佐賀藩士「中牟田倉之助」
文久2年(1862)幕府の上海訪問団に加わり
藩命により千歳丸にて上海に渡る。
港や造船所を精力的に視察。
居留地で外国人に次々面会し、書籍や短銃を購入。
イギリス軍の砲台では
六門のアームストロング砲を詳細にスケッチし、
内心「一門でも持ち帰ることができれば」と切望した。
持ち帰った資料群は、藩士を刺激し、
欧米や科学技術への関心をさらにかき立てた。
大隈重信も、初めて西洋ろうそくやマッチを見た。
大隈はこの後、英学校開設を建言し、
長崎にできた「致遠館」の運営を担うことになる。
古美術 崎陽
文久2年(1862)幕府の上海訪問団に加わり
藩命により千歳丸にて上海に渡る。
港や造船所を精力的に視察。
居留地で外国人に次々面会し、書籍や短銃を購入。
イギリス軍の砲台では
六門のアームストロング砲を詳細にスケッチし、
内心「一門でも持ち帰ることができれば」と切望した。
持ち帰った資料群は、藩士を刺激し、
欧米や科学技術への関心をさらにかき立てた。
大隈重信も、初めて西洋ろうそくやマッチを見た。
大隈はこの後、英学校開設を建言し、
長崎にできた「致遠館」の運営を担うことになる。
古美術 崎陽