エピソード~3
日本最初の鉄道が新橋~横浜間に建設された際、
そのゲージ(軌間)を1067mmに決めたのは大隈である。
「日本の鉄道なら狭軌で十分」という感覚だったことから
「我輩の一世一代の失策」と後日語っていたという。
現在残されている大隈の関連文書は
全て口述筆記によるものであり、
大隈自身の直筆のものは存在しない。
これは弘道館在学中に字の上手な学友がいて、
大隈は字の上手さで学友にかなわなかったため、
書かなければ負ける事は無いと
負けず嫌いで字を書く事を止め、
以降は勉強はひたすら暗記で克服し、
本を出版する時も口述筆記ですませ、
死ぬ時まで文字を書かなくなったためと言われている。
古美術 崎陽