古美術 崎陽

古唐津 茶碗 他お茶道具等 古美術全般を取り扱う「古美術崎陽」のHP日記

幕末の長崎で活躍した人~「渡辺 昇」(5)

2011-08-31 11:35:51 | 長崎の歴史

          渡辺清

大村藩に帰藩後、

勤王組織・三十七士同盟を結成。

兄の渡辺清とともに大村勤皇党を率い、

藩論を尊王攘夷にまとめ上げた。

第一次長州征伐の頃、

幕府に対する長州征伐中止の要請を主張し、

肥前大村藩は筑前黒田藩と同盟を結ぶ。


この頃、八月十八日の政変により、

都を追われた公卿らが筑前国太宰府におり、

昇は太宰府で五卿と面会。

その際、五卿により土佐藩士の吉井源馬を紹介される。

この吉井は後の海援隊隊士であり、

この縁により長崎の亀山社中にて坂本龍馬と面会。



     長崎の歴史

幕末の長崎で活躍した人~「渡辺 昇」(4)

2011-08-29 07:55:26 | 長崎の歴史




         桂 小五郎

翌年、桂が長州藩に帰藩。

渡辺が次期塾頭に選ばれ、

文久元年(1861)まで塾頭を務めた。

『幕末百話』によれば、

「朝から晩まで相手代われど主代わらず」

と言われたほど稽古熱心であったという。

尊王攘夷思想に傾倒し、

道場で仲間たちと政局を論じ合った。

また、近藤勇の道場・試衛館とも交流し、

近藤と懇意になったといわれる。

試衛館に道場破りが来ると

錬兵館に走って昇に助太刀を頼んだとも。


      長崎の歴史

幕末の長崎で活躍した人~「渡辺 昇」(4)

2011-08-27 07:05:33 | 長崎の歴史



  近藤 勇

翌年、桂が長州藩に帰藩。

渡辺が次期塾頭に選ばれ、

文久元年(1861)まで塾頭を務めた。

『幕末百話』によれば、

「朝から晩まで相手代われど主代わらず」

と言われたほど稽古熱心であったという。

尊王攘夷思想に傾倒し、

道場で仲間たちと政局を論じ合った。

また、近藤勇の道場・試衛館とも交流し、

近藤と懇意になったといわれる。

試衛館に道場破りが来ると

錬兵館に走って昇に助太刀を頼んだとも。


      長崎の歴史

幕末の長崎で活躍した人~「渡辺 昇」(3)

2011-08-25 07:15:11 | 長崎の歴史

        

          

安政5年(1858)江戸藩邸勤めの父に従い、

江戸に出た。昇20歳。

安井息軒の塾に入って桂小五郎と知り合い、

桂の勧めで神道無念流の道場・練兵館に入門。

斎藤弥九郎とその長男・新太郎の指導を受け、

塾頭の桂らと稽古に励んだ。

渡辺は練兵館随一の実力者となり、

桂と並び「練兵館の双璧」と称された。


『練兵館』

 斎藤弥九郎によって開かれた、神道無念流の道場。

 「技の千葉」(北辰一刀流・玄武館)、

 「位の桃井」(鏡新明智流・士学館)と並び、

 「力の斎藤」と称され、

 幕末江戸三大道場の一つに数えられた。

      長崎の歴史

幕末の長崎で活躍した人~「渡辺 昇」(2)

2011-08-23 19:25:02 | 長崎の歴史

肥前国大村藩士・渡辺巖の二男として生まれた。

渡辺家は大村五騎に数えられる名家。

幼少期から巨体で、頭が大きく、
「異相にして粗放」、

「道観さん(道教の像)」と言われた。

8歳で文武館に学び、

12歳で藩校・五教館に入校。

藩の剣術師範である一刀流の宮村佐久馬に師事。

(実際に指導にあたっていたのは

宮村の実弟・柴江運八郎であった)

安政元年(1855)斎藤弥九郎の三男・歓之助が

大村藩の剣術師範となり、

藩内の剣術が神道無念流に統一され

以降、大村城下に新設された道場・微紳堂で学ぶ。


      長崎の歴史

幕末の長崎で活躍した人~「田中久重」(14)

2011-08-19 07:25:28 | 長崎の歴史




補足~7


田中久重の子・儀右衛門は

長男岩次郎を伴って長崎に出張した際

同行していた秀島藤之進により殺害されています。

猛烈な雷鳴により突然発狂したらしい。

時は元治元年(1864)です。

息子・孫の不慮の死により

田中久重は弟子の田中大吉を養子に迎え

その子に久重を名乗らせたそうです。


      長崎の歴史

幕末の長崎で活躍した人~「田中久重」(13)

2011-08-17 07:35:08 | 長崎の歴史


補足~6


天文家としての学識を備え

最も優れた職人のみに与えられる

「近江大掾」(おうみだいじょう)の称号を得る。

なおも向学心を磨く。

齢五十を過ぎた嘉永3年(1850)

当時の時計の概念を根底から覆したといわれる

和時計・須弥山儀(しゅみせんぎ)を完成させる。

須弥山儀は天動説に即し

仏教の宇宙観を一つの時計の中で表現した名品。

また京都の蘭学者・広瀬元恭の「時習堂」に入門。

医学や物理学、化学、兵学、砲術などを吸収した。


      長崎の歴史

幕末の長崎で活躍した人~「田中久重」(12)

2011-08-15 09:25:10 | 長崎の歴史


補足~5


目につくものは何でも

発明に結び付けてしまう"発明の虫"は

"西洋時計"に興味を示した。

自らの興味のために、

西洋の天文・数理を学ぶ。

三両あれば一年暮らせると言われた時代に

五十両の大金を握り締め

天文暦学の京都梅小路・土御門家の門戸を叩く。

弘化4年(1847)田中久重数え四十九歳。


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