(稲佐お栄)-1 4 2015-02-23 06:45:04 | 長崎の歴史 (オロシャ お栄) 稲佐お栄 海外交流編トップへ ▲国賓として訪れ、 長崎で人力車での散策を楽しむロシア皇太子ニコライ ▲日ロ親善に尽くした稲佐お栄 ロシア皇太子をもてなした国際人 天草生まれの稲佐お栄こと道永エイは、 茂木に出て旅人宿の女中をつとめ、 明治12年(1879)数え年20のとき、 長崎・稲佐で西洋料理店ボルガを 営む諸岡まつの紹介で近所の ロシア将校クラブの雇い人となった。 色白の美人で、 気も利くし社交上手である。 長崎の歴史
(稲佐お栄)-13 2015-02-09 07:15:16 | 長崎の歴史 (オロシャ お栄) ▼碑文 稲佐お栄と親しまれた道永エイは、 万延元年(1860)天草四郎で有名な天草大矢野島で出生、 12才の頃来崎し、シベリア、上海へもロシアの軍艦で渡り、 長崎に落ち着いた後はホテル業を以て国際親善につくした。 大浦お慶 坂本龍馬ら勤皇の志士を助けた大浦お慶、 日本で初めての西洋流女医シーボルトおいねと共に長崎の三大女傑といわれる。 昭和2年(1927)数え年68才で波乱の生涯を閉じた。 長崎の歴史
(稲佐お栄)-12 2015-02-01 08:15:24 | 長崎の歴史 (オロシャ お栄) 明治39年(1906)茂木に純洋館2階建てのビーチホテルを開業する。 階上に客室12、階下は宴会用の広間、音楽室からなる近代的なホテルであった。 彼女は長崎駅前に集まる200人もの人力車夫に毎月金一封を贈ったり、 市内に「欧米風の新ホテル、茂木の海岸に現る」と日英両文で書かれた ポスターを張り巡らすなどの宣伝を行ったこともありこのホテルは 開業後1ヶ月で増築をするなど大変繁盛した。 昭和2年(1927)5月12日の朝、数え年68才でその生涯を終えた。 場所は平戸小屋のホテル横の隠居部屋であった。 平戸小屋の隠居部屋があった家までの登り口に「お栄さんの道」とした 婢が建てられている。 長崎の歴史