「本木昌造」
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エピソード
本木家は通詞の家系だが
養父昌左衛門も語学の才能があり、
英語、オランダ語、ロシア語が達者で、
通訳としてひっぱりだこ。
また門人を集めて外国語塾を開き、盛況であった。
幕府に頼まれ砲術の書物を翻訳、
ほかに日常会話の手引書なども刊行している。
昌造は養父から語学を習うが
暗記力抜群、単語を覚えるスピードの速さは、
養父も舌を巻くほど。
青年時代ロシアの外交官プチヤーチンが
長崎に来たとき通訳を務めるが
会話にロシアの古い格言や言い伝えを織り込み、
盛んに機知に富んだジョークを連発したため、
気難し屋のプチヤーチンも感嘆し、
「なんじはわがはいの国に何年住んでいたのか」
と尋ねたといわれる。
古美術崎陽HP