古美術 崎陽

古唐津 茶碗 他お茶道具等 古美術全般を取り扱う「古美術崎陽」のHP日記

平賀 源内-14

2014-06-11 06:35:47 | 長崎の歴史


科学者としての業績には、オランダ製の静電気発生装置エレキテルの紹介、
火浣布[1]の開発がある。一説には竹とんぼの発明者とも言われ、
これを史上初のプロペラとする人もいる(実際には竹とんぼはそれ以前から存在する。
該当項目参照)。気球や電気の研究なども実用化寸前までこぎ着けていたと言われる。
ただし、結局これらは実用的研究には一切結びついておらず、
後世の評価を二分する一因となっている。

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平賀 源内-13

2014-06-05 07:05:23 | 長崎の歴史


『解体新書』を翻訳した杉田玄白をはじめ、
当時の蘭学者の間に源内の盛名は広く知られていた。
玄白の回想録である『蘭学事始』は、源内との対話に一章を割いている。
源内の墓碑を記したのも玄白で、「嗟非常人、好非常事、行是非常、
何死非常」(ああ非常の人、非常のことを好み、行いこれ非常、
何ぞ非常に死するや〔貴方は常識とは違う人で、常識とは違うものを好み、
常識とは違うことをする、しかし、死ぬときぐらいは畳の上で普通に死んで欲しかった。])
とあり、源内の才能に玄白が驚嘆しその死を惜しんだことが伺われる。

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平賀 源内-12

2014-06-01 07:05:19 | 長崎の歴史
人物と業績天才、または異才の人と称される。鎖国を行っていた当時の日本で、
蘭学者として油絵や鉱山開発など外国の文化・技術を紹介した。
文学者としても戯作の開祖とされ、人形浄瑠璃などに多くの作品を残した。
また源内焼などの焼き物を作成したりするなど、多彩な分野で活躍した。
男色家であったため、生涯にわたって妻帯せず、
歌舞伎役者らを贔屓にして愛したという。わけても、
2代目瀬川菊之丞(瀬川路考)との仲は有名である。

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