平賀 源内-3 2014-01-30 04:45:05 | 長崎の歴史 讃岐国寒川郡志度浦(現在の香川県さぬき市志度)に生まれる。 平賀氏は讃岐高松藩の足軽身分の家で、元々は信濃国佐久郡の豪族だったが、 戦国時代平賀玄信の代に甲斐の武田信虎・晴信父子に滅ぼされ、 奥州の白石に移り伊達氏に仕え、白石姓に改めた。 のちに伊予宇和島藩主家に従い四国へ下り、讃岐で帰農したという。 古美術崎陽 長崎の歴史
平賀 源内-2 2014-01-28 06:05:05 | 長崎の歴史 源内は通称で、元内とも書いた。 諱は国倫(くにとも、字は子彝(しい)。 数多くの号を使い分けたことでも知られ、画号の鳩渓、 俳号の李山をはじめ,戯作者としては風来山人 浄瑠璃作者としては福内鬼外の筆名を用い、 殖産事業家としては天竺浪人、 生活に窮して細工物を作り売りした頃には 貧家銭内などといった別名でも知られていた。 平賀源内作 父は白石茂左衛門(良房)、母は山下氏の娘。兄弟多数。 古美術崎陽 長崎の歴史
平賀 源内-1 2014-01-25 07:45:06 | 長崎の歴史 享保13年(1728年)- 安永8年12月18日(1780年1月24日))は、 江戸時代中頃に活躍した本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、 戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家。 古美術崎陽 長崎の歴史