古美術 崎陽

古唐津 茶碗 他お茶道具等 古美術全般を取り扱う「古美術崎陽」のHP日記

韋駄天福岡へ~「長崎の興福寺展」

2009-07-31 11:27:50 | 長崎の歴史

長崎の唐寺の一つ「興福寺」は隠元禅師入山のお寺

つまり最初の黄檗宗の寺です。


大雄宝殿(本殿)が国の重要文化財となっています。

ここには1663年、中国人仏師によって長崎で制作されたという

韋駄天像があります。

同像は台座を含め高さ2メートル22センチの木造。

韋駄天は伽藍を守る仏法の守護神とされ、

甲冑姿でりりしい顔立ち。

全体に金箔が施され、朱や青色などで彩色された甲冑は

細かい彫刻が施され、山水画などで装飾されている。



同像の作者は不明だったが、

昨年、九州国立博物館の楠井主任研究員が

京都の萬福寺にある

中国人仏師「范道生」制作の韋駄天像と作風が似ていることなどから、

范道生かその弟子の制作と推定した。


同像は展示後も同博物館にて

科学機器など使った本格的な調査が行われる。

九州国立博物館には最新鋭の透過調査機器がある。

精緻な調査で新しい発見があることだろう。



「長崎の興福寺」展は8月19日から九州国立博物館で始まる。



古美術崎陽

龍馬を応援しよう~「長崎福援隊」

2009-07-30 11:15:25 | 長崎の歴史
来年放映されるNHK大河ドラマ「龍馬伝」と、

坂本龍馬を演じる長崎市出身の福山雅治さんを応援しようと、

「長崎福援隊」が結成された!!

“旗印”となるポスターも完成。

先日、長崎新聞にて発表、会員を募集中。


ポスターのデザインは、

幸福を招くとして中華街で飾られている逆さ「福」の字

海援隊旗の2本の赤線~~

福援隊が募集している各協賛店の店頭に張り付けてPRを開始。


最初の応援イベントとして、

福山さんが来月29、30両日に稲佐山で開くコンサートに合わせ、

同28~31日までの4日間を「福祭り」とし、

記念品プレゼントなど各協賛店ごとのサービスを実施予定。


龍馬もがんばっちょるきに!!

長崎もがんばらんば~~


古美術崎陽

幕末の長崎で活躍した人~近藤 長次郎

2009-07-29 11:04:15 | 長崎の歴史
(6)

葬儀は社中の者であげた。

墓は皓台寺墓地内の幕末期砲術家高島秋帆墓地の裏手(山側)に

ひっそりと建てられていたが、

現在では大浦お慶とともに

志士たちを援助した小曾根家の墓地内に移設された。

墓碑には、小曾根邸の離れの屋敷名をとって「梅花書屋氏墓」と記されている。

筆跡は龍馬のものとされている。

龍馬は後に、

「術数有り余って至誠足らず。

上杉氏(長次郎の変名上杉宋次郎のこと)身を亡ぼす所以なり」

と嘆いたという(「坂本龍馬手帖摘要」)。



古美術崎陽


幕末の長崎で活躍した人~近藤 長次郎

2009-07-27 10:34:53 | 長崎の歴史

(4)

ところが天候悪化により出港が遅れたため計画は露見

しかも長次郎は密かに亀山社中の資金を横流ししていた。

これらの罪により社中の隊士たちより切腹を言い渡されることになる。

このとき切腹を命じたのは龍馬自身であったという説が一部にあったが、

実は当時、龍馬は薩長同盟締結のため京都に赴いており長崎には不在だった。

長次郎の切腹は、龍馬不在中に社中の隊士が決定したことである。

享年29であった。



    古美術崎陽

幕末の長崎で活躍した人~近藤 長次郎

2009-07-25 11:24:03 | 長崎の歴史
(3)

その後、長州とはユニオン号の売買を成立させたが

引渡し条件などでもめ、

龍馬の仲介で、謝礼金の授受も出来た。

長次郎は龍馬と同じく狭い日本にいるよりも

世界に羽ばたく国際人になりたかったようだ。

ユニオン号引渡しで長州藩から得た謝礼金を

イギリス商人のトーマス・グラバーに渡し、

イギリスに留学しようとした。



      古美術崎陽

幕末の長崎で活躍した人~近藤 長次郎

2009-07-24 11:01:53 | 長崎の歴史
(2)

幼少期から聡明で江戸に出て学問と砲術を学び、

その才能を山内容堂に認められて

文久3年(1863)に名字帯刀を許され

神戸海軍操練所に入る。

同じく土佐藩出身である坂本龍馬とは仲が良く、

龍馬と共に海援隊の前身である亀山社中を設立。

また龍馬の命令で長州藩に赴き、小銃の売買成立。

このとき、長次郎は長州藩主の毛利敬親から

謝礼の言葉を直にもらってる。


       古美術崎陽

幕末の長崎で活躍した人~近藤 長次郎

2009-07-23 10:58:18 | 長崎の歴史
(1)

近藤 長次郎(こんどう ちょうじろう)

天保9年3月7日(1838) - 慶応2年1月14日(1866年)

幕末期の土佐藩出身の人物

名を春宗。

別名は上杉宋次郎、近藤昶次郎、梅花道人。


高知城下の饅頭商人の息子として生まれ

長次郎自身も饅頭を売り歩いていたため、

はじめは名字がなく饅頭屋長次郎と呼ばれた。


     古美術崎陽