古美術 崎陽

古唐津 茶碗 他お茶道具等 古美術全般を取り扱う「古美術崎陽」のHP日記

平賀 源内-10

2014-04-19 06:05:09 | 長崎の歴史


安永5年(1776年)には長崎で手に入れたエレキテル(静電気発生機)
を修理して復元する。

安永8年(1779年)夏には橋本町の邸へ移る。大名屋敷の修理を請け負った際に、
酔っていたために修理計画書を盗まれたと勘違いして大工の棟梁2人を殺傷したため、
11月21日に投獄され、12月18日に破傷風により獄死した。
享年52。杉田玄白らの手により葬儀が行われたが、幕府の許可が下りず、
墓碑もなく遺体もないままの葬儀となった。
ただし晩年については諸説あり、大工の秋田屋九五郎を殺したとも、
後年逃げ延びて田沼意次の保護下に天寿を全うしたとも伝えられるが、
いずれもいまだにはっきりとはしていない。

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平賀 源内-9

2014-04-03 07:15:11 | 長崎の歴史

明和3年(1766年)から武蔵川越藩の秋元凉朝の依頼で
奥秩父の川越藩秩父大滝(現在の秩父市大滝)
の中津川で鉱山開発を行い、
石綿などを発見した(現在のニッチツ秩父鉱山)。
秩父における炭焼、荒川通船工事の指導なども行う。
現在でも奥秩父の中津峡付近には、
源内が設計し長く逗留した建物が「源内居」として残っている。
安永2年(1773年)には出羽秋田藩の佐竹義敦に招かれて
鉱山開発の指導を行い、
また秋田藩士小田野直武に蘭画の技法を伝える。

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