五代 友厚-21 2015-12-30 06:25:51 | 長崎の歴史 1月 - 小松清廉、トーマス・ブレーク・グラバーらとともに、 長崎の小菅において、小菅修船場の建設に着手する。 5月 - いろは丸沈没事故をめぐる土佐藩と紀州藩の交渉を仲介する。 幕府が崩壊する。御納戸奉公格という商事面を担う。 長崎の歴史
五代 友厚-20 2015-12-28 06:45:38 | 長崎の歴史 5月 - イギリスのサザンプトン港に到着。即日、ロンドンに向かう。 7月 - ベルギーに行く。 9月 - プロシアから、オランダを経由して、フランスへ行く。 慶応2年(1866年)2月 - 薩摩の山川港に帰着。直ちに、 御納戸奉行にて勝手方御用席外国掛に任ぜられる。 慶応3年(1867年) 長崎の歴史
五代 友厚-19 2015-12-26 06:15:06 | 長崎の歴史 文久3年(1863年) - 薩英戦争において交渉の結果、 自ら寺島宗則とともにイギリスの捕虜となる。 慶応元年(1865年) 3月 - グラバー商会が手配した 蒸気船(オースタライエン号, The Australian)にて、 薩摩の羽島沖から欧州に向けて旅立つ。 長崎の歴史
五代 友厚-18 2015-12-24 07:25:10 | 長崎の歴史 安政4年(1857年) 郡方書役を命ぜられる。 長崎遊学を命ぜられる。勝海舟に会う。 文久2年(1862年) 2月 - 藩庁より舟奉行副役の辞令が下りる。 4月 - 蘭通詞岩瀬弥四郎のはからいで、 千歳丸の水夫に変装して上海へ赴く。高杉晋作らに会う。 長崎の歴史
五代 友厚-17 2015-12-21 06:45:00 | 長崎の歴史 年譜・功績 天保6年(1836年)2月12日 - 薩摩藩士である五代秀尭の次男として生まれる。 ※旧暦では天保6年(1835年)12月26日となる。 嘉永4年(1851年) - 元服して、才助と名乗る。 長崎の歴史
五代 友厚-16 2015-12-19 07:25:44 | 長崎の歴史 初代会頭は五代友厚。 大阪商法会議所を設立した目的は大阪の実業家の 相互扶助によって新時代の潮流に棹差し 大阪商人の伝統である信用第一主義に則り以って 自己の利益を増すと同時に大阪の繁栄を軸に国富の増強に 資するといった教育勅語的な趣旨に基づいた遠大な意図だった。 役員の構成は、五代を初め計11人が創立委員となり鴻池善右衛門、 三井元之助(後の三井財閥)、 広瀬宰平(後の初代住友総理人)らの150株を筆頭に皆で立ち上げた。 五代は初代会頭となった。 長崎の歴史
五代 友厚-15 2015-12-17 06:45:40 | 長崎の歴史 設立背景は、国内に事件がおこると常にドサクサに紛れ 悪辣な金儲けをする者が増えるのを防ぐため、 また互いを助け合うために実業家たちの 一致団結による協力と意見交換の場が必要とする考えに起因する。 嘆願書の集め方は五代らしい強引な勧誘で、決め文句は「万が一、 後に会へ加盟を申し込んでも拒絶、もしくは巨額の入会費を徴収する」で、 結果的に60人の同志を獲得した。 長崎の歴史
五代 友厚-14 2015-12-15 07:25:02 | 長崎の歴史 この事態を打開し大阪経済の復活を願って財界指導者の 有志15名が明治11年7月に大阪商法会議所設立の嘆願書を 大阪政府に提出。 これが今日の大阪商工会議所の礎となる。 長崎の歴史
五代 友厚-13 2015-12-13 07:55:03 | 長崎の歴史 大阪商法会議所設立 大阪商工会議所明治初期、維新変動の波を受け、大阪経済が低迷する。 銀主体の商取引の廃止や藩債の整理による富豪や 両替商の資産消失が主な原因であった。 長崎の歴史