海先生篆書帖』など。

平成17年(2005年)にNHK番組『新日曜美術館』で

書家としての側面をクローズアップした特集が放映。


平成18年(2006年)に佐賀県立美術館で

平成19年(2007年)に五島美術館で

没後百年記念特別展「蒼海 副島種臣-全心の書-展」が開催。

石川九楊、草森紳一、島善高が寄稿した図録が

佐賀新聞社で製作された。

また、佐賀新聞の題字は副島の書。

代表作は「帰雲飛雨」「紅葉館」(佐賀県立美術館所蔵)

「神非守人 人実守神」「春日其四句」など多数。


    古美術 崎陽

幕末の長崎で活躍した人~副島種臣(10)

2011-02-17 19:45:08 | 長崎の歴史


佐賀藩士「副島種臣」補足6


「宮古島民殺害事件」(1)


明治6年(1873)2月27日

外務卿副島種臣を特命全権大使として

大丞柳原前光、小丞平井希昌、鄭永寧等を副使として

清国に派遣することが決定。

これは明治4年(1971)11月の

琉球の民(宮古島島民)66名が台湾に漂流し

その内54名は生蕃の為に殺戮された事件により

国内では台湾征伐の声が高まり始め

同時に明治初年以来、朝鮮の日本に対する態度が

礼を欠いているものとして

先づ清国と朝鮮及び台湾との関係を確かめておく必要がある

とした目的があった。


   古美術 崎陽

幕末の長崎で活躍した人~副島種臣(9)

2011-02-12 10:35:08 | 長崎の歴史


佐賀藩士「副島種臣」補足5



「マリア・ルス号事件」

 
裁判の過程で被告側の代言人(弁護士)ディケンズの

「日本にも遊女という人身売買が存在している」

という指摘は政府首脳を狼狽させた。

この裁判がきっかけとなって政府は

遊女という国内問題の解決を迫られ

娼妓解放令という思わぬ副産物を生んだ。

また、ディケンズの活躍は

裁判における弁護士活動の重要性に

日本人が初めて気付くきっかけとなった。


このようにマリア・ルス号事件とその裁判は

わが国が近代国家の仲間入りを果たす契機となった。

人権という考え方が未成熟な時代に

目前の問題を看過せず現状の打開、改革を進めた

副島、大江の態度は立派である。

横浜に住んでいた中国人たちが二人に

「指日高陞」という大旆を送り感謝の意を表したが

これは今も保管され日中友好の歴史を伝えている。

(神奈川県立公文書館蔵)


   古美術 崎陽

幕末の長崎で活躍した人~副島種臣(8)

2011-02-10 19:05:25 | 長崎の歴史
佐賀藩士「副島種臣」補足4



「マリア・ルス号事件」


条約未済国のペルー人船長を被告とする裁判が開始されると

開港当時の諸外国との取り決めである

「居留地取締規則」により

各国領事から横槍が入り難儀。

そのたびに副島は強力にバックアップ。

特に、アメリカ公使が当初の態度を変え

中南米諸国の外交事務代行を行っている立場から

清国人を船長に返してやってほしいと

副島に書簡を送り裁判に圧力をかけてくる。

しかし、ペルー人と清国人の日本国内における利害の対立は

日本の法律で裁くことができるという

フルベッキから学んだ「万国公法」の考え方をもとに

この書簡は日本の主権を侵す内政干渉であるとして受け取りを拒否。

当時の日本は不平等条約下で治外法権がまかり通っていたが

副島は断固たる態度でこれと戦ったのである。


   古美術 崎陽
>

幕末の長崎で活躍した人~副島種臣(7)

2011-02-08 15:45:22 | 長崎の歴史



   佐賀藩士「副島種臣」補足3



「マリア・ルス号事件」



副島も江藤も佐賀藩の英学校「致遠館」で

フルベッキに英米法や各国の法制経済を学んでいる。

副島とて司法の行政からの独立が必要な事は重々承知していた。

しかし江藤が

「海上の船舶内は治外法権であり日本の法律は及ばない」

と考えたのに対し

副島は

「船内が治外法権とはいえ

 ひどい虐待を受けている人たちを見捨てる訳にはいかない」

と、あくまで日本国内で生じた人道上の問題ととらえ

清国人の解放をめざした。

留守政府を預かる副島としては

この事件を解決する事で

近代国家として日本が脱皮しつつあることを

諸外国にアピールする絶好の機会であると考えたようだ。


   古美術 崎陽

幕末の長崎で活躍した人~副島種臣(6)

2011-02-04 15:45:39 | 長崎の歴史
佐賀藩士「副島種臣」補足2



「マリア・ルス号事件」



特別法廷では船長の不法監禁を確認したが

情状酌量により無罪とする一方で

清国人全員を解放・帰国させた。

これに対しペルー政府が異議をとなえたが

明治8年のロシア皇帝による仲裁裁判は

日本政府の道義的処置はなんら非難すべきところがない

とする判決を下した。



マリア・ルス号事件の主役は

裁判を指揮した土佐藩出身の大江卓である。

そして当時25歳の大江を終止一貫して支持したのは

外務卿副島種臣であった。

維新直後の日本には司法の独立がなく

地方行政官が裁判を担当する事になっていた。

これに対し司法卿の江藤新平は早くから司法の独立を訴え

全国に裁判所を設置し実行に移そうとしていた。

この事件はその丁度最中の出来事であった。

副島はワトソンからの書簡を受け取ると

この裁判を司法省で引き受けようという江藤の申し出を断り

現行制度のまま神奈川県権令が裁判を行うよう

太政大臣三条実美の了承を取り付けた。


   古美術 崎陽