幕末の長崎で活躍した人~「日高鉄翁」~1 2012-07-28 14:04:31 | 長崎の歴史 鉄翁 祖門(てつおう そもん) 寛政3年(1791)~明治4年(1872) 幕末長崎で活躍した南画家。 木下逸雲・三浦梧門と共に長崎南画三筆とされる。 本姓日高氏。諱は祖門、道号を鉄翁とした。 別号に明言・銕道人・蓮舟人など、 室号は太素軒。 長崎銀屋町の桶職人日高勘右衛門の子。 11歳で父を亡くし、 華嶽山春徳寺13世玄翁和尚に養育される。 幼少より画を好み、 はじめ唐絵目利の石崎融思に漢画を、 文化元年(1804)からは 来舶清人の江稼圃に師事して南画を学ぶ。 古美術崎陽 長崎の歴史
幕末の長崎で活躍した人~「木下逸雲」~8 2012-07-06 13:59:48 | 長崎の歴史 補足~3 亀山焼は文化4年(1807)八幡町大神甚五平等によって 伊良林に開窯する。 慶応元年(1865)まで60余年の歴史を有する。 最初は外国船に積み込む水瓶を製作したのだが 需要が少なくなり文化11年(1814)頃より 天草陶石を使って白磁染付へと変わってゆく。 文久元年12月に休業を決めた甚五平は 公的な借入金と個人からの借金の始末を 同町(八幡町)乙名木下志賀之助及び 木下逸雲と相談していたと思われる。 後、慶応元年5月に 「亀山一件、口上之覚」として 木下志賀之助が町年寄後藤惣左エ門、 薬師寺久左エ門へ事の成り行きを列挙した文書を提出。 古美術崎陽 長崎の歴史