天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

高尾山ひとり吟行

2024-07-18 02:02:59 | 自然
2キロ圏内の生活圏を出て俳句を書きたくなった。
きのうはまだ梅雨の雨もようで暑くならないとみて、電車で30分ほどの高尾山へ出かけた。あのへんは言葉を刺激するものがたくさんある。
いつものように中央線・高尾駅で降りて歩く。バスは乗らずとにかく歩く。入ったこのないトンネルへ入ると先に川の堰が見え、おもしろそう。





筋なして水の吸はるる涼しさよ
堰に近づく水が行く手を狭められて水面に筋ができる。その繊細さ、美しさは言いようがない。これを見ただけでここへ来た甲斐があった。水は永遠のテーマである。

水の上の蜘蛛の巣そよぐ蜘蛛もゐて
水が堰から端にしつらえられた水路に入る。水路の上にみごとな蜘蛛の巣があった。結がすぐ見つける蜘蛛の巣。そこに蜘蛛がいた。それだけのことだがこれもいい見物であった。

川いつぱい青蘆と水鬩ぎ合ふ
いつも通り過ぎる川で時間を費やす。青蘆と水の関係をずっと興味深く見てきた。いろいろな川や池で。この川の名前を知らぬが青蘆と水だけで川を占めていた。




蔓草の崖になだるる五月雨
川のすぐそばを中央線が走る。そこに山が迫っている。山は樹木が立っているだけでなくいろいろなものが押し寄せている。

ダンプカー行く風圧や夏燕
西国分寺であまり見ない燕がいっぱい飛んでいる。甲州街道は交通量が多く、大型トラックなどがひっきりなしに行き交う。それにめげず燕は元気。

花咲いていよよ寂びたる竹煮草
竹煮草はこれだけで季語だが、花が咲く。そのころの竹煮草は言葉にできぬほど寂びた感じがする。竹煮草ほど「寂びる」という言葉がふさわしい植物はないのではないか。綺麗なものより寂びたものに惹かれる。





万緑や歩け歩けと囃す
鳥が多くよく鳴いてくれる。歩く、登るより言葉と戯れたいのだが山の周辺をうろついているわけにはいかない。ここまで来たら頂上を目指さなければ。まだ歩けると思う。

かたはらにいつも瀬音や百合の花
ケーブルカーの始発駅を右に見て6号路を登る。ここは川音を常に右に感じて登る沢コース。ちょっとした滝もある。下山によく使ったが登るのははじめて。

梅雨晴や蕾まん丸弾けさう
植物の名は知らない。まん丸の開けば花になりそうな蕾がたくさんある。知らなくても見るだけでエネルギーを感じる。それでいい。





灯から灯へ歩いて涼し杉木立
杉林は昼も暗い。照明がところどころにあるのが嬉しい。そうでなかったら墓所のような暗さある。

梅雨深し青く分厚く幹の苔
最近、木の幹の表情に興味がある。幹につく苔はこよなく美しい。

紫陽花は終りの色や雨零す
このへんの紫陽花は鮮やかでない。後で見た寺院近辺のものはまだ盛りであった。

羊歯に擦り二の腕痒し五月雨
路肩の植物が濡れていて光る。半袖であるが長袖のほうがかぶれる人にはいい。登山はできるだけ肌の露出を防ぐのがいい。

雨に生れ雨に蕩くる梅雨茸
雨後の筍というが梅雨の茸も同様。梅雨茸もいちおう命だがなぜこうもはかない営みを繰りのか。世界は謎に満ちている。

下闇や岩を落ちては白む水
川沿いの道を歩くといつも川を見下ろす。水の動向はいつ見てもおもしろい。濁流でもそれが落下するときは白い。ここの水は澄んでいる。




木の間や白きくの字の川涼し
岩の間を縫うように流れる水はときに「くの字」に見える。ジグザグを描く場合がある。

木の根踏み根気いただき山登り
まぜ地表に根が露出しているのか。根が錯綜するさまも見て楽しいものである。木の根道は脚をひっかけないように腿を上げることを意識する。

白衣のひと岩盤洗ふ滝の前
琵琶滝という。滝の前の岩盤を白衣の3人が水洗いしている。彼らが座って座禅でもする場所なのか。そう汚れていない岩盤を洗うことが可笑しい。撮影厳禁と立札に書いてある。そこを見ることができぬように塀がぐるっと囲んでいる。






とうすみやひとすぢの水川に落つ
滝の近くは滝ほど豪勢ではないものの落ちる水を随所に見る。川蜻蛉は黒く細身で静かに飛ぶ。


溪声を足下に歩く青嵐
谷の音が次第に下に遠ざかる。高度があがっている。木々が風に揺れやすくなる。

山門をいくつ抜け来し百合の花
ケーブルカーで来た人たちは山百合をたくさん見ることになる。宗教施設がたくさんあり門もたくさんある。

山百合のかをり赤裸やしなだれて
山百合はでかい豪勢な花。触れると花粉にまみれる。腰が弱くてすぐ倒れる。山百合を見たい人はここへ来るのがいい。山百合の楽園。





梅雨吸うて木々ずつしりと黒々と
山全体が雨を吸って重い。山の構成要素である樹木1本1本が湿っている。

老鶯や溪に傾く崖の木々
鶯がいい声で鳴いてくれる。木が困難な場所で頑張っている。繁茂していて河床を見せない。






標識が道あるといふ梅雨の川
梅雨時ではあるが高尾山がかくも水に恵まれていたとは。今まで意識しなかった。6号路の終盤、いつもと違う標識を見た。川を渡らずに川の中を行くよう指示する標識があった。本当かなあと疑いつつこんな観光地で標識が間違って設置されないだろうと思って踏み込む。
運動靴ゆえ水がたくさんあってほしくない。さいわい踝以下の流れ。石の上を行く。

水無月や水の噴き出す高尾山
そこらじゅう水の高尾山である。頂上直下にある蛇口からも水が出て飲める。雨が降るから水が出るのだが標高600mほどの山がかくも水を含んでいるとは驚きである。

夏蝶や木道に足弾む音
最後の登りは木造の階段。むかしこんなに整備されていなかった。






頂上や雲の中より蜻蛉来る
種類は知らぬが蜻蛉が行き交う。ええっ、まだ梅雨開けていないぜ。秋の季語がここにある。気候も生体も大きく変化している。
学生と思しき若者が多い。年寄より若者が多い。それだけで世の中が明るくなった思い。街でなく山へ来る若者にいつも好感を持つ。

絶え間なく蜻蛉行き交ひ空ゆたか





頂上や脱ぎて絞れる汗のシャツ
頂上ですぐするのがシャツを脱ぐこと。むかし「汗のシャツ脱がしてくれる女なり」と書いたが単独行はそれができない。

梅雨空やアラブの女嘆息す
東京の山はいろんな人が訪れる。スカーフを巻いて頭を隠しているから地面が茶褐色の国から来た女性だろう。故郷とはえらく違う気候であろう。暑さには慣れているだろうが湿度には慣れていないだろう。

下山のとき腿がパンパンに張っている。山登りはほぼ引退状態。下りは登山靴のほうがいいがそれをもう持っていない。高尾山は2カ月に1度ほどは来てもいい場所。底のがっちりしたすこし頑丈な運動靴を買おうか。
まだ歩けるとわかってよかった。高尾山は言葉遊びの山である。





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2 コメント

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Unknown (南骨)
2024-07-18 13:54:13
蕾まん丸はタマアジサイのようです。みたことない植物でしたので気になって調べてみました。やはり我が四国にはないようです。
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アシスト感謝 (わたる)
2024-07-18 14:35:30
南骨くん、植物好きみたいですね。調べてくれてありがとう。
返信する

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