明治12年(1879)12月12日に知事を退任し、
同年元老院議官となる。
明治22年(1889)東京市会議員となり、
同年東京市会議長となる。
明治22年(1889)12月から明治23年(1890)10月まで
元老院副議長を務め、
明治23年(1890)に衆議院議員に当選し、
明治26年(1893)に衆議院副議長となる。
後に、星亨の議長不信任案が可決され、
同年衆議院議長に就任した。
政党活動を通じて立憲改進党などを組織し、
都新聞社主や社長も務めるなど
民権の伸張や政界刷新に努めた。
長崎の歴史
同年元老院議官となる。
明治22年(1889)東京市会議員となり、
同年東京市会議長となる。
明治22年(1889)12月から明治23年(1890)10月まで
元老院副議長を務め、
明治23年(1890)に衆議院議員に当選し、
明治26年(1893)に衆議院副議長となる。
後に、星亨の議長不信任案が可決され、
同年衆議院議長に就任した。
政党活動を通じて立憲改進党などを組織し、
都新聞社主や社長も務めるなど
民権の伸張や政界刷新に努めた。
長崎の歴史