『オランダ正月』~2
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/a6/d78d049d697046b89e6495f0f56e69c9.jpg)
~江戸芝蘭堂のオランダ正月~1
江戸時代中期に活躍した通詞吉雄耕牛の自宅は
2階にオランダから輸入された家具を配して
「阿蘭陀坐敷」と呼ばれており
庭園もオランダ渡りの動植物にあふれ
長崎の名所となっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/e7/17868c9effefbed65fb4e6a4ee213fa8.jpg)
通詞以外の全国の蘭学者も多く師事した耕牛の家では、
やはり太陽暦の元日に合わせ、
オランダ正月が催されていた。
江戸の蘭学者で指導的な地位にあった大槻玄沢も、
この吉雄家洋間のオランダ正月に参加して感銘を受けた。
歴代のオランダ商館長は
定期的に江戸へ参府することが義務づけられていたが
寛政6年(1794)のヘイスベルト・ヘンミーの江戸出府で
オランダ人と初めて対談した大槻玄沢は、
これを機にこの年の閏11月11日が
西暦で1795年1月1日に当たることから、
京橋水谷町にあった自宅の塾芝蘭堂に、
多くの蘭学者やオランダ風物の愛好家を招き、
新元会(元日の祝宴)を催した。
ロシアへ漂流した大黒屋光太夫なども招待されていた。
古美術 崎陽
長崎の歴史
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~江戸芝蘭堂のオランダ正月~1
江戸時代中期に活躍した通詞吉雄耕牛の自宅は
2階にオランダから輸入された家具を配して
「阿蘭陀坐敷」と呼ばれており
庭園もオランダ渡りの動植物にあふれ
長崎の名所となっていた。
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通詞以外の全国の蘭学者も多く師事した耕牛の家では、
やはり太陽暦の元日に合わせ、
オランダ正月が催されていた。
江戸の蘭学者で指導的な地位にあった大槻玄沢も、
この吉雄家洋間のオランダ正月に参加して感銘を受けた。
歴代のオランダ商館長は
定期的に江戸へ参府することが義務づけられていたが
寛政6年(1794)のヘイスベルト・ヘンミーの江戸出府で
オランダ人と初めて対談した大槻玄沢は、
これを機にこの年の閏11月11日が
西暦で1795年1月1日に当たることから、
京橋水谷町にあった自宅の塾芝蘭堂に、
多くの蘭学者やオランダ風物の愛好家を招き、
新元会(元日の祝宴)を催した。
ロシアへ漂流した大黒屋光太夫なども招待されていた。
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長崎の歴史
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