けさ、気温が下がり寒いと感じたほどであった。水泳が嫌になり風に当たりたい。国分寺名所「お鷹の道湧水群」まで1キロ半。
散策をしよう。
お鷹の道。ここは草木が多く、せせらぎがある。静かである。辺りの民家の人はうるさいと思っているかもしれないが。
秋風や鋏のやうにしやきしやきと
秋風が心地いい。金属の音を感じる。ここは国分寺市が誇る観光地。見物がいろいろある。
その一つが「国分寺楼門」。江戸時代の様式とか。東久留米市の米津寺の楼門を明治28年にここにもってきたという。
門に来て振り向く人や秋の風
門に座せば吾も杜子春や昼の虫
門は結界である。芥川龍之介にもその意識が十分あったと思う。門を抜けると別の世界へトリップする。
爽かに珈琲香る水辺かな
「おたカフェ」である。珈琲を喫して句を考えるのによい場所。2、3人の吟行にふさわしい。そばを流れるせせらぎには蛍になる幼虫が棲む。結がときどき飛び込んで遊ぶ川である。
秋風や水でごつちやの川と道
台風の後かくも水びたしとは思わなかった。こんな水害をここで見たことがない。ふと高いビルに伯母が一人住まいをしていたことを思い出した。元気だろうか。
秋出水十階に伯母ひとり住む
ここいらはすべて本多家の土地とか。本多さんは農家で野菜をつくっていて無人の店に出している。ここも観光客に人気のスポット。
小屋掛けの野菜売り場や虫の声
蜘蛛咥へ振り回しをる蜥蜴かな
邸宅の入口に立つ大欅から突如、大きな蜥蜴が下りてきた。蜥蜴の口に大きな蜘蛛がいる。大きな蜘蛛に食いついて蜥蜴が難渋している。蜥蜴は蛇かと思うほど長いが足があり蜥蜴である。辺りを動きまわり蜥蜴の腹が動いている。食ったかどうかまでわからないが騒動であった。
外へ出ると思わぬものが見られる。ラッキーであった。
池には鯉がいて静かな場所。結が「じんじゃ」という堂もあり賽銭箱へ小銭を入れることを覚えた。その堂をぐるりと池が囲む。
新涼や水さざめけば竹林も
お鷹の道湧水群から少し南へ行くと、国分寺跡。当地が「国分寺市」を名乗るのはこの国分寺のおかげである。いま建物はなく礎石だけ。
講堂と金堂があったそうだ。桜がたくさん生えていて花の咲くとき地面からライトで照らす。
講堂跡
草原や西も東も秋の風
猫じやらし金色に透け後生楽
二度三度撥ねてはたはた風に乗る
秋風は吹き抜ける風振り向くな
金堂跡
夜になるとそうとう虫が鳴くだろう。
虫時雨金堂の闇艶めける
奈良時代、金堂は金箔だったのか。語感は明るいが光は乏しかっただろう。僧たちは夜ろうそくで明かりを得たのか。油を燃やしたのか。夜はそうそうに就寝したのだろうな。小生みたいに。
お鷹の道湧水群の上が都立武蔵国分寺公園。この10mほどの段差が「国分寺崖線」である。武蔵国分寺公園は広い。
国分寺から国立へ抜ける多喜窪街道に橋がかかり北の公園と南の公園をつないでいる。
爽かや橋より眺め消防車
最近、消防署が移転してきた。赤い色は遠くから見てもよくわかる。
橋を吹く風砂混じり九月来ぬ
九月はざらざらしてやって来ると思う。湿っていてざらざらしているというのが小生の九月である。
台風後の空はやや安定を欠き、野趣に富む。
野分後の落着きの無きちぎれ雲
ちぎれ雲なほちぎれをり秋高し
破芭蕉風に雨粒まじりきり
台風のとき芭蕉は難儀しているだろう。なにせ大きい葉である。太陽をよく取り込むが風は大敵。
小生も一人でぶらつくのが好き。そういう好みの男はほかにもいる。後をついたが足が速くて見失う。追いついて彼と話す気はない。
荒野ゆく一人の背中秋の風
どこまでも貨車と行くなり秋の風
武蔵野線は貨物列車がしゅっちゅう通る。それに無料で乗って終点まで行きたい、とたびたび思うが、人は貨車に乗れない。
芋虫は何を食ってパンパンに張っているのか。痩せた芋虫を見たことがない。
芋虫のごろんと青い空がある
水引の花木漏れ日に揺らぐがに
水引の花はかそけくて風が無くても揺れている。下闇で光彩を放つ優れもの。
青空を行く白雲や秋渇
青空を白雲は行くのは気持ちいい。秋晴の爽快感が空腹をもたらす。
大槻を吹き抜ける風爽やかに
槻、すなわち欅の木の肌は無機質で楠や小楢のようにゴツゴツしていない。風が滑るように過ぎる。
欅は秋風に愛されている。
不穏なり草にぞくぞく白茸
草原に茸が生えたと思わなかった。誰かが持って来て置いたかと思った。けれど土から茸が出ている。驚いた。
ぎんなんはふぐりの如く二つづつ
ぎんなんが大きくなってきた。なぜか二つセット、まさに人の陰嚢を思う。滋養ということで共通なのか。神秘である。
いちはやく熟し山法師の実
秋の果実でまっさきに熟すのが山法師の実。黄色くクリーミーである。皮ががそごそして食べた気がしない。用を足すというよりムードメーカー。
今年もっともうっかりしたのは、モミジバフウの実が木についていたのを見なかったこと。青々とした実が木についているさまを見たかった。春それを見ようと思っていてもう地に落ちていて褐色である。
自然の移ろいは早い。ついていけない。