天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

東京の水田を歩く

2016-06-03 04:42:55 | 身辺雑記


さるネット句会で「植田」と「六月」という題が出された。農家出身で水田との縁は深いがとんと句ができぬ。
それで近くの水田を見に行った。
東京農工大農学部の水田である。
京王線・南武線の分倍河原駅から徒歩5分ほどのところ。武蔵府中税務署の前である。

鴨が二羽水田を泳ぎ回っている。虫を食わせるとともに糞を肥料にしようという発想である。
植田は水が多くて苗が頼りないと昔から感じてきた。「植田の水の深々と」で七五として後どうしようか。
田は田植えが済むと人が急に来なくなる。人は一息つくわけだ。そうか

骨休め植田の水の深々と


としてみる。
余り苗がえらく多い。結局捨てるのだろう。余り苗人は遠くへ行きにけり、では骨休めと同じ発想。そうかここは農学部。ならば、

農学部出払つてをり余り苗


としてみよう。
ここにある建物は作業のときの休憩用だから「出払っている」もなにもないのだろうがぼくには学生がいないことがそう映った。俳句は思い込みででいいのだ。



次は「六月」。この季題で有名なのは石田波郷の「六月の女すわれる荒筵」。
七月でもいいじゃないかと長く思っていたがやはり六月で最善と思うようになったのは、この月は爽やかだとうこと。
たいがいの人が六月は梅雨でうっとうしいという先入観を持っているが梅雨はむしろ七月になって本格化する。六月はからっと晴れる日が多い。「爽やか」は秋の季語であるが秋より六月こそ爽やかな日があるとこのごろ感じている。
波郷の句は六月の爽やかと女の綺麗さを十全に伝えていると思う。

植田は苗が貧弱で水ばかり目立つので
六月の水田の水のさやぎかな




としてみたが、これは写真がないと訴求力のない出来かもしれない。まあいたしかたない。六月という題は難易度が高いのである。
とにかく植田に水を感じるのは六月であり七月になると苗が繁茂して緑を感じるようになる。
そのとき鴨はどんなふうに泳ぐのかまた見に来たい。

鴨泳ぐ苗のことなどおかまいなく

は六月だからこそであろう。
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