江藤新平-9 2015-05-20 05:55:46 | ホームページ更新 明治3年(1870年)1月には佐賀に帰郷して着座 (準家老)に就任して藩政改革を行うが後に中央に呼び戻され、 同年11月に太政官中弁となる。12月、 虎ノ門で佐賀藩の卒族に襲撃されて負傷する。 明治4年(1871年)2月には制度取調専務として 国家機構の整備に従事し、 大納言岩倉に対して30項目の答申書を提出する。 近代的な集権国家と四民平等を説き、 国法会議や民法会議を主催して箕作麟祥らとともに 民法典編纂に取り組む。 古美術 崎陽 « 江藤新平-8 | トップ | 江藤新平-10 »
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