古美術 崎陽

古唐津 茶碗 他お茶道具等 古美術全般を取り扱う「古美術崎陽」のHP日記

江藤新平-16

2015-06-03 06:35:08 | HPの更新情報



しかし、やがて大久保の直卒する東京、
大阪の鎮台部隊が陸続と九州に到着した。
佐賀軍は福岡との県境へ前進して、
これら新手の政府軍部隊を迎え撃った。


政府軍は、朝日山方面へ野津鎮雄少将の部隊を三瀬峠付近へは

山田顕義少将の部隊を前進させた。
朝日山方面は激戦の末政府軍に突破されるが、

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江藤新平-14

2015-05-30 05:45:10 | HPの更新情報



大隈、板垣、後藤らの帰郷を思いとどまるようにとの
説得にもかかわらず
翌13日に離京。すぐには佐賀へ入らず2月2日、

長崎の深堀に着き様子を見る。
2月10日、佐賀へ向い11日、

憂国党の島義勇と会談を行い12日、
佐賀征韓党首領として擁立された。
そして、政治的主張の全く異なるこの
征韓党と憂国党が共同して反乱を計画する。

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江藤新平-3

2015-05-08 07:05:27 | HPの更新情報



江戸時代後期の外国船の日本近海への出没やアメリカのペリー艦隊や

ロシアのプチャーチン艦隊などが来航して
通商を求めるなどの時勢の影響を受け、
安政3年(1856年)には意見書である『図海策』を執筆する。
1850年に枝吉神陽が義祭同盟を結成すると、
大隈重信・副島種臣・大木喬任・島義勇らとともに参加した。
安政4年(1857年)に結婚。藩の洋式砲術、貿易関係の役職を務める。

大木喬任  第4代 枢密院議長

島義勇   北海道開拓の父(開拓の神

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2013-03-02 08:15:09 | HPの更新情報
商品入荷案内 
 
    軸のページ   伊藤博文扁額 

    ウブニページ 

            H-1 瓢箪掛花入

            H-2 瓢茶入

            H-3 高麗井戸茶碗

            H-4唐物雲龍螺鈿香合

            H-5 唐物染付花瓶

            H-6 対洲三島花瓶

幕末の長崎で活躍した人~「前野良沢」(2)

2012-04-28 06:45:30 | HPの更新情報


豊前中津藩の藩医で江戸詰藩士

谷口新介の子として江戸で生まれる。

幼少で両親を亡くしたため、

母方の大叔父で淀藩の医者宮田全沢に養われる。

全沢は『医学知津』

という医書を書くほどの博学ですが

「世の中には捨ててしまうと絶えてしまうものがある。

 流行りものはどうでもいいから、

 廃れてしまいそうなものを習い覚えて、

 後の世に残すよう心がけよ」

と教えたという。

その後、全沢の妻の実家で

中津藩の医師前野家の養子となり、

吉益東洞の古医方を学ぶ。

そのかたわら、世に廃れそうな一節切を稽古し

その秘曲を極め、

猿若狂言の稽古に通ったという。



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    長崎の歴史


展覧会の案内

2011-11-01 15:25:01 | HPの更新情報
秋晴れの長崎は少し蒸し暑いくらいの陽気です。

今日は展覧会の案内を更新しました。

故中里逢庵氏が収集し、唐津市へ寄贈した品の展覧会です。
13代中里太郎右衛門(逢庵)氏の作品を含む
国内外の作品700点他
1万5千点以上に上る陶片が寄贈されました。
その寄贈品の中でも
特に優品とされる古唐津の伝世品を中心に展示、紹介されます。
観覧無料となっております。


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    展覧会の案内のページ

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