補足~司馬江漢と生月捕鯨
天明8年(1788)から翌寛政元年(1789)にかけて、
江戸を発ち長崎旅行をおこなった。
その帰路、平戸を経て天明8年の暮れに
生月島に渡り、翌正月4日まで滞在している。
その間は鯨組主である益冨家に逗留し、
実際に鯨船に乗って
捕獲や解体・加工の様子を観察したり、
松本で大敷網の鮪漁を見物したり、
島の最高峰である孩子岳に登ったりしている。
その時の見聞の内容は、
寛政6年(1794)に刊行された『西遊旅譚』
(後に『画図西遊譚』という名称で再刊行される)
や『西遊日記』(文化12年・1815)に紹介された他、
油彩画の『捕鯨図』水墨淡彩の『捕鯨図巻』
などにも反映されている。
また千葉市美術館に収蔵されている
『日本風景図』についても、
生月島の松本海岸から見た風景を
左右反転させたものである可能性が高い。
『西遊旅譚』の遠近法を駆使した肉納屋図などは、
のちの捕鯨図説にも大きな影響を与えている。
古美術崎陽 長崎の歴史
天明8年(1788)から翌寛政元年(1789)にかけて、
江戸を発ち長崎旅行をおこなった。
その帰路、平戸を経て天明8年の暮れに
生月島に渡り、翌正月4日まで滞在している。
その間は鯨組主である益冨家に逗留し、
実際に鯨船に乗って
捕獲や解体・加工の様子を観察したり、
松本で大敷網の鮪漁を見物したり、
島の最高峰である孩子岳に登ったりしている。
その時の見聞の内容は、
寛政6年(1794)に刊行された『西遊旅譚』
(後に『画図西遊譚』という名称で再刊行される)
や『西遊日記』(文化12年・1815)に紹介された他、
油彩画の『捕鯨図』水墨淡彩の『捕鯨図巻』
などにも反映されている。
また千葉市美術館に収蔵されている
『日本風景図』についても、
生月島の松本海岸から見た風景を
左右反転させたものである可能性が高い。
『西遊旅譚』の遠近法を駆使した肉納屋図などは、
のちの捕鯨図説にも大きな影響を与えている。
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