平賀 源内-8 2014-03-20 07:05:18 | 長崎の歴史 宝暦13年(1763年)には『物類品隲』を刊行。 オランダ博物学に関心をもち、洋書の入手に専念するが、 源内は語学の知識がなく、オランダ通詞に読み分けさせて読解に務める。 文芸活動も行い、談義本の類を執筆する。 明和年間には産業起業的な活動も行った。 古美術崎陽 長崎の歴史>
平賀 源内-7 2014-03-17 06:57:29 | 長崎の歴史 宝暦11年(1761年)に江戸に戻るため再び辞職する このとき「仕官お構い」(奉公構)となり 以後、幕臣への登用を含め他家への仕官が不可能となる。 宝暦12年(1762年)には物産会として 第5回となる「東都薬品会」を江戸の湯島にて開催する。 江戸においては知名度も上がり、杉田玄白や中川淳庵らと交友する。 古美術崎陽 長崎の歴史
平賀 源内-6 2014-03-12 07:35:28 | 長崎の歴史 宝暦11年(1761年)には伊豆で鉱床を発見し、産物のブローカーなども行う。 物産博覧会をたびたび開催し、この頃には幕府老中の田沼意次にも知られるようになる。 宝暦9年(1759年)には高松藩の家臣として再登用されるが、 平賀源内作の香炉 古美術崎陽 長崎の歴史