五代 友厚-36 2016-01-31 08:45:13 | 長崎の歴史 1863年11月3日号のイラスト安政7年(1860年)、 25歳のとき、薩摩藩主島津久光が江戸から京都へ帰る途中、 神奈川県生麦において、突如イギリス人4名が馬上のまま行列を横切ろうとし、 怒った藩士が1名を斬殺、2名を傷つけ、1名は無事に逃げた。 この事件を「生麦事件」と呼ぶが、これが契機となり、 翌年イギリスは鹿児島を砲撃し薩英戦争が勃発する。 文久3年(1863年)2月19日、横浜にイギリス艦隊8隻が入国し、 生麦事件についての要求書を提出した。 長崎の歴史
五代 友厚-35 2016-01-29 04:25:03 | 長崎の歴史 生麦事件と薩英戦争 『生麦之発殺』(早川松山画) 明治になって想像で描かれた錦絵で、 名前が出ているのは島津久光と小松帯刀のみ。 当時は久光の武勇伝として一般に親しまれていた 長崎の歴史
五代 友厚-34 2016-01-27 07:35:36 | 長崎の歴史 帰藩した直後は幕府船千歳丸が 上海に渡航する話を聞きつけると同行を頼み込み、 それが叶わないと水夫として船に乗り込むなど、 かなり破天荒ではあるが、志に燃える若者の一面を覗かせる。 長崎の歴史
五代 友厚-31 2016-01-20 07:25:17 | 長崎の歴史 長崎海軍伝習所で学ぶ 長崎海軍伝習所を表した絵安政4(1857)年、 薩摩藩によって計16名の伝習生が長崎に派遣されるが、 その中でも五代は、 勝麟太郎(海舟)らと同じくエリートのひとりとして送られる。 長崎の歴史
五代 友厚-30 2016-01-18 06:25:46 | 長崎の歴史 9月26日 - 糖尿病により、東京の自邸で没する。 享年49歳。大阪で葬儀。 大正3年(1914年) - 大正天皇が演習のため大阪行幸の際、 特旨を以て正五位を追贈される。 7月 - 五代友厚秘史が発刊される。 長崎の歴史
五代 友厚-29 2016-01-16 06:35:30 | 長崎の歴史 明治18年(1885年) 1月 - 大阪北中之島1丁目26番地に居を定める (現・日本銀行大阪支店)。 9月 - 鹿児島より籍を大阪に移す。 東京において日本郵船会社を斡旋する。 勲四等に叙せられ旭日小綬章を賜う。 長崎の歴史
五代 友厚-28 2016-01-14 06:35:44 | 長崎の歴史 12月 - 神戸桟橋会社設立(川崎汽船K-LINE)の設立許可を得る (1884年11月開業)。 明治17年(1884年) 5月 - 五代らの努力により 大阪商船(旧・大阪商船三井船舶→現・商船三井)が開業。 12月 - 大阪堺鉄道(南海鉄道)を設立する。 長崎の歴史
五代 友厚-27 2016-01-12 07:25:17 | 長崎の歴史 9月 - 大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)を設立して、 初代会頭に就任する。 明治12年(1879年)11月 - 大阪商業講習所(現・大阪市立大学)を創設する。 明治14年(1881年) 3月 - 大阪青銅会社(住友金属工業)を設立する。 6月 - 関西貿易社を設立する。 開拓使官有物払い下げ事件に関わり、批判を浴びる。 明治15年(1882年) 7月 - 共同運輸会社を設立。 長崎の歴史